Hatena::ブログ(Diary)

shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2013-04-03

ビジョンを部下と共有することはできないという前提で考える 09:50

↓以下の記事をちょっと読んで思ったこと(記事自体は読む価値がある)

ビジョンといえば上から落ちてくる数値目標だけを流す漏斗型のリーダーは、チームを成長させることができません。ミドルマネジャーの最大の役割は、上から降りてくるビジョンに、価値を与えることです。

「武勇伝語る上司」を部下が嫌いな本当の理由|出世ナビ|NIKKEI STYLE

 僕はブログも含めて、いろいろな自分の思いや考えを語る場をいくつも持っている。


 たとえば、UEIでは原則として毎週月曜日の夕方に全体会議と称して全社員を集めて僕がそのとき思っていること、考えていること、そのときリリースされた新製品や新入社員の紹介など、会社のニュースを紹介している。


 僕は繰り返し手を替え品を替え、そういう話を部下にしているし、部下はとりあえず仕事なので僕が喋っている間は黙って聞いてくれる。


 それ以外にも、僕は自分の直轄部門であるARC(秋葉原リサーチセンター)の社員やアルバイトと一食に食事をしたり、どこかへでかけていったりして、その都度、僕の考えていること、これからの計画、世の中の動き、考え方などを雑談がてら細かく説明していた。



 ところがビックリすることに、誰も、誰一人として、僕のビジョンを理解している部下は居ないのだ。


 今はどれだけ説明に時間を費やしても、ほとんど全ての時間は完璧に無駄であると思っている。どうせわからない話はわかろうともしないし、自分の想像や理解を超える話は、彼らは知りたくもないのだ。


 それでもなぜ喋るのかといえば、言語化することによって僕自身が確認するためだ。

 そして理解することができなかったとしても、キーワードや雰囲気くらいは掴んで欲しいという淡い期待もある。ほとんど期待できないが。


 例えばenchant,jsと9leapのリーダーを任された伏見遼平は、それが成功するとは全く思っていなかった。その本心を白状されたのは実に一年後。彼ら自身が作ったenchant.jsが、彼の受講していた東大の講義に登場して驚いたときだ。それで彼は初めてenchant.jsが周到に計画されたプロジェクトだったと知ったのだと言う。


 これは伏見が単に経験不足の若者だということを意味しない。

 むしろ伏見は僕の部下のなかでは最もマシな部類である。まるで生き字引のように僕の過去のインタビューやブログ記事の内容を暗記しているのだ。つまり知識としては全て頭の中に入っていても、それを実際に「解って」はいないということだ。


 これは他の社員全員にも言えて、伏見よりマシに理解してる人間は誰一人居ない。

 

 部下は常に解ったフリしかしない。解ってることなど期待できない。でもそれでいい。

 自分の考えを相手が解ってることを期待すれば、僕はそれについて考えることをやめてしまう。すると数ヶ月して、まるで自分の期待とは違う結果がもたらされる。これは悪夢だ。それよりは解ってないと思ってつきあったほうがいい。少しでも解ってもらえる部分があったら、それは儲けものだ。


 解ってない前提を先に置けば、僕は常に指示を軌道修正し、最終的には自分が欲しかったものを手に入れることが出来る。


 ソフトウェア開発をしていると、プログラマーと口論になることはよくある。

 ソフトウェア開発というのは、まさにミニ経営に近い。

 企画者、またはディレクターと呼ばれる人間がビジョンを示し、その他の全員を無理矢理その方向に向けさせて開発するのだ。


 個々の個性、つまりビジョンの違いがいい方向に働き、より多様性を持った作品に仕上がることもあれば、逆にビジョンの違いが正面衝突して空中分解することもある。これをコントロールするのが、ディレクションという仕事である。



 僕はそういうときに決しておれのビジョンを解ってくれと言うことはない。言うことは決まって「うるさい。黙ってやれ!」だ。愚痴くらいは酒を飲みながら聞いてやってもいい。人間として。けれども仕事は別だ。言われた通りのものを作るしかない。まずは言われた通りのものを作って、それから自分の創意工夫というやつを入れても良い。気にいらなければ、容赦なく切り捨てるけれども。



 プログラマーの泣き言なんかは、どんなに理屈を並べても、「面倒くさい」と「やり方がわからない」の二種類しかない。自分自身が職業プログラマーだった僕にはそれが嫌というほど解っている。僕自身も若い頃、上司が無茶苦茶な指示を出してきて、「こんなの明日までにやるとか無理です」と泣き言を言った。けれども上司は受け入れてくれなかった。実際にやってみると、確かに翌日までには出来た。そういうことが何度もあった。そして、結果的に、全てが終わって振り返ってみると、上司の判断は常に正しかった。


 どうしても言うことを聞かないときは、「そこをどけ、ソースを寄越せ」と言うしかない。

 それでソースを実際に放り投げるプログラマーは見たことがない。そう言われた瞬間に、面倒臭いという矮小な理由で無意識のうちに避けていたやり方をいくつか思いつくのだ。そうすれば交渉ができる。問答無用で不可能という答えを繰り返すプログラマーは一流とは言えない。仕事を奪われるというのは存在価値の否定であり、この屈辱にはどんなに志の低いプログラマーでもまず耐えられない。それをしてしまう人間は、少なくともプロのプログラマーではない。




 常に重要なのは、解ってもらうことではなく、優れた製品が出来上がることだ。

 できあがったものが優れた製品ならば、解らなかった苦労など、あとで「未熟だった頃の自分」の思い出にしかならない。リーダーはそこで衝突を怖れていては決して一人前になれない。最悪なのは、リーダーのビジョンは解るけど実現できなかったときだ。そんなものは、何の役にも立たない。解ることより常に重要なのは、なによりもビジョンが実現されることなのだ。


 最初のスターウォーズが作られる時、下っ端の照明係はその映画を「クソ映画」と思っていたし、ジョーズ・ルーカスに聞こえるようにあからさまな侮辱をした。彼は今、猛烈に恥ずかしいと思っているだろう。大成したかどうかに関わらず。現場でしか見えないものもあるが、現場では見えないもののほうが多い。



 布留川英一はそんな僕と周囲を見て、フンと鼻を鳴らし、CTOの水野拓宏と内田政俊という、ドワンゴ時代の苦難をともにしたわずか3人の部下というよりは同僚達だけが、僕の目指すところを辛うじて想像できているという感じだ。


 この件に関しては、僕は布留川とも内田とも水野とも激しく揉めた経験があって、そういうときには口汚い罵り合いに発展することも少なくない。それでも10年以上、彼らが僕と仕事を続けているのは、お互いに解り合えない部分があることを理解しながら、それでも清水亮という現象を利用することを彼らが選択した結果に過ぎない。安っぽい仲間意識では10年続く関係を維持することはできない。



 少し後から入って来た武市智行はスクウエアの社長時代に理解不能な天才である坂口博信の有言実行を目の当たりにしていたからこそ、僕のビジョンがまるで理解できなくても信任という形で従ってくれる。それはコナミから来た相原にせよ、創業当時から業務を一手に引き受けてやってきた磯にせよ、これまで理解不能なものを形にしてきた清水という人間というよりは、清水亮という現象の存在を認知しているに過ぎない。誰も僕が考えているように考えることはできない。


 僕が経営トップの座に居られるのは、こうした周囲をぐるりと囲む人々の信任によって成り立っている。これは僕に大金を投資しているジャフコも同様だ。誰にも考えつかないようなことを考え、誰にもできないことをやれると思っているからこそ、このどうしようもないろくでなしを信じることにとりあえずしているだけだ。信頼を築くのは大変だが、喪うのは一瞬だ。僕は常にこの危うい現象を維持しようと努めている。


 彼らが清水亮という一連の現象を理解しようとするのではなく、清水亮という現象を利用することによって成り立っている。それが組織だ。



 つまり誰も、経営者の考えなんか理解できないのだ。

 とりわけ創業者の考えなんか理解できない。あたりまえだ。それを理解していたら、自分で会社をやるだろう。それは僕そのものになるということなのだ。そしてそんなことは誰にもできない。僕も誰かになることはできない。人の存在など、川の流れのようなものだ。昨日の僕を構成する細胞の大部分は、今日の僕を構成していない。数ヶ月もすれば、僕という物質はまるごと入れ替わっている。けれども、僕という現象は、少しずつ姿を変えながらも絶えずここにあり続ける。これが存在というものだ。



 だからどれだけ時間をつかおうと、どれだけ丁寧に説明しようと、視覚が未発達なコウモリにステンドグラスの美しさがわからないのと同じように、誰も上司の本当の考えなど理解できない。見えないんだから。その肝心な部分が。それは仕方のないことだと思う。



 同じ場所にいて、同じ経験をしても、そこから得られる知見は全く違うということだ。

 それはとてもあたりまえのように思えるけれども、よく見落としがちな罠である。


 僕は部下とビジョンを共有したいと願うのは、全ての経営者、全ての上司に共通した欲望だという部分には同意するけれども、それはどだい無理な幻想であるとも思っている。


 男と女、一対一でも解り合えることのほうが少ないのに、一対多で解ってもらおうというのは天文学的に難しく、実際的には不可能なことなのだ。


 たとえばARCを始めるときも、enchant.jsを始めるときも、その意味を理解した人間は社内にたぶん一人も居なかった。


 しかし結果的に、ARCがなければUEIはもうとっくに終わっていた会社になっていたし、enchant.jsがなければとても5億円なんていう有利な増資を受けることはできなかった。


 未来を見通し、行動するのは唯一経営トップであり、経営判断というのはトップによる孤独な決断の連続だ。トップはそれぞれの担当取締役が想像できる程度の見せかけのビジョンと擬似的な目標を与えてやり、その目標に対する予実管理を行うしかない。


 つまり全ての部下を騙すわけだ。

 自分の根本にある本当の目的、本当のビジョンを巧妙に隠しながら、そのビジョンのある部分を達成する、時には捨て石にも成りうる擬似的なビジョンを創りだし、それを見せれば、要は足りるのである。


 僕が経営をプログラミングの一種だと考えているのは、まさしくこの性質のためで、コンピュータがプログラマーとビジョンを共有するなんて、馬鹿げていて誰も想像しない。しかし、人間相手となるととたんにこの幻想を抱く人が多いのだと思う。


 僕は組織をプログラミングしているのであって、そのプログラムとは冷酷な指示の連続に過ぎない。

 たとえばサウンドプロセッサに音楽を再生させているフリをして、DTMF信号を流す。マイクから流れて来た音声データを録音するフリをして、実は単なるデジタルデータを受け取っているに過ぎない。そんなプログラムを書くことは日常茶飯事だ。

 誰もサウンドプロセッサに「ごめん、おれは信号処理がしたいから、今日はサウンドプロセッサとしてではなく、信号処理プロセッサとして働いてくれないか」と頼んだりしない。


 何も言わずに音声のふりをしてサウンドプロセッサに入力するだけである。サウンドプロセッサが期待通りに動くならば、扱う情報の意味を理解している必要はない。これがプログラミングであり、ある道具があったときに、その道具の本来の目的を超えて別の使い道をさせることで、本来の設計者の意図を超えるような動作を導きだすのがハックである。


 最近では本来はグラフィックス処理用に設計されたGPUを、ベクトル計算などに応用するGPGPU(一般目的GPU)などが広義のハックにあたる。


 経営はハックの連続であり、部下にビジョンの共有や理解を期待していたら仕事は前に進まない。

 だから僕は理解にビジョンを理解してもらうことを心から望んではいるが、そのために無駄なエネルギーを費やすことはしない。


 せいぜいブログに書いて、いつでも読める場所に置いておくだけだ。

 これを他社の人間が読んでもなんの役にも立たない。部下が読んで解らないものが、他社の人間が読んで解るわけがない。逆に解る人がいるならば、その人はうちに転職してくるかもしれない。転職してこなかったとしても、僕の味方になってくれる可能性は高いだろう。


 敵となりそうな人物が僕のビジョンを全て読んだとしても、真意を読み取れる可能性はほぼゼロだ。

 松尾芭蕉の「侘び、寂び」が結局どういうことなのか未だによくかわっていないように、一定以上に複雑な概念は全く同じ経験を全く同じ視座で行わない限り理解できないのである。


 

 そういう状況を、僕は時々苛立たしく思うことがないと言えば嘘になる。

 何度言えば解るんだ、と思うこともある。でも真実は、何度言っても解るわけがない、ということだけだ。


 けれども多くの場合は時間が解決する。

 いまは鬱陶しく思っていたとしても、その人物が真に優れた人物ならば、10年後、僕と同じ立場、同じ視座に立った時に初めて僕が今言っていたことの真意が理解できるはずだ。10年経っても同じ視座を得られないなら、そもそもそんな人物とビジョンを共有する価値はなかったのである。そう割り切るしかない。


 上司と部下では生きる世界も、見える世界もあまりにも違う。


 それでもごくたまに、ビジョンを違えたまま、自分の仕事の意味さえも知らずに働いている部下にも、血が流れているのだと感じることがある。


 ある朝、会社に行き、プロジェクトを仕切っていた社員に昨日納品予定だった案件がどうなったか聞いた。もう終わっている筈だ。


 すると彼は「すみません。昨日中にデバッグを終わらせることができませんでした」とうつむいた。


 よくよく事情を聞いて、状況を把握した。少なくともクライアントを怒らせるような事態にはまだなっていないらしい。


 「バグっていた部分は、こちらの提案で見積もりにない機能を増やしたところじゃないか。そこをまるごとオミットして納品すればちゃんと期日を守れたんじゃないのか」


 すると、彼は拳を握りしめ、瞬間、顔を歪める、歯を食いしばる。突如、大粒の涙が頬を伝った。大粒の涙はどんどん増えて行き、床に染みをつくる。それをぬぐうこともせずに彼はそこに立ち尽くした。


 まだ朝で、オフィスに誰もいなかったからつい気が緩んでしまったのかもしれない。


 「すみません・・・さすがUEIだ、こんなところまで気がつくなんて、UEIに頼んで良かった、そう言っていただきたくて・・・けど、出来ませんでした。結果的には、私のエゴで先方にご迷惑を掛けてしまって・・・」


 僕はビックリした。

 いつのまにか、彼の中には彼自身のUEIのあるべき姿というビジョンが出来ていたのだ。

 そのビジョンを守れなかった悔しさに、彼は涙を流しているのである。

 

 そんなビジョンを僕は持っていなかった。

 納期通り、先方の要求を満たすのがまず最優先。こちらから提案した機能は、入ればラッキー、入らなければ、また次の機会に。それが僕自身の仕事のスタイルだった。


 根本的に、僕は彼と会社のあるべき姿に対するビジョンをなにひとつ共有できていなかった。


 けれども、その僕のとは違ったビジョンもまた、血と汗によって彼自身がつかみ取った本物のビジョンであり、僕は彼をとても誇らしく思ったのだった。


 お互いのビジョンを共有することはできないけれども、許容する余地はあるのだと。そのとき僕も教えられたのだ。


 その後、僕もデバッグを手伝うことにして、一日遅れで追加機能をオミットすることなく無事納品できたことを付け加えておく。