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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2013-05-26

川上さんの結婚 00:06

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 川上量生さんが本日めでたく結婚式を挙げたというので、不肖な元社員の僕も祝福くらいはしてもバチは当たらないだろうということで二次会に駆けつけてみた。

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 なかなかこんなにデレデレしてる川上さんは珍しいのでレアな感じがした。

 ああ、お父さんが生きていたらどんなに喜んだろうか、と思って、川上さんのお父さんのことを思い出した。


 川上さんのお父さんは、ドワンゴが20人くらいの規模の時に銀行を退職してやってきた。業務部全般を管轄していたんだけど、とてもいい人だった。すごく話し好きで、昼ご飯を食べながら話を聞いてると、気がつくと日付が変わっていたこともあった。


 僕が川上さんと対立して、一人で当たり散らしている時、なだめてくれたのは決まってお父さんだ。

 僕がドワンゴを辞めて、それから独立してなんとか事業が軌道に乗ってから川上さんのところに行くと、僕の会社がもっと健全に経営できるように後ろ盾になってくれたのは川上さんのお父さんだった。


 いつも川上さんに「いい伴侶が見つからないか」と嘆いていて、「孫の顔が見たい」が口癖だった。

 そのお父さんももう居ない。


 ああ、こういう姿を川上さんもお父さんに見せたかっただろうな、と思った。


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 質素なことが好きな川上さんにしては、ずいぶんド派手な結婚式だなと思ったけど、川上さんくらいの人が結婚するというのはそういうことなのかもしれない。


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 昔の部下にも会った。

 部下というか、右側の彼は布施君といって、僕が専門学校で講師のバイトをしていたときにドワンゴにつれて来た生徒だった。専門学校なんかいくら通ってもなんにも身に付かない。だから学校をやめたほうがいいと言って聞かせて、彼は本当にやめてしまった。まだドワンゴに10人くらいしか人がいなかった時代だ。


 調子のいいヤツで、なにを言っても「ハイ、ハイ」と聞くので川上さんにもずいぶんかわいがられていた。頭はキレるヤツだった。


 どんどん出世して行って、今は僕のかつての相棒と会社を立ち上げたのだと言う。

 作ってるものを見せてもらったが、相変わらず、ネジがぶっ飛んだ凄いものを作っていた。

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 ジェイムズ・マイク・スパーン。Microsoft時代はXbox立ち上げの立役者で、今はシアトルでniconico.comをやっている。川上さんの親友で、彼がいなければドワンゴは設立されていなかった。


 他にも、高橋昇悟や千野裕司にも会った。恋塚さんも伴龍一郎も居た。まっつんも。秘書の林さんも。みんな出世していた。


 なにより僕の一番弟子と言われていた、鈴木圭一が本部長に昇進していた。

 かつての後輩が昇進するのは、本当に嬉しいものだ。


 みんな立派になった。僕は体重が増えただけだけど。


 ドワンゴの中で一番最初に結婚したのは僕だったけど、川上さんはそう考えると創世記のメンバーの中で最後の最後に結婚した人ということになる。


 それは、やっぱり、みんな、なにかしらお祝いを言いたくなるのが人情だろう。



 「こんど飯でも食いに行こうよ」


 

 別れ際、川上さんはきさくに声をかけてくれた。



 「僕は明日からまた中国に戻って、今度は製造が終わるまで帰ってこないつもりなんです」



 「そうか。頑張れよ」



 それで僕はニコファーレを出た。

 布施君とフルフルと、KAFとでニコファーレの向かい側のシャムロックで軽く一杯ひっかけた。


 かつての教え子だった布施君は本当に立派になった。

 二十歳の頃から知ってるヤツが、いまはもうオッサンで、しかも副社長だ。僕も年を取るわけだ。


 中国に行く前日に、むかしの仲間の顔を見れた。

 こういうのは案外悪くなかった。


 みんなそれぞれのポジションで頑張ってる。

 おれも頑張るぞ、となぜだか素直に思えたのだ。