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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2012-12-21

ベンチャーや。兵どもが夢の跡。僕が学生ベンチャーを応援しない理由(長文) 12:52

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 またひとつ会社がなくなった。

 良く知ってる人の会社だっただけにショックも少なくない。


 井口さんも頓智・を去った。

 ついでにもうひとつ、誰も知らない会社がひっそりと畳まれた。

 あと、もうひとつ潰れそうな会社があって、今売り先を探してる。

 年末はこんな話ばっかりで憂鬱になる。


 MBAを持ってる秀才も、天才的なプログラマーも、マッキンゼー出身でも、有名企業の重役経験があっても、ベンチャーは常にリスクと背中合わせだ。


 今週はあまりにそんなことがありすぎて、僕はなにか楽しいことをする気分になれなかった。


 僕はこんなときいつも思う。

 ベンチャー企業なんてやるもんじゃない。

 僕はしばらくベンチャー企業をやってない。UEIは中小企業である。この違いについては後述する。最近のUEIは少し「ベンチャー企業的」になってきたが、会社全体がというわけではない。どちらかというと社内ベンチャーといった気風だ。


 しかし僕をベンチャー企業家と勘違いした若い人からよく相談を受ける。

 だいたい、なにかのパーティや、イベントかなんかで出会い頭に相談されることが多い。


 「大学の仲間と一緒にこんどベンチャー企業を立ち上げようと思うんですが」


 99%以上の場合、僕は迷わず「やめなさい」と言う。

 パターンはいろいろある。


 が、少なくとも社長にスキルがなんにもなく、やる気とハッタリしかないんだったら絶対にベンチャー企業など経営すべきではない。


 仮になにか金になるスキルが社長個人にあったとしても、組織を運営した経験が全くないのなら、それは素っ裸でエベレストに挑戦するようなものだ。死なないかも知れないが、ほぼ確実に、死ぬ。


 そもそも大学生でベンチャー企業を立ち上げる「べき」理由など、何もない。

 「今じゃなきゃできない」と学生の頃は思うかも知れないが、そんなことは全くない。


 むしろ学生の頃にしかできないのは大学の勉強である。

 たとえば社長にすごいスキルがあったとする。

 

 この凄いスキルというのは、例えば未踏ソフトウェア創造事業で天才プログラマー/スーパークリエイタに認定されるくらい(これは単に未踏に採択されるだけでなく認定されなければならない。僕が認定された当時は候補者10人に1人くらいだった)のものだったとしよう。


 そのくらいの客観的に高いと認められるスキルがあったとしても、会社を継続しなくなった社長は何人も居る。また、運良く継続できていたとしても、成長が非常に早い段階で止まってしまい、「つぶれるほどではないが、すごく儲かるほどでもない」いわゆる「リビングデッド」な状態がずっと続く。


 天才と呼ばれるような人物たちに何が足りなかったのか。

 いろいろあると思うが、僕が思うのは「経営」の準備が足りてない人が多かった気がする。


 経営とはスキルである。

 それは独学で学ぶしかない、非常に希有なスキルと言える。


 なんの準備もなく、いきなり経営を始めてうまくこなせる人はいない。

 武器がない会社は生き残れない。


 自動車の運転と同じで座学だけでは身に付かない。

 一発で免許をとることは不可能ではないが、限りなく不可能に近い。

 普通の人は教習所に通うはずである。


 ところが経営はあまりよく知られていない技能のため、教習所に通おうと考えるよりもまず道に出ようと思ってしまう。


 経営の場合、自動車とちがって迷惑を被る人がいるとしたら自己責任なのでたいていのものは免許がいらない。


 座学と実習、両方がなければ経営という技能は身に付かない。

 それを身につけるためにはまず会社に入ることだ。


 会社に入り、「カネを稼ぐ」とはどういうことなのか識る。


 IT企業なら「見積もり」とはなにか、「RFPとはなにか」「営業とはなにか」「交渉とはなにか」というのを実地で体験する。その後、後輩が入って来て、「コーチングとはなにか」「組織管理とはなにか」を学び、管理職になって「管理とはなにか」「人事とはなにか」を学ぶ。これは最低限のことだ。


 この時点で、明らかに経営センスが身についた人はすごい成果を出せてるはずだ。

 逆に言うとサラリーマンで凄い成果を出せない人は経営者になっても凄い成果を出すことが出来ない。


 サラリーマンとして凄い成果を出せるようになったら、そのとき初めて独立の可能性が浮上してくるのである。あくまでここがスタートライン。ここから10年生き残る人は5%しかいない。


 これは入念な登山計画やサポート計画を立て、サポートチームをもってエベレストの登頂を目指すというのに近い。そこまで準備しても命を落とす人がいる。それが経営というエベレストである。


 サラリーマン時代に活躍していれば、その時点で豊富な人脈と、社会的な評価を得ているはずだ。ふつうならなかなか貸してもらえない銀行からの貸し付けも、1000万くらいなら保証協会つきですぐに借りることが出来る。会社をつくるときに借金を嫌がりエクイティに頼る人はそれだけで経営センスがない。ベンチャーキャピタリストという名のハイエナに骨までしゃぶられることになる。


 自分で自分の事業リスクが負えないような人間を、まともな経営者や投資家は信用しない。

 だってだよ。「このビジネスは上手く行きます。僕は信じてます」と熱く語るくせに、「じゃあうまくいかなかったら借金返してよ。個人的に保証してよ」と言うと及び腰になるとしたら、自分で自分を信じてないと言っているも同然。


 少なくともそこで個人保証できないということは、その金額をとてつもない金額だと本人が思っているのだ。金にビビってるのである。金にビビってるような人間がその金を上手く使いこなせるわけがないのだ。ビビっていてもいい。そうしたら、ビビらずに使える程度の金だけを借りることだ。


 それでもハイエナたちはニコニコしながら数百万円のゴミみたいな資金、それこそ、親や兄妹や、ちょっとした友達に土下座すれば集められる程度、下手すればサラリーマンだって貯金すれば手に入る程度の資金をドヤ顔で出してくる。


 アーリーステージ専門のVCというのはスタートアップの社長にとっては麻薬だ。特にカネもコネもなく、金銭感覚にも疎い学生ベンチャーなど恰好のカモである。ヨダレをたらしてやってくる。


 僕はサラリーマンとして五年やって、退職金までもらって(退職金制度がなかったにも関わらず、川上さんは独断で退職金を出してくれたのだ)会社を辞めたのだが、五年勤めた退職金に相当する給料は、転職先ではわずか二ヶ月分の給料でしかなく、しかもそれだけ金に恵まれた状況だったにも関わらず、創業するときは一文無しになった(引っ越しとかいろいろ面倒なことが重なったのだ)。


 金はないのに会社をつくらなきゃならない。「うちにこないか」という誘いもいくつかあったが、給料が下がりすぎて税金や社会保険料が払えないので断った。日本の法律では、年収が極端に下がると、社会保険料が年収を超えてしまう(しかも絶対に支払う義務がある)ことはざらにあるのだ。


 僕は会社をつくって自分の価値を自分で創りだすしか手がなかった。それで起業に追い込まれた。


 会社をつくる、と言うと、周囲がお金を出してくれた。あっというまに退職金と同じ額が集まった。いや、最終的にはそれ以上だ。


 それで会社はなんとかスタートしたが、さて仕事がない。

 仕事がないのだから、どうにもならないのでとりあえずサラリーマン時代のコネをつかって色んな人に会いに行った。なんでも引受けた。なんでもやる、と言っても仕事がないという状態は変わらなかった。それでもサラリーマン時代に僕の活躍を知っていた人たちが、ボンとまとまった仕事をくれて、それで最初の二年は凌ぐことが出来た。


 会社にはピンチがやってくる。これはどんな会社でもそうだ。

 創業後、1年、2年、3年、次に5年、8年、10年。こんな間隔でピンチがやってくる。


 創業後一年のピンチはサラリーマン時代の人脈で乗り切ることが出来た。会社をつくったときはまだ27歳だったので、「若いね」とちやほやしてくれる人も多かったが、そういう人ほど仕事をくれないのだった。けど人を紹介してくれて、小さな仕事をいくつかもらった。


 「若いね」というのは経営者にとって褒め言葉でもなんでもない。

 「若いから、安く買いたたくぞ」ということなのである。「若いから、リスクがあるんだろう?」ということでもある。


 若く見られるのを嫌って、シリコンバレーではみんなヒゲを生やしている。

 創業二年目のピンチは、仕事をやっても回収を忘れているということだった。それと、振込みミスで会社の現金がごっそりなくなった事件もあった。そのときもまた友達に頼って仕事をなんとか回してもらって凌いだ。


 創業三年になると、今度はもう友達が頼れなくなる。友達関係で稼げる仕事というのは、せいぜい数千万円が限界で、友達というのは予め関係性を作っておかなければ仕事をくれるような関係にならないのである。ここが本当の正念場で僕たちは初めて「知らない人と取引をする」ということを覚えなければならなくなっていた。また、組織も拡大し、大きな組織になってからの問題とも戦わなければならなくなる。


 創業五年を超えると、組織は安定してくるが、人が増えたことによる間接費の肥大化や、人材育成といった問題が立ちはだかる。組織に定着してもらうためには将来のビジョンが描けなければならない。社員が結婚して子供を産んでなお安心して暮らせるような安定性を提供しなければならないわけで、これには非常に苦労した。


 創業五年で、50%の会社は倒産する。この危機はなんとか乗り切った。

 事業のサイクルはだいたい3〜5年であり、5年経つと事業の構造はガラリと変わる。つまり3〜5年ごとに新しい事業を創りだして時代に適応していかなければならない。

 五年で倒産する会社というのは、事業サイクルの切り替えがうまくできなかった会社である。


 創業八年を超えると、今度は規模が大きくなったことで間接費が増え、利益率が下がるというピンチがある。


 創業十年目、つまり今だが、今は今で新卒採用をしたり、人員を安定的に教育したり採用したりといった、組織拡大のジレンマと戦っている。会社が10年生き残る確率はわずか2〜5%である。IT企業は2%以下と言われている。また、今はソーシャルゲームのサイクルの変わり目の時期である。この変わり目を乗り越えなければ少なくともゲーム事業に未来はない。


 サイバーエージェント系の子会社のいくつかが大量にソーシャルゲームを作っていたが、今年、ふたをあけてみれば黒字がでているのは神撃のバハムートをつくっていたCygamesともう一社だけ。GREEで上位タイトルを何本も持つサイバーXは赤字転落したらしい。そしてソーシャルゲームの王者Zyngaの不調とZynga Japan閉鎖。


 実際、肌感覚としても、サラリーマン時代を含めて、10年生き残った会社は2%くらいしかない。

 ずっといい時代が続いていた会社はひとつもなく、往時の半分以下の売上げで青息吐息の会社もある。


 UEIは幸い、10年は生き残ることができそうだ。UEIの事業基盤は三つの柱からなる。ソリューション、コンテンツ、そして研究委託だ。


 ソリューションは手堅い。昔からやっていた仕事だから実績を積み上げて行くだけでいい。

 コンテンツは、アプリやゲームを作る事業。これは博打の要素があるが、そのかわり当たれば大きい。幸い、トータルでまだ赤字には至ってない。ここから生き残れるかが正念場だ。そして研究委託。ARCの成果であるenchant.jsが大手ゲームメーカーに次々と採用され始めた。Microsoftとの事業も立ち上がり始め、Yahooとも連携が始まった。利益率が高く、手堅い事業である。

 

 三本あるからどれかひとつの柱が不調になったとしても、会社全体がすぐに傾くことはない。

 しかもその三本の事業はどれも共通項を持っているから、育てた人材のスイッチが容易である。

 ARCの人間はしばしばコンテンツ開発を手伝ったり、ソリューションを手伝ったりすることがあるし、ソリューションの人間はコンテンツのサーバーや、ARCのサーバーを束ねて集中管理している。


 こういう事業ポートフォリオを組んで会社を大きくするやりかたは、実はベンチャー企業的ではない。

 古き良き、日本の中小企業のやり方だ。


 日本でアメリカ的なベンチャー企業、タスクフォース型のやつをやろうと思ったら税制や社会慣習がついてこれない。


 これが日米両方のベンチャー企業を経験した僕の考えかたである。


 こうしたポートフォリオ型経営は、初期のドワンゴの成長モデルを模倣している。ドワンゴも、ミドルウェアの販売(ソリューションビジネス)と、自社開発のゲーム事業(コンテンツビジネス)をもっていた。UEIの場合、それに加えて研究部門(ARC)を持っている。ドワンゴの成長ドライバは着メロだったが、今時着メロもないだろう。僕が退職した理由は着メロを成長ドライバとして使い始めたからだ。それはクールじゃない。と思った。どうせ廃れることが解っている技術なんだから。


 10年掛かって、ようやく僕が退職した当時のドワンゴの規模までやって来た。

 ドワンゴでの経験がなければ、僕は10年生き残る会社を作れてないはずである。


 ただ、同じドワンゴで同じ時期にサラリーマンをやっていて、それから独立した人たちも、やっぱりたいていの場合は失敗している。


 それは最初から経営を意識してサラリーマン時代に充分活躍していなかったとか、そういう理由もあるだろう。サラリーマン時代に活躍してない場合、もとの会社の知名度だけが頼りになる。そういうひとはなかなか信用を勝ち取るのが難しい。サラリーマン時代に取材をたくさん受けたり講演会で喋ったりしていたら、自然に人脈と外部から評価ができるのだ。そういう社員は僕以外には当時のドワンゴに居なかったから、僕ほど楽ではなかったのかもしれない。


 僕がやめたあとにドワンゴに入って、そこから独立して会社を始めた友人は5年乗り切ることができずに会社を畳んだが、騙されて借金だけが残った。いまも毎月40万円ずつ返済していると聞いて仰天した。


 未踏でもダメ、サラリーマン経験していてもダメとなると、いったい何が原因となるのか。

 運、としか言いようがない。


 Zynga Japanは思い出深い会社だ。もとはウノウといって、山田進太郎というなかなかいい男が作った会社だった。フォト蔵とかいろいろやっていて、山田は好青年なので業界に友達も多く、期待されていた。山田が出資してつくったCEREVOは、これまた面白い会社になった。


 ところが山田は「まちつく」というソーシャルゲームをヒットさせると、あっさりとウノウをZyngaに売り渡した。昔から事業に愛着がないやつだと思っていたがこれほどとは思わずビックリした。


 ゲームを作ると言う時点で「おまえにゲームのなにがわかる」と思ってしまったのは僕がゲームに魂を売ってこの15年という間、ゲームで喰っていたゆえの嫉妬だったのだろう。


 しかしあっさりとゲーム会社と化した自らの会社を他人に譲り渡してしまうという潔さに心底驚いた。


 しばらくすると社長もやめるという。かわりに社長になったのはなんと松原さんだった。東大卒修士で、日立でCPU設計をやり、オラクルを経てコーエーへ。2007年に社長になり、ゲーム業界の技術の底上げを真剣に考え、CEDECを長年切り盛りしてきたゲーム業界の旗ふり役だった。


 そんな人を社長に吸えるZynga本社も凄いと思ったが、それを引受ける松原さんも凄いと思った。コーエーはゲーム会社の中では異質と思えるほど高収益な会社で、その経営トップというのはよほどの能力がなければ勤まらない。


 そうまでして盛り上げようとしたZynga Japanさえ、本社の意向で潰されるのだという。

 内情を知っている立場から敢えて言うと、これは松原さんの能力の問題ではない。本社が単に多角経営にビビったのだ。


 彼ほどの実績、能力、見識をもっていたとしても、会社の経営というのはいつ何時、どうなるかわからないのだ。



 世の中のことをなにもしらない学生諸君が、目をキラキラさせながら「ベンチャー企業を立ち上げたいんです」と言って来た時、僕が冷たくあしらうのはまさしくそういうことを識っているからだ。


 「生きて行くためにどうしても金が欲しいです」という人に「じゃあアコムで100万円借金して有馬記念に突っ込め。なあに、当たれば倍返しだ」とアドバイスする人が居るか?


 仮にその人が、万馬券で豪邸を建てた人だったとしても、一回のチャンスに人生全部突っ込めと言えるのだろうか。


 井口もとうとう頓智・やめちゃったしなー。やめたのか、追い出されたのかわからないけど。

 創業者がベンチャーキャピタリストに追い出されることは良くある。事業が軌道に乗ると会社に居場所がなくなっていくのだ。僕もその気持ちは痛いほど解る。


 いまごろしょんぼりしてるのかと思って、日曜日に「今日呑まない?」と呼び出したら「いいよ」と言う。


 それで励ますつもりで六本木のワイン居酒屋に行ったら、ぜんぜん元気なんだから笑っちゃう。

 そしてまたあたらしいインチキを考えてるらしい。つまりITの新しい可能性をネタにした商売を考えているらしい。また憎たらしいことにそれがちょっと面白そうなんだよ。


 励ますつもりで行ったのだが、なかなか面白い。井口さんらしいインチキで、おもわず「おい、そのインチキ、おれも混ぜろ」と言ってしまった。


 井口の弱点は、夢は語れるし金も集められるが、技術的センスが皆無なところだ。だからセカイカメラのプロモーションビデオは空前のインチキ作品になってしまったのである。


 しかし、井口のビジョンそのものは面白いのである。陳腐だが面白い。彼はインチキなものをインチキでないもののように感じさせる、ものすごくつよい「言葉を紡ぐ力」を持っている。この才能はとてつもなく希有なものなのだ。


 井口のインチキを俺だったらきちんとしたアーキテクチャを与えて、リアルなコンピュータに仕上げることができる。なにしろ僕はアーキテクトなんだから。井口はビジョナリーだとすれば僕はどこまで行ってもアーキテクトだ。


 まったくどんな状況になってもめげない井口の屈託のない笑顔を見ていると、これもまたひとつの生き方か、と思えなくもない。


 けれども、こんなオーラを持てる天才的なインチキは世界広しといえど井口だけだ。


 僕はいちどだけ、学生がベンチャーを作る時に応援したことがある。

 そいつは文句無しの天才で、高校生の頃からWebKitの開発チームに居て、コミッターをまかされていた。

 そんな天才がやることなら、僕は野暮は言わない。

 Googleからのリクルートも断り、しばらくUEIに居候していたが、それから「先輩と会社つくる」と言って辞めて行った。

 彼はまず大学の先輩とPFIという会社を立上げ、検索エンジンベンチャーという非常に奇妙な会社を成立させた。

 今はシリコンバレーでHadoopの会社を立ち上げたらしい。彼は常にCTOという地位に居て、必ず別に経営者を立てる。このあたりが実に上手い。名を太田くんという。


 そのとき東大に居た12000人の学部生の中でもトップレベルの天才だっただろう。

 従って、太田くんの存在確率は東大生の中で0.008%ということになる。

 存在確率が東大生0.01%以下の天才なら、学生ベンチャーでも上手く行く可能性がある。万が一失敗しても、必ず誰かが拾ってくれる。だったらやってみたまえ、と僕も言える。


 それ以外のひとには「まず一流のサラリーマンを目指した方がいいよ。それが起業のスタートラインだから」と諭すことにしている。