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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2013-01-25

オプティマイズとトレードオフ。または仕事に刺激を与える法 08:25

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 考えてみれば安倍吉俊さんとの付き合いも長くなった。

 もうかれこれ5,6年といったところだろうか。


 いろいろな場面場面で、つるんだり、仕事したりしていた。

 そういや一緒にロンドンを写真撮りに旅したこともあったな。


 enchantMOONの筐体デザインをどうするか、とまず考えた時、まあ絶対にやってくれるだろうと思って最初に思いついたのは安倍さんだった。だから真っ先に電話した。


 安倍さんと僕はとても趣味が近い。

 カメラ、ガジェット、ライフログ。もちろん重ならない部分もある。でも重なる部分もあって、そういうどこか共通した価値観を持てるところがあると、いい友達になれる。


 逆に近すぎて、彼の偉大さが僕にはわからないこともある。

 もちろん絵は上手い。まあでもそれはプロだから上手いのは当たり前。


 僕にプログラミングができるくらい、それは当たり前すぎることで、しかし僕の周りの人たちは安倍さんの大ファンという人が多くて、僕は「ふーん、そんなものか」と思ったりする。それくらいの距離感が僕にとってはつきあいやすい。


 きっと安倍さんも、僕がどのくらいプログラミングできるか(また、できないか)は、解らないだろうし、解ってもらう必要も特にない。


 僕はまあすごく大雑把なコンセプトだけ伝えて、あとは安倍さんからアイデアが出てくるのを待った。

 でも安倍さん自体も、かなりのガジェット好きであるという以外は、実際に動作するガジェットをデザインしたことはなかったわけで、けっこう冒険だったのだと思う。


 僕はどんなものが出てくるのか、わくわくしながら待った。

 注文したのは、「でかくて、重くて、邪魔臭い。ペンがついてる」というだけ。


 薄くて軽くてかさばらないもの、は世界のメーカー全てが目指している方向性。だから僕らはその逆を行くしかない。どれもiPadもどきに見える。ひどいのはiPad miniさえも、iPadもどきに見えてしまうという末期症状だ。Appleはドイツ哲学的な美意識の根強い会社だから、むこう10年はデザインに劇的な変更が加わることはないだろう。より洗練されることはあっても、方向性は決してぶれない。MacBookがPowerBookG3の頃から一貫して同じコンセプトに沿っているように。


 従ってこの路線を行くというのは、Appleに10年のビハインドで挑むということだ。しかも、卵子にむらがる精子のごとく、その頂点を目指す競争相手は世界に何万と居る。そんなところで勝負するなんて馬鹿げている。


 1999年にiモードが初めて登場した時、「ケータイは軽薄短小が売れ筋なのにあんな必要もない大きな液晶つけるなんてバカか」というのが普通の反応だった。


 みんなのトレンドが軽薄短小に行ってるなら、俺たちは重厚長大に行く。それでやってみようと思った。


 軽いとか薄いとかかさばらないという制約をとっぱらい、安倍さんが出して来たデザインにはなんとハンドルが付いていた。

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 ハンドル!!!!

 信じられない。


 もし僕が、これをメーカーやキャリアや、その他大勢の、クライアント企業さんに提案するとしたら、このハンドルは真っ先に取ってしまっただろう。工数は掛かるし、掛かったコスト分のメリットがわかりにくく、「なぜハンドルが必要なのか」ということについて、たっぷり1ダース以上の利点と利便性について説明しなくてはならない。


 しかしこれは「僕たちの」プロジェクトだ。

 どのみち何百万台と出荷するものではない。解る人に、欲しい人に確実にリーチすればいい商品だから、冒険ができる。


 それになんといっても、僕は彼の描いたハンドル付きタブレット端末のイラストに魅せられてしまった。

 なるほど、さすが安倍吉俊、と思ったのだ。


 こんな過激なデザインは、ともすれば保守的になりがちな僕たちの業界からは決して出てこなかっただろう。


 実際、海外の展示会でも評価されたのはこのハンドルだった。

 ちなみにこのハンドルはUEIが知的財産権を押さえている。ハンドルのおかげで、誰かがタブレットにこういうハンドルを付ければそれがすぐenchantMOONを真似したものだと解る。


 経営面で見れば、新しいものを作るときに他所が真似できないように知的財産権を押さえるというのは非常に重要なのだ。


 で、これを実際にCADのデータに起こすところでいくつか問題が発生した。

 線が曖昧なんだよね。

 イラストとしての絵、そのイマジネーションの部分と、現物(モノ)としての造形、そのギャップを埋める必要があった。


 これも、実はかなり高度な仕事で、「このイラストから出来上がった者はコレです」とポンと出されて、それが造形的に美しいかどうか決めるには高度な審美眼が必要だ。


 それを提供してくれたのが、樋口監督だ。


 たとえば「巨神兵、東京にあらわる」のメイキングを見た人は知っていると思うけど、あの映画では、まず巨神兵のデザインを前田真宏さんがイラストに描いて、それを造形する。そして造形したときに「これはイメージと違う」とあれこれダメだしをして、最終的にはデザインスケッチと異なる造形になったとしても、全体としてのイメージを保ったまま現実の形状に落とし込める。それが樋口監督の持つ希有な才能なのだ。


 実際、実物はイラストとはやや違う。イラストを見た時の印象には、錯視や脳内で補完される部分も少なく無い。実物に落とし込んだ時にきちんとしたものに見える。それはとても大事なことなのだ。

 

 デザインが決まってから先の仕上げは樋口さんと僕たちとで詰めて行った。安倍さんはまあ奥さんの出産とか、連載とかでてんてこ舞いで、なかなか時間をとれなかった。


 それで久しぶりに完成に近づいたenchantMOONを見せて、実際に触ってもらった。

 するとやはり面白いことに、いろいろな人があれだけ褒めて下さったenchantMOONの書き味に関して、さらにもう一段階、ブラッシュアップできる部分があることを指摘された。


 アルゴリズム的にはかなり難易度が高い。

 が、試しに不完全なものだけれども、その場でプログラマーに指示してある程度は安倍さんの要望に沿ったチューニングを加えると、確かに説得力のある絵が出て来る。


 「そうそう。こういう濃さで描きたかった」


 さすがあらゆるタブレットを収拾し、日常的にデジタイザーペンで素晴らしいアートワークを生み出しているプロのイラストレーターである。「書き味」の感覚については当然のことながら極めて鋭い感性を持っているのだ。

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 たとえばenchantMOONには黒板のように黒バックに白いペンで描くモードと、紙のように白バックに黒いペンで描くモードの二種類が用意されているが、ペンの色の濃さは同じだった。

 それは間違っているのだと。そういう指摘だった。

 黒バックに白いペンで描く場合、白い線のシャープさは際立つ。筆圧感知して柔らかく描くと、繊細な線の表現ができる。これは問題ないと。

 ところが白バックに黒い線で描く。この書き味を、サインペンのようにするか鉛筆のようにするか、ボールペンのようにするか、それは悩むべきところなのだと安倍さんは言う。


 現在発売されている複数のタブレット端末の書き味は、どれもサインペンかボールペンのようなものなのだと。いかに筆圧が感知され、高度なアプリケーションで補完されたとしても、ペンの書き味そのものは摩擦抵抗関係無しに、鉛筆のようであってほしいと。イラストのラフスケッチをサインペンでは描かないのだと。鉛筆のように描きたいのだ、そのためには・・・


 という要望が出て来る。

 

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 瞬時にそういうことが解る、言えるというのは安倍さん独特の研ぎすまされた感性ゆえだ。

 これまたこれがクライアントワークだったら、「いやいやそうはいってもスケジュールがあるからさ。工数も追加でかかっちゃうし・・・」となりそうなところを、プログラマーは食い下がって問題を解決する方法をいくつか考えだす。


 テクニカルには結構難問で、安倍さんの言う「鉛筆の質感」を出すには高度な半透明合成処理をしなければならない。そしてこの半透明処理というのは、根本的にコンピュータがニガテとしている処理なのである。それを実装することそのものは難しくないが、その処理が重いということは、せっかく全てに優先して確保している応答性が犠牲になってしまう。応答性を保ったまま半透明処理をする。


 翌日、会社に行くと、プログラマーがいくつか方法を試していた。

 描線アルゴリズムを根底から見直し、矛盾無く、かつアンチエイリアシングをしたまま半透明の直線を非力なハードウェアで高速に描く方法だ。


 さらさらっと触ると、「あれ、けっこういいじゃない?」と思った。

 思ったほど速度が落ちてないし、これでも依然、他の端末よりは明らかに速い。


 すると「いや、前のと比べると解りますがスピードは一段オチてます。今、もっと速くする方法を考えてます」とプログラマー。


 ここは難しいトレードオフだ。応答性、つまりペンの走りに対するツキの良さと、描かれた描線の美しさ、そして実際のイラストの描きやすさ。そのどれを最優先とするか。もしくはその全てを同時に解決する新しいアルゴリズムと最適化を考え出すか。


 応答性のオプティマイズ(最適化)と、仕上がりのオプティマイズ。

 けど、超一流のイラストレーターである安倍吉俊の期待になんとか応えたい。プログラマーとしてのレスポンスを高めたい。彼らにそういう気持ちが芽生えているのが、僕には解った。

 安倍さんがenchantMOONでさらさらっと描いたイラストが、プログラマーを刺激し、奮起させる。


 「おれたちの作ってるキカイは、ここまで描けるんだ」


 その証明がまさに目の前にある。

 ならばもっと、その先まで。