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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2012-12-09

2023年のコンピュータとゲームはどうなっているのか 05:20

 ナディア一気見してたら変な時間に起きてしまったので、川上さんが読みたいであろう記事を気まぐれに書いてみることにする。彼は僕が2001年に書いた未来予測の記事が凄く好きだったみたいだ。


 あれから10年経ったので、これから10年後の世界を予想してみよう。

 そろそろ年も変わるから、2023年ということになる。


 未来予想を行うコツは、過去を振り返ることだ。

 たとえば10年前の世界はどうだったか。


 2002年には、まだソーシャルネットワークがない。

 WindowsXPが出てまだ一年であり、XPのユーザーインターフェースが飴みたいで気持ち悪いとみんながまだ思っていた頃だ。思えばあの頃はまだ平和だった。まさかその後のVistaの悲劇が起きるとは誰にも予想できなかった。Longhornと呼ばれていたVistaのうわさ話がちらほら聞こえていた頃で、ファイルシステムにはSQLが採用されるとか、過激な世界観が謳われていた。


 OSXはどうだったかというと、なんとまだ10.2、Jaguarが出たばかりだった。

 Rendezvous(後のBonjour)が搭載され、タイムテレビみたいな形のiMacが発売された頃だ。

 そしてなんと、僕はまだMacを持ってなかった。形には惹き付けられつつもまだ踏み出せない。そんな時代だ。

 僕がMacを持ってないなんて考えられるか?当然、僕はまだiPodを持ってない。

 iPodが発売されたのは2001年、2002年の8月にようやくWindowsマシンでもiPodが使えるようになった。

 出荷台数もまだ100万台には遠く及ばない。翌年に33万台にようやく達する。ちなみに2011年末に累計3億3600万台出荷されている。今はもっとだろう。

 それが2002年だ。


 携帯電話はどうか。

 iモードが全盛の時代だ。

 4500万人がiモードを使っていた。

 人々は着メロに夢中になり、着メロサイトを運営する会社が何百億もの利益を上げていた。

 ちなみにドワンゴはまだ上場していない。

 今のソーシャルゲームの主流であるFlash Liteはまだ登場すらしていなかった。


 ゲーム機はというと、Xbox初代が2001年に発売され、日本ではXboxそのものが徹底的に無視されていた。

 任天堂ゲームキューブを2001年に発売したばかりで、苦戦していた。ゲームボーイアドバンスはそこそこ売れていて、ケーブルを繋いだ相手方ソフトウェアなしのP2Pでの最大四人対戦という概念が初めて人々に受け入れられた時代でもある。

 ソニーは2000年に発売されたPlayStation2がようやく軌道に乗り始めた頃である。


 ITらしいITの話をすると、mixiはまだイーマーキュリーという社名で、求人情報サイトしかやっていなかった。mixiがソーシャルネットワーク事業に参入するのはその翌年の2003年である。

 DeNAはまだビッターズというオークションサイトをやっていた。DeNAがモバゲーを作るのは2006年のことである。

 GREEは存在すらしてなかった。

 Facebookが産まれるのも、2年後の2004年である。

 Twitterもない。

 Googleは既に存在しており、日本にGoogleジャパンが2001年にできたばかりだったが、ほとんどの日本人は存在すら知らなかった。

 Yahooで検索するとGoogleが自動的に使われるようになり、間接的にGoogleを使う人の方が多かった。

 GMailもGoogleMapもまだ存在してない。Youtubeもない。Youtubeが登場したのは2005年だ。


 CPUでは、ARM7がゲームボーイアドバンスに採用されるなど、高性能な組み込みCPUとしての存在感を増している時代だ。PCの世界では相変わらずIntelが優勢だった。

 Pentium4全盛期だ。よりコンパクトで高性能なPentiumMの登場は翌2003年である。

 サーバー用途のXeon、64ビットCPUのItaniumが登場していた。


 さて、材料はこのへんでいいだろう。

 未来予測のやり方というのは、過去から現在へのベクトルと、サイクルに注目する。

 たとえばゲーム機の世代交代のサイクルが解りやすい。


 PlayStationは初代が1994年末、PlaySation2が2000年3月なので約5年サイクル、その後2004年のPSPを挟んでPlayStation3が2006年、サイクルにも幅があるがだいたい5年周期と考えられる。ただ、PS3から既に6年経過した現在、ようやくPS VITAが出たところなので、PlayStation4が出るとすれば来年のE3で発表されないとマズいだろう。


 任天堂は1983年にファミリーコンピュータ、1990年にスーパーファミコン、1996年にNintendo64、2001年にゲームキューブ、2006年にWii、2012年にWiiUであるから、だいたい5〜6年周期で着実に世代交代をしている。これと別に、ゲームボーイ(1989年)、ゲームボーイポケット(1996年)、ゲームボーイカラー(1998年)、ゲームボーイアドバンス(2001年)、NintendoDS(2004年)、NintendoDSi(2008年)、Nintendo3DS(2011年)とより細かいサイクルでバージョンアップしているモバイルゲーム機もある。初代ゲームボーイからゲームボーイポケットまでの7年*1を除外すれば、その後は約2〜3年周期でマイナーチェンジが行われており、商品名やデバイスが大きく変わるような大規模な変更は約5年周期と言える。


 ではセガはどうだろうか。

 今はゲームを製造していないが、セガも重要なプレイヤーだった。


 セガは1983年に家庭用ゲーム機SC-1000を発売する。

 85年にセガ・マークIII、87年にマスターシステムが搭乗する

 1988年、大ヒットハードとなるメガドライブを発売。1990年にはゲームボーイのカラー化に先立ち、ゲームギアを発売する。

 1990年代はセガの家庭用ゲームにおける黄金期と言える。

 1994年にセガサターン、1998年にドリームキャストを発売、そして2001年、セガは家庭用ゲーム機ハードから撤退すると表明する。


 セガは他社と比較してハードウェアのバージョンアップサイクルが非常に短い。マークIIIのわずか3年後にメガドライブ、サターンのわずか4年後にドリームキャストが発売されている。ただしメガドライブからサターンまでは6年の開きがあり、ハードウェアの売れ行きが好調だと次世代機への転換が遅れるという裏事情まで透けて見えて来る。


 しかし特筆すべきは、2012年の現在においてもセガは未だ会社として健在であり、新しいエンターテインメントを継続的に提供し続ける企業であるということだ。

 セガが家庭用機に参入してから撤退するまで、18年掛かった。


 Microsoftのバージョンアップサイクルを見てみると、1976年、MicrosoftはBASICをMTS社に供給する契約を成立させる。その後、1980年にUnixから派生させた最初のMicrosof独自のオペレーションシステムXenixを開発するもうまくいかず、1981年にIBMから発売されたコンピュータに提供したDOS(PC-DOS、後のMS-DOS)は、他のソフトウェア会社から買ったものだった。

 1983年、MicrosoftはアスキーとともにMSXを開発。1985年、Windows1.0を発売、これはひどい代物だった。1986年、Macintosh用にMicrosoft Worksを発売。ヒットさせる。これは今のOfficeの原型のようなソフトである。1987年、OS/2を発売。1989年、Microsoft Officeを発売する。

 そして1990年、Windows3.0を発売。これがMicrosoftがヒットさせた最初のウィンドウシステムである。94年、デイビッド・カトラーがゼロから構築し直したプリエンプティブマルチタスクOSであるWindowsNT3.1が発売。95年、Windows95、98年、Windows98、2000年、WindowsNTを発展させたWindows2000と、Windows9xをそのまま継承したWindowsMEが発売される。


 そして2001年、WindowsXPが発売され、NT系と9x系が混在していたWindowsがようやくNT系一本に統一された。2007年、Windows Vista、2009年、Windows7、2012年、Windows8、というわけである。

 Microsoftの世代交代サイクルはかなり複雑だ。主要な変化だけに着目すると、DOS(1981年)、Windows1.0(1985年)、Windows3.0(1990年)、WindowsNT(1994年)、WindowsXP(2001年)、WindowsVista(2007年)、Windows7(2009年)、Windows8(2012年)と4〜5年周期だったものが、突然、7年の間を経て2〜3年サイクルへ早まっている。


 セガの例を考えるに、製品開発サイクルが狭まっているということは、外部に脅威が産まれている時と考えられる。この場合は、やはりiOSやMacOSLinuxの台頭だろう。

 Linuxが登場したのは1991年だが、今のように使われるようになったのは90年代後半から。エンドユーザー向けのLinuxであるUbuntuがうまれたのが2004年。ちょうどWindowsXPで停滞していた頃だ。


 Ubuntuの登場がMicrosoftの戦略に即座に打撃を加えたと主張するわけではないが、この時はiPodもMacも調子がよくなってきた頃だ。


 2007年にiPhoneが登場して、OSベンダーとしてのMicrosoftの地位を脅かし始めた、と考えるとVista以降の慌てぶりがなんだか伝わって来る。2年サイクルでOSのユーザーインターフェースがまるごと変わってしまうと、消費者はどんどん混乱し、戸惑うだろう。せっかく今の操作体系に慣れても、2年後には時代遅れになってしまうのだ。


 こうすると、IT分野の世代交代サイクルは3〜5年が妥当であると考えられる。

 一時期のWindowsみたいにほとんど毎年世代交代になると疲れるし、OSXのように細かなバージョンアップを毎年重ねて行くほうが結果的には良さそうだ。Appleになぜそんなことができるのかというと、ハードウェアを作っているからである。PC向けOSの分野で考えれば、ハードウェアを直接供給していないMicrosoftはどうしてもOS本体の売上げから規模を維持しなければならない。すると、OSの値段を高くせざるを得ないのだ。


 Xbox事業がうまくいっているのもそういうわけで、Microsoft Surfaceが必要なのもそういうわけだ。




 さて、以上の点をふまえて、2023年のコンピュータ業界をざっくりと推定してみる。


 まず、Facebook。急拡大したものは急速に忘れられるという原則がある。しかもソーシャルネットワークは今のところスイッチングコストが低い。既にアメリカのティーンエイジャー達に言わせれば、Facebookは「お父さんが使ってるダセエもの」というイメージさえ出て来ているらしい。仮にこういう肌感覚が本当だとすれば、いまのティーンエイジャーは2023年には23〜29歳になっている。20代が使っておらず、30代以降だけが使っているソーシャルメディアは町内会や青年団のようなものになってしまう。


 Facebookはビートルズのようなものになってしまうかもしれない。いや、ビートルズよりはもっと悪いか。なにしろ友達が中に居ないソーシャルネットワークなんて面白くもなんともないのだ。少なくともアメリカ本国ではそうなっていくのではないか。


 ソーシャルネットワークそのものは僕はなくならないと思う。ただ、ソーシャルネットワークはメカニズムではなくカルチャーに即したもので、カルチャーの変化は容易には予想できない。1995年に設立されたYahooが、90年代、そして2000年代初頭で隆盛を誇り、そしてそのわずか10年後に業績悪化や大規模なリストラが行われ、事実上の身売りが行われようとしている。こんな状況になると2002年に誰が予想できただろうか。


 これは検索エンジンのスイッチングコストが低く、Googleにとってかわられたからだ。

 ソーシャルネットワークそのものは10年後も残るだろう。そうでないとあまりに不便だからだ。

 ただし、「どのようにどの会社が残るか」までは正確に言い当てることは難しい。


 ソーシャルネットワーク、そしてクラウドコンピューティングの10年後は、僕はよりピア・ツー・ピアに近いものに収斂していくのではないかと考えている。Winnyのように、部分分散して暗号化され、全てが統合されないともとの情報が復元できないような形で複数の組織にまたがって分散する方式と、個々の端末から外に出ないデータに二分される。

 というのも、今現在のソーシャルネットワークは、全ての写真や人間関係がサーバーに保存されており、一度このサーバー群がクラックされてしまえば、その信用は瞬間的に失墜してしまう。

 一回の原発事故で日本中が脱原発に向かうのと同じで、誰か悪意のある第三者が全ての情報を丸裸にしてしまう事件が一回起きるだけで、人々にクラウドアレルギーを植え付けるには充分だろう。クラウドに保存した全てのメールや写真が誰にでも読まれてしまうようになった世界を想像してみるといい。これが何年後、何十年後におきるかは解らないが、絶対に起きないとは言い切れないのがセキュリティの怖いところだ。サマーウォーズよりもっと酷いことが起きる。


 全ての人間関係が暗黙的に電子化され、クラウドに記録されている。

 今まではそれは公的企業、たとえば電話会社や電力会社や郵政公社などの一部のエリートだけがモラルをもって握る情報に過ぎなかった。法律で厳重に管理されていた原発さえ一回の事故で大惨事になるのだ。


 ところがソーシャルネットワークとクラウドの発達と普及によって、ベンチャー企業どころか個人でさえも限定的なソーシャルグラフを手に入れることが出来るようになった。


 するとどうなるか。全ての人間関係と通信の秘密が暴かれる危険性が急速に高まるのだ。

 「通信の秘密なんて、後ろめたいことをしてる人の問題だろう」と思うかもしれないが、ことはそう単純ではない。ストーカーに家の場所がばれたり、給料の額や借金、誰かの陰口、誰かを口説こうとして失敗した記録、密かにあつめたエッチな画像、病歴、交際相手の犯罪歴といった本来は秘匿すべき情報が全て白日のもとに晒される危険性がある。


 クラウドを利用した情報テロ出現の可能性である。

 実際、ソニーのPlaystationNetworkをクラックしたアノニマスの例もある。

 今は愉快犯で済んでいるが、本気で情報テロを起こそうとする国が現れないとも限らない。


 しかしクラウドの利便性はいかんともし難く、クラウドに浸りきった人々はこの世界を棄てることはできないだろう。


 安全性を保ったクラウド、つまりエンドツーエンドでの通信の秘密がローカルにのみ保存されるような部分的P2P技術が必要とされるはずだ。これはNintendoDSのすれ違い通信のようなものだと思えばいい。あの方式なら最低限のプライバシーを守ったまま、必要な情報を共有することができる。


 結果として今後10年ではまだまだクラウドコンピューティングの普及は限定的なものになるだろう。

 つまりクラウドコンピューティング的には今とあまり変わらない状況が続く。Google Picasaのように勝手に携帯電話の写真をアップして行くのはやり過ぎだ。


 デバイスは、何らかの革命が起きるのは間違いないが、いわゆる電脳メガネと呼ばれるようなHMDが本格的に普及するのは早くても5年後、遅ければ10年以上かかるだろう。Google Glassは今のところ酷い出来らしい。それも当然で、進化してはいるがまだまだデバイスとして不快であるという点をどう解決するか見つかっていないのだ。


 つまり今後10年の間にまだAR革命は起きない。もしかしたらずっと起きないかもしれない。

 世代交代サイクルが3〜5年だから、10年の間におきる世代交代はだいたい2〜3回。


 つまり、クラウドコンピューティングもソーシャルネットワークもあと最低2回はなにか大きな技術革新やスイッチが起きる可能性がある。


 デジタルサイネージ分野ではプラズマチューブアレイがもっと普及していくのではないかと思っている。これだけでも今後10年の変化の中では非常に大きなものになるだろう。


 プラズマチューブアレイが充分安価になると、10年以内にIT企業の会議室の壁は全てプラズマチューブアレイで埋め尽くされるかもしれない。


 壁にプロジェクターで投影するのではなく、壁そのものがディスプレイとなるのだ。

 1987年に発明されたDMD(ダイレクトミラードライブ)方式のプロジェクターが普通の人に買える価格になったのが2000年くらいで、技術の発明から実用化まで13年掛かっていることを考えると、プラズマチューブアレイを発明した篠田プラズマが創業したのが2005年だから、2018年にはプラズマチューブアレイを採用した壁紙がIKEAやニトリで買えるようになるかもしれない。


 この壁紙を壁に貼るだけで、どこでも壁がディスプレイになるのだ。

 窓がないか、あっても不愉快な景色しかみえないラブホテルの窓や壁には積極的に採用されていくだろう。


 壁面全てがディスプレイになると、クラウドコンピューティングは次の段階へ進むことが出来る。

 http://wise9.jp/archives/5623


 イリノイ大学のEVLで研究されているような壁面コンピュータは、単に壁面と一台のコンピュータを接続しているのではなく、30台ものコンピュータが相互に接続され、全体でひとつのコンピュータのように振る舞う、という仕組みで動作している。


 一台のコンピュータがマルチコアで動作するように、複数台のコンピュータがひとつのディスプレイとユーザーインターフェースを介して動作するようになるはずだ。


 これは壁面ディスプレイが普及した後、たぶん2027年頃までには実用化されて世界中で普及しているかもしれない。


 そのような世界に必要なのは、新しいパラダイムのOSである。

 そっちの研究は、まだ始まってすらいない。


 分散OSというのは研究されてはいるが、今のインターネットやHadoopどまりである。むしろHadoopは未来の統合コンピュータアーキテクチャのプロトタイプモデルとしてはいいかもしれない。Hadoopに目をつけた太田君はさすがである。


 また、半導体ジャーナリストの後藤弘茂さんによると、これから起きるのはメモリー革命なのだという。CPUはもう限界に達しているので、メモリーを速くしないとダメだと。


 で、このメモリー革命の先にある未来というのは凄まじく、全てのメモリーが永続化されていて、しかもキャッシュメモリー並みに高速である、というものだ。


 マイクロコンピュータからストレージという概念がなくなるのである。その世界ではストレージとはすなわちクラウドのことになるのだ。


 iモードの時も、ローカルのフラッシュメモリからデータを読み取るより、ネット経由でダウンロードした方が高速であるという冗談のような状況があった。フラッシュメモリはあまりに遅いので切り捨てて、スピードが必要なところはネット上に保存したのだ。


 従って技術の転換期においてこうした逆転はしばしば起こりうる。

 SSDは今のところHDDと互換性のあるバスを用いているが、これだけSSDが安価になり普及して来たら、次はSSD専用バスが開発され、さらにそれをサポートするためにSSD専用のファイルシステムが開発されるようになるだろう。


 全てのメモリーが永続化されていてかつ高速であるということは、計算結果のほとんどをキャッシュできるということになる。プログラミングのやり方も根底から変わってしまう。


 プログラムモジュールのホットスワップが前提になると、プログラミングのパラダイムがほとんど変わってしまう。Erlangのようなアクター指向のプログラミング言語が主流化する可能性もある。


 だが、感覚的にはホットスワップを前提としたプログラミングは難解すぎて現実的ではないのではないかと思う。今後10年でErlang型のプログラミング言語が主流になると断言するほど、まだ僕は人類が賢いとは思えない。


 メモリー革命が起きると、リセットにコストがかかるようになってしまう。

 たとえ10年以内にメモリー革命が起きたとしても、従来の揮発性ダイナミックRAMとSSDのような形で残るのではないだろうか。ただし、SSDと言ってもDRAM並みに高速なので、計算そのものはほとんどがキャッシュされ、べらぼうに速くなるはずだ。


 メモリー革命が起きた後の世界では、複数のコンピュータがVirtual*2にひとつのメモリー空間を共有する可能性が出て来る。その場合のアドレッシングモードは256ビット程度は必要だろう。


 intが256ビットになる256ビットコンピュータの出現である。すると浮動小数点数も8倍精度になり、高度な科学技術計算がもっと簡単に可能になる。ただ、メインCPUからは浮動小数点演算機能は省かれて、サブCPUコア側で64ビット整数と4倍精度程度の演算機を搭載して、128〜1024コア配置するヘテロジニアスマルチコアになるかもしれない。コンパイラの性能が充分高ければ、メインCPU256ビットx8、サブCPUコア(GPU)64ビットx1024といった構成のマシン向けに最適化されたコードをコンパイルできるだろう。


 PlayStation3のCELLでも、今のPCのCPUとGPUでも、メインコアとサブコアの言語は異なっているが、同じ言語でコンパイラによって適切にコードが分けられるようになっているだろう。例えば「この関数はサブCPUコアで実行する」というヒントをコンパイラに与えると、そのようにコンパイルされることになるはずである。最適化がなされる場合は、コンパイラ側でどちらのコアで実行した方が有利か推定し、適切な分割を行うことになる。


 1024コアそれぞれが別々の計算を行うアウトオブオーダー実行をコンパイル時に計画できるので処理効率は飛躍的に上がることに成る。


 メモリー革命が起きていないと256ビットCPUの存在意義はないので、VRAMへのアクセスはメインCPUもサブCPUコアも等価でできるという前提で考えると、専用GPUはもはやいらないということになる。


 アーキテクチャはARMが主流になりIntelを駆逐する可能性は充分あるが、IntelはARMに対抗する為にARMと同様のパテントライセンスを256ビット以降の製品群で開始するかもしれない。SAMSUNGがCPUアーキテクチャの設計まで手を広げる可能性は充分あり得る。


 いわばクラウドメモリーである。

 クラウドメモリーは、構内のみで使用するローカルクラウドと、国内のみで使用するレイテンシ200ミリ秒以下のエリアクラウド、全世界で共用できるレイテンシ500〜1000ミリ秒のグローバルクラウドの三段階に分けることが出来る。


 この技術の登場初期はデータセンターなどで構内のみで共有するローカルクラウドメモリーをどう活用するかが議論の中心になる。


 オフィス内のコンピュータは全て脳の一部が共有されたコンピュータを使うことになる。

 これは携帯端末などでも同様で、ストレージではなくメモリーとして存在しているわけだから、誰でも自由にアクセスできる領域ということになる。ストレージではなく単なるメモリなので、アドレッシングさえあれば複雑なクエリー処理などは必要ない。

 もちろん書き込み権限と読み込み権限などは厳しくハードウェア的な特権管理が行われるだろう。

 クラウドメモリーは集中管理されず、ちょうどWinnyのように部分分散で夫々のコンピュータが少しずつ情報を冗長化しながら保持し、必要に応じてキャッシュが入れ替わるようになる。


 その結果、全体の5%が消失しても、自動的にリカバリーされるようになるはずである。

 クラウドメモリーの容量は事実上無制限だが、もちろんその場所に存在するマシンの総メモリ量の制約を受ける。そのため、クラウドメモリー専用のハードウェアが用意され、それは全体のバックアップを行いつつ、常に総情報量の監視を行って、必要に応じて管理者に警告を発するだろう。


 管理者は優先度の低い情報列をいったん、緊急避難的にオフィス街のエリアクラウドに退避させつつ、新しいクラウドメモリーハードウェアをAmazonで注文できる。Amazonは、10年以内には1時間で宅配してくれるようになるだろう。


 クラウドメモリーで共有されたコンピューティングの会議は、いまと変わらず泥臭いが、少なくとも議事録やスライドの共有だけは簡単になっているはずだ。


 会議の形式なんてこの50年変わっていないのだから、たった10年で会議が大きく様変わりすることなどないのである。


 ただし、15年前に登場したパワーポイントが現在これだけ使われていて、しかも大きな世代交代が起きていないことを考えると、パワーポイントみたいなものは10年後も使われている可能性がある。もちろんもう少しバージョンアップはしているはずだ。たぶん3D表現がもっと積極的に可能になり(なにしろそんなことくらいしかやることがない)、場合によっては今は完全に存在が無視されているインタラクティブ性(ハイパーリンク等)を活用したプレゼンに移行しているかもしれない。


 さて、ゲーム。

 2002年にWiiの登場は全く予想できなかった。が、ゲームのアイデンティティはコントローラであるということは僕の記事でも、ファミ通の予測でも行われていた。コントローラに革命を起こす方向性は任天堂らしい方向性である。その他のNintendoDSのすれ違い通信のような遊び、ヨドバシAkibaにすれ違い通信専用の場が設けられることなど予想できなかったはずだ。


 2023年のゲームはどうなるか。

 ゲームの話でいえば、あと2,3回は世代交代が起きるが、任天堂は据え置き機で一回、携帯機で一回、とても大きな世代交代を起こすだろう。80年代、90年代、00年代の任天堂をみると価値ある挑戦と無謀な挑戦をかわりばんこに繰り返している。


 出現が予想されるのは、懲りずにARメガネ3Dゲーム機を出すのではないかということ。つまり携帯用バーチャルボーイである。ただし、没入するのではなく、カメラとWiFiが内蔵されていて、まあいわゆる「電脳メガネ」のプロトタイプみたいなゲーム機を出しては見るのではないか。しかし出すには出したけどまた失敗するのではないかと密かに思っている。


 可能性として、10年以内に「玩具としての電脳メガネ」は充分実用段階に達するだろうし、「枯れた技術の水平指向」と考えれば、任天堂がARメガネゲーム機を出さないわけがない。


 ユーザーインターフェースはヌンチャクは危ないのでリストバンドとサイバーコード方式になるのではないか。まあヌンチャクになるかもしれないが。

 リストバンドで腕の動きを読み取り、サイバーコードを視界に翳すと、なんらかのコマンドを入力することができるという方式である。


 電脳メガネは入力UIが難しいので大人が実用品として使うものも10年以内には出るだろうが、2002年のWindowsCEマシンみたいな扱いになると思う。


 これがヒットできないと、たぶんまたNintendoDSのマイナーチェンジのようなゲーム機を出し続けるしかなくなる。次に考えられるのは「もう少しマシな裸眼立体認識」で、これはインナーカメラを用いて立体視させつつ、プレイヤーの頭の位置から逆算してディスプレイの向こう側を描き出す。方式としては古典的だが、CPU性能がありあまると携帯機はこういう方向性にいくしかないだろう。視線入力は疲れるので流行らないと思う。


 その他のメーカーは大方の予想通りのものしか作れない。

 フィルレートとポリゴン数が1億倍になり、メモリー革命も起きているはずだからネットゲームはもっと作りやすくなっている。ポリゴン数の制約を事実上受けずにゲームが作れようになり、MatrixのCGのようなゲームが当たり前のように遊べているはずである。Matixの戦闘シーンのCGの人物モデルに貼られているテクスチャは高々4096x4096でしかない。これは10年後のゲーム機のVRAM容量(最低でも10GB以上ユニファイドメモリーと考えれば1TB以上)から推定すれば児戯に等しい。


 ただ、残念ながらその時代には映画や映像技術はもっと進歩しており、「実写映画みたい!」と驚くことはなくなっている可能性が高い。一回くらいは驚きたいものだが。


 3Dプリンターとともに3Dスキャナーが普及し、Kinectももっとマシなものに成長していて(Kinectがバージョンアップしないわけがない)。おそらく2023年までに最低2回はKinectがバージョンアップするだろう。

 バージョンアップしたKinectは最終的に1mm精度でズレのない立体映像を撮影可能になり、Kinectの前で一周すると自分自身と寸分違わぬキャラクターがゲーム内に登場できるようになる。


 ただし黒髪だけはダメで、ゲーム内ではカツラを選ぶようになるのではないか。


 クラウドゲーミングの出現そのものは2001年の僕のWebサイトで予言していたが、その後僕は考えが変わったので2023年にもクラウドゲーミングは普及していないのではないかと思う。または、今のソーシャルネットゲームがクラウドゲーミング化している可能性は高い。というのも、今のソーシャルネットゲームの主な処理は専らサーバー(クラウド)側で処理されており、端末側はUIの提供に徹しているからだ。最近、リアルタイムな操作を許容するソーシャルネットゲームも登場し始めていることを考えると、この延長線上にあるのはクラウドゲーミングと同種の技術である。もちろん今クラウドゲーミングと呼ばれている技術と直接比較すると、技術的には別個のものだが、ゲームの主処理がクラウド側で行われているのだから映像表現もクラウド側にやらせようという発想に至るのは不思議なことではない。


 とはいえ今のような形のソーシャルネットゲームは、2016年までに消滅しているかもしれない。

 ただし、カードゲームのシステムは残るだろう。考え方によってはソーシャルネットゲームはとっくに消滅しているのである。今そのように呼ばれているだけであってソーシャル的な要素はなにもない。ただゲームの初動をソーシャルリレーションによってドライブしているだけで、AppStoreのゲームに至ってはそれすらない。


 今のような形の電子カードゲームはあと20年は残るだろう。遊戯王世代と呼ばれる今の20代後半から30代のビックリマン世代の人たちがそのまま年を取って、40代後半から50代までは手を替え品を替え、少しずつ大人向けになりながら残って行くと考えられる。

 

 もちろん淘汰は今以上に進んで行き、生き残らなかったソーシャルゲームは、ガンガルやガルダンのような偽ガンダムとして振り返って語られるようになるかもしれない。



 携帯電話。

 携帯電話が今後10年でどうなるか、はさすがに僕の本業なので明かすことはできない(クライアント企業に莫大な調査費を貰っていて、それを無料で公開することはできない)。


 なんかお正月企画みたいなのを突然やってしまった。

 なあに、当たるも八卦、外れるも八卦、なのである。

 ちなみに僕が1999年と2000年に予測していた内容の記事をサルベージしたので

 http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20121211/1355182226

 に掲載しておく


 みんなも10年後の未来を予想してみよう!

 

 

*1:当初ゲームボーイは1986年とご表記しておりましたが正しくは1989年でしたので訂正しました

*2:なぜ"仮想的"と言わないかというとそれが誤訳だからである