Hatena::ブログ(Diary)

shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2013-03-28

高等研究機関をベンチャー企業が設置する理由 20:55

 既報の通り、東京大学の西田友是教授を所長に迎えた、本格的な研究機関であるUEIリサーチを、4月から新設することにした。

朝日新聞デジタル:どんなコンテンツをお探しですか?

http://www.asahi.com/and_M/information/pressrelease/ATP201303280017.html


 これを設置する意図はプレスリリースの中にもあるけれども、UEIはこれまでずっとコンピュータのあり方や将来像といったものを追いかけて来た。


 Google GlassやTelepathy Oneのような新しいデバイスも登場し、今後も携帯端末の機能はどんどん向上して行くことが期待されるが、ハードウェアはどんどん進歩しても、それを実現するソフトウェアの方が追いついていない。


 西田教授はコンピュータグラフィックスの分野では先駆的な研究者として知られ、特にラジオシティ法などフォトリアリスティックな表現で定評のある研究者だが、研究スタイルとしてはひとつの方式に拘らず、むしろGPUを活用したリアルタイムレンダリングや、ノン・フォトリアリスティック・レンダリング(NPR)なども積極的に研究をしてきた。


 優れた研究者であると同時にチーム研究の名手であり、西田教授のお弟子さん達と世界的なネットワークを構築して研究活動に勤しんでいる。昨年も西田チームはSIGGRAPHで3つもの発表を行うなど、組織としての規模は小さくとも底力のあるところを世界に見せつけた。


 今の東京大学のシステムでは定年を迎えると自動的に研究室は取り潰しになるが、ここまで成果を出し続けている先端的な研究室を喪うことは、我が国にとってはもちろん、人類全体にとっても大きな損失に他ならないと僕は思った。定年間際に3つも国際学会に論文を通す先生なんて滅多に聞かない。彼はまだ研究者として現役なのだ。アラン・ケイや、アイヴァン・サザーランドと同じく。


 そこでUEIでは、来期以降の海外広告費、研究開発費の半分を西田研に費やすこととして、事業とは切り離された完全な学術領域で世界トップレベルを目指す研究機関を設立することにした。それがUEIリサーチである。


 UEIでは例年、海外の学会、とりわけSIGGRAPHのEXPOなどには定期的に出展を続けて来た。

 しかし、企業がそういう場でアピールできる場所として、EXPOは充分ではない。ディズニーやMicrosoftなどはそれぞれディズニーリサーチ、Microsoftリサーチといった専門的な研究機関を擁してPaper(論文)として発表している。


 enchant.js、enchantMOON、およびその周辺技術が人類にとって真に価値あるものだと認識してもらうためには、ブースを出展するのではなく我々が真に優れた頭脳を有した組織なのだと示す方が遥かに効果的である。


 EXPOブースにある名もなき会社のことなど誰も気にも留めないが、優れた研究成果を持つ研究室には世界中の優れた頭脳からアクセスされるのだ。


 enchant.jsが世界中に普及するためには、まずコンピュータプログラミングを教えている人たち、すなわち世界中の一流の教授や学生達にその存在を認知してもらわなければならない。


 そのためには、出店でお客さんを待っていてはダメだ。

 こちらから凄いものをどんどん見せて、「なんだあれは。あんなことができるのか!?」という衝撃とともに、UEIの三文字を彼らの脳裏に刻み込まなければだめなのだ。


 そして西田友是という人物は、コンピュータグラフィックスの世界の巨人にアクセスするためのキーでもある。樋口真嗣が映画界の優れた才能にアクセスするためのキーパーソンだとすれば、西田友是はコンピュータ科学界の優れた才能にアクセスするキーパーソンとなるのだ。我々はそう望むだけで世界中のどんな才能にもアクセスできるような絶大な力を、このUEIリサーチの設置によって得るのである。


 ベンチャー企業が、完全に非営利的な学術研究機関を設置することは、馬鹿げたことと捉えられるかもしれない。それがいつ、どのようにどうやってお金になって行くのかわからないものをなぜ設置しなくてはならないのか。


 それは我々が目指すべき目標が、人類の進歩そのものにあるのだと内外に示すためだ。

 そして、例えば人類にとって極めて重要な研究のうち、ことコンピュータに関していえば、私企業の設置する研究機関で生まれることが多いからだ。


 たとえばXEROX PARC。ここで研究された技術は、マウス、キーボード、オブジェクト指向、イーサネット、そしてユビキタスレーザープリンタ。全て80年代の研究だ。これが今の世の中にどれだけ大きな影響を与えているか、想像してみるといい。PARCでレーザープリンタを発明していなかったら、XEROXはただのコピー機屋のままだったはずだ。レーザープリンタの特許料はXEROXに膨大な利益をもたらした。


 たとえばMicrosoftリサーチ。ここもCG界の巨人、ジム・ブリンが居る。西田教授と同じく、クーンズ賞受賞者の一人だ。


 そのMicrosoftリサーチでは何が作られたか? Kinectだ。

 そもそもCGとUI/UXの研究は切っても切り離せない。アラン・ケイももとはCGの研究者である。

 SQLフラクタルIBMの研究所で開発された。Pixarは研究機関色の強い会社(社長も高名なCG研究者だ)だが、Pixarで開発されたRendermanは、今やほとんどの映画で用いられている。Pixarはレンダリングに関する重要な特許をいくつか抑えていて、他社は真似できない。当たり前だが、企業の独自性というのは特許によって守られる部分も少なくないのだ。


 そして特許こそがベンチャー企業が躍進するための本来のキープロパティである。


 板倉雄一郎氏のドキュメント「社長失格」ではビル・ゲイツがわざわざ見に来るほどの新しいビジネスを立ち上げた筆者がどん底にたたき落とされる理由は、特許だ。ゲイツは繰り返し「このビジネスモデルに特許はあるのか?」と聞き、特にないと答えると、そのやりとりを知った銀行担当者が「万が一マイクロソフトがこのビジネスを始めれば、対抗手段がない」と青ざめ、資金の引き上げを決定したのだ。


 特許がないというのはそういうことなのである。

 どれだけ優れたビジネスを行っていても、特許や知財保護がなければすぐに模倣されて追撃されてしまう。少なくともその可能性は見えてしまう。それは生来の成長性にとって非常にクリティカルに効いてくるのだ。


 そのためには有効な特許を自分たちでももち、万が一、大企業から特許侵害で訴えられたら、逆に向こうの製品がこちらの特許を侵害していると訴えてクロスライセンス契約にまでもっていかなくてはならない。そのためには大企業より常に先手をとる必要がある。それが特許戦略である。


 我々はこれまで、特許と商標、知的財産権に膨大な投資をしてきている。

 enchantMOONに関連する特許もいやになるくらい申請している。しかし特許をとるための発明をやるとわかるが、新規性の研究と、実際の製品開発までのタイムラグは相当なものだ。


 特許に関して、重要なものは申請し、どうでもいいものはオープンにする、という二つのスタンスがあるとき、どちらにせよ新規性のある発明は継続的にしていかなければならないことになる。これは普通の会社にはいささか荷が重い仕事だ。


 しかし学術研究機関はどうか。彼らは常に新規性のある研究をすることをもとめられている。

 新規性がなければ論文の査読に通らないからだ。そしてそういう挑戦心のある人間だけが研究者の道を選ぶ。


 ベンチャー企業には資源がない。とりわけ歴史とお金。この二つが決定的にない。

 ではどうやって世界の大勢力と対抗していくか。それは頭脳しかない。人材の質を高めていくほかないのだ。人材の質を最高レベルまで高めるためには、最高レベルの人材が自然に集まり、新しい研究に没頭できる環境が必要である。


 それが学術研究機関だ。

 しかし大学は、たとえ東大といえど学術研究に専念できる環境とは言い難い。

 授業があり、教授会があり、予算確保の戦いがあり、様々な行事があって、どれほど優れた人物であっても、こうした些事から逃れることはできない構造になっている。これは欧米の大学も大差ないだろう。そういうシステムなのだから。


 だからこそ、コストがかからないソフトウェア研究において、真に重要な発明は大学ではなく専ら企業によって行われて来たのだろう。


 発明は、頭脳のみが優れた弱者が、それ以外の全てのものを持つ強者に対抗しうる唯一の手段だ。

 これはつまり、ベンチャー企業の持つ根源的な価値と同じである。


 つまり、ベンチャー企業にこそ、学術研究機関が必要なのだ。

 いち早く世界に先駆けて新しいものを研究し、特許を押さえ、既存の大勢力からの攻撃に備えなくてはならない。これまでは我々自身が特許戦略を行って来たが、一般社員に研究をさせて特許を押さえて行くというやり方は、Appleのような一部の大企業にだけ許された贅沢だ。


 なぜなら一般社員は本職の研究者ではなく、また本職の研究者ではあり得ないからだ。

 これからのベンチャー企業は研究者としてのプロを雇い、真に革新的な発明を自らの組織の内側で行わなければならない。


 先日、霞ヶ関の役人が来て、日本では小粒なベンチャー企業しか育たない原因はなんであると思うか、聞かれたけれども、それは単に日本人の起業家と呼ばれる人たちのスケールが小さすぎるのだと思うと答えた。


 「GoogleやAppleみたいなベンチャー企業はなぜ日本に出現しないか」

 僕が官僚から一番良く聞かれる質問である。


 アメリカでは成功したベンチャー企業の売上高はゆうに1兆円を超える。

 1兆円稼ぐ相手を前に、かなりうまくいっても1000億円程度のスケールしか持てない日本の実業界のスケール感覚では、世界を前に戦うのは無謀というものだ。もちろん、1000億円でも充分、という考え方はある。


 だったら「Googleみたいな会社が出現しない」ことを嘆かないことだ。

 Googleみたいな会社は、設立してわずか10年で1兆円稼いだのだから。


 そのGoogle自身が、そもそも高等研究機関から生まれた組織である。いまの時代、高等研究だけが真のイノベーションを生み出す。枯れた技術の水平思考だけで通用する牧歌的な時代は、コンピュータ産業に於いても終焉を迎えたのだ。シリコンバレーの優れたモデルを日本向けにアレンジする、いわゆるタイムマシン経営が通用したのは、シリコンバレーにとって日本が無視されていた2000年代前半だけだ。それは具体的な例を出さなくても少し調べれば解ることだ。


 海外でプレゼンスを得ることがいかに難しいか、それを実感するのが僕にとってのこの十年だった。

 僕のサラリーマンとしての最後のキャリアは、NTTドコモ、NECとともにドワンゴ・ノース・アメリカのコンテンツ担当副社長として北米でのビジネス展開を行うということであり、それが決定的に僕の人生を変えた。当時ドコモは1兆円もの大金をAT&T Wirelessに出資した。しかし金だけでは何も起きなかった。


ニュース - NTTドコモが米国へiモードを輸出,AT&Tワイヤレスに1兆円出資:ITpro

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NCC/NEWS/20001130/2/

 1兆円だ。普通の人間が一生かかっても扱うことのないような大金を投じて、得られたのは、無数にある端末ラインナップの末席にiモード対応機を加えることだけだった。みじめだ。当時NTTドコモ側の責任者として現場で奮闘していた方々とは今も親交があるが、あのときは本当に大変だった。あれは紛れもなく戦争で、しかも惨敗だった。惨めな敗戦だ。


 このとき学んだのは、金だけではなにも解決しないということだ。

 金よりもずっと大切なもの。それはプレゼンス(存在感)だ。


 当時、アメリカの多くの人々にとって、NTTドコモも、iモードも、誰も知らない技術だった。そんなものは欲しいと思うことすらなかった。それがいかに日本で成功していようと、それがいかに素晴らしいものであろうと、そんなことはどうでも良かった。彼らの大半はiPhoneが登場するまで、つまりアメリカ本土にiモードが上陸して5年経つまで、携帯電話でインターネットが出来ることの意義も意味も考えたことすらなかった。




 ダメなのだ。金だけでは。金で人の心は買えないのである。ましてや尊敬されることなどあるわけがない。プレゼンスとは、リスペクト(尊敬・敬意)と密接に結びついたものなのだ。


 どれだけ大きなキャンペーンを打とうと、成田の壁という壁を広告で埋め尽くそうと、日本人の大半はHSBCがなんなのか知らない。同じように、ドコモがどれだけお金を使っても、使い方が間違っていればなんの意味もなさないのだ。

 

 AppleがiPodを売るよりも先にApple Storeという実店舗を持ったのは、実に巧妙な戦略だった。

 流通の現場では、売り場を確保してもらうのにもの凄くコストがかかる。交渉も大変だ。しかしApple Storeなら、自社製品を置くスペースなどいくらでも作ることが出来る。iPodでAppleが相手にしなければならないのはコンピュータマニアではなく、ごく普通の人々なのだから。手に取って買うかどうか検討できるような場所がどうしても必要だ。


 近所のモールに店が出れば、3億人の田舎者から成るアメリカ人なら絶対に気になる。変化がない日常におきたちょっとした変化。それが新店舗だ。日本人だって、通学路に新しく、オシャレなお店がオープンしていたら、一度くらいは覗いてみたくなるだろう。中はキラキラしていて、素敵なTシャツで統一されたユニフォームの店員で溢れている。


 通り過ぎるだけで「あれはなんの店だろう?」と考える。で、「あ、コンピュータの店なのか。でもなんかオシャレだからちょっと覗いてみようかな」と思う。コンピュータは今や誰でも使うもので、いつかは買い替える必要があるものだからだ。そうやって人々の意識の片隅にちょっとずつちょっとずつ入って行って、いつしかAppleは人々の生活の一部に入り込んでいるのである。たとえ買わなくても、だ。実際に購入する人よりも購入しない人の意識や生活の一部にAppleというブランドを入り込ませる。これがいかに難しいことか*1


 プレゼンスとはそのようなものである。

 優れた頭脳を持つ人々に一発で我々の「プレゼンス」を知ってもらうにはどうすればいいか。


 世界最高のコンピュータグラフィックス学会で極東の小さな会社が論文発表を立て続けに行う。これ以上、自分たちの賢さを強調できる手段はほかにちょっと見当たらない。でかい会社が凄い研究者を雇うのは当たり前だ。驚きもなにもない。しかし、わけのわからない会社が、超一流の研究をして、それが世界的な学会で認められたとする。これは驚く。SIGGRAPHは単なる学会ではない。聞きにくるのは研究者だけでなく、映画監督やCGクリエイター、ゲームクリエイターたちだ。彼らに衝撃を与える。これがプレゼンスとなる。


 これに大金は要らない。すぐれた頭脳とそれを正しく使う組織さえあればいい。この組織はできるだけ小さい方が良い。誰もが待ち望んでいるのは、ゴリアテに挑むダビデだ。ダビデを捻り潰すゴリアテじゃない。小さくかよわき組織だからこそ、こういう戦術があり得るのである。


 AppleはiPhoneの開発にも、最初のAppleStoreの設置にも、1兆円なんて大金は使っていないだろう。当時のAppleにはそこまで潤沢な予算はなかったはずだ。しかしAppleが果たしたプレゼンスは充分以上あった。絶大なプレゼンスを背景にしなければAppleは今のようなビジネスはできていないだろう。彼らもまた、かつては巨人IBMに挑むダビデだったのだから。


 Appleは金ではなく頭脳を使ったのだ。世界中から最高の人材を集め(そのうちの一人が増井俊之氏だ)、極秘チームを組織し、何年も根気よく慎重に研究を重ねて来た。だからこそiPhoneは出来たのだ。


 「GoogleやAppleみたいな会社」とは、1兆円稼ぐ会社であり、そんな会社を目標にして作られた事業計画書を、僕は日本人が提出するのを見たことはない。日本で最も多くのファンドを扱うJAFCOですらそんな計画はもとめない。


 つまり誰も本当には「Googleみたいな会社」を作ることを考えていない。

 自分がそこそこ金持ちになれればそれでいい、という低い志でやっている。家を買って飛行機を買って、世界中を旅行して、フェラーリを10台くらい買ったら、それで終わるような夢だ。それはそれでいいんじゃない?と思うけれども、僕は嫌だ。それを日本人としてうまれたハンディキャップとしたくない。


 どうせ一度しかない人生なのだ。

 僕は自分たちの発明で、世界がまるごと変わるようなことがしたい。

 ベンチャー企業をやるというのは、そういうことであるべきなのだ。

 個人的な欲望を満たすためでなく、人類全体に影響するような真の革新、イノベーションを起こし、人類の歴史に永遠に消えない爪痕を残すために死ぬのだ。


 UEIも、有限会社から数えるともうすぐ設立して10年が経つが、ベンチャー企業として舵取りをしてからはまだ2年しか経ってない。


 売上高はまだ10億円。10億円の売上高というのは、銀行からやっと会社として認められる程度の小さな扱いのものでしかない。敵は1兆円企業。約1000倍の差がある。だが10年前は、この差は10万倍だった。十年かかって1/100まで縮めることが出来た。さあ問題はここからどうやって差を詰めて行くかだ。


 企業として最低限の規模になって、ひとまず学術研究機関をまるまるひとつ抱えるのに充分な予算が確保できるようになった。これでようやく世界に互する発明を行う下地が出来た。そのために世界でも屈指の、我が国が有する最高の頭脳を招聘したのだ。最高のタイミングだった。


 そして我々が起こす真のイノベーションはここから始まるのである。

 それがベンチャー企業である我々UEIが、学術研究機関を設置する大いなる意味だ。


 発明こそが我らが生命線、革新こそが我らが生きる目的なのだ。

*1:この戦略は近年Microoftがまねて、シリコンバレーのApple Storeの隣に2倍以上の面積のWindows8ストアを作った。あまりにAppleStoreに似てるので、冗談かと思ったくらいである。そして2倍の面積の店舗には、AppleStoreの4倍の店員と、1/20の客が居た。つまり惨敗だ。イメージ戦略は後追いでは上手く行かない