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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2014-09-17

EOS 5D MarkIIこそ一眼レフカメラの完成形である 07:14

 カメラが大好きなカメラ人類として、聞き捨てならない噂を聞いた。

 要は、デジカメが絶望的に売れてなくてヤバい、という話。


 一説によると、昨年のデジカメ市場は25%縮小したらしい。

 25%、つまり1/4も売れなくなったのだ。


 この傾向は今後加速して行くだろう。


 原因は明らかに、スマートフォンにある。

 仕事柄、プロのカメラマンと雑談することがあるんだけど、彼らは口々にこう言う


 「本当はiPhoneのカメラで充分だ」


 半分ホントで半分は冗談だと思うが、カメラ業界にとっては冗談では済まない。

 実際、iPhoneのカメラは、一昔前のコンパクトデジカメを遥かに凌駕する画質を誇っており、動画性能でいえばスローモーションが撮れる程に高性能だし、HDRまで対応している。


 そのうえ、常に携帯しているスマートフォンに内蔵されているわけだから、いわゆるフツーのコンデジの存在意義は益々なくなっていく。


http://i.gyazo.com/2760f7b72ea8b03c599aeebf854952c1.png

http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20140916_666950.html


 これはキヤノン自身が発表した資料の表だが、意図してか意図せずか。コンデジについては何も書いてない。コンデジはと言うと

http://i.gyazo.com/2f089f3de59063d6112e010adb666407.png

 これだけ市場が落ち込んでる(http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20140916_666950.html)。

 単価が上がっているのは、普通のコンデジなら、iPhoneで充分ということだ。


 実際、カメラ人類のはしくれである僕も、たいていのものはiPhoneで充分だと思っている。

 たまに趣味としてそれなりの写真を撮りたい、と思うときはRICOHのGRをカバンから取り出し、ほんとうにズバッと来るいい写真を撮りたいと思ったときは、EOS 5D MarkIIを家から持って来る。


Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 5D MarkII ボディ

Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 5D MarkII ボディ


 ただ、この5D MarkIIにしても、6年前に買ったものだ。

 今は中古ならAmazonで12万円で買える。


 既にMarkIIIが登場しているが、色々な理由で買い替えには至らなかった。僕にとってはMarkIIで必要にして充分であり、それ以上のスペックは必要なかった。


 MarkIIを買った後も、NEX-7に浮気したり、OLYMPUS PEN(E-P1)を買ったりと紆余曲折あったが、結局ここぞという時はEOS 5Dの出番になる。


 今敢えて欲しいのはソニーのα7Sだけど、ボディを買った後でレンズもまた買いそろえなければならないと思うとおいそれと手が出せない。実質的にα7Sで今愛用しているEOS 5Dと同等の写真を撮ろうと思ったらレンズを買いそろえるのに100万円くらいの出費を覚悟しなければならないだろう。




 5Dの良さは、まず昔ながらの一眼レフのフォーマットを守っているということ。

 あの硬質なカタマリ感。なにか大事なモノを持っているという感じ。それが何よりの財産で、効率性とは無縁、というかむしろ非効率的だからこその魅力が5Dにはある。手の中に馴染む感じ。


 キヤノンが一眼レフを発売してから既に半世紀が経過した。

 その究極の形、ひとつの完成形は、5Dだと思う。


 1DXはプロユースとしては当然、最高のカメラだが、いかんせんデカ過ぎる。「ふつうの人類が所有するカメラ」としては、やはり7Dでも1DXでもなく、5Dが完成形なのだと思う。


 5Dの中でも、MarkIIは記念すべきカメラだ。

 なぜなら初めて実用的な動画撮影機能が搭載されたからだ。


 これが発表されたときの興奮は、今でも忘れることが出来ない。


 プロにも愛用者が多く、5Dさえあれば撮れない絵はない、と言っていいと思う。


D


 たとえばこのショートフィルムも全編5D MarkIIで撮影されている。


 僕が趣味で5Dを推したのではなく、映像のプロが集まった結果、当たり前のように5D MarkIIを持ち出して来たのだ。


 それを見て僕は「やはり5D MarkIIは完成形だ」と思ったのである。

 プロは徹底的な実利主義の世界だ。


 どんなつまらない仕事にも自分の名前が掛かっている。

 そこで決して恥ずかしい絵は残せない。


 そういうときに、常に最新のものが最良であるとは限らない。

 その意味で、5D MarkIIはエポックメイキングだったし、それを手に入れてしまえば、他のカメラなど必要なくなる。もちろん映画館で上映するだとか、3D映画だとか、そういう場合は5Dではちょっと物足りない。けれども、その手前までは5Dで必要にして充分なのだ。


 動画撮影をする場合は、カメラがコンパクトであることは必ずしもプラスに働かない。

 動画で必須となるピント送りは、5Dのママではやりにくい。


 だから専用の治具が用意されているくらいで、そうまでしてもこの優秀なフルサイズの撮影ユニットを使いたいわけだ。

 

 コンパクトなカメラ、たとえばNEX-7あたりだと、風景やスナップショットを撮影するのには悪くないけれども、ポートレート的に人物を撮影したり、大掛かりな動画を撮影したりするときにはなにか物足りなさを感じてしまう。


 それは小ささ故の存在感の希薄さであり、儚さであったりする。

 もちろんそこにDP1 MerrillやDP3 Merrillの出番がないというわけではない。


 けれどもやはりここ一番は、5Dなのだ。しかもMarkIIだ。これだけはどうしても揺るがない。


 先日、ひさしぶりに5Dで動画を撮った。

 それで、やっぱり5Dはいいなと思った。

http://i.gyazo.com/a235b59f24c0f667265dcbd88f0f887e.png

 こういう絵が何のテクニックも要らずにさらりと撮れるのはやはり5Dなのだ。


 今回はカールツァイスすら使っていない。キットレンズにもなったことがある、EF24-105mm F4L ISだけだ。


 ハッキリとした主題のある絵には、それなりの大きさのカメラを使う。その意味で5Dは最小の大きさなのかもしれない。つまり、これ以上小さいと撮影の緊張感までもが喪失してしまう、そのギリギリの大きさが、5Dなのだ。


 そもそも動画を撮るならば、三脚は必須だ。

 そして三脚を使うならば、カメラ本体が小さくて軽いこと自体はほぼどうでもいい。


 大事なのは、カメラの存在感。

 その意味で、5Dは佇まいがいい。

 置いてあるだけで絵になる。


 デジカメが売れない、という。

 このままいけば、一眼レフという半世紀以上続いた一大ジャンルも、衰退して行くのかもしれない。


 一部の超高級な機種を除けば、軽くて安いスマートフォンのカメラで事足りて、運動会だとか、お遊戯会だとかのためだけにズーム機能つきのプレミアムコンデジが使われて、それで充分、ということなのかもしれない。一眼レフではなく、ミラーレス一眼が主流になり、プロは専らそういうものを使うのだという時代もそう遠くないだろう。


 それでも、いや、だからこそ、敢えてこの愚直な物理構造を持った一眼レフを手元に置いておきたいという気持ちが働く。そのとき持っていたいのは、SD1でもD750でもなく、やはり5Dなのだ。