Hatena::ブログ(Diary)

shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2013-04-27

Fly me to the enchantMOON 僕がenchantMOONと出会った日 11:28

 一年近く前になるんだけど、こんなエントリーがあったことを皆さんは覚えているだろうか。

沈黙の聴衆 - shi3zの長文日記

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20120921/1348190782

 このときの企画こそ、辻秀美が僕たちARCの重役陣にプレゼンした、最初の「No UI」だったのだ。

 そのときの企画書のページを以下に抜粋しよう

f:id:shi3z:20130427095238p:image

f:id:shi3z:20130427095237p:image

f:id:shi3z:20130427095236p:image

f:id:shi3z:20130427095235p:image

f:id:shi3z:20130427095234p:image

f:id:shi3z:20130427095233p:image

f:id:shi3z:20130427095232p:image

f:id:shi3z:20130427095231p:image

f:id:shi3z:20130427095230p:image

f:id:shi3z:20130427095229p:image

f:id:shi3z:20130427095228p:image

f:id:shi3z:20130427095227p:image



 この衝撃的な企画書は本当に淡々とプレゼンされた。


 「もしかしたらこれが歴史的な瞬間になるかもしれない」と思った僕は思わずシャッターを切った。

f:id:shi3z:20130427095239p:image


 そして僕も含めて聞いている人間は誰一人、微動だにしなかった。

 このプレゼンが終わった後もしばらくはなにも言えないのだった。


 ただただ衝撃だった。

 こんなものがいま、僕の目の前で生まれるとは。


 このときまでに手書き専用ハードを作ること、デザインを安倍吉俊さんに頼むこと、樋口監督を招くこと、までは全部決まっていた。が、enchantMOONが完璧に生まれたのはまさにこの瞬間なのだ。


 辻は入社以来、ずっとZeptopadプロジェクトの中心メンバーとして仕様を切って来た。最初の仕事はiPad向けのZeptopad Plannernoteで、その後NECとやったZeptopad Folioや、その他、とにかく「グラフィックツール」の仕様作成を一手に引き受けていた。


 「新しい手書きコンピュータ、プログラムもできる手書きコンピュータをつくるから、UIを考えてくれ」


 僕は辻にそんなオーダーしか出さなかった。

 しかしこの会議はその言葉の裏にある僕の欲望、いや、僕自身も気付いていなかった僕のWantsを的確に探り出し、とてつもなく美しいレベルまで昇華させた瞬間だった。


 それまで辻は僕にとって「優れた生徒」の一人だった。近藤誠や伏見遼平や高橋諒と同じように。

 彼女は与えられた命令をなんでもこなした。まるで軍人のようだった。寡黙で、ひたむきで。同期の田中晴子がどちらかというと豪放磊落な「動」の女だとすれば、辻は沈着冷静な「静」の女だった。


 地頭はもちろんいい。英国の一流大学へ留学し、有名私立大の大学院を卒業した。ただし英文学修士。

 地頭の良さだけでは説明のつかない、勝負強さ、粘り強さが辻にはあった。


 高校時代は女子ソフトボール部のエースピッチャー。

 そして今はUEIのトップ企画者だ。


 入社四年。専門外の世界に飛び込んで来て、ひたすら、必死にやってきたのだろうと思う。



 辻がUEIに来ることになったのは、ちょっとしたきっかけからだ。

 翻訳のためのアルバイトとして入って来た辻があるとき、「清水さん、ご相談があるんですが」と言って来た。「英語の非常勤教師の仕事が決まったので、そこで働く以外の週三日、UEIで働きたい」と言うのである。


 「ダメだ」


 僕は言った。



 「両方はダメだ。どちらかひとつを選びなさい」



 それで、辻は一度承諾した内定を断ってUEIにやってきた。

 教授にもずいぶん引き止められたらしい。


 今思えば、彼女が教師の道を選ぶのと、UEIに来るのと、彼女にとってはどっちが良かったのか、わからない。



 そういう経緯で入って来たから、僕はその厳しい選択を迫った人間の責任として、彼女にあらゆることを伝えようとした。世界中に連れて行き、見聞を広めさせ、会話させ、時には僕に代わってプレゼンさえさせた。僕が同行しているときに僕以外の人間にプレゼンをさせるのは、辻が初めてだった。辻は決して喋りが上手い方ではない。けれども独特な迫力のある喋り方をする。


 彼女にはとてつもない才能があった。


 僕はいつも、新人が入って来ると一度は「企画書を書いてみて」と頼むことにしている。それで使い物になるか判断する。たいていの人間は全くダメだ。才能がないとわかれば、他の仕事をさせる。少しでも才能があれば、磨いて、育てる。すると一人前に育って行く。だが企画の才能は、見つけるのが極めて難しい。誰にでもできそうだが、誰にも出来ない。それが企画という仕事の難しさだ。


 これまで何百人という人間の企画者としての適正を僕は見て来た。

 その中で、辻ほど圧倒的な才能を持っている人間は居なかった。これはとんでもない逸材を僕は喪うところだった、とあとから思った。彼女が最初に書いた企画書は、お手本に見せた僕の企画書と同等以上のクオリティを持ち、ところどころ僕の想像を超えていた。そのままクライアントに見せても通用する。企画書だけではない。仕様書を書かせても完璧だった。こんな人間に会ったことはなかった。凄まじい才能の塊なのだ。



 これまで僕が一緒に仕事をした誰よりも研ぎすまされた才能、ナイフのようなエッジがあった。


 それだけじゃない。辻はどんな場合でも決して弱音を吐かず、どれだけ困難な任務を与えても必ず遂行した。



 それでも、一度命令が下れば全力でやるのが辻だった。納得できないことが少々あったとしても、決して手を止めることはなかった。



 それから彼女は数々のプロジェクトを乗り越え、辻は一人前のプランナーになった。ゼロ・ダーク・サーティに出て来るCIA局員のマヤのような。自立した、一流の仕事人であり、強い女性だ。そうした時間を経て、このプレゼンになった。


 僕は驚愕した。


 そして同時に、とてつもない不安に襲われた。

 なぜなら、そこにあったのは、他でもない、明らかに僕自身の欲望が具現化したものだった。しかし僕は一度もこういう話を辻としたことがなかった。UIを無くそう。紙に限りなく近づけよう。そういう覚悟が僕は全く共有できていなかった。カメラを起動するときにカメラと書かせるなんてめちゃくちゃだ。明らかにそれは不便になってるじゃないか。enchantMOONのデモを見た方々のTwitterで、「カメラって書くのは本当に便利なのか?」と書かれているがそれは僕もまったく同じ感想を最初のプレゼンでは受けたのだ。


 しかし、ふと気がついた。自分が無意識のうちに"筆算"をしてることに。

 なぜだ?最新鋭の32ビットコンピュータに囲まれ、整数の乗算なら一秒間に40億回もこなせる機械が目の前にありながらなぜ僕は"不便な筆算"をするのだろうか。



 そうじゃないのだ。実際にはコンピュータから電卓を探し出すことも、テンキーのないノートPCで正確に数値を入力することも、筆算に比べたら実際の時間は掛かってしまうのだ。


 カメラをアイコンから呼び出す、というのは一見するとわかりやすい。

 けれども思考の流れからいけば、それは邪魔なのだ。

 なにかを呟きながら別のことを書くことはできない。


 つい頭の中にあることを紙に書いてしまう経験は誰にでもあるのではないだろうか。

 カメラが欲しいと思った時、メニューボタンを押し、カメラを起動するのは一見素早いように見えて、実はぜんぜんそうでもないのだ。


 それは見た目の制約にひどく囚われているだけなのだ。


 そこまで潔く切り棄てて、初めてこのコンセプト、No UIというコンセプトの偉大さに気付くのだ。


 No UI、掲げるのは簡単だ。

 たぶんこれまでの歴史で、無数のエンジニアが、デザイナーが、「シンプル」を突き詰めた形としての「No UI」というコンセプトにはたどり着いただろう。


 誰だってシンプルにしたい。

 UIなんか、できるだけ自然な方が良い。だから最初のインタラクティブコンピュータである、サザーランドの「スケッチパッド」はペン入力だし、最初のビジュアルプログラミング環境であるGrailもペン入力なのだ。しかしペンは高価だったので代用品が必要だった。それがマウスだ。


 そう。そもそもダグラス・エンゲルバートの発明した「マウス」でさえ、ペンの代用品だった。

 最初に発売されたMacintoshのマニュアルには、「スクロール」という概念や「クリック」という概念、「マウスカーソル」という概念が丁寧に説明されている。これはとても異質で、不自然な概念だったのだ。慣れてしまえばそれが不自然だったことなど忘れてしまうくらいに便利だが。


 マウスが発明されたばかりの頃、ある企業が実験をした。

 何もない部屋にコンピュータの端末とマウスを置き、さまざまな人に「このマウスでコンピュータを操作します」とだけ説明し、反応を観察する。マウスという機械のアフォーダンスを検証するための実験だった。


 アイビーリーグを卒業した教養ある女性は、つかつかと姿勢の良い歩き方でマウスに近づき、それを手にとると、まるでパンナムのスチュワーデスのように口元にあてた。「コンピュータ、スイッチ、オン」マイクだと勘違いしたのだ。


 この実験に参加した別の男性は、マウスについているスイッチを押しながら、なにか念力のようなものを送った。


 マウスは自然な状態、教育されていない状態ではこれほど不自然だったのだ。

 Appleが、とりわけスティーブ・ジョブズが、マウスボタンを一つにしてしまったのもそのためだ。

 もともとXerox Altoのマウスは3つボタンだった。しかしジョブズは三つもボタンがある機械をユーザーは理解できないだろうと考えて一つにしたのだ。


 ゲイツは、少なくとも二つはボタンが必要だと考えた。だからマイクロソフトマウスには当初からボタンが二つあった。ネズミのニックネーム通り、可愛く見えた。このときマウスの移動単位は「ミッキー」だった。


 この二つボタンマウスは、ユーザを混乱させ、いらつかせた。ここまではジョブズの想像した通りだ。

 特に「ダブルクリック」という言葉は多くのユーザーを誤解させた。ボタンが二つあるんだから、ダブルクリックと言うならば、それは両方のボタンを押すことのはずだ。


 僕もWindowsが出始めたばかりの頃に、多くの人が「ダブルクリック」を二つのボタンを同時に押すことだと勘違いした現場に遭遇した。


 一つのボタンを素早く二回クリックするなんて、一種の離れ業だ。

 しかもそれをしなかぎり、フォルダも開けないしアプリも起動できない。

 いま、右クリックができないウィンドウシステムなんて想像できるだろうか。


 ジョブズ追放後も、Appleはジョブズの哲学に縛られ続けた。マウスに右側のボタンはいつまで経っても追加されず、しかしOS自身は右クリックに対応するというアンバランスな状態がずっと続いた。


 ジョブズが復帰してしばらくすると、なんとシングルボタンのままタッチセンサーで右クリックを実現するというとんでもないアイデアを実行に移した。これは成功した。


 そしてiOSはタスク切り替えのためにホームボタンをダブルクリックするという狂気のような操作をユーザーに要求するようになった。悪夢再び、だ。でも今は慣れてしまった。


 僕が言いたいのは、最初から使いやすいUIなどどこにもないということだ。


 以前、某メーカーのコンサルティングの仕事で、日本最高のUI研究者として増井俊之とともに名高い、東大の五十嵐健夫先生(学生時代にTeddyという天才的なUIを開発した人だ)のところにインタビューしにいったことがある。というのも、メーカーはUIの客観的な評価尺度を知りたがったのだ。UIに客観的な評価尺度が存在するのかどうか、五十嵐健夫先生に聞くとこんなことを仰っていた。


 「UIに客観的な尺度はありません。たとえば入力速度だとかエラー率、エラー修正率といった数値的尺度はありますが習熟度によって異なるので客観的な基準とは言い難いのが事実です。また、良く言われるような"直感的なUI"が必ずしも良いUIではないことも研究者の間では知られています。マウスがいい例ですね。もともと直感に反しているものでも、習熟すると後付けで直感的だったように感じるのです。そしてユーザー全体が新しいUIに馴染むと、より効率の良い別のUIが産まれてもそちらは選択されないことも知られています。たとえばDvorak配列のキーボードがそうですね。マウスはタッチ操作の代用なので、親しみやすいんです。むしろ良いUIとは、パッと見たときに"触れてみたい"、"使ってみたい"と思わせ、ユーザーが習熟すればするほど新しい使い方が覚えて行けるような、学習曲線まで考慮したものではないでしょうか」


 つまりUIにとってまず重要なのは、それが「新しいか」ということと、「触ってみたい」と思わせる魅力があるか、ということだ。次いで重要なのは、「親しみやすいか」「学習曲線を考慮しているか」ということ。

 


 僕は携帯電話もキーボードも、iPhoneのバーチャルキーパッドも、フリック入力でも、同じくらいの長文を書くことが出来る。慣れればどんなUIでも使いこなせる自信がある。けど決して手を出したくないのはT9のような「機械に予測を委ねる」UIだ。これは自分で予想できない。僕が求める最高のUIとは、目をつぶってでも入力できるようなものだ。その意味ではフリック入力にも不満がある。携帯端末史上最も高速に入力できるインターフェースだと思うけど、目を開けていないと使えない。その意味ではキーボードはやはり素晴らしい。慣れればブラインドタッチできるから。



 しかしenchantMOONにおけるNo UIのコンセプトは、それが徹底しているが故に、実用的なレベルまで完成させるのは恐ろしく難しい。かく言う僕自身も、このNo UIというコンセプトにかつては挑み、そして挫折した経験を沢山もっているのだ。



 このNo UIコンセプトの企画書は、なにより僕に「触ってみたい」と思わせた。それが辻の勝利だった。

 触るには、作るしかない。



 このプレゼンの直前まで、辻は全身からまるで抜き身の日本刀のような緊張感を放っていた。僕は彼女の殺気が心配になり、甘味処まで連れて行ってリラックスさせようと思ったくらいだ。



 「これでダメなら会社をやめるつもりでした」



 翌日、辻は不敵に笑ってそう言った。試されていたのは辻じゃない、僕の覚悟だったのだ。お前に着いて来れるかと、お前に理解できるかと、お前にこの良さが本当に解るのかと。その笑顔を見て、背筋がぞっとした。女子大生だった頃のあどけなさは完全に消え失せていた。彼女はとんでもない化物になってしまった。まるで「敵は海賊」のアプロだ。猫型の異星人で、考えが読めない。相手の感情を凍結する能力がある。それで僕は彼女の才能に敬意を払い、単なる部下ではなく作家として扱うことにした。製品に関わるどんな決定も必ず彼女に意見を求めた。



 しかしながら、同時に不安だったのは、このコンセプトが明らかに「僕自身の内部にあるwantsを洗練させ具体化させたもの」であったことだ。辻にとって僕は最初の上司であり、最後の教育者だ。もう大学のゼミよりも長い時間、僕という人間を間近に見て、考え、手を動かしている。いわば頭脳的な分身である。従って、この先鋭的すぎるコンセプトが、他の人々から見てどれだけ魅力的に映るか、それだけが気がかりだった。


 同時にこの尖鋭的すぎるコンセプトをどこまで具現化できるか、いくら近藤誠や布留川英一、高橋諒といった本物の天才プログラマーが居たとしても、ビジネスに繋げることが出来なければ夢のままで終わってしまう。ビジネスというのは、数千のオーダーをとるということだ。多くの人に知ってもらい、使ってもらうということだ。


 それで腹を決めた。

 僕は命懸けでこの仕事をしよう、と。

 だから僕は全力で、持てる人脈や知識、テクニックの全てを総動員しようと決めた。



 僕はプロデューサーだ。監督じゃない。徹底的にプロモーション計画を練り上げ、樋口監督を呼んで映画を撮ることに決めた。金はないけど、やる気はあった。最後はとうとう、樋口監督も僕の狂気に飲まれて、信じられないくらいの低予算映画を作るのに協力することを約束してくれた。



 それから東浩紀が必要だ、と思った。

 こんな難解な、一見すると誤解しか産まないようなデバイスをややこしく説明できるのは東浩紀だけだ。そして東浩紀だけが、僕の知人のなかで数少ないガジェットおたくでは"ない"人間なのだ。彼はこのデバイスの欠点もメリットも率直に語ってくれるだろう。そういう「コンテクスト」が何より重要なのだ。革新的なものを作ろうとするときには、なお。



 計画的に準備していたものの、この製品が成功するかどうか全く解らなかった。


 11月26日にハードウェア事業参入のプレスリリースを発表すると、なによりまず社内がざわついた。それもそのはず、僕はハードウェア事業を検討していることさえ、絶対に外に漏れないように進めて来たのだ。ハードウェアの開発担当者は、入社した事実そのものを秘密にしていた。これに関わる部署はアクセスレベルが隔離され、誰も入れないようにしていた。ようやく説明する時が来たと思い、僕は全社員を集めて説明をした。


 「僕は以前、enchant.jsはいずれOSになっていくと宣言した。今がそのときだ。そのためには、まず誰にでも解るような形で、全く新しいハードウェアを作る必要がある。見た目も、内容も、驚くほど違うものだ。そしてしばらくの間、これがなんであるのか、君たちにはよくわからないだろう。なぜこれを作るのか、作らなければならないのか、解らない人もいるだろう。それで構わない。僕を馬鹿だと思ってくれていい。だが信じてくれ。これは必ず凄い製品になる。儲かるかどうかは全くわからないが、とにかく凄いものになる。なぜ凄いのかは、まだ明かすことはできない。そしてこれを創りだすのに、俺は全力を掛ける。しばらくはわけがわからないだろうが、俺を信じてついてきてくれ」


 しかし凄いことは間違いなかったが、これが売れるかどうかはこの時点でも全く解らなかった。

 なにしろ僕はハードを買ったことはあれど、売ったことなどないのだ。見積もりもできない。メーカー勤務の友人達にあれこれ聞くと、「1000は売れるでしょ」という意見と「1000売るのも大変でしょ」という意見が交錯した。


 製品に関する手応えは、CESで展示したり、いろいろな取材を受けている中でもなかなか感じられるものではなかった。


 東浩紀にはずっとボロクソに言われ続け、取材陣は僕たちを「ハードウェア事業に乗り出す変わったソフトウェア企業」としか見なかった。そのアングルだけで当面は充分「オイシいネタ」なのだから仕方がない。


 だから僕たちが極端に弱気になって、初期製造台数をあらゆる調達ルートに対して最低限のロットである1000と見積もっていたのは、それほど意外な話ではなかった。話題作りのためという分析もあるが、1000だって捌けるかどうか、全く不安だったのだ。考えても見て欲しい。原価3万円のものを1000台つくるだけで、3000万円もの製造費を先払いしなければならないのだ。そのための金型や研究開発費は、抜いた上で、だ。


 要するにこれには約2億円近い現金が先払いで必要だったのである。JAFCOから大規模な資金調達をしたのは、そういう事情もある。

 その会社の命運を掛けたプロダクトに、ここまで趣味的なものを作って良いものか、最後の最後まで悩んだ。



 未熟な機械であり、斬新すぎるUIであるため、説明が必要だ。

 なぜこうなのか、どうしてこうなのか、どうやっていきたいのか。


 タッチ&トライの席上で、僕は敢えて辻を含めた開発者本人たちに自らデモをさせた。

 未完成のソフトウェアを、さらに洗練させるためには、目の前で実際にお客様たちに実演するのが一番だ。それほどホットで、そしてシビアな反応を得られるチャンスはないのだ。そしてそれこそが、この開発の最終段階にあってもっとも重要なプロセスなのだ。



 厳しい意見を投げかけられ、暖かい声援をいただき、彼らは徹夜続きで疲れきった瞳の奥に、めらめらと炎を滾らせて帰った。翌日は丸一日休暇として、2日後に戻って来た開発者達は、「あのタッチ&トライで感じさせてしまった懸念を、完璧に払拭するまでは決して諦めない」と言った。これは僕たちの物語の始まりであり、感動的なエンディングではないのだ。戦いの火ぶたは、まさにいま、切って落とされたのである。敵は期待値だ。いつのまにか期待値が膨大なものになっていたが、それがどれだけの期待値かわからなかった。


 ビジネスになるかどうかもわからなかった。しかしそれがようやく可視化された。もう株主だろうが取締役だろうが、文句は言わせない。実を言うとこれが失敗したら、僕は社長を引責辞任するつもりだった。少なくとも6月の株主総会で、一旦は首を差し出さなくてはならなかった。



 だが今はハッキリと期待を感じる、期待とは、つまりニーズがあるということだ。

 我々がそれに応えられるかどうかはともかく、ニーズがあることが解ったことはとても重要だ。ニーズがあるのなら、投資できる。株主も馬鹿じゃない。わざわざレッドオーシャンのソーシャルゲームにこれ以上賭け金を突っ込むのなら、もっと将来性のある分野に投資することを選ぶだろう。あの予約開始日はそういうことが決定的になった日だった。皆さんの期待の大きさが、我々のビジネス構造を変化させる強力な追い風になった。


 昨日、10年ぶりに会う高校の同級生たちと小さな同窓会をした。

 建築家になった飯川くんもいれば、カメラメーカーのエンジニアになった潤ちゃんもいた。

 有明とは同じ部活だった。いまはCGの仕事をしてるらしい。澤田はドイツの光学機器メーカーで働いていた。

 一番意外だったのは、酒造メーカーの営業になっていた鉄平だ。彼のお陰で、僕は電通大に行くことにしたのだ。


 顔を出すと、「よう清水」とみんなが出迎えてくれた。

 

 「聞いてくれよ、ひどいんだぜ、臼井のヤツ」


 富永が言う。静岡に出張中なのに、わざわざ新幹線で飲み会にだけ参加しにきた。


 「なにが?」


 「臼井だけなんだよ、enchantMOON、予約してないの」


 「マジかよ」


 僕は高校時代、友達らしい友達はほとんど居なかった。

 孤独で、昼飯も一人で食っていた。


 クラスの違う彼らとはときどき、顔をあわせることはあったり、親しく話しをしたことくらいはあったが、基本的には別行動だった。


 僕は学校の嫌われ者だったし、いやなヤツだった。いまでも嫌なヤツだってのは変わってない。



 なのに、みんな、僕の端末をわざわざ買ってくれた。言っちゃ悪いが、みんなそれほど裕福な連中じゃない(こういうことを言うから嫌なヤツなのだ、僕は)。家族も居て、小遣い制で生きてるサラリーマンだ。そいつらが、僕なんかのために、高校時代、みんなをバカにして、嫌われていた僕なんかのために、なけなしの小遣いで、カミさんの目をちょろまかして、4万円もの大金を払ってくれたのだ。


 「ちょっとトイレ」


 気がつくと僕はちょっと泣いていて、トイレに駆け込んで「泣くのは早い」と言い聞かせた。まだだ。まだ彼らは義理と期待感とで予約してくれただけだ。せめてそれに応えなければ、俺は男じゃなくなってしまう。


 iPhoneを見ると大量注文でソフトウェアやフォントの原価が下がったので、予約数が損益分岐点を超えた、というメールが届いていた。

 

 もうモードチェンジだ。Zeptopad、あれは思うようにお金がまわらなくなって思い切り作れなくなってしまったが、これで少なくとも一年間は全力でenchantMOONに注力できる。黒字倒産さえしなければ。この製品はいける。ちゃんと完成させれば、必ず欲しいと言ってくれる人がいるはずだ。このとき、本当にこのとき僕は初めて、このプロジェクトの成功を確信した。



 席に戻ると、潤ちゃんが一眼レフを構えて記念撮影するところだった。12mmのレンズだ。カメラメーカーで、僕も愛用してるカメラを作ってる潤ちゃん。文系クラスだったのに、すっかりエンジニアになってる彼が言った。


 「おれ、欲しかったんだよ。ああいうの。ノートスレートも期待したのに、結局でないしさ。だから、本当、楽しみにしてる」


 もう僕は泣いてなかった。

 潤ちゃんを睨みつけ、こう言った。



 「ああ、楽しみに待っていてくれ」


https://fbcdn-sphotos-d-a.akamaihd.net/hphotos-ak-ash4/310799_564724456881638_108192803_n.jpg