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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2015-02-28

コードの匂い。年の差、なんて 12:47


 昨日、二十歳の男の子に


 「清水さんっておいくつなんですか?」



 と聞かれたので


 「38だよ」


 と答えると


 「えーーー、意外に行ってますね」


 と言われた。

 どういう意味じゃい。


 僕は子どもの頃から年相応に見られたことがないのが悩みで、15歳の時は学生服を着ていたのにも関わらず、街頭で「すみません、25歳以上の会社員の方を対象にアンケートをとらせていただいているのですが・・・」と声を掛けられたり、本屋さんで高校生のお兄さん達がエッチな本を買おうとして親父に怒られている横で「700円になります」とデラペッビンを買ったり、まあそれは得したと言えるのだろうか。


 顔が老けてると、得することもある。

 若いと舐められることもあるからだ。


 しかしなあ、オレが二十歳の頃って38歳っていったら父親と区別つかない感じだったかもなー、うーん。


 その子と夏野さんと三人で会った。

 そういえば、夏野さんと初めて会った頃、僕は22歳、夏野さん35歳。

 

 今は僕と夏野さんが20歳の起業家を応援しようとしている。

 夏野さんと仕事の話をするのは、実に15年ぶりだ。

 今もアツく熱っぽく理想を語り、若者を応援する夏野さんの横顔をみて、相変わらずカッコいいなと思った。そう、夏野さんはカッコいいのだ。少なくとも僕から見たら。


 奇妙なものだなあ。

 

 二十歳の彼は、なんていうか。ちゃんとしてる。

 二十歳と聞いて意外だ、と僕が逆に思うくらい、ちゃんとしてる。


 僕が以前、「危ういな君、コードの匂いがしないぞ」といった少年はいまなにをやってるんだろう。

 あれから数年経って、もうとっくに卒業してるはずだけど、少なくとも僕の知っている世界では名前すら聞かない。


 彼はコードの匂いしかしない。

 

 というか作ってるプログラムはたぶん分量としては多くないんだけど、圧倒的に拘ってる。

 たぶん何度も作り直してる。


 短いコードで最高の結果を引き出すのがプログラマーだとしたら、彼は最高のプログラマーだと思う。


 そのうえで、ちゃんとしてる。

 なんというか、地に足がついてる。


 僕も夏野さんも、「こりゃ楽だ」と思ってる。

 半完成品のキットみたいなものだからだ。


 あと組み立てて、電池入れたら、動くじゃん。

 そんな感じ。


 二十歳なら、失敗なんか、なんどもできる。


 じゃあとっととやっちまおうぜ。


 失敗が人を作るのだから。



 もうひとつ、僕と夏野さんは、彼を育てよう、応援しようと思っているが、舐めてはいない。

 もう立派な大人だと思ってる。


 年の差なんて関係ない。

 僕が夏野さんに初めて会った時もそう。


 「清水くん、ここはセコいこと言ってないでどんと儲けてくれよ」


 ドワンゴの躍進はそこから始まった。

 僕のキャリアも。


 夏野さんは僕を応援しようと思いつつ、オトナとして扱ってくれた。

 だから今の僕がある。


 僕も自然に、まだ若い彼をオトナとして扱っている気がする。

 なんかそういうふうに感じるのだ。

 年の差はあるが、もはや仲間だ。

 彼の才能を僕たちは認めている。

 彼は僕や夏野さんに礼儀正しく接する。

 お互いがお互いを尊敬しながら、関係を作って行く。

 それが大人の世界だ。


 年の差なんて、関係ないんだよね。

2015-02-27

教養としてのマブラヴ オルタネイティヴ ネクストアンサー 08:28

 昨日、弊社が開発協力させていただいた、「マブラヴ オルタネイティヴ ネクストアンサー」がモバゲーさんでリリースされた。iPhoneでもAndroidでも遊べる。

http://dengekionline.com/elem/000/001/012/1012958/muvluv_01_cs1w1_501x708.jpg

『マブラヴ オルタネイティヴ ネクストアンサー』配信開始。原作監修の新ストーリーが展開 - 電撃App

 なんと昨日のうちに急上昇ランキング一位となり、改めてマブラヴの根強い人気を痛感した。

http://gyazo.com/c3e9b633f9fc6d67b4fc5879699265db.png



 ゴトー博士曰く


 「マブラヴは教養ですよ。やらないと、ダメ。絶対」


 ということなので、僕も久しぶりに自社ゲームを遊んでみた。


http://dengekionline.com/elem/000/001/012/1012964/muvluv_07_cs1w1_270x401.jpg


 なるほど、原作のアージュさんが全面的に監修されたオリジナルストーリーで、しかも原作を作られたイラストレーターさんたちによる新作イラストによるゲーム。


 あれ?ってことはこれはマブラヴの事実上の新作なのでは。マブラヴにこれまで登場した全てのキャラクターが登場するのだという。


 オープニングだけでもかなり本格的なストーリーが語られていて、展開も自然。

 

 面白い!面白いぜ、水野くん!

 いいよ、ミズノン!!


 っていうか、僕がいつも肉と人類プログラマー化計画の話ばかりしているので、「そもそもお前の会社って何をして食ってるの?人類補完計画?」みたいな誤解を受けているらしいので説明しておこう。


 UEIには二人の未踏出身の天才プログラマー/スーパークリエイター(http://www.ipa.go.jp/about/creator/)がいる。


 一人は僕、もう一人は副社長の水野拓宏。

 僕ら二人は、未踏出身であるのと同時に、ドワンゴ出身者でもある。


 水野くんと僕、二人が、まるでテニスのダブルスのように、入れ替わり立ち代わり、サーブ、レシーブ、スマッシュを繰り出してもう12年。もはや積年のコンビと言えよう。水野くんのほうが僕より年上だが、年齢を聞くより前にドワンゴで後輩として知り合ってしまったので、それ以来ずっと水野くんと呼ぶことになった。二人の付き合いは15年に及ぶ。


 僕がドワンゴで最も信頼していたのは水野くんで、なぜかというと歯に絹着せないからだ。


 ダメなものはダメ。いいものは良い。

 そういうことをハッキリ、論理的に言える人は水野くんしかいなかった。


 だから僕が会社を立ち上げた時、水野くんに手伝ってもらった。

 彼が手伝ってくれれば百人力だと思った。実際に、そうだった。


 水野くんと僕は、本人同士はとても似ているが、役割がぜんぜん違う。

 それがうまくバランスしているのが、いまのUEIだ。


 UEIには大きくわけてふたつの事業部がある。

 ひとつは僕が統括するARCこと秋葉原リサーチセンター。

 enchant.jsやenchantMOONを作り、西田友是東大名誉教授率いるUEIリサーチはこの直下にある。


 この事業部の目的は、人類の未来を作ること。


 大企業の研究開発や製品開発をコンサルティングしたり、研究委託されたりして食っていく。

 特許を多数申請しているのも、この部署だ。


 少数精鋭をモットーとし、プログラマーは全員が大学院卒か、それに準ずる才能を持った人間しか採用しない。したがって、ここに所属する社員は非常に少ない。



 もうひとつは副社長の水野拓宏率いるイノベーションビジネス部。

 UEIの中核部隊だ。彼らの作る売上は実に8割に及ぶ。

 UEI社員の7割はここに所属することになる。残りは総務部だ。


 彼らが開発するものは、ゲーム。

 ゲームに命を懸ける男たちだ(女性もいる)。


 これまでにも、「魔法少女リリカルなのはINNOCENT(http://www.mbga.jp/_game_intro?game_id=12010803)」や、自社コンテンツである「決戦!戦国vs三国志(http://www.mbga.jp/_game_intro?game_id=12007569)」などのヒットタイトルを手がけてきた。


 UEIにはこうしたゲームタイトルを開発するためのノウハウが大量に蓄積されている。

 僕らや西田先生がARCで開発した技術がイノベーションビジネス部にフィードバックされ、日々の開発に活かされているのだ。


 隣の事業部が活躍している姿を目の当たりにすると、勇気が湧いてくる。

 

 あと、名前は出せないけれども、今週のファミ通で紹介されるゲームを作っていたりする。

 あちこちでいろんな仕事をさせていただいているのがUEIのイノベーションビジネス部だ。


 僕はもう徹夜をほとんどしなくなってしまったが、水野くんはずっと会社に寝泊まりしている。

 あまりにも彼の重責は大きいからだ。


 水野くんがしっかりビジネスをやってくれているから、僕はもっと遠くを見据えた仕事ができる。

 堅実に稼ぐ水野くんと、大胆に挑戦する僕の両方が居る。


 こんなベンチャーはなかなかないと思う。


 とりあえず初日は大成功ということで、みんな、おめでとう。

 そして、いつもありがとう。水野くん。


『マブラヴ オルタネイティヴ ネクストアンサー』配信開始。原作監修の新ストーリーが展開 - 電撃App

2015-02-25

起業する前に読んでおくべき本 小さな失敗があるから大成功する。あとラーメン 08:46

http://gyazo.com/5b422dd67460a8c33f97e872bf1d0241.png

 未踏をきっかけとして起業するということに対して僕は以前よりポジティブに捉えている。

 起業して失敗しても構わないのだ。

 今の日本、会社を潰してもクビを括ったりする人がいるわけじゃない。


 夏野剛さんだって、起業して派手に失敗して、それからi-modeを作った。

 失敗ということに対して前向きになることが、まず起業には重要だと思う。


 僕も会社を作ろうと思った時、最初に考えたのは「はやく失敗したい」ということだった。

 小さい失敗をたくさん繰り返せば大きな失敗を避ける事ができる。これは絶対の真実である。


 ただし、どんなに賢い人でも、経営に失敗することは避けられない。

 経営というのは、ひとつには運だ。


 人間誰しも、失恋した経験があると思う。

 好きな人に告白して断られた、付き合っている人とどうも合わなくて、別れることになった。


 つらい思いをした。

 

 けれどもそれで、恋愛そのものをやめてしまうだろうか。

 恋愛そのものをするべきではないだろうか。


 起業とはそれに似ている。

 自分のビジョンを愛し、未来を信じ、とにかく一歩踏み出す。


 もちろんその考えは間違いで、いつか失敗するかもしれない。

 けれど、人生では、失敗したことの後悔よりも、やらなかったことを後悔する方が圧倒的に多い。

 挑戦するチャンスがあるならば、やるべきだ。


 僕の周りで起業に失敗した人は、とても多い。

 でもその誰もが、起業する前よりは確実に幸せになっている。


 起業して失敗するということ、失敗するとどうなるかということを正しく理解していれば、失敗など怖くない。むしろ望むところだ、という感じである。


 ある人は会社を畳んで、大企業の幹部になったし、社長になった人だっている。

 夏野さんなんか大企業である東京ガスを辞めて起業して、ビル・ゲイツに注目されるまでになるんだけど、いろいろあって失敗してドコモに引きぬかれて、i-modeを作った。


 i-modeの初期には、夏野さんが起業した頃に培った人脈がとても役立った。

 その頃アクセスに居た真田さんは、後にサイバード、そしてKlabの立ち上げを行った。真田さんのもと、サイバードとKlabで活躍した千葉功太郎は、後にコロプラを作った。


 i-modeの成功は、夏野さんの起業失敗という体験が元になっていることは間違いない。


 夏野さんがハイパーネットの立ち上げに成功していたら、i-modeは存在しなかったかもしれないし、i-modeが存在しなかったら、ドワンゴニコニコ動画iPhoneも存在していないのである。


 iPhoneのビジネスモデルはi-modeに強い影響を受けているし、i-modeが成功していなかったらコンテンツ課金プラットフォームは未だに世界のどこでも立ち上がっていなかったかもしれない。


 たったひとつ失敗しただけで、夏野さんは一兆円産業を創出したのである。


 だからまず失敗を恐れて起業できない人は夏野さんについて学ぶのがいい。

 読む順番はこんな感じ

社長失格

社長失格


 これは名著。

 ほんと、これに全て集約されている。

 書いているのは板倉雄一郎さんで、彼が立ち上げたハイパーネットの副社長が夏野剛さん。

 ビル・ゲイツとの対決が面白い。

 そして物語は意外な結末を迎える。


 僕が若いころに読んだときはキャバ嬢と同棲してその子に自分を「殿」と呼ばせてる板倉さんはどうにもカッコ悪いな、と思っていたんだけど、そういうことを含めて読む価値が凄くある。


iモード事件 (角川文庫)

iモード事件 (角川文庫)


 これも名著。読みやすい。

 松永真理さんというリクルートの転職雑誌の編集長が、ひょんなことからNTTドコモの部長として引きぬかれ、IT音痴だった彼女が、唯一思い当たる大学生時代のアルバイト、夏野剛を呼び出してi-modeを立ち上げるというストーリー。


 社長失格でハイパーネットにトドメを刺した住友銀行の担当者を、夏野さんが口説き落とす当たりがクライマックス。


 夏野さんもたくさん本を書いておられが、ありすぎるので一冊だけ紹介する

ア・ラ・iモード

ア・ラ・iモード


 紹介する理由は、僕と川上さんが二行だけ出てくるから(笑)

 エッセイ風なので読みやすい。

 そこだけ読みたい人は索引から行くのがオススメ


 さて、失格になった社長さんである板倉雄一郎さんだけど、会社を潰して自己破産しても、その後、元気に暮らしていて、こんな本を書かれておられる。

社長復活

社長復活


 要するに、みんなあっけらかんとしているのである。


 失敗ほど学びの多いことはない。

 ビル・ゲイツの居た頃のMicrosoftでは「失敗した人間にこそ、重要な仕事を任せろ」というルールがあった。


 奇妙なルールに思えるかもしれない。

 しかし未だにエコノミークラスで移動するほどの合理主義者のビル・ゲイツのことだ。意味のないルールなど作らない。


 失敗を経験したことのない社員は、失敗を知らないが故に臆病になるし、成功確率が上がるとも限らない。仮に社内のプロジェクトがひとつでも失敗すれば、Microsoftほど大きな企業となると兆単位の損失を産んでしまう。それに比べると社外で失敗を経験した人材を雇うコストは限りなく低い。だから起業の失敗を経験した社員を雇うのは得である。



 結局、プロジェクトの成功や失敗というのは最終的には単に確率論であるので、サイコロはたくさん振った方がいい。


 確率論で勝つには、まずクレバーに考えることだ。

 

 しかし確率論は直感に反するものが多いため、多くの人は勘違いをしてしまう。

 典型的な例としてモンティ・ホール問題を論じてみよう。

「プレイヤー(回答者)の前に閉じられた3つのドアが用意され、そのうちの1つの後ろには景品が置かれ、2つの後ろには、外れを意味するヤギがいる。プレイヤーは景品のドアを当てると景品をもらえる。最初に、プレイヤーは1つのドアを選択するがドアは開けない。次に、当たり外れを事前に知っているモンティ(司会者)が残りのドアのうち1つの外れのドアをプレイヤーに教える(ドアを開け、外れを見せる)。ここでプレイヤーは、ドアの選択を、残っている開けられていないドアに変更しても良いとモンティから告げられる。プレイヤーはドアの選択を変更すべきだろうか?」

(wikipediaより)

http://ja.wikipedia.org/wiki/モンティ・ホール問題:title]

 

 これ、瞬時に答えはわかっただろうか?


 「ドアを変更すべきかどうかは結果に影響を及ぼさない。だって1/3なんだから」


 多くの人がこう考える。

 この「多くの人」のなかには、一流の大学教授や数学者、科学者も含まれる。


 しかし実際の答えはこうである。

答えは簡単である: 「プレイヤーが選択した扉、モンティが開けた扉、残りの扉のそれぞれの当たりの確率は、1/3, 0, 2/3 である。したがって選択を変更するのが得である。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/モンティ・ホール問題:title]


 この答えに納得しない数学者達が猛反発して世界中を巻き込んだ大論争になったというストーリーについてはWikipediaを読んで欲しいんだけど、結論として、この答えは正しいことが数学的に決着がついている。


 この問題を出したのは、マリリン・サヴァントで、知能テストの最高点は230。世界最高のIQを持つ人間としてギネスブックに登録されたことで知られる作家だ。


 起業して失敗するのは、ドアを開けてハズレをひくのに似てる。


 そのドアが不正解だと知っている人が居るのなら、その人を雇い入れて別のドアを開けさせるべきだ。多くの人はどのドアが正解なのか完全に知らないのだ。不正解の可能性を知っていれば、正解を導く可能性は上がる。このモンティ・ホール問題でいえば、二倍になる。それどころか66%の確率で正解を引くことができる。


 正解にたどり着くためには失敗の経験が必要である。

 必要というか、あった方が有利である。


 若い人はやる前から失敗を恐れて動かないことが多いが、失敗は早ければ早いほど次の成功も早くやってくる。もたもたしてたら爺さんになってしまう。


 だから前向きにポジティブに、失敗するべきだ。



 しかし悪い人に騙されたりしてはいけない。

 

 昨日ふと、こんなページが出回ってきて懐かしい気持ちになった。

404 Not Found | このページは存在しないか、すでに削除されています

http://blog.livedoor.jp/nicovip2ch/archives/1900092.html

 そう。

 消費者はラーメンを食っているつもりで、実は情報を食っている。


 というか、ラーメン屋はソフトウェア会社とハードウェア会社の両面を持っているのだ。

 ラーメンそのもの質を決定するのはレシピというソフトウェアであるが、それをどう伝えるかというコンテキストも非常に重要なのだ。


 人気店でラーメンを食べる時、多くの人がスペックを読みながら食べる。

 能書きを読みながら食べるラーメンは格別に美味いのだ。


 逆に言えば、スペックを読まないと何が美味いのかよくわからないものは結構ある。


 起業する前に、この漫画を全巻読破することをおすすめする。

 これはラーメン漫画だが、実は経営マンガだ。

ラーメン発見伝(1) (ビッグコミックス)

ラーメン発見伝(1) (ビッグコミックス)

 いつのまにかKindle版が出ていたから思わず全巻買ってしまった。

 この漫画は本当に凄い。


 唯一の欠点は、ラーメンが食べたくなってしまうことだ。

 けれども、この漫画では、ラーメンというもの、そしてラーメン店というもの、経営というもの、様々なことが書かれている。


 主人公の目的は自分のラーメン屋を持つことなので、ラーメン屋を経営するためにはどうすればいいかということを学んでいく、そこには商品開発(独自性の強いラーメン)、マーケティング、マネジメント、オペレーションといった経営に必要なすべての要素が凝縮されている。


 最終巻で僕は、感動して本当に涙をボロボロこぼして泣いてしまった。

 こんなに泣いた漫画は、めぞん一刻うる星やつらしかない。


 続編としてラーメン才遊記もある

らーめん才遊記(1) (ビッグコミックス)

らーめん才遊記(1) (ビッグコミックス)


 こちらも面白いから超オススメ。

 ただ、ラーメンが食べたくなってしまうのでダイエット中の身にはなかなかつらい

2015-02-24

道征く人 09:06

 ふと、なんかここんとこ自分の中で停滞感があったんだなあ、と思った。

 それは漠然としか感じていなかったものではあったけれども、未踏の最終成果報告会を経て、一日経って、ようやく自分の状況をそのように理解した。


 一年前、アラン・ケイのもとを訪れた時、「もう君たちにアドバイスすることはない。君は君の道を行きなさい」という言葉を頂いて、僕は突然、道を見失った。


 子供の頃からずっと、アラン・ケイのように成りたかった。


 そしてついにアラン・ケイに会うことができた。

 それから、ぽんと、道を失った。



 それまで僕は自分の道を歩いているつもりだった。

 けれどもそれは彼の敷いた道を別の歩き方をしているだけだった。


 アラン・ケイのように成ろうと思ったら、アラン・ケイからアドバイスをもらわないと考えられないようではいけないのだ。


 いや、そもそも道とは、いろいろな人が歩いて轍が作られるものなのだ。

 そしてついに僕は、未踏の地を歩かなければならなくなった。


 もうケイが作った道はない。この先の道は自分で歩いていかなければならない。

 ケイがエンゲルバートから、エンゲルバートがブッシュから受け継いだ道を、そして今、先人として先を行く、石井裕先生や増井俊之先生の歩く無人の荒野を、僕もまた歩かなければならないのだ。


 あてはない。

 この先は真っ暗闇で、一歩踏み出すごとに恐怖さえ感じる。


 星明かりだけを頼りに、この夜道を一人で歩いて行く。


 僕はそこで立ち止まったつもりはないが、その歩みは明らかに遅くなった。

 なんということだろう。


 これまで、なんとたやすいことを僕はしていたのだろう。

 道があるとは、そういうことなのだ。


 本を読めば、書いてあること。

 ネットで探せば、解ること。

 誰かに聞けば、答えが貰えること。

 そもそも最初から、正解があること。


 それはあくまで、道を歩くための方法に過ぎない。

 道を作るということは、その全ての方法が、使えなくなるということだ。



 先人が歩んできた道を、僕はただ当たり前のものと思って歩いてきた。

 しかし実際に道のない場所にたどり着くと、そこには茨と、暗黒と、恐怖だけがあった。


 それでも一歩、また一歩と足を進める。

 それしか僕にはできない。


 後戻りすることもできるのかもしれない。

 しかし一度踏み入れてしまった領域、漆黒の荒野という領域には、また同時に他に代えがたいほどの魅力を放っている。今戻れば、僕は何もかも虚しく感じるだろう。


 石井裕先生には、とても励ましていただいた。

 君のやろうとしていることを、私は応援する、と。


 その意味が、僕にはすぐにはわからなかった。


 増井俊之先生は、僕にとって個人的な友人でもあり、師でもある。

 増井先生の本を読むと、多くの思考プロセスが僕が考えていたこと、悩んできたことと符合していて、非常に驚いた。


 想像はしていたが、これほどまでに同じことを考えているのかと恐ろしくなった。



 彼もまた、同じ領域で道を作ろうと孤軍奮闘しているのだ。


 そして一年後に石井先生が来日したとき、僕は石井先生と再びお話する機会に恵まれた。

【石井裕vs清水亮】「enchantMOON」は紙を超える情報共有ツールになるか?|CodeIQ MAGAZINE

https://codeiq.jp/magazine/2015/01/20913/


 石井先生ほど、enchantMOONを高く評価してくれた人は居なかった。

 製品としての存在を越えたその先を見据えて僕を応援してくれた。


 今回の対談は石井先生の側から提案していただいたもので、非常に忙しいスケジュールを縫って設定していただいた。議論は非常に本質的なもので、その場で僕はいくつもアイデアを思いついた。その体験はアラン・ケイや増井先生と会話しているときと驚くほど似ていた。全ての指摘が示唆的で、持ち帰ってひとつひとつ丁寧に検討するに値する。そこに僕は共鳴に似た感覚を覚えていた。

 

 やはり我々は、同じ領域の道なき道を懸命に探している、いわば同志なのだ。


 コンピュータとはどうあるべきか。

 そしてコンピュータとはどうなっていくべきか。


 まるで相対性理論だ。

 光のスピードに近づけば近づくほど、より大きなエネルギーを必要とする。


 本当の未踏領域では年齢の差も経験の差も、本質的な違いになり得ない。

 ここを突破するのに必要なのは、アイデアだ。

 とびきりのアイデア。


 未踏で出会った何人かのクリエイターたちも、また同じ道を往く者たちだった。

 

 僕は自分より若く、そして志を同じくする人たちに出会って、ようやく、石井先生やアラン・ケイの気持ちがわかった。


 同じ道を往く者に対してできるのは、愛情を向け、励ますことだけなのだ。

 実際にその道を歩くのは、自分自身でなくてはいけない。


 それが未踏領域、本当の意味でのフロンティアである。


 真っ暗な荒野を星明かりだけを頼りに、いろいろなものを観察しながらあるべき未来の姿を想像していく。


 慣れ合うのではなく、無視するのでもなく、ただそこに仲間が"居る"ということが、お互いを励まし、いつか誰かが成果を出すことを信じて、まずは自分の道を懸命に歩く。


 若き旅人に出会い、僕はようやく自分がいつのまにか未踏領域の暗闇の中で、道を失って途方に暮れて座り込んでいたことに気づいた。


 この出会いは、他の誰よりも自分自身を前に進めるために必要なプロセスだったのだ。


 僕はゆっくりと立ち上がった。

 再び未踏の大地を歩くために。

 自分の轍を作るために。


 立ち上がり夜空を見上げると、そこに月があった。

2015-02-23

今年の未踏は面白かった 11:54

 昨日、一昨日と、未踏IT人材育成事業の最終成果報告会に行ってきた。

 どの発表も興味深かったが、一部プレゼンが下手すぎてやったことの凄さがぜんぜん伝わらないものもあった。それは残念だったが、やりきったことは評価してあげたい。ただ、プロジェクトをやっている人間が聞き手を無視した話をすれば、当然批判は受ける。その覚悟はみんな持って欲しい。


 僕は中間発表から見てるので、彼らが苦しむプロセスをほんの少しだけみてる。

 その結果、大きく変わったものもあるし、あんまり変わらなかったものもあるけど、どれも素晴らしい成果だったと思う。


 僕らのようなロートルができることは人脈を彼らにつないであげることなので、彼らの成果をいろいろな人に紹介してあげたい。


 中間発表では、僕は厳しいことをたくさん言った。

 これで若い人たちに嫌われてもいいと思った。


 それは中間発表の段階ではまだやりなおすチャンスがあるからだ。


 国のお金を使って、未踏領域の研究をしていることをもっと自覚して欲しいと思っていた。

 その成果は、必ず世の中の進歩に貢献しなければならない。たとえそれが百年後であろうとも。


 全部が終わって、懇親会の席で、候補者の一人から、「あのとき厳しいことを言ってくださってありがとうございました。僕達はあそこからコンセプトを練り直し、今回の発表につながったのです」と言われた。


 立派な若者だ、と思った。

 叱責されて腐るのではなく、そこから奮い立つ。そういう人物こそ未踏クリエイターに相応しいと思った。


 この場に鈴木健がいないことを本当に残念だと思った。

 彼ならもっと面白い視点のアドバイスをしてくれるだろうに。


 金子勇がまだ生きていたら、もっと楽しかっただろうなと思った。


 未踏の同期は、もう誰もここに来ていない。

 興味がないのかもしれない。


 けど、僕は今の自分があるのは未踏のおかげだと思っている。

 未踏によって育ててもらった恩を、僕は生涯を賭けて返していきたいと思う。


 もうひとつ残念だったのは、竹内先生や神島さんが、Apply.lyの価値を全く理解されていなかったことだ。彼らは「"中学生が作った"から凄いんでしょ?」と最後まで思い込んでた。


 それは違うとハッキリ言っておく。

 完璧に間違っている。


 「中学生でなければ作れない」から凄いのだ。


 しかも、他の大人の発表者たちは発表しつつも成果を我々外部の人間が確認する方法をひとつも提供しなかったのに対し、彼らは実際にサービスを立ち上げ、事前登録まで可能になっている。


 つまりもっとも事業化に近づいた唯一のプロジェクトが、このapply.lyなのである。

 そこ見落としちゃダメだよ神島さん

 そして、ほかの未踏クリエイターは、彼らを見習うべきだと思う。


 例えば、僕が仕事として全く同じものを作ろうとしてもあそこまでのものにするには3年はかかるだろう。ベテランの開発者でチームを組んで、検証してテストして、途方も無い労力の末にやっと生まれるだろう。


 しかし彼らは現実のニーズを持つ中学生であり、中学生が自分たち自身でプログラミングするためにプログラミング言語と開発環境そのものを創りだしたのだ。とてつもない完成度で。


 あれをみてScratchと区別が付かないなんていうのは、プログラミング言語を根本的に理解していない。

 LISPFORTRANの区別が付かないと言っているようなものだ。


 ビスケットがどうのというツッコミも完璧に的が外れている。

 本質はそこではない。



 問題は、ああいう中学生をこのまま野放しにすると、たちまちマスコミの餌食になってしまうことだ。

 これだけは絶対に避けなければならない。


 大衆の注目は麻薬だ。

 僕だって、その毒にやられ、こうして毎日ブログを書き続けている。これは一種の病気である。


 彼らは純粋にプログラミングが好きで、プログラミングしている。そこが最高に素晴らしいところなのだ。


 彼らをへんなマスコミの連中から守らなければならないが、しかし本当に賢い人間は、たとえ褒められても自分の力量を正しく自覚しているものである。だから彼らはへんなふうにはならないと思うけれども、そこは周囲の大人が注意していきたい。


 ただ、逆に言えば、中学生のうちから正しい評価と注目を浴びるのは、彼らの人生にとっては最終的にプラスになる可能性もある。


 例えば僕が16歳のとき、初めて雑誌に投稿した3Dプログラミングのライブラリは、すぐさま10ページの特集記事として掲載された。今は当たり前だが、当時はリアルタイムで3D処理をするライブラリは存在していなかった。それをやるためには、PC-9801のグラフィック・ディスプレイ・コントローラ(GDC)を使いこなし、三角関数をテーブル演算し、なおかつ複雑な4×4行列を高速に計算するため、フルアセンブリの実装が必要だった。僕は中学生の頃からこのライブラリを作り続け、高校1年生の冬に投稿した。


 おおらかな時代だったので、僕の原稿には僕の自宅の住所と電話番号を掲載していた。


 すると日本中から手紙が来た。

 大学教授や、大学生、サラリーマン、中には「会計士の勉強をするため経済学部に通っていたけど、この記事を読んで3Dに興味がでたので大学を辞めました」という人までいた。


 彼らとの交流をきっかけに大学一年生のときに「3D野郎大会」を開催し、それが現在のCEDECになった。3D野郎大会参加者の顔ぶれは、初期の未踏スーパークリエイターが多く居た。たとえば金子勇だ。彼は僕が直接口説き、連れてきた。原子力研究開発機構に居たが、天才的な3Dプログラマーだった。そして後にWinnyを作った。



 これによって僕はインターネット以前の当時としては異常な注目を浴びた。けれどもそれが結果的に、僕という人間が多少の炎上では動じない人間に育ててくれた。


 これは登大遊さんも同じで、彼が中学生の頃、僕は工学社の雑誌で彼の記事を見ていた。

 彼は最初から有名だったので、未踏で天才プログラマーに認定されてもおかしな方向にはいかなかった。


 そして仮に彼らが注目を浴びることがあったとしても、それは実力相応だ。


 だから僕は帰り際、彼らにこう言った。


 「謙遜はやめろ」 


 謙遜というのはくだらない。

 日本人は謙遜が好きだから、それが美徳のように思われているが、それはむしろ害悪だ。

 どうしてか?


 「天才なんですって?」

 「いえいえ」

 「でも凄いですよね、聞きましたよ」

 「いえいえ、たいしたことないです」

 「テレビとかにもでてたし」

 「いえいえ。僕なんかまだまだ」


 解るだろうか?

 謙遜するとさらに褒め言葉を引き出してしまうのである。

 つまり謙遜すればするほど、褒め言葉をたくさん浴びることになる。


 そのうえ謙遜が害悪なのは、自分では「嘘をついている」と思っているのである。

 ということは脳内では相手の褒め言葉だけが強化学習される。

 これではろくな人間にならない。



 僕も昔はずっと謙遜してた。それが正しいと思ってた。

 しかしあるときこれがとてもくだらないと気づいた。

 謙遜は自分をダメにしてしまう。


 謙虚ではあるべきだが謙遜はしてはならない。

 ではどうするか?


 「天才なんですって?」

 「はい」

 「どう天才なんですか?」

 「いや、そういう制度があって、選ばれただけです」


 これで話は終わる。時間も節約できる。

 そのうえ、言い訳することで自己認識の誤謬も起こらなくなる。


 「はい」と答えづらい場合は「恐れいります」と答えればいい。


 そして大切なのは、謙遜しない傲慢さを受け入れる一方で、自分の位置を正確に把握することだ。


 君たちは馬鹿じゃない。

 馬鹿じゃないことはハッキリしているわけだから、頭のなかで常に先人と自分を比べてみればいい。


 アラン・ケイとくらべて自分はどのくらい賢いだろうか

 ビル・ゲイツとくらべて自分はどれくらい成功しただろうか

 若き日のスティーブ・ウォズニアックと比べて、どれだけ天才だろうか。


 そうすれば、常に自分の位置を正確に把握できる。



 

 15歳で注目を集め、その後も成功した人間は大勢いる。


 たとえばスティーブン・ウルフラムは17歳で大学に入学し、10本の学術論文を書いた。

 20歳でカリフォルニア工科大学Ph.D(博士号)を取得、Mathematicaというアプリケーションを開発し、今もウルフラム・リサーチ社のCEOを務めている。ウルフラム・リサーチの提供する推論エンジン、ウルフラム・アルファはiOSのSiriやAndroidのIrisで使われている。


 彼は根本的に、自分と他者をつねに認識していたはずだ。

 自分はどれだけ賢いのだろうか、過去の偉人と比べたらどうだろうか。


 少なくとも僕は常にそういうことを考えていた。


 そうすると、自然と「自分はまだまだだ」と心から思えるのである。

 僕はアラン・ケイにはなれないし、ダグラス・エンゲルバートにもなれない。


 鈴木健のように事業を成功させたこともないし、川上量生みたいに会社を大きくできてない。


 もっと先へ、もっと遠くへ、と、僕は考えている。


 これをやるためには、謙遜してはならない。

 人間はどれだけもとが賢くても強化学習に勝てない。


 そして人間は謙遜によってどんどん愚かになる。

 外でたくさん謙遜したぶん、家で思い出して傲慢な気分を味わう。


 こんなことを繰り返していたら、目的が作ることから注目を浴びることにすり替わってしまう。

 

 彼らの才能を理解できないなら、まず彼らが立ち上げたWebサービスを見てみるといい

inLay

 なまじの大人がつくるものよりよほど良く出来てる。アメリカのスタートアップだと言われても信じてしまいそうだ。


 小学四年生のサイトを捏造した人間はこれを見て自分を恥ずかしいと思うべきだ。


 中身はもっと凄い。


 僕が中間発表で、「チャットやTwitterクライアントは作れないのか」と聞いたら「いや、ビジュアルプログラミング言語でチャットのような複雑なアプリは無理だ」と彼らは答えた。子供らしい先入観だ。そこで僕が「いや、僕のMOONBlockには、チャットを60秒で作れるような機能を付けるよ」と言ったら、最終発表でチャットのサンプルを出してきた。悔しいことに、僕のよりずっとよく出来てる。完敗だった。


 未踏の最終成果報告会は以下のIPAチャンネルからタイムシフトで視聴できる。

 これはお金を払ってでも見る価値がある。

IPAチャンネル - ニコニコチャンネル:社会・言論

http://ch.nicovideo.jp/ipa


 竹内先生ほど賢い人でさえ、若さというフィルターに惑わされてしまう。

 「若さ」は圧倒的に眩しい。まぶしすぎて本質を見極めることができなくなってしまう。

 15歳といえば竹内先生にはまるで恒星のように見えたことだろう。


 僕が彼らを理解できるのは、僕自身も同じ経験があるからだ。

 16歳の僕は、間違いなく国内の3Dプログラミングでは大人に負けない実力があると確信していた。

 でも周囲の愚かな大人はそれを理解できていなかった。知らないからだ。

 3Dプログラミングの必要性も、その魅力も、それをやるためにどれだけ労力がかかるかも。


 本当に理解できたのは、読者たちだけである。

 彼らはまず記事を読み、それからその記事の執筆者が16歳だと知るのだ。だから驚いて手紙をくれたのである。


 なぜなら当時、リアルタイムの3D処理をPC-9801で行うことができるライブラリはどこにもなかったからである。どこにもないということが、つまり最先端である。この実績があったから、僕は20歳でMicrosoftの本社に雇ってもらうことが出来たのだ。この分野に関しては日本で誰よりも詳しいと思っていた(実際にはもっとすごい人は居たのだが、目に見える所にいなかったんだけどね)。


 ハッキリ言って、僕はそれ以後、ろくなプログラムを書いてない。

 僕が唯一、きちんと書いたプログラムはそのライブラリだけである。

 というのも、これは寝ても覚めてもプログラミングに熱中する少年だけが書けるプログラムなのである。

 僕が凄い高校生だったわけではない。高校生が凄くプログラミングをしてただけだ。特にそのライブラリは、中学の三年間全てと高校一年間がかかった。四年がかりで執念深くプログラミングすれば、大人顔負けのものができて当たり前だ。特別なことはなにもないのだ。



 子供が凄いのは、怖いものがないことだ。

 既存の世界観を破壊し、否定し、成長する。

 Apply.lyの画面を見て仰天した。

 あれを見てビックリしない人のほうがむしろ普通だと思う。


 けれども、「普通」だと思うこと自体が、彼らのデザインの凄さである。

 プログラミングは本来「普通」ではないのだ。

 普通ではないプログラミングが、普通にできていることの凄さ、そのデザインの無駄のなさ

 彼らがプログラミングというものを真剣に考え、正面から取り組み、夢中になっているからこそ、できることなのである。


 彼らもいつか僕と同じように、プログラミングができなくなっていくかもしれない。


 僕はもうプログラミングをそんなにしてない。子供の頃は毎日毎夜プログラミングに熱中していた。それしか考えたくなかった。今の僕は、肉とか金とか、まあ一言でいってろくでもない邪念の塊になってしまった。だから彼らが眩しい。けど、僕には経験値と人脈がある。それが彼らの助けになるのなら、喜んで手を貸したい。


 岡田さん、竹田さん、両名の作ったこのサービスは、目下のところ、間違いなく世界最高峰のビジュアルプログラミング環境である。僕は彼らのファンになった。僕は公私ともに全面的に応援するつもりだ。


 僕は中間発表の時は「まだまだガキだな」と思って侮っていた。

 けれども彼らは僕のアドバイスをわずかなワードから完璧に理解し、強化し、強烈な技で僕がこれまでやってきたことを完膚なきまでに叩きのめした。僕は敗北したのだ。


 完璧な敗北のあと、そして僕の心の底から沸き上がってきた感情は、意外にも、歓喜だった。

 そう、僕はずっと待っていたのだ。彼らのような若者が出現することを、僕を年齢でも実力でも打ち負かすことのできる人間を。


 僕はMOONBlockをやめてしまおうかとも思った。

 だがそれはすぐに間違いだと気づいた。


 もしも人類がFORTRANしか持っていなかったら、JavaScriptは永久に生まれなかった。

 FORTRANと同時期にLISPが出現し、これが男と女のように、お互いに関係しながら様々な言語が生まれていった。


 ビジュアルプログラミング言語の問題は、選択肢が狭すぎることだ。

 Scratch、Squeakしかなかった、そこにGoogleがBlocklyという(かなり中途半端な)ものを作り、僕らがMOONBlockを作った。ビスケットというのもある。けれども、これだけではぜんぜん足りない。


 それを中学生が自分たち自身のために自分たちで作ったApply.lyが出現した。

 これは過去のビジュアルプログラミング言語の概念を永久に変えてしまうくらいインパクトのあるものだ。


 実は僕は次の本でビジュアルプログラミング言語で実用的なアプリを作る、という内容を扱う予定だった。しかしそれはApply.lyの出現で発売する前から古臭いものになってしまった。内容をこれから書き換えなければならない。


 僕は僕でMOONBlockを作っていこうと思った。

 C++Objective-Cのように。


 お互いに影響を与えながら、切磋琢磨する場が生まれたのだと思えばいい。

 若きプログラミング言語開発者が出現したことは喜ばしいことだ。


 そういえば、ちょうど今日からニコニコ生放送でMOONBlock DX開発計 画と称した番組をやる予定になっていた。この放送の中で僕はApply.lyについてもっと深く突っ込んで紹介したい。もう負けは認めて、あとはいいところを真似させてもらいつつ、自分たちのMOONBlock独自の魅力を追加していくしかない。彼らにもチャンスがあれば見て欲しいので、今日は完全に無料放送でやろうと思う。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv209862741

 Scratchの阿部先生もぜひ会わせたい。きっと喜ぶだろう。もちろんチャンスがあればアラン・ケイやミッチェル・レズニックにも。ビデオだけでも送りたい。チャンスがあればまつもとゆきひろさんにも紹介したい。


 今年の未踏の募集ももう始まっているので、まずは挑戦してみよう。

未踏:2015年度 未踏IT人材発掘・育成事業 公募概要:IPA 独立行政法人 情報処理推進機構

http://www.ipa.go.jp/jinzai/mitou/2015/koubo_index.html


 厳しいことも言われるが、そのかわり大学や企業では絶対にできないレベルの研究ができる。いろいろなPMやOBからアドバイスが貰える。そしてなんなら、そこからビジネスだって生まれている。


 起業して5年以内に倒産する会社は50%と言われるが、未踏出身者が起業した場合の5年後倒産率は5%以下だと思う。なぜなら、未踏で会社を作って、潰したヤツというのを見たことがないからだ。


 会社が潰れるのは2つの原因がある。

 経営者に管理能力が無いか、経営者に人脈がない場合だ。


 よほどのことがないかぎり、未踏出身者の会社は倒産しない。

 人員削減することはあっても、倒産したことはない。


 起業するのにこれほど理想的な環境は考えられない。


 なぜなら、未踏出身者は未踏のプロジェクト管理を通じて管理能力を磨き、未踏を通じてOBやPMと強力なコネが生まれるからだ。


 いつかIT系の技術で起業することを考えていて、25歳未満なのに、未踏に挑戦しないのは常識的に考えておかしい。未踏はベンチャーキャピタルから調達するよりも安全で、しかも事業を進める前に自前に審査してもらうことができ、実際に事業化して成功する例が沢山あるわけだから、未踏を選ばないのは非合理的であるとさえ言える。


 そのうえ、これが一番重要なところだが、未踏出身の起業家は、たとえ事業を失敗させても、誰も不幸になっていない。クビを吊って死んだり、膨大な借金を抱えて自己破産した人はいない。



 鈴木健はエクストリームミーティング(XM)で事業を起こして失敗したが、SmartNewsを作った。

 中嶋謙互もXMをやっていたが、本業を倒産させてしまったが、事業に失敗しても今はKickstarterでAirshipQというゲームを作っている。別に不幸にはなってない。


 起業に失敗しても不幸にならないのならば、敢えて果敢に挑戦すべきだ。



 自民党政権になって、未踏にも再び予算が戻ってきた。


 今、世の中では凄いことが起きようとしている。

 その誕生の瞬間に立ち会えたことを僕は誇りに思う。


 みなさん、ありがとう。

2015-02-19

「マーケティング」を学ぶためにまずすべきことはコトラーを読むことではない 09:10


 マーケティングという言葉がある。



 マーケティングを教える、というときになったとき、コトラーの教科書を読ませる、というのが通例だけれども、そもそもコトラーは一体何のマーケティングをした人なのか。強いて言えば、コトラー本人を「マーケティングの専門家」としてマーケティングしただけだ。言ってみれば、その一回しかマーケティングをしてない。一回だけならまぐれでもできる。コンスタントにマーケティングに成功してこそ、マーケティングをものにしたと言えるはずだ。


 マーケティングという言葉が、マーケットの分析だけを意味すると誤解されるような教え方をしてる学校が多く、そこで学んだマーケティングの知識は実用上ほとんど役に立たない。


 学校で学んだ知識をきちんと活用してマーケティングをしている人を、今のところ見たことがない。


 昨日も経済学部でマーケティングを学んでいる学生が、マーケティングについて実際には何も知らなくて驚いた。これは彼女のためのエントリーである。


 たとえば4Pとか6Pとか7Pとか、あるいは4Cとか、それはマーケティングをしているのではなく、マーケティングされた現象を分析しているだけだ。


 4Pが何かわからない人のために説明すると、4Pとは


 Product(製品)

 Price(価格)

 Promotion(宣伝)

 Place(流通)


 の頭文字をとったものであり、これらを組み合わせてマーケティングを構築するという理論で、コトラーはこれにPublic Opinion(世評)とPolitical Power(政治力)の2つのPを加え6Pと呼んだり、あるいはpeople(人)、processes(プロセス)、physical evidence(物的証拠)を加えた7Pを提唱してる。


 でも、こんなの、何の役にも立たない。


 「清く、正しく、美しく」


 と言うのと同じくらい、役に立たない。

 いや、いい言葉だと思うよ。この言葉自体は。

 けど、清く正しく美しく、と唱えるだけで誰もがタカラジェンヌになれるわけがない。


 どんな現象でも4Pないし6Pないし7Pにあてはめることができるし、これを定義したからといってマーケティングできてることには全くならない。


 これはあくまでも既存のマーケティング活動を分析するためのツール(または切り口)であって、こんな手法をいくら知っていても実際にマーケティングができるようにはならないのだ。


 しかし日本語のカタカナで単に「マーケティング」と読んだ場合、多くはこういう理屈で丸め込まれ、気が付くと「うーん、なるほど、6Pか。プロセスか。チーズかな」くらいのことしかわからない。


 さらに最近では4Cというのもあるらしい。


 Customer(顧客)

 Customer cost(顧客コスト)

 Communication(コミュニケーション)

 Convenience(利便性)

 

 当たり前だ。

 もうどうとでも言える。


 百歩譲って、もう世の中のことを何も知らない学生に世の中のことを教えるためにこうしたフレームワークを使うというのは解る。しかしこれはマーケティングのためのツールとはなりえない。


 まず、マーケティングという言葉が、market+ingであるという根本を、大学の授業では忘れている。

 market(市場)+ing(する)である。


 これは英語の場合、名詞が動詞を兼ねる場合があることを考えるべきだ。

 たとえばnameは「名前」を意味する名詞だが、動詞として使えば「名付ける」という意味になり、name+ingは「ネーミング」である。


 であれば、market(市場)を動詞として用いるとどういう意味に変化するか。

 答えは、「市場を作る」だ。


 つまり「マーケティング」とは、日本語でいえば「市場創出」を意味しているのである。


 どんな製品も、世の中に登場した瞬間には、市場がない。

 よく、「ニーズをつかむ」というが、実際には消費者がニーズを感じた頃には決着がついている。

 ニーズはつかむものではなく、引き出すものなのだ。


 たとえば電球が発明されるまで、送電網の需要はなかった。

 グラハム・ベルが電話を発明したとき、「それがなんの役に立つのだ」と笑われた。

 トランジスタが発明されたとき、その値打ちは誰にも理解されなかった。念のため付け加えると、トランジスタとは半導体の最も重要な部品であり、トランジスタが発明されなければ携帯電話などは永久に作られることはなかっただろう。


 トランジスタがまともな製品になった最大の功労者は、SONYである。

 当時は東京通信工業という小さな会社だった。身分不相応とも思われる莫大な特許使用料を払ってトランジスタの実用化を推進した。当時のSONYとてなにかアテがあったわけではない。ただ、トランジスタに無限の可能性を感じていただけだ。彼らが作ったのは、小さなラジオだった。


 しかし小さなラジオの市場は、そもそも存在しなかった。


 誰も小さなラジオのある生活を想像できなかったのだ。ラジオとは大きなもので、当時のラジオのウリ文句は音が大きいとか、音がいい、といったものだった。


 それどころか、海外の電器店は置いてさえくれなかった。

 仕方がないので、電器店を一店一店、しらみつぶしに回って置いてくれるよう頼んだ。それどころかこれみよがしに町中で使ってみせた。そこからSONYが世界的なブランドに成長する快進撃が始まったのだ。


 これが世界を変えたSONYの本当の意味での出発点だ。


 そしてこれぞ、マーケティングである。


 トランジスタという、誰にも利用法がわからなかったもの、いわば「いらないもの」を、その特性を活かして電池で駆動する小さなラジオを作って売る、しかし小さなラジオにマーケットはない。ならば、小さなラジオを使ってみせる。「あ、あれいいな」と思わせる。そこまでやって、ようやく市場が開拓されるのだ。





 たとえばソフトバンクがYahoo!BBのADSLモデムをタダで配っていた時期がある。


 あのときはみんな馬鹿にしていた。

 ソフトバンクがモデム配ってるよ、しつこいよってね。


 でも結果はどうだろう。

 ソフトバンクはYahoo!BBを皮切りに通信事業に乗り出し、Vodafoneを買収し、ついに世界的企業へと躍進を遂げた。


 今もYahooは単独でも日本国内で最も儲かっているインターネット企業である。 

 アメリカの本社がGoogleに惨めな敗北をしたのと比べると対照的だ。



 いらないものを作り、ヒットさせる。

 一見、非合理的に見えることをやって、いくら笑われようと、戦略を信じてやりきる。


 マーケティングとは泥臭いものである。

 言ってみれば、殴り合いだ。


 ひとつ、実体験を話そう。

 iPhoneが日本に上陸するとき、物凄く長い行列が出来た。

 実はこの行列は、僕が作った。



 なぜ行列を作ったか。



 僕はタッチスクリーンが普及して欲しいと思っていた。

 ニューヨーク州立大学のジェフ・ハンがデモをしたマルチタッチスクリーンの世界が早く到来して欲しかった。




 そして、タッチスクリーン端末向けアプリ開発という、「いらない」仕事を、なんとかものにしたかった。その先にあるのは、独自のタッチスクリーンとデジタイザーを搭載した端末だ。この頃からenchantMOONの構想はあった。そういう名前ではなかったけれども。


 そのためには、iPhoneが日本の市場で受け入れられる必要がある。

 世界では成功して、日本では失敗する、そういうパターンはけっこう多い。


 いろんなクライアントに「iPhone向けアプリを作りませんか」と持ちかけたが、どこも反応は芳しくなかった。


 「あんなもん売れないでしょ。Appleマニアが騒いでるだけで」


 けんもほろろとはこのことだった。

 僕らはJailbreakしたアプリを開発して、Youtubeでちょっとした有名開発者になっていた。

 Apple自身からも接触があり、AppStore開設の噂は半年以上前から聞いていた。


 お金がなかった僕達はクライアント企業がいなければ独自のソフトを開発するのは難しかった。

 それでいろいろなクライアントを回るんだけど、どうしても「iPhoneみたいなわけわからないもの向けのアプリ開発」という仕事は需要がなかった。


 でも僕の直感は、iPhoneがヒットするかどうかはともかく、世界はiPhoneを無視できないと告げていた。


 日本でiPhoneがヒットしてくれないと困る。

 僕はもう世界で置いてけぼりになった国で、ほそぼそと仕事をするのは嫌だった。


 ほんの5年前、アメリカで苦渋をなめた記憶が蘇った。

 当時のアメリカは携帯電話にインターネット機能なんかいらないと思っている典型的な国だった。


 日本では当たり前のようにiモードが使われているのに、アメリカ人は使いたがらなかった。

 せっかくアメリカに進出しようと思ったのに、結局誰も使わない端末向けのアプリを作るのがいやで、すぐに日本に戻ってくることになった。


 iPhoneを日本人が受け入れなければ、今度は日本がそうなってしまう。


 だからソフトバンクやAppleがそう望むのとは別に、iPhoneを成功させる必要があった。

 

 彼らは彼らで必要なマーケティングを行うだろうが、それだけでは失敗する可能性があった。

 僕らは僕らで、当事者ではないことを利用したマーケティングをする必要がある。Appleやソフトバンクがやりたくても自分たちではできないことだ。


 「行列か」


 僕はそう思った。

 行列を作るのは当事者ではあり得ない。当事者が行列を作ったら、それはサクラと呼ばれ日本では最も嫌われる行為だ。しかし当事者ではない人間が行列を作るのは、全く間違ってない。そのうえ、その時の僕は誰もが認めるApple信者だった。信者が行列を作っても当たり前の話だし、ステルスマーケティングには見えるはずもない。


 海外では、Apple製品を買うために一週間並ぶ、という行為が常態化していた。

 しかし今どきの日本では、2日以上行列に並ぶ人はまず居ない。


 iPhone3Gを日本で発売するとジョブズが発表したその瞬間、僕はサンフランシスコのモスコーンセンターで、ジョブズの肉声を聞いていた。そして最大限の歓声を上げた後、すぐ日本に連絡し、朝イチで行列に並ぶよう国内のスタッフに指示した。発売は一ヶ月以上先だったけれども。日本にすぐ帰って一ヶ月並ぶつもりだった。


 けど、行列は作らないでください、と断られてしまった。

 この後も、いろいろな人がいろいろなタイミングで、ソフトバンクに問い合わせるが、行列は作らないでくださいの一点張りだった。


 行列は宣伝にはなるが、同時にあまりに長期間に渡るとトラブルになる可能性がある。

 ソフトバンク側の対応は極めて常識的なものだった。

 

 iPhoneの日本導入は、我々コンピュータ屋にとっては大事件だが、ふつうの人にとってはそうでもなかった。


 だから僕はこれを事件にする必要があった。


 そうしなければこれまで僕が人生を賭けてきた日本の携帯電話産業は袋小路に陥り、閉塞したゆるやかな死を待つだけになってしまうからだ。iPhoneが成功すれば必ず他のメーカーも追従する。マルチタッチスクリーンへ、コンピュータの新しい進化が始まるのだ。だから絶対に成功して欲しかった。


 行列を安全に作るには、どうすればいいか。

 

 とにかく日本は二日以上前から並ぶという文化がないので、少なくとも3日以上は並ぶ必要がある。

 けれども、一週間は危険すぎる。そこで4日前から並ぶことにした。

 そのために近隣のホテルを抑え、交代制で並べるように万全の準備を整えた。


 発売の四日前の早朝から、ソフトバンクの旗艦店である表参道店に並んでみようとしたが、やはり断られてしまった。


 困った。

 ソフトバンクとしては公式に何日も前から行列を作られたら困る。責任問題になってしまう。

 あくまで僕が自主的に行列を作るしかなかった。


 そこで、数人の社員とアルバイトでとりあえずソフトバンクの反対側に立ってみた。

 しかしこれでは行列に見えない。

http://gyazo.com/467855b0d78225608c13b81d6d2fcd9c.png

 行列に見えなければ、行列はできない。行列として失敗する。

 そこでそのとき出社していた社員全員を呼んだ。20人くらいかな。


 20人が並べば、これは立派な行列だ。しかもソフトバンクの前ではなく、反対側に並んでいる、いわば公道なのでソフトバンク側は責任範囲を逃れる。


 さすがに原宿に似つかわしくないオタクっぽい連中が20人も並んでいたら嫌でも目立つ。

 CNetの目ざとい記者が駆けつけて、記事にした。そこから事件は始まった。


http://gyazo.com/97caef3b461c59ff861d2251bdd0daf7.png

↑CNetの記者だった永井美智子に取材をうけるスタッフ


 その日のうちに100人以上が行列を作り、僕は自社の社員たちを数名残して解散させた。


 これでこの行列は、正真正銘、本者の行列だ。

 ちょうど秋葉原の通り魔事件の後だったので、僕はちょっと不安になった。

 ここに並んでいる人が、一人でも病気になったり、喧嘩になったり、もしくは通り魔に殺傷されたりしたら事件は事件でもネガティブな事件になってしまう。


 ここは仕方がないと割り切り、ソフトバンクの友人に電話して、すぐに警備をつけてもらうよう頼んだ。

 すぐにALSOKがやってきて、行列を犯罪者から守った。

http://gyazo.com/12ba03dd8ad6aed8d636e517b560b591.png

 夜中になるとソフトバンクが正式にこの行列をiPhoneの行列だと認めなければならなくなった。


 すると揉め事が起きた。


 「僕は先週並ぼうとしたのに断られた」「僕は今朝並ぼうとしたのに断られた」云々。


 これは望んでいた事態ではない。


 「まあまあ、ここはひとつ、今日並んだ皆さんは公平に、ジャンケンで先頭を決めませんか?」と提案し、ジャンケンで買った名古屋の大学生が先頭に並ぶことになって事無きを得た。


 僕は無意識にやっていたが、この対応で今回のプロモーションを担当していた電通の担当者から後でずいぶん感謝された。


 この異常事態はすぐさまテレビ局や新聞社の目に止まった。

 翌日は朝から行列のニュースで持ちきりだ。iPhoneに日本中が注目せざるを得なくなった。


 なぜこんなに行列が?どうしてここまでして欲しいのか。

 そもそもiPhoneとは一体何なのか。

 発売日当日には、誰もがIPhoneとは何か知っていた。


http://gyazo.com/e21c8ed64c11acf725a413ad784f0295.png


 そしてそれを欲する人々がこれだけいることも。

 行列は1500人に及び、渋谷の駅前まで続いていた。


 このとき、実際に行列に並んだ人のブログが残っている

水槽日記 on the web: iPhone入手顛末記

http://blog.sideriver.com/coralfish/2008/07/iphone-1671.html


 僕たちは行列に並びながらiPhone向けアプリを開発し、実際にiPhoneを手に入れたら、その足でクライアントのところに出向いた。いろいろな運命のイタズラがあって、日本で最初のiPhoneユーザーはうちのアルバイトになった。それをクライアントに見せる。


 「これ、ご存じですか?今、テレビで話題になってる新しい携帯電話です。我々はこのiPhoneについて他社のどこよりも詳しい知識と経験を持っています。我々と一緒にiPhone向けアプリを作りませんか?」


 僕らはその日のうちに5000万円の契約を得た。iPhoneアプリ開発の契約は、その後も増え続け、月が変わる頃には1億を越えた。



 まだ海のものとも山のものともつかなかったiPhone向けのアプリ開発契約としては、上出来の成果だった。僕らはiPhoneアプリ開発という「いらない仕事」を得るために四日間の行列を作ったのである。もろもろを考えると安いものだった。行列に並んだスタッフのうち、ただの一人も事故や怪我、病気になることはなかった。交代で寝たり風呂に入るためのホテルを近くに借りており、8時間ずつ並んだだけだ。深夜はたいてい僕が一人で並んだ。社長に人権はない。社長がいくら働いても時間外労働が問題になることはないからだ。



 要するに、マーケティングとはかくも泥臭いものなのだ。



 こういう現実に対して、4Pだの4Cだの言っても始まらない。

 それは現象を理解する手助けにはなるかもしれないが、現象そのものを起こすことにはほとんどつながらない。

 

 経済学者や経営学者が経営者として成功してる人は少ない。 

 したがって、そういう人たちから経営のなんたるかを学び取ることはできない。

 将棋を指さない人が将棋を教えても、教わる側は将棋で勝てるようにはならない。

 

 経営学者は経営の批評はできるかもしれないが、経営そのものは、実際に経営することによってしか学べない。

 マーケティングもしかりで、マーケティングを学びたいなら、実際にマーケティングするしかない。


 マーケティングの教科書で、唯一実際に役立つのはこの本だけだと思う。


マーケティング戦争 全米No.1マーケターが教える、勝つための4つの戦術

マーケティング戦争 全米No.1マーケターが教える、勝つための4つの戦術


 この本は実際のマーケティング活動のケーススタディをまとめたものだ。


 つまり将棋でいえば、棋譜である。

 棋譜を読めば実際の戦場がどのように動いたか理解できる。

 

 どのような思考の流れが会って、どのような意思決定が成されたか知ることができる。

 この本がKindleになっていないのは実に残念だ。


 Kindleで読めるケーススタディとしてはSONYを作った盛田昭夫の名著「メイド・イン・ジャパン」がある。


 また、コンピュータ業界のケーススタディとしては、「コンピュータ帝国の興亡」がある。


 みんなが大好きなAppleのマーケティングについて学びたければ、やはり「ジョナサン・アイブ」と「iCon」「アップル・コンフィデンシャル」「林檎の樹の下で」の四冊をおすすめする。

林檎の樹の下で ~アップルはいかにして日本に上陸したのか~

林檎の樹の下で ~アップルはいかにして日本に上陸したのか~


 特に「林檎の樹の下で」は、スティーブ・ジョブズが口説き落としたアメリカの天才マーケッター、レジス・マッケンナへのインタビューが収録されている。



 実際のマーケティングは、する対象や売る商品によって千差万別で、これというやり方はない。

 しかし事例を学べば、いろいろなことに応用できる。


 抽象論ではなく、まず事例研究をしっかり行って、そこから抽象的思考に落としこむプロセスが大事なのだ。


 そして当然、事例研究だけしていてもらちが明かない。将棋を指さずに棋譜だけ読んでも将棋に強くはならない。実際に頭を使ってなにかやってみないことには、マーケティングを理解してるとは言えない。


 その点、大学の授業だけでマーケティングを学ぶのは授業で将棋を教えるに近い。

 実際に将棋を指す、実際に身体を動かし、他人を動かす経験をするべきだ。


 そのとき初めて、マーケティングとは何か、具体的に見えてくるのだ。



追記

 なんかこのブログを読んだMMD総研の方がマーケティングに関するセミナーを企画されました

 ご興味があれば

0を1にするマーケティング - shi3zの長文日記

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20150330/1427666266

2015-02-18

やけくそ 09:08

 中学の同級生とまた飲んだ。

 今回は彼の仕事の話をじっくりと聞いた。


 すげー面白い。

 中学の同級生って、今更会っても話することないだろうと思ってたんだけど、意外や意外、すげー面白い。


 生きる世界が違うとはこういうことか、と思った。


 彼は半年前に転職したばかり。

 彼の業界のトップ企業はマイクロソフトAppleとソニーとドコモを足して倍にしたくらいの売上高を誇る。利益だけで7兆円。世界が違う。利益だけでソニーの売上高に匹敵する。


 彼の会社も、売上は軽く兆を超え、利益は数千億を誇るが、円高ドル安や相場変動など、人知の及ばない要因で業績が大きく左右される。そんな会社のサラリーマン。


 一方で


 「実は社会人になるまで、メールって打ったことなかったんだよ」


 というIT音痴ぶりも発揮する。

 同世代とは思えない。大学でメールとか打たなかったのか?と聞くと


 「おれたちの時代はレポートとか全部紙だっただろ。文系は特に」


 と言われた。そりゃそうか。

 たしかに理系でもレポートはプリントアウトを提出してた。

 時代は変わるな。


 「うちの会社もどうなるかわかんないけどさ、まあ最悪、嫁の実家に引っ込んで、バイトでもして暮らせばいいや。家賃かからないから月5万くらい収入があれば生きていけるだろ。嫁も働いてるし」


 逞しい。


 こういう気持ちを持てることが本当の逞しさだと思った。

 

 まあ実際には無職のアラフォー男を雇ってくれるバイト先なんかないかもしれない。

 けどまあ、月に五万程度なら、なんとでも稼げそうな気はする。


 足るを知るというか、やけくそになったときにどこまでプライドを捨てられるか。

 でも仕事は選ばなければあるだろうし、正社員に拘らなければ何かしらの食い扶持はみつかるはず。


 いまどき、正社員だって永遠に雇用が保障されているとは限らない時代だ。


 だったら、せいぜい図太く生きるしかない。

 

 いい男になったな。


2015-02-17

MOONBlockがこれから更にアツい!!! 次世代ビジュアル言語開発計画が始動 07:56


 時折、ひとつのことに集中していると自分たちの仕事が外からどのように見られているかわからなくなることがある。


 そしてTwitterでMOONBlockの質問などを頂いて、「あれ?もしかして流行ってるの?」と思った。

 そしてなんかMOONBlockの解説動画で僕らと関係ない人が紹介してくれてるのを初めて見た。

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 去年の動画らしいけど。




 もちろん僕はMOONBlock、というか、ビジュアルプログラミング言語にこそプログラミングの未来がある、次なるシンギュラリティのヒントがプログラミングそのものを簡単にすることに隠されている、と考えているんだけど、MOONBlockはenchant.jsに比べるとついてくる人が少ない。それはどうしても子供向けに見えてしまうからだろう。


 けれども僕は本気でビジュアル言語に可能性を見出している。

 

 それで実は昨年からMOONBlockの肥大化した言語仕様を整理しつつ、年始に東浩紀さんと行った対談の結果も踏まえつつ、新たなビジュアルプログラミング言語を開発しようというプロジェクトを動かしていた。


 が、仕事として水面下でやってしまうと、有料のブロマガに書くネタがなくなってしまうので、思い切って開発プロセスをブロマガで公開することにした。

http://gyazo.com/dfab867b3d89e5875bda0008863d9e23.png

MOONBlock DX 開発計画始動! だれでも瞬間プログラミングの時代へ /shi3z:電脳ヒッチハイクガイド:電脳空間カウボーイズZZ(電脳空間カウボーイズ) - ニコニコチャンネル:生活

 よく考えたらプログラミング言語の開発プロセスを公開するってそれほどへんなことではなくむしろ当たり前のことなんだけど、そこらへんちょっとねー、enchantMOONの開発と密接に絡んでいたから失念していた。


 ブロマガ読者の皆様からのご意見、ご要望も巻き込んでさらに洗練させていくので乞うご期待。

 詳しくはブロマガを見てね(企画書以外は会員でなくても閲覧できます)


 

 そしてなんと、5歳児と6歳児にMOONBlockを遊ばせてみたお父さんのブログを発見。

6歳娘・5歳甥とMOONBlockに挑戦してみました(1)【No.292】 | パソコンは脳の自転車 【株式会社WIT 代表 藤田 真一のブログ】

 微笑ましい。

 しかも嬉しい事にScratchとの明確な違いにも言及してくれてる。


 そう、Scratchで面白いゲームが作れる感じがしないんだよ。

 Scratchは、たとえばキャラが動くということ自体を「プログラミング」しなきゃならない。


 それは「プログラミングを教える」という考え方からは正しいかもしれないけど、それってプログラミングを教えるならまずはマシン語から、と言ってるようなもので21世紀のパラダイムから見て現実的とは思えない。


 たとえばWebサービス作るのに、TCP/IPソケットプログラミングから教えるようなもの。そんなことしたら誰もついてこれない。


 (プログラミングおたくの)みんなが嫌いなPHPが、結局のところ最も使われているWebサービス言語になってるのだって、あれは余計な前提知識がいらないからだ。下手すりゃターミナルすら触らなくてもプログラミングができる。


 もちろんワナビーなヤングメン達はむしろターミナルの黒い画面にある種の憧れを持つことは認める。僕だってそういう時代はあった。けど、その手前で挫折してしまったらどうにもならないわけでね。


 21世紀はプログラミングに関して無数のモジュールがあって、そのモジュールの組み合わせだとか使い方だとかを考えてプログラミングする方が圧倒的に多い。今どき誰がlistenしてbindするかっての。C言語でWebサーバーごと作ってた15年前とは圧倒的に時代が違う。


 つまり今のプログラミング環境は、既にもうとっくの昔に「古き良き」時代ではなくなっている。

 まあそうしたものを量子コンピュータ業界に敬意を示して、あえて「古典的プログラミング手法」と呼ぶことにしようか。


 そうした古典的プログラミング手法に比べると、昨今のフレームワーク全盛や、LL全盛は、もうそもそもプログラミングというものの定義そのものが根底から裏返ってる。


 たとえば関数プログラミングはもはや古典的プログラミングとは対局に位置する。

 これはもはやLISP系やFORTRAN系といった二元論には還元できないほど、もう完全に別次元のものになってる。


 Scratchは良く出来ているが、あれは古典的プログラミング手法の教育ツールであって、実用的な道具ではない。何度も言ってきたけれども。


 でもMOONBlockはそれとは違うのだということを証明するためには、MOONBlock自体をImproveするしかない。


 要するにMOONBlockを、より実用的なものをプログラミングできるツールとして進化させるということである。


 MOONBlockにおけるモジュールとは要するにキットだから、このキットをいかに充実させていくか、いけるか、ということにも掛かっている。そのためにはまず標準キットの見直し、それとプラグインのためのアーキテクチャ、みたいなものを真剣に再定義する必要がある。いままでMOONBlockというのはどちらかというと副産物みたいなものだったからね。


 今年はこれを曲がりなりにもきちんとしたプロジェクトにしていく。ビジネスにも繋げていく。

 最終的にはenchant.jsそのものよりも成功するようなものに育てて行く。


 たぶんMOONBlockでできることはもっと幅広い。

 まだみんながその潜在的な可能性に気づいてないだけだと僕は思う。

 

 そういうわけでプロマガの方もひとつよろしくお願いします

2015-02-16

上達するコツは練習あるのみ! 再びハンバーグ三次元焼きに挑戦! 07:18

 まあ前回もそこそこ上手く行ったんだけど、ちょっと火を通しすぎた感じがあるので、もうちょっと丸く仕上がらないかなあと思って再び三次元焼きに挑戦。


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 まずは軽く塩コショウ。

 塩はムラのでないスプレー塩を使用。


 こーんなぺったんこな状態から、表、裏に焼き目を付けて・・・

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 ベイクパンの縁を利用して回転させながら焼いていく

 既に膨らんでるよね。

 膨らむってことは肉汁が中に封じ込められて、なおかつ膨張してるってこと。

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 さらに微妙な角度をつけるために今回は茄子を利用した。

 茄子の上に斜めに立てかけることで火の入り方をコントロールしてるわけね。


 この状態で少しずつ回転させながら火を入れていく。


 でも見てください。

 既にパンパンでしょ?

 これが美味しいハンバーグの焼き方なのだ。

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 生焼けにならないように、外村さんから頂いた肉デバイスで内部の温度を測る。

 通常のキッチン用温度計だとけっこう測るのに時間がかかったりするんだけど、こいつはわずか4秒で計測可能。スピードは圧倒的に大事だね。料理では。

 56度ではまだ生焼けなので65度〜70度くらいになるまで待つ

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 はい。完成。

 今回は完璧に近いね。


 完璧に近い球形。まるでボールみたいな感じに仕上がりました。


 適当に焼くとぺったんこなままのハンバーグも、三次元的に焼くとこんなふうになるワケ。

 今回は格之進のハンバーグではなくて、オリンピックで売ってた特売のハンバーグを使用。それでも焼き方一つでこんなに変わるのだ。オリンピックのハンバーグはめちゃくちゃコストパフォーマンス高いのでハンバーグの焼き方を練習したいときにはオススメ。三個で300円とか。



 こういうふうに焼くと、塩コショウだけでも充分な旨味が味わえるのだ。

 僕はキノコの味が好きなので、スプレー塩に加えてウマミタスも使ってる。


 次はハンバーグの種そのものに微塵切りにした椎茸を入れても美味しいだろうなあ


 肉の旨味を充分に楽しむには、デミグラスソースはむしろ無粋だね。

 昔はあのソースが好きだったけど、肉の味を殺しちゃうからね。


 ケチャップだけでも美味しいけど、レモン塩で食べるのもいい。


 ハンバーグって素材はどうあれ、焼き方ひとつでこんなに美味しくなるのか、というのは個人的には大きな発見だった。


 深いね、食ってやつは

2015-02-15

バレンタインデーには世界で最もセクシーなコンピュータを食す! 10:29

 バレンタインデー。

 朝から女子校に行き、授業を見学する。

 中学1年生の三学期。第三回目のプログラミングの授業。

 彼女たちははやくもチャット機能の実装に挑戦していた。

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 先生の作って下さった教科書がまたよくできてる。


 そして生徒の人たちも飲み込みが早い。あっという間に作り上げていく。

 数年前、誰が想像できただろうか。

 13歳の少女たちが50分の授業の中でインターネットチャットの仕組みを理解し、実装するなんていう未来を。それどころか彼女たちはチャットを改造し、背景を付け、遊ぶ。


 もちろん、全員が全員、ついてこれているとは限らない。

 けれども、彼女たちは果敢に挑戦し、そして作り上げられていく。

 そうした光景を目の当たりにして、僕はある種の感動さえ覚えた。


 秋葉原に戻ってくると、休日はいつも賑わってる秋月の店頭が、いつもに増して不思議なオーラを発していた。


 アレか。

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 気が付くと秋月に来ていた。


 Raspberry Pi。この打ちにくく発音しにくい名前のコンピュータは、全世界でベストセラーになった。

 その第二世代機がRaspberry Pi2だ。


 ヒトクセもフタクセもありそうないろんなオッサンが、ホクホク顔でRaspberry Piと周辺アイテムを買っていく。

 

―買ってどうするんだ。 

 前のRaspberry Piも、一度起動して、遅いと文句をいってそのままだったじゃないか。

 また買ってどうする?

 だいたい、家のテレビには既にChromecastとMac miniとPSとXboxとRaspberry Piが刺さってるんだよ。もうHDMI端子の余裕はない。

 

 頭のなかで天使が諌める


―いいじゃんか。買っちゃえよ

 クワッドコアになってるぞー

 コア当たりの計算能力も2倍だし、Windows10だって動くんだぞ

 フルシリコンだから、Mac miniより省電力だしネットみるならそれで充分だって!

 それに見てみろよこの可愛いパッケージ。

 バレンタインデーだし、自分へのプレゼントだと思って買っちゃうよ



 悪魔が耳元でそう囁いた。


―君のことだからどうせWindows 10もRaspberry Piも使わないよ!

 誰からもチョコレートが貰えないからって自暴自棄になるくらいなら、コンビニでチロルチョコ買いなよ!


 ええい、もう!

 

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 買ってしまった。

 昼飯食おうと思って秋葉原に来ただけなのに。


 家に帰って、Raspbianをダウンロードする。

 相変わらず遅い。


 ダウンロードをかけたまま、お腹が空いたので東十条のやきとん屋へ並びに行く。

 そして肉の真実にまた一歩近づいた気がした。


 美味い日本酒があるというので飲んでみる。

 確かに美味い。


 すると一見のお客さんが「これどこのお酒ですか?・・・・え、千葉?」と言うと、親父さんが一喝。


 「地名で酒飲むんじゃないよ。美味いか不味いか、そこが大事なところよ」


 そりゃそうだ。

 すっかり酔ってしまって、タクシーで帰ってそのまま寝る。

 これが最高だ。最高の休日の過ごし方だ。


 寝て起きると、ダウンロードがすっかり終わっていた。

 MicroSDにRaspbianを焼いて、テレビに接続する。


 起動。

 とりあえずWebブラウザを起動してみる。

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 お、速い。

 明らかに初号機とはレベルの違う速さだ。

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 Scratchも起動する。

 やはり速い。


 フルシリコンの恩恵を受けまくってる。

 クワッドコアはバカにできないなあ

 これは凄いぞ。



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 みんなが大好きなMinecraftも標準でついてくる。

 Scratchでカスタマイズしたり、ネットで共同で遊んだりできる。


 みんなでRaspberry PiのMinecraftで遊ぶイベントやったら面白そうだな。


 Youtubeが見たいので、gnashをインストールする。

sudo apt-get install gnash
sudo apt-get install browser-plugin-gnash

 これでブラウザを再起動すると、Youtubeが再生できるようになった。

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 やったぜ、バンザイ。

 まあ冷静に考えるとChromecastでもできることができるようになっただけなんだけど、Raspberry Piはやっぱりなんか別格で面白い。


 最初からPythonだのScratchだのの開発環境が入ってるのもいいし、MathematicaやMinecraftといった、本来は高価なツールも無償で提供されている。


 なにより、Windows10が動くようになるとアナウンスされている。

 凄いよね、5000円のコンピュータなのに。


 要するに、Raspberry Piは、今、世界中の誰もが羨望の眼差しで見ている世界で最もセクシーなコンピュータだということだ。


 Microsoftさえも無償でOSを提供したくなる。

 それに意味があるのか、ないのか、わからないけれども、MathematicaやMinecraftが移植されている。


 そういう不思議な魅力がたしかにこのちっぽけなワンボード・マイコンにはあって、世界中のハイテク起業やギークたちの心を揺り動かし、ソワソワさせてしまう。


 理屈じゃない。

 ただこんな凄いものが、こんな面白いものが、5000円で手に入ることにひたすらワクワクする。


 本も何冊も出てる。


 なんだろう。何ができるってわけじゃないんだけど。

 何かができそう。っていうワクワク感を、5000円で体験できることに感謝。


 マイクロエレクトロニクスで世の中がちょっとずつおもしろくなってる、その最先端にいるのがきっとRaspberry Piなんだろうな。とにかく全体に漂うハッピーな空気


 気が付くと買っちゃうと思うよ。

Raspberry Pi 2 Model B

Raspberry Pi 2 Model B

2015-02-14

肉会 10:00

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 昨夜は和蓮和尚ことCEREVO岩佐さんが今年のCESで大活躍したことを記念して祝賀会をやった。

 会場は六本木のシャムロック。


 ここに格之進の千葉社長自らがやってきて5kgの熟成Lボーンステーキを焼く!!!

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 ド迫力!!


 まさか他人の店で厨房を借りて焼いてくれるというサービス!!

 厨房を貸してくれたシャムロックもありがとう!!


 シャムロックもアボットチョイスも超いいお店で、六本木に三店、新宿、渋谷に一店ずつあるからみんな通ってあげてねー。


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  みなさん興奮さめやらぬようなのでそのまま二次会に突入

 六本木パセラ炎の転校生を熱唱する南治さんと和尚。


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 解散したあと、ちょっと久しぶりに大人数の飲み会の集金と幹事役はつかれたから軽く一杯ひっかけて帰るかーと思ってアボットチョイスに顔を出して、シングルモルトを注文したら、週アス伊藤くんと南治さんが登場。完全に酔っ払ってる。


 「清水さーん、水くさいじゃないですかー、三次会行くなら誘ってくださいよー」


 三次会行こうって言ったらまた大人数で入れる店探さないとならなかったでしょ。

 まあいいか。


 「もっと肉食いたい」と言う南治さんがワインと肉をオーダー。

 食うなあ。しかし


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 オレ明日仕事なんだけど・・・

 ま、いいか。


 そこから「ねえ、飲みたいんだけど」というメッセージを受け取り、「You来ちゃいなよ」的な展開で四人で飲んで、〆はかおたんラーメン。五行が終わっちゃってたからね。南治さんにごちそうになっちゃった。あざっす!先輩!



 そんなこんなで一夜明け。



 久しぶりにみんなの顔を見れて楽しかったなあ

 

2015-02-13

炉ばた大将でハンバーグの三次元焼きに挑戦 06:39

 最近、会う人会う人に「ちょっと、炉ばた大将はどうなったのよ!」と聞かれる。

 

 それどころか


 「もう炙るの飽きたの!?炉ばた大将捨てたの!?女もそうやって捨てるんでしょ!まるで岡田斗司夫ね!」


 とか凄い剣幕で言われたので、釈明しておくと、むしろ炙り続ける日々を送っている。


 正月も餅を炙ったし、家で独り飲みするときは手羽中を炙ってる。

 炙りすぎて部屋の空気清浄機は全開運転しっぱなしだ。



 それどころか休日に「炉ばた大将コンパチ端末がある」という理由で磯丸水産にでかけて貝を炙ったりしている。


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 貝類は磯丸水産の方がメンテ含めて考えると効率がいいし、磯丸水産の蟹味噌は絶品だ。

 もっと磯丸スタイルで炙れる店が増えてもいいのではないか。もはや炉ばた大将はデファクトスタンダードになるべきだ。


 家にも同じ機械があるのにわざわざ店にでかけて炉ばた大将。


 むしろ地球上にこんなに炙ってるユーザーが他にいるのかという感じだ。

 我が家のガス代は東京ガスよりもむしろIwataniに支払ってる割合が多い。


 いまや炙りは生活の一部であり、ことさらにブログに書くほどのものではなくなってしまったというのが真相だ。


 ただ、炙るものが、一通り炙るべきものは炙ったと言うか、

 特に目新しいものを炙っていないというのが実情だ。餅炙ったって普通でしょ。

 でも僕だって毎日変わったもの食べてるわけじゃないから。



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 しかしまあたまには炉ばた大将の話でもするか、と思ったらひとつ炙り忘れているものがあることを思い出した。

 ハンバーグだ。

 

 いや、正確にはハンバーグは一度ベイクパンを買った時にやっている。

 ただし、普通の焼き方をしてしまった。


 僕としたことが、クックパッドに載ってるようなやり方でハンバーグを焼いて「美味い!」と満足していたのだ。


 しかしそういえば、一関で千葉社長から直伝された三次元焼きを試してみたいと思いつつチャンスがなくてなかなか挑戦する機会が無かった。


 これはいいチャンスだと思い、昨夜は炉ばた大将と南部鉄器のベイクパンで、格之進千葉社長直伝のハンバーグ三次元焼きに挑戦した。


 キッチンでやってもいいんだけど、三次元焼きは相当時間がかかるので、リビングに炉ばた大将を置いてやるのが結局はラクだ。座りながらできるし。


 三次元焼きとは、ハンバーグ内部の熱流を意識した焼き方で、ハンバーグの表、裏をまず軽く熱してコーティングし、次に側面を回転させながら側面もコーティングするところから始まる。


 全体をまんべんなく炙ると、表面に焼き目がつき、肉汁が漏れない状態になる。

 焦らず、弱火から中火でじっくりやる。


 さて、ここからが本番だ。


 中火から強火にして、ハンバーグを立てる。

 この際、ただ立てるだけではなく微妙に傾ける。


 イメージとしては風船だ。

 表面を焼き目でコーティングした風船だと思えばいい。


 ベイクパンはフチを利用すると簡単にハンバーグを斜めに置いて熱することができる。

 これはフライパンよりも便利かもしれない。

 

 少しずつ角度を変えながら、全体を丸く焼いて行く。


 すると内部に熱が伝わり、内部から空気が膨張し始める。

 ボイルシャルルの法則というやつだ。

 千葉社長が焼くと本当にボールみたいに丸くなる。


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 一方、そうは言っても言うは易し、で、僕ごときが焼いても完全な球形にはなかなかならず、いびつな形で膨らむ。


 それでも、膨らんでいるということは、表面の焼き目による肉汁の封じ込めは成功しているということだ。


 ちょっと火を強くしすぎて焼き目がかなりキツめにできてしまったが、最初はぺったんこだったハンバーグがいびつではあるものの膨らんでいることに気付いていただけるだろうか。


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 格之進のお店でハンバーグを注文するとデミグラスソースがかかった状態で出て来るが、実際には通販で買ったハンバーグはなにもつけずにそのまま食べるのが一番美味しい。

 

 どうしても味が濃いのが食べたいならば、ケチャップだけで充分だ。

 肉汁を封じ込めきったハンバーグは、肉の味だけで本当に美味しい。



 もちろん、ハンバーグは自分で作っても焼き方だけでぜんぜん違うことに驚くと思う。

 焼き方をマスターするのはちょっと難しいけれども、マスターしてしまえばずっと美味しいハンバーグを食べることが出来る。


 ただ今回は意外なほど炉ばた大将とベイクパンの組み合わせと三次元焼きの相性が良かった。

 

 これ、要するに時間がかかる。

 焼き上げるまでに10〜15分くらいはかけたほうが美味しく焼ける。


 焼き上げた後は5分程度放置して肉を休ませること。

 そうすると美味しく食べられる。

 

 実際、ナイフで割ってみると、「ポワン」という湯気が浮かぶ。

 内部がきちんと熱せられている証拠だ。


 食べてみると、外はカリッ、中はフワッというジューシーさで、ハンバーグという概念を覆しかねない独特の味わいが楽しめる。

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 ハンバーグを休ませてる間にエビなんかを焼いてもいい。

 肉汁がいい感じに絡んでこれまた絶品なのだ。


 超美味いハンバーグを食べると、ライスなんかむしろ邪魔臭いからね。

 炭水化物も抜ける。ダイエット効果抜群。


 ベイクパンと炉ばた大将。

 もう人が生きる時に欠かせない道具なんじゃないの?コレって


 炉ばた大将にベイクパン、ついでにグリルプレート、これはもう現代の三種の神器。


 一人一台、炉ばた大将

 山口県の高木さんもご愛用とのことです



 

2015-02-12

ビッグデータは本当に必要か? 08:42

 祝日

 なんか久しぶりにラーメン食いたいなあと思って秋葉原の青島食堂に並んだ。

 青島食堂のラーメンはシンプルな生姜醤油ベースのスープなのだが、なぜか病みつきになる。


 子どもの頃はこれがこんなに美味しいとは気付かなかった。


 青島の行列は絶えることなく、おまけに日当りが悪く寒かった。


 僕は修理から帰って来たばかりのiPad miniで、本を読みながら寒さに耐えた。

 開いた本はこれだ

統計学が最強の学問である

統計学が最強の学問である


 もともと「教養としてのプログラミング講座」を書く時に、中央公論の編集者が「こういう本を作りたいんです」と言ってみせてきた本だ。


 統計学が最強。

 そうなのか。


 としか思わなかった。


 しかし先日、Excelも使えないし右クリックもできない大学院生と一緒にRの使い方を学んだ僕は、ちょっと統計学に興味を持ったところだった。


 試しに読んでみると、面白い。

 なんでもっと早く読まなかったのか、ちょっと後悔したくらいだ。


 というのも、この本のタイトルから想像していた内容は

 「○○の統計をとってみると××という事実が解る。どや?」という、統計マメ知識みたいな内容なのかと思っていた。


 しかし本書の著者は統計学の誤用によって引き起こされる嘘やデタラメな推測を指摘し、闇雲にビッグデータを管理するための仕組みを作り上げるSIerを攻撃する。


 「1%未満の精度が大事なときにだけ、ビッグデータは有効である、それ以外はサンプル調査でいい」


 「満足度をアンケートにとって円グラフにして見せても、何の意味もない」


 「購買者自身にCMを見たかというアンケートをとっても、意味がない。むしろ購買しなかった層にアンケートをとったとき、CMを見てる比率はより高いかもしれない」



 なるほど。


 僕自身はアンケートは答えるのもとるのも好きではないが、アンケートの答えの塊である「MCS Elemetns」というソフトを売ったりしたこともある。


 それを見るのはなかなか楽しい。


 アンケートは取り方と分析方法の両方を工夫しないと意味がない。


 そしてアンケートをとる場面というのは、社会生活の至る所にあるはずだ。

 たとえば国勢調査は全数調査によるアンケートだし、選挙だってそうだ。国会の議決だって広義のアンケートと言えるかもしれない。


 そしてアンケートの結果をどのように分析するかという視点が重要なのだ。

 結果の分析方法によってアンケートの設問自体が変わって来る。


 ただし、実際にそこまで考えて運用されているアンケートも分析結果もほとんど見たことがない。


 「なんとなく、何かが解ったような気がする」だけで、実際にどう対策すればいいのかわからないものが殆どだ。



 統計学の知識が無ければ、こうしたアンケートをとることも分析することも無駄である。

 アンケートは、簡単にグラフ化できてしまうのがさらに良くないのかもしれない。


 グラフまでできてしまうと「おお、なんか仕事したなー」って気分になってしまうのだ。


 だから僕はアンケートなんか役に立たないと思っていたし、いわゆる市場調査会社の調査もくだらないと思っていた。


 面白いのは、マッキンゼーが90年代に携帯電話にインターネット機能を提案しようとして、実際に携帯電話の利用者に「インターネット機能は必要か?」というアンケートをとったところ、「不要」と答えた人が90%以上いたということだ。


 なのに、このアンケート結果を持ってきて、なおiモードの開発計画はGoサインが出た。


 アンケート結果をどう分析するか、たとえば「不要」と思う人が90%居るということを、「インターネット機能が必要とされてない」と解釈するか、それとも「インターネット機能による恩恵が今の消費者には想像できていない」と解釈するか、の問題だ。


 もし、インターネット機能による恩恵が想像できていないのならば、そこに全く新しい市場を作ることが出来る可能性があることになる。


 iモード計画のGoが出た根拠は、想像するしかないが、たとえば「(1)携帯電話は数年で買い替えられる需要がある」「(2)しかしドコモは寡占状態であり、さらに利益を伸ばすには新サービスを販売する必要がある」「(3)新サービスとしてまだ恩恵が理解されていないインターネット機能を導入することで、全く新しい体験価値を提供できる」「(4)新機能は新しく販売する携帯電話全てに搭載し、消費者は自ら進んで選択しなくても(1)の理由から新機能のついた携帯電話に買い替え、やがて新サービスの恩恵に気付く」というロジックならば、アンケート結果を有効に活用したといえる。



 でも、これって屁理屈のように聞こえなくもない。

 欲しい結果に応じて、どうとでも根拠となる数字を作れてしまう、見つけられてしまうのだ。


 しかし本書は、統計学を用いたアミダくじの必勝法や、疫学といった様々な分野について解説し、ビッグデータを直接扱うために高価なクラウドシステムを本当に導入すべきかどうか疑問を投げかける。


 例は具体的かつ明快で面白く、なるほど、統計学を知っておき、できればそれを道具として活用できるようになっておかないと損をするかもしれない、と思わせるのに充分な内容だった。


 ちなみにまだ読んでないが実践編というのも出てる。

 

 こっちも楽しみだ。いずれ読もう

2015-02-11

クラウドの墓標 08:12

 Facebookでは、「もしかしてお友達かもしれません」と何人かがサジェストされることがある。

 この機能は嫌いだ。


 おせっかいだし、友達かもしれないのにGMailすらやりとりしてなくてFacebookでも友達になってない相手なんか嫌いな奴に決まってる。それか元カノとか、とにかくどちらにせよややこしい相手であることは間違いない。


 Facebookとしては、「この人昔の知り合い?連絡をとってみては?」とサジェストしてるつもりなんだろうけど、「やだよ」ということがけっこう多い。あとは「誰だそれ、知らないぞ」ということね。


 基本的に、嫌いなやつに連絡なんか取りたくない。

 この機能はオフにできるのかもしれないが、とにかく一秒でもその名前や顔を見たくないから機能をオフる前にFacebookを閉じてしまう。


 ところでまたiPad miniを壊してしまった。

 料理のレシピを見るのによく使うんだけど、キッチンでは滑って落ちやすい。


 画面がバリバリになって、見るも無惨。


 ドコモに電話すると、「ドコモiPad保障サービス」に入っているから翌日新品が届くと言う。手数料は7500円で一年間に二回まで使える。


 ドコモ凄い。

 128GBのiPad miniなので、これを再度買い替えようとしたらすごい金額になってしまう。

 これはドコモで良かったと思える。


 しかも電話した翌日に届く。

 これも地味に嬉しい。

 壊れた方のiPad miniは同梱された封筒に入れて送り返すという仕組み。


 昨日、山口からやってきた友達と世界の山ちゃんで飲みながら修理から戻ってきたばかりのiPad miniでFacebookを眺めていた。


 すると「もしかしてお友達かもしれません」といういつもの嫌な機能でサジェストされてきた人を見て、思わず涙がこぼれた。



 それは数年前、交通事故で亡くなった古い友人だった。

 ずいぶん疎遠になっていたから、Facebookでは繋がっていなかったけれども、毎年イベントでは顔を会わせる、そういう相手だった。


 彼のFacebookは誰も消すことが出来ない。

 しかし彼はソーシャルネットワークに現れて、こうして「友人ではないですか」と語りかけて来る。


 彼の顔は生気に満ち、もうこの世に居ないとは信じられないほどだった。当たり前だが。

 しかし僕は彼の葬式に行き、亡骸を見送った。


 彼のFacebookは、さながら墓標のようだった。

 ある男が生きて、そして死んで行った記録。


 数年前の更新でずっと止まっている。


 学生達がFacebookに投稿するのは、よほどオフィシャルな情報だけですよ、と言った気持ちがようやくわかった気がした。


 Facebookは、クラウドの墓標なのだ。



 日々の小さな喜びや愚痴といったものは、Facebookに残すべきではない。

 それは死者の思い出を美しくしないから。


 先日殺害されたとされる湯川陽菜氏のブログを読むと、あまり同情的な気分になれない。

 

 彼(彼女?)はあきらかに危険地帯に行くことを楽しんでいたし、自らの命を弄んでいるように見えた。正しい訓練もせずに武器を持って紛争地帯に行くことが、どういう結果を招くか知らなかったでは済まされない。


 あるいは、そういうものが残っていなければ、彼に同情できただろうか。


 このブログも、きっといつかは僕の墓標になるだろう。

 クラウドは人の発言を永遠に留めてしまう。

 生者も死者も区別はない。


 死者は更新が止まるだけだ。

 しかしそれは更新に飽きた生者と区別することができない。


 情報は永遠であり、死は変化の停止にすぎない。



 しかし、楽しく酒を飲んでいるときにこんなメランコリックな気分にさせるとは、Facebookのあの機能はよくよく迷惑なものである。

2015-02-10

彼女は右クリックができない。 07:53

 彼女は右クリックができない。

 

 「そこで右クリック」


 と言うと、「えっ?Macに右クリックってあるんですか?」と驚く。


 言われてみればそうだな、と思った。

 右ボタンなんか、Macのどこにもないのに。


 25歳。大学院生。

 Excelを起動するのは10年ぶりだという。


 けれどもiMoviePhotoshopは使える。


 「なんでPhotoshop使えるの?」


 と聞くと


 「写真を"盛る"ため」


 だという。

 盛る、つまり、微妙な顔の輪郭や肌の質感などを自ら修正するというのだ。


 「もともと美人じゃないか」


 「えー、嫌だ。嫌な角度とかあるし」


 そういえば女性は写真の撮って出しを嫌がる。

 何度も撮り直して、自分の納得の行く写真以外は消してしまう。


 僕は日常のスナップ写真を撮るのが好きなので、いちいち納得いく角度で写真を撮り直すという感覚がどうも理解できない。そんなことをしていたら写真の持つグルーヴ感みたいなものがなくなって、作り物臭い記念写真みたいなものばかりになってしまうじゃないか。



 そういえばずっと昔、つきあっていた女の子が僕に自分の写真を撮らせて、修正しろと言ってきたことがある。


 彼女はPhotoshopをそれほど上手く扱えなかった。いや、本当は使えたのかもしれないが、写真を撮る以上、修正まで込みでやるのが男の役割、と思っていたのかもしれない。


 僕もPhotoshopの扱いがそんなに上手い方ではないが、まあ言われるがままに修正した。


 別れた後もしばらく僕が修正した画像がプロフィール画像になっていて、たまに見つけてしまったりすると微妙な気分になっていた。


 前に一度、自分で自分の写真を修正してみたら気持ち悪い別人みたいになってしまったことがあって、その写真は封印したんだけど、いいのか。そんな別人みたいな写真が流通してしまって。



 が、今や写真修正は、芸能人やキャバ嬢だけの特権ではなくなっているのだ。


 他の女性にも聞くと、いまや写真修正アプリで「盛る」のは常識だという。


 「盛った写真を投稿しないと、逆に失礼」なのだそうだ。


 盛るのに適したアプリもいくつか出ていて、特に「Camera360」と中国製の「天天P」というアプリが凄い。天天Pなどは足を長くする機能まである。


 両方とも顔認識した後、顔を細くしたり目を大きくしたり肌を滑らかにしたりといったことが自然にできる。


 「すっぴんでも修正すれば化粧が要らない」


 のだそうだ。


 集合写真は大変だ。


 たとえば三人で撮ったら、三人が順番に自分の顔を修正する。

 それぞれ気になるポイントが違うので、修正を他人任せには出来ない。


 「どうせ人って、実際に会う人は少ないじゃないですか。つまり実際の自分の顔よりも、FacebookのアイコンやInstagramに上げる写真の方が目に触れる機会が多い。写真を"盛る"のは礼儀というか、身だしなみだと思う」


 そういうものなのか。


 「どうしても気に入らない時は、一回Macに取込んで、Photoshopで修正する。だからPhotoshopの修正だけは上手いですよ。だいたい、歪みツールを使います。コマンド+Xがカットだって知ったのはつい先週だけど」


 時代は凄い勢いで進んでいる。

 もうスーパーフォトレタッチャーの時代ではないのかもしれない。


 実際のところ、野球選手や芸能人に限らず、雑誌に掲載される写真というのは大なり小なり修正されている。この作業は、手間も時間もかかる面倒な作業だ。


 しかしCamera360も天天Pも、非常に直感的な操作で、しかもラクに修正できる。


 もうここまでくると、Camera360のMac版が欲しくなる。


 一眼レフで撮影して、iPhoneの天天Pで加工したくなる。

 まさかiOSの方がプロダクティビティソフトが充実してるという時代がこんなに速く来るとは思わなかった。



 必要があればツールの使い方を覚えるし、なければ右クリックさえ覚えない。


 何も知らなくても使えてしまう、というところが逆に今のコンピュータの本当に凄いところなのかもしれない。


iPhoneフォトグラフィックメソッド

iPhoneフォトグラフィックメソッド

 

キーボード 08:57

 夜、南治一徳さんとニコ生をした後、神田のカジュアルフレンチで夕食を食べた。

 南治さんの写真を"盛って"あげたら、「恥ずかしいからやめてください」と言われてしまった。まあそれがふつうの男性の感覚だろう。

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 ↑これは盛ってない。

 ここで


 「どうもローマ字入力は脳に負担がかかっているのではないか」


 という話になった。

 

 ローマ字入力はかなり変だ。

 だってまず、頭の中で日本語を思い浮かべる。

 それをローマ字に変換して、打ち込む。

 打ち込んだ後で、スペースキーを押して変換して、変換候補の中から正しいものを選ぶ。


 たかが日本語を打ち込むのに、4ステップも要する。

 最近のIMEはなかなか高性能になってきて誤変換があまりないが、誤変換があるといらつく。


 ところが日本語を入力するだけなら明らかにフリック入力の方が早い。

 カナ入力と同じで、頭に描いた日本語をダイレクトに入力できる。これは脳の負担が少ない。


 短文なら絶対にフリック入力の方が速いと思う。

 唯一の欠点は、親指に負担がかかりすぎて長文を打つと親指が腱鞘炎気味になってしまうことだ。


 キーボードはその点、10本の指と腕の動きに分散しているので個々の筋肉への負担が小さい。


 するとやはりカナ入力は優位だ。

 僕は日本語文章を打つのが速いと言われるが、それはカナ入力によるところも大きい。

 たまに他人のPCを借りてローマ字入力をすると、もちろんできなくはないが、余計なことを考えなくてはならなくなり混乱してどうしても普段の1/3くらいに遅くなってしまう。


 外来語は悪夢だ。例えば僕にとって「コンピュータ」はカタカナのコンピュータか、英語のComputerだが、ローマ字入力ではconpyu-taと打たなければならない。


 これは慣れの問題なのかというと、例えば僕は英語キーボードのMacやPCを使っていた時期もあったけれども、記号の位置が違うというのはすぐ慣れるが、ローマ字で入力するというのは慣れない。


 頭の中でいちどローマ字に変換するという動作が入ると、明らかに脳に負担がかかっていると思う。


 とはいえカナ漢字変換でさえも、「ひらがなに変換→スペース→確定」の3ステップを要することになる。ローマ字よりマシとはいえ、完璧な入力方法とは言い難い。


 ただ、音読できるような文章ならば、ひらがなに変換することはそれほど大きな負担にはならない。


 昔、樋口監督が言っていた。


 「3D映画はストーリーが頭に入ってこない。たぶん立体像を処理するのに脳の機能をかなり使っているのだと思う。迫力はあって楽しいが、ストーリーを覚えられない。同じようにカラーよりも白黒の映画の方がストーリーが入って来る気がする。それにステレオよりもモノラル」


 そんな理由で、「巨神兵東京にあらわる」はモノラルなのだという。

 情報を絞れば、それだけ伝わりやすくなる。

 もちろん樋口さんは映画監督であって脳科学の専門家ではないから、これが脳機能からみてどれだけ正しいのかはわからない。「そんな気がする」というだけかもしれない。


 しかし、情報を伝達する、情動を巻き起こし、人を感動させる、という映画製作のトップランナーである樋口さんが、そう考えていることは一考の価値があるだろう。


 すると手書きが一番いいのか、という話になる。

 手書きなら、ダイレクトに文字を入力できる。文字だけでなく記号や数式、図まで入力できる。恐ろしく表現の幅が広い。


 ところが仮に手書きで書くとしたら、僕のブログはもっとずっと短くなっているはずだ。

 とにかく手書きは疲れるのである。


 それは一文字を書くときの画数も多いし、筋肉への負担も大きいからだ。


 しかし、アイデアをまとめたり、メモをとったりするときに手書きをやると、それはもう、なにか足枷が外れたかのように脳がオーバードライブを始めるのだ。少なくとも僕はそういう感覚がある。


 ただし手書きは極端にプライベートなもので、たとえば自分で読み返したりすることもあまりないのだ。

 手書きした文書を振り返るときというのは、「ああ、沢山書いたなー」と思ってページをめくる時くらいしかない。


 そういうときに、enchantMOONの高速ページめくりは便利だ。

 1ページずつじっくり読むのではなく、パラパラと送ることが出来る。


 このパラパラと送ることが出来るというのが精神衛生上なかなかよろしい。

 自分の汚い字とかはあまり見たくないんだけれども、パラパラめくるとなんだかそういうことさえも許せる気がするのだ。


 しかし手書きだと、長くても一度に3〜4ページくらいしか書けない。それで一時間くらい経過してしまう。手書きだとある意味で凝縮される。必要なことだけ書くようになる。


 やっぱり疲れるからだ。

 これが議事録をEvernoteで書くと、もう終わらない。えんえんと会話内容を書いて行くことになる。

 おれはテープ起こしマシーンか。


 キーボードはラクだ。

 特に売文業にとっては、文字数が原稿料のひとつの目安にもなるから、簡単に文字数が増やせて推敲できるキーボードはまだ手放せない。


 しかしキーボードは、実は整理するのがニガテだ。

 プログラムでさえそう。


 プログラムなんて絶対に整理しなければならない、した方がいい、絶対にするべきものの一つであるのに、キーボードでプログラムを書くと整理されるどころかどんどんデータが増えて行く。


 それを解決するには、ドメイン固有言語を定義したりするしかなく、それを読取るのも書くのも特殊な訓練が必要なシロモノになってしまう。


 たとえばLISPは美しい。

 しかしその美しさは、あくまでもキーボードで入力可能な論理構造というものに限定した美しさだ。

 Haskellも同様に美しいと言えるかもしれない。

 しかしそれも同様だ。


 JavaScriptは、美しくはない。ただし自然に書ける。


 僕にとってプログラムを書くことはカナ漢字変換に似てる。

 カナ漢字変換が、頭のなかにある日本語をコンピュータに転送するための作業だと考えると、プログラミングは頭の中にある論理構造を、そのままコンピュータに転送するための作業だ。


 しかし論理構造、つまりロジックをコンピュータに伝えるのに、キーボードを使ってプログラミング言語に落とす必要は本当にあるのだろうか。それについてはかなり疑問だ。


 なぜたいていのプログラミング入門者がキーボード入力で躓くか。

 キーボードには109のキーがあるが、普通のユーザは26文字のアルファベットとわずかな記号、そしてエンター、スペース、エスケープといった基本的なキーしか使わないからだ。


 普通のユーザは109ある日本語キーボードのうち、その半数以下しか使わない。

 「.」と「,」の違いなんて気にもしないし、「:」と「;」が違うことすら意識してない。


 しかしプログラミング言語はこれらの記号を徹底的に駆使する。

 初心者はこれらの記号を読めないし打てない。

 だから躓く。


 僕が成蹊大の授業でJavaScriptを教えた時も、彼らはTABの使い方さえ知らなかった。

 知らなくて当然なのだ。TABキーは、せいぜい使ったとしても、Alt+Tabくらいでしか使わない。


 インデントなんて、理解の遥か外にある。


 こうした記号を駆使してプログラミングすることは、右クリックすることよりも遥かに複雑で、難しい。


 Macの右クリックはCTRLキーで代用できるが、「.」と「,」、「:」と「;」を打ち分けるのは読み方と打ち方を覚えるしかない。


 これは人間の側を訓練するという古典的なアプローチである。


 しかし右クリックもできないような人が頭の中にある論理構造をプログラミングとして表現できるようになるとすれば、それはもっと素晴らしい。


 つまり環境の側が人間に歩み寄るというアプローチをもっと模索しなければならないと僕は思う。

 それには今のMOONBlockだけでも不十分だ。


 もっと根本的なアイデアが必要だと思う。

2015-02-09

附属の人間は新潟大学を目指してはいけない 07:56

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 故郷の長岡市から依頼されて、地元の若者にメッセージを送って欲しい、というちょっと変わった講演会をすることになった。


 対象は地元の高校生、大学生、そして保護者の方々だ。


 丁度今年の始めに、中学の同級生と会ったりしたので、僕とはぜんぜん違う生き方をしてきた同級生の吉川と二人で話すことにした。


 何を話そうか、と事前に二人で話し合った時に、「とりあえず附属の奴らは新潟大学を目指すべきじゃないよね」という話になった。


 僕らは二人とも、新潟大学教育学部附属長岡中学校の出身だ。

 地元では唯一、入学試験のある中学校である。この中学に入るのはなかなか難しい。地元の長岡市だけではなく、中越地方のすべての学校の成績上位者が受験する難関だ。


 ただし僕も吉川も、受験はしてるが苦労はしてない。なぜなら、附属小学校の出身だからだ。


 基本的にここはエスカレーターなのであるが、附属小学校へ通うハードルは異様に低い。誰も好き好んで小学校を受験したりしない。さらに小学校の手前に附属幼稚園があるが、そこへの入園条件は親が車で送り迎えできること、がメインである。4歳児の能力の優劣なんかどんなテストでもわかるわけがない。要するに誰でもいいのだ。


 僕だって小学校は最初普通の公立に行って、あまりに浮きすぎたから新任の先生が手に負えない、とさじを投げ、仕方なく編入試験を受けることになったのだ。しかしその試験さえも、慌てて受験勉強をしたのがバカらしくなるほど簡単なテストだった。


 大学進学率が全国最下位クラスの新潟県民にとって、附属中学への進学は、人生がかかった大勝負といっても過言ではない。


 附属にいかなければ大学進学への道は相当険しいものになる、と信じられていた。


 というのも、当時、学区内で国公立大学に進学するには長岡高校へ行くしかなく、長岡高校の新入生の大半は附属の卒業生で占められるからだ。


 これは、長岡市に限らず、新潟市にある附属でも状況は似たようなもので、やはりそちらでは新潟高校に通わなければならないのだ。


 しかし実際には半数は附属小学校上がりで、さらにその半数は附属幼稚園あがりである。

 信じられないほど学力の低い人間が1/4は混じってる。小学校のカラー印刷されたワークテストで40点(100点満点)を取って平気な顔をしてるやつは公立にもいなかったので衝撃を受けたものだ。


 中学に入って他の連中に学力で負けないよう、五年生から毎日補習が始まる。

 その補習とは、麻布、開成、武蔵、灘、筑駒といった難関中学校の過去問を解くというもので、五年生で最初に挑んだ時はあまりの難しさに涙がこぼれた。しかし毎日毎日補習をやって、クラスの半数は80点以上が取れるようになってからようやく本番の入試に挑むのである。


 この間、僕らは「附属小学校の歴史で、中学の試験に落ちた奴はいままで一人もいない。しかし今年のお前らは馬鹿ばっかりだから、今年初めて、この小学校の歴史に汚点となる不名誉な生徒が出るかもしれない」と散々脅かされて、必死で勉強した。死にものぐるいである。


 実際には、結局、どう考えても足し算がまともにできるとは思えない奴(彼はついに中学卒業まで分数の概念を理解できなかった)まで一緒に進学して、あれは茶番だったのだと解った。新潟大学に附属高校がないのは慧眼と言えた。


 我々のような小学校あがりの連中がよく考えもせずそのまま新潟大学に入ったら、それはもう新潟大学のレベルを著しく低下させてしまうからだ。つまり附属高校がないというのは、新潟大学教育学部にとっての、バリアーなのである。我々はあくまで実験体であって、中学卒業後の進路は自分で摑み取らなければならない。このへん、ニュアンスが解り辛い人はカズオ・イシグロの「私を離さないで」を読むと似てる。

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)


 実力で附属中学に入ってきた連中は皆すばらしく頭が良く、おいてけぼりになった僕らは必死で勉強するのだった。考えてみれば、附属小学校、附属幼稚園に入れられた人間というのは犠牲者だとも言える。目的は教育実習生の受け入れ先であり、言ってみれば実験台だ。教育学部に附属してるんだから。能力も才能もバラバラな連中を教育によっていかに底上げできるかという実験に使われているに過ぎない。このあたりが東京の私立と根本的に違うところだと気付いたのは自分の子どもが小学校に通うようになってからだった。



 僕は長岡高校に行くのが嫌で、新設された国際情報高校に進学することにした。

 吉川は長岡高校を受験して、落ちて地元で最も偏差値の低い高校に進むことになった。


 しかし、吉川はここで頑張り、ついにはその高校で初の一流大学進学を果たした。

 受験勉強は環境が大きく作用する中で、一人孤独に耐えながら受験を制した吉川は立派だと思う。その後、霞ヶ関でいわゆるキャリア官僚になってエネルギー分野で活躍し、今は地元、長岡にも拠点を置く石油開発企業に転職し、アブダビの石油開発を担当している。実は長岡市のガス田は日本最大級のガス田なのである。一昨日まで知らなかったけど


 吉川の活躍を契機に、その高校に特進コースが新設され、今や東大合格者まで出していると言う。とてつもない進歩だ。吉川は単なる生徒という立場で高校の方針そのものを変えてしまったのである。組織を変えるのはリーダーとは限らない、ということの好例だ。


 吉川は和田秀樹の「受験は要領」という本を読んで革命的な勉強法だ!と感じ、一気に成績が上がったと言う。


 もはや受験とか関係ない僕でさえ読んでみようかと思うほど引き込まれた。

 Kindle版もある。


 一方の僕は、高校時代はまるで勉強しなかった。高校では落ちこぼれ、成績は常にビリに近かったが、あまり気にしなかった。どうでもいいやと思っていた。


 とはいえ、僕は長岡市で産まれたことを大変感謝している。


 なぜなら、長岡市には、70年代からマイコンショップがあり(当時の地方都市としては極めて珍しい)、電子パーツ屋があり、中古パソコン屋があって、附属中学の隣には市立中央図書館があって、ここの蔵書が素晴らしい。レーザーディスクが見れるようになっていて、放課後は附属の子ども達が争うようにして教養ビデオを見ていた。歴史が好きな吉川みたいな奴は歴史のレーザーディスクを、僕はコンピュータについて知りたいから、コンピュータや技術に関するレーザーディスクを何度も繰り返し見た。筋書きを全部覚えてしまえるくらいに。


 知りたいことは中央図書館にいけばほとんど全て知ることが出来た。

 プログラムリストの載った本も大量にあったし、美術に関する蔵書も充実してた。太平洋戦争の作戦要項をまとめた海軍軍令部の公式文書まで読める。宇宙船を制御するためのジンバルの仕組みや、それを数学的に表現するためのオイラー角といったものだ。


 中央図書館がなければ、6歳でプログラミングを始めた僕が小学生のうちに3Dプログラミングを習得することはできなかっただろう。


 中学に上がる頃には、4×4行列を操っていた。同次座標系というやつだ。

 これは数学の先生に聞いても解らないと言われてしまったので、途方に暮れていたら、同級生の大矢君が「僕のお父さんが高専で数学教えてるから、聞いてきてやるよ」と言って翌日、その行列をC言語でプログラミング可能な形式に変換したものを持ってきてくれた。長岡には高等専門学校があって、理数系の科目に精通している人が多かったのだ。


 加えて、地元の図書館に、そうした人々が書いたコンピュータ関連書籍が寄贈されていた。

 この寄贈というのは重要で、僕は「○○氏寄贈」というスタンプを見ては、「僕もいつか本を書けるようにならなければ」と思っていたのだ。


 それでもついに全く解らないことがあって、途方に暮れたらやはり同級生の誰だったかが「技科大に行ってみれば?」と言った。


 技科大・・・長岡技術科学大学は街からは遠いが、バスでいけないこともない。

 なにより、技科大の図書館には誰でも入ることが出来、わずかなお金さえ払えばコピーをとることができるのだ。


 国立大学の図書館に誰でも入れるというのは凄いことだ。

 東京では大学のOBすら図書館には入れてもらえない。これは実に勿体ないことだ。国益を損なう行為と言ってもいい。


 技科大の図書館で、月刊アスキーのバックナンバーと情報処理学会の論文を漁って、僕は任意軸回りの回転行列という、クォータニオンが一般化する以前の世界では究極形とも言える行列式を知ることが出来た。やがてその行列は、僕自身が基底変換を理解するのに多いに役立った。


 こうした環境なしでは、高校生の頃に3Dプログラミングの雑誌連載をすることは不可能だっただろう。


 自分で本を揃えるとすれば膨大なお金が必要だったし、どれだけお金があっても月刊アスキーのバックナンバーや情報処理学会の論文が存在するということすら、中学生には解らなかっただろう。インターネットだってふつうの場所にはない時代だ。


 思い返せば長岡という土地が僕のパーソナリティそのものだ。

 長岡に産まれなければ、僕は今とは全く違った人生を歩んでいたことになるだろう。



 さて、話はこれからだ。

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 吉川も僕も、中学の頃にそれほど優秀だったわけでも真面目だったわけでもない。

 

 僕らより遥かに優秀で賢い人たちは長岡高校へ行き、そしてそのまま新潟大学へ進学した。


 新潟に住んでいる以上、それが当たり前のことであり、特に附属出身の人間にとって、新潟大学とは天竺のようなものだ。


 新潟大学の施設にいながら、実際のキャンパスを訪れることはない。

 しかし校長は新潟大学の教授で、教育学部の学生たちが毎年二回くらい、教育実習に来る。


 僕らにとって新潟大学とは有難い教育を教えてくれる知性の源泉であり、ちょっと大人びてかっこいいお兄さんやお姉さんのいるところなのだ。


 だから附属を出た人間が、新潟大学を志望するというのは実に自然なのである。


 ところが僕は東京に来て20年経つが、未だに仕事で新潟大学出身の人とただの一人も会ったことがない。

 少なくともITという世界においては、新潟大学出身者の影は薄いと言わざるを得ない。

 しかし実際の新潟大学は、偏差値が極端に高いわけでもなく、かといって極端に低いわけでもない。よくある典型的な地方国立大学だ。県外からの進学者も多い。


 もっと偏差値の低い東京の私立大学はいくらでもあるし、そっちに進んだ方が人生の選択肢は大きく広がる。


 新潟で産まれて新潟で育って新潟で死んで行く、そういう人生を選択する人があまりにも多い。


 それは才能の浪費だと僕は思う。僕も吉川も、中学では落ちこぼれだ。しかし吉川は霞ヶ関で官僚になり、僕はまあ適当に楽しく暮らしてる。そういう生き方もある。けど、新潟にずっと居たら、それは解らない。僕らよりずっと優秀だったはずの連中は、何をやっているのか、噂さえ聞こえてこない。


 そして少子化と後継者問題で地元の産業はどんどん衰退している。


 それをなんとかしたいと、市から泣きつかれるのが、本来は落ちこぼれであったはずの、地元出身者である僕たちだというのはどうも解せない。


 もっと優秀な人物は地元にいくらでも居たはずで、彼らが産業を起こせば僕らよりずっとうまくやれそうな気がする。そういう優秀な地元の人間はこれまでいったい何をやって来たのだ。



 しかし一方で、新潟県民のマインドの問題もある。

 東京が嫌いだ、東京に行きたくない、という人も相当数居るのだ。


 それは人ごみが嫌いだったり、水道水をそのまま飲めないことに対するストレスだったりする。物価も高いし、美味い酒は長岡で作ったものだし、美味い米は、また近所の南魚沼で作られたものだ。


 長岡市はなんのかんのいって、素晴らしい自然と、都市の両方がある。

 環境としてそう悪くない。毎年積もる雪も、風物詩と考えれば悪くないし、僕はとにかく少年時代をあの場所で過ごせたことはとても良いことだと思っている。


 けど同級生の誰もが当たり前のように「新潟大学」への進学を口にしていた状況だけはどうも解せないのだ。


 新潟県が、地元の産業をどうにかしたいなら、まず新潟大学へ進学することをやめさせることから始めた方がいい。


 一回は県外の大学に行ってみて、それから気が向いたら地元に戻ればいいと思う。

 

 特に東京は凄い。

 東京ほど魅力的な街で暮らすことを知らずに一生を終えるのは実に勿体ないことだ。

 人生の1年か2年を過ごす価値がある。


 東京も色々で、八王子の方にいけば山も川もあるし、どこもかしこも高級住宅街というわけでもないし、あちこちに犯罪者がいるというわけでもない。


 何より東京が凄いのは、世界一の知性密度だ。

 国内の一流大学がこんなに集中的に存在している地域は全世界でみても極めて珍しい。


 コンビ二やコーヒーショップの店員でさえも、一流大学の学生がアルバイトしていたりする。

 ゴールデン街にいけば様々な職業の人と交流できる。 

 六本木や西麻布では芸能人と当たり前のようにすれ違う。

 毎晩のようにいろいろな勉強会や交流会があちこちで開催されている。


 地元のような心地よさはここにはないが、学びとるべき刺激がたくさんある。

 東京で2〜3年過ごしてから地元に帰って起業すればいい。


 そのほうがいきなり地元で会社を作るよりもずっと上手く行くと思う。


 長岡は人が育つには素晴らしい環境である。けど、それにも限界がある。

 本当に人が成長するには競争の激しい世界に身を置くしかない。


 少なくとも僕はそう思っている。

 

 

2015-02-07

Evernote、そして牡蠣と熟成肉とRuby06:33

 Evernoteの外村会長が帰国するというので「肉会を開け」と指令が下り、急遽肉会を開催することになった。場所はうちの店こと格之進F。


 そしてなんと@matzことRubyの開発者であるまつもとゆきひろさんもお見えになるという。

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 「清水くんのために肉デバイスをお土産に買ってきたよ」


 そうおっしゃる外村さんから頂いたのは、赤外線温度計と高速なキッチンサーモメーター。

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 赤外線温度計は、肉の表面温度を瞬時に測ることができる。

 レーザーを照射するとさらにどこの表面温度なのかわかりやすい。


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 もう一つはキッチンサーモメーター。これは肉の内部の温度を測ることのできる機械。

 しかし通常の温度計は熱を測るのに数十秒の時間がかかってしまい、当然、それだけ時間が経つと火加減なども変わってしまうため温度管理が難しいのが実情だ。


 ところがこいつはわずか4秒で肉内部の温度を測ることができる。


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 いつのまにか焼きあがったLボーンステーキ(1.5kg)の表面温度は70度、内部は37度と典型的なレア状態であることがわかった。こいつは凄いぜ。


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 Lボーンていうのは、まさにこういう塊なので、焼き方としては1.5kgくらいがベスト。

 1.5kgの肉を四人で分けるとまあ絶望的に多いんだけど、そこはそれ、アメリカ帰りの外村さんはもりもりと食べていった。


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 そしてファン垂涎のIngressパワーキューブ。

 なんかすごそうだけどただのバッテリーである。


 無駄に光るのがカッコいい。


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 今回、Lボーン以外の赤身肉をチョイスしたわけだけど、先週、格之進の本店で修行をした際、頭のなかに肉の立体地図みたいなものができているので、メニューを見ただけで部位の三次元的な位置がイメージできた。思わぬことだ。


 そして特に覚えようと思ったわけでもないのに、スッと「ランプはイチボと隣り合う部位」だとかがイメージされてきて、「これ、本店でやったやつだ!」と思いだした。すごいぜ格之進ゼミ


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 千葉社長の言葉を思い出した。


 「そもそも牛とは何かってことなんだよね。牛って何で出来てるかって言うと、牧草なの。牧草は大地のミネラルと太陽の光を浴びて育つの。牛はその牧草だけを食べて大きくなるんだよね。すると、牧草で健康的に育った牛さんというのは、いわば地球と太陽のミネラルを凝縮して大きくなっているわけ。それをね、さらに寝かせて熟成させる。もともと凝縮されたミネラルの塊が、さらに熟成されてタンパク質がアミノ酸に変わるの。それが美味しくないわけないよね」



 また、「森は海の恋人」という牡蠣の物語もある。

 牡蠣は海のミネラルを凝縮して大きくなる。

 いい牡蠣を育てるためには、牡蠣のエサとなるバクテリアがきちんと育たなければならない。そのためにはまず海に流れ込む川の上流に広葉樹の森をつくり、広葉樹の落ち葉がフカフカの断層を作り、そこで良質なバクテリアが繁殖して、それが海に流れ込んで牡蠣を育てるという壮大な旅を行わなければならない。そこで岩手県では今、牡蠣の養殖場の上流にある森に広葉樹を植林しようという運動がある。


 さて、僕はまつもとさんの大ファンである。

 が、僕はRubyが取り立てて得意とかRuby言語の大ファンである、というわけではない。まつもとゆきひろさん個人のファンなのだ。


 なぜなのか、今回、同行する人々に「まつもとさんの何が好きなのか」ということを説明していて気がついた。


 まつもとさんは、プログラミング言語通である。

 もう生半可なプログラマではない。


 世の中にはたくさんのプログラマがおり、アルゴリズムを考えるのが得意な人もいれば、少ない道具を組み合わせて手早く「ハック」するのが得意な人も居る。


 しかしその中で、まつもとさんほどの「言語通」はとても少ない。


 世の中に無数に存在するプログラミング言語に精通し、様々な言語の様々なパラダイムを習得し、それぞの言語が持つ特徴と機能のエッセンスを凝縮して開発したのが、Rubyである。


 それはまつもとさんの2つの本を読むとよくわかる。


まつもとゆきひろ コードの世界

まつもとゆきひろ コードの世界

まつもとゆきひろ コードの未来

まつもとゆきひろ コードの未来


 コードの世界はKindle版も出てるので、僕は紙の本とKindle本と両方持っていて、いつも暇さえあれば読み返している。


 いわばRubyはプログラミング言語界という環境のミネラルを凝縮して育った牡蠣や熟成肉のような存在であるのだ。


 熟成肉とRuby。

 僕の中では勝手に合点がいったのだった。


 まつもとさんは最近streem*1という新しいプログラミング言語も開発している。


 ストリームベースという、Rubyとは異なるパラダイムの言語である。

 ここにはRubyやErlangやその他の関数型言語の影響を受けて、またまつもとさん独自の解釈で魅力的な世界観を実現している。


 たとえばcatを「STDIN|STDOUT」という非常に美しくシンプルに書ける。


 いずれビジュアル言語で表現するには、いっそstreemのようなシンプルだがパワフルなデータフロー言語の方が便利に感じられるかもしれない。MacのAutomatorは近いかな(あれは使いづらいけど)。


 とにかく、まあ、楽しかったな。


 外村さん、いつもありがとうございます!

2015-02-05

隣の席の女の子 11:40

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 中学一年生のとき、隣の席に座っていた女の子と、高校生のとき、隣のクラスにいた女の子と三人で会った。いわゆるひとつの両手に花というやつでした。


 まあ女の子、と呼ぶには三人とももういい歳ではあるが、いつまで経っても女の子は女の子なのだ。


 実は隣の席の子と、高校の隣のクラスの子は、小学校が同じで、二人が会うのは20何年ぶりなのだという。


 数奇な巡り合わせ。

 これもソーシャルネットワークの力か。


 隣の席だった女の子と会うのは一ヶ月ぶりなんだけど、前回は完全に酔っ払った状態で会ったのでほとんど何を話したか覚えてなかった。


 が、久しぶりに会ってみて、この話し方、誰かに似てるなーと思ったら、以前同棲していた元カノだった。その子はもう別の人と結婚しちゃったけど。「もしかして僕が彼女と付き合っていたのは、この人に話し方が似てたからかもしれないなあ」と思ってしまった。そんなに仲良しだったわけじゃないんだけど。三つ子の魂、百まで、というやつだろうか。へんな気分。


 三人で共通の話題っとてあんまりなさそうだな、と思ったんだけど、意外と盛り上がってあっという間に時間が過ぎていった。


 お店の料理も凄く美味しかった。

 

 「築地じゃ絶対、出回ってないワカメですよ」

 

 鳴門海峡でとれたばかりのワカメを塩昆布出汁でシンプルに頂く。

 本当に鮮度が高く、上質なワカメじゃないと出せない上品かつ繊細な滋味。


 「はあ、みんな、おとなになってよかったね。この繊細な味が解るようになったんだもんね」


 確かに子供の頃だったら「味薄いなー」としか思わなかっただろうな。

 みんな齢を重ねたけれども、こうして楽しくお酒を飲めるのは本当に幸せだなあ。

2015-02-01

ジャズは冷えた部屋で聞くのがいい 22:35

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 一関の最後の思い出に、ジャズの聖地と呼ばれ、世界中からジャズ・ミュージシャンが集まる名店、BASIEに行ってきました。


 何を隠そう、この店はヨルタモリのモデルにもなっている店。

 このバーのマスター、菅原さんは、タモリ扮する「吉原さん」のモデルでもある。


 日本最高と言われるPAで再生される名曲の数々。

 アナログ盤特有の音域と空気を震わすスピーカーの音が心地よい。


 とにかくやたらいい音がする。

 こんな音聞いたことないというレベルのPA。



 僕もまわりにかなりのオーディオマニアがいて、さんざん講釈を聞いてるんだけど、店ごと作られた完璧な音響とは比べ物にならない。これを聞きに毎日長野県上田市から日帰りで通うファンが居るのだという。上田がどのくらい遠いかというと、一度東京を経由してからじゃないと来れないからね。それを毎日。3日連続。新幹線使っても片道五時間。尋常じゃない。


 でも確かにまた聞きたくなるすごい音響だ。


 JBLのスピーカーとセッティングに拘り、震災で一度調整が崩れた後、一年半かけてセッティングを出したという。


 その音響への拘りと完成度の高さは遠くアメリカにもとどろき、JBLの経営者がわざわざ音を確認しにやってきたのだという。凄すぎる。

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 こんな店では、昼間からでもシングルモルトを飲むのがいい。


 たまたま居合わせた北海道の食肉ブローカー、本所さんを紹介され、千葉ちゃんと肉話で盛り上がる。


 「マイルスは冷えた部屋で聞くのがいい。音が濁らず、まっすぐ、ビャーッと来る」


 音速は媒質である空気の温度によって変化する。

 331+0.6tであり、温度が高いほうが音速は上がる。


 ただし、暖かい日は地上より上空の方が冷たいため、音波は上方に曲がる。

 夜は放射冷却により、逆に下方に曲がる。


 晴天の日の夜は音が遠くまで届きやすいのはそういうわけだ。

 音速が遅いということは、乱反射しにくいということでもある。

 

 僕はジャズに詳しいわけではないが、車には常にビル・エヴァンスの名盤が入っている。

 西麻布の馴染みのバーの店主からプレゼントされたものだ。


 「清水さん、ジャズを学びなさい。ジャズを楽しめてこそ、本者の男ってものです」


 西田先生も、ジャズ・ミュージシャンだ。

 UEIリサーチを立ちあげなかったら、奥様と二人でジャズミュージシャンとして老後を過ごそうとしていたらしい。


 そういえばアラン・ケイもジャズ・ギタリストだった。

 増井俊之先生も、よくピアノを弾いてるし、奥様もミュージシャンだ。


 コンピュータの世界では、一流のプログラマーは音楽か、絵、どちらかに習熟していることが多い。


 僕は残念ながらどちらも中途半端だ。

 

 僕らの世界とジャズの世界は、遠いようでそれほど遠くない。

 

 冷えた部屋で聞くジャズ。

 要するに、雪国のジャズバーは最高というわけだ。


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 マスターは本も書いてる。

聴く鏡 II 2006-2014 (SS選書)

聴く鏡 II 2006-2014 (SS選書)


 マイルスは冷えた部屋で聴くのがいい、というセリフはこの本に収録されている。

 カッコいいよなあ。

 

 おれもいつかそういう話ができるようになりたい。

本当に美味い和牛の作り方  〜格之進はなぜ和牛一頭買いに拘るのか 09:56

 二日目。

 出社と同時に雪かき。

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 社員総出で雪かきをしているのに混じって、僕も雪かきをさせていただきました。

 僕も雪国生まれ。スノーダンプの使い方はお手のものです。


 しかし普段使わない筋肉を使って「こりゃダイエットにもいいわい。ウッシッシ」と思いながらやりました。長岡にいるあいださして太らなかったのは雪かきのおかげか!そういえば長岡にはすごいデブって居ない気がするぜ。


 今日はいよいよ処理場に入って、肉を部位ごとに捌くという貴重な体験をさせていただきました。

 これで僕も肉職人の仲間入りだ(嘘ですごめんなさい)。


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 朝はまずハンバーグ作り。

 実は格之進のハンバーグは東京の超老舗の某超有名超高級店にOEMされてる。それだけ美味いってことだね。格之進の肉はレベルが違うと感じた僕の舌に狂いはなかった。


 もうひたすら、ハンバーグを作りまくる。

 

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 ポンポンと丸めて、型に入れる。この大きさ、そして程よい形。なにもかも計算されてる。


 「機械ではなく、人間が手で丸めると、体温で表面の脂が溶けていい感じで全体にコーティングされるんですよ」


 格之進のハンバーグはOEM供給を含めると月産1万個。大人気商品だ。


 さあそしていよいよ、肉を捌く!今日はカタ、バラ、モモ、そして豚モツを捌くことに。

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 うおおおっド迫力!!これが肉だ!

 まさしく、肉だ。肉の化身だッ!


 さすがに素人の僕が捌いた肉を格之進のような高級店では使えないので、今回は練習用(というと牛に失礼だが)に用意してくれた安い経産牛でトライッ!


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 こいつがいわゆるひとつのバラ部分。

 骨とくっついていた部分、通称ゲタカルビにまずはトライ!

 上方向に肉を引っ張りながら、水平から一度ほど上に傾けたスジ切り包丁を当てていく。切るというよりは「当てる」というイメージだとズルズル行く。


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 次に、肉についた余分な脂を切り落としていく。

 この作業を「磨く」と呼ぶ。

 「その肉、磨いといて」と言われれば、要するに肉についた白い脂を取ってくれ、という意味になるのだ。ためになるね。


 これがなかなか難しい。

 どこまで磨けばいいのか、その見極めの難しさもさることながら、細かく磨き残しが残ってそこを磨こうとするとすぐ指を切りそうになる。肉きり包丁っていうくらいだから、指なんかスパッと簡単に切れる。


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 磨き上がると「おお、これスーパーマーケットの肉屋で見るやつだ」という肉塊が登場する。

 すげえ!こうなっていたのか!!


 千葉社長はやっぱ当たり前だがスゲー上手い。

 この、肉をどこまで使うか、というのが非常に重要なテクニックで、高級な牛ほど慎重にやらなければならない。

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 さらに「左がイチボ、右がランプ、重なっているからイチボとランプを分けてみて」


 というミッションが。

 これがまた難しい。

 指を突っ込んで、スジをブツブツと切っていくんだけど、どうも思い通りの形にならない。


 切りながら肉の完成形を頭にイメージできるようにならないとなかなか難しい。

 つまり、その部位の肉はどんな形をしているか、ということを三次元的に頭にイメージしながら、彫刻を削りだすが如く適切に刃を入れて行かないと無駄な肉になってしまう。


 今回、思ったのは、同じ脂でも、各部位によってぜんぜん柔らかさや冷たさ、溶け始める温度が違うところ。

 やはり高級な部位になれば脂は溶けやすく、「たべたら美味いだろうな」というイメージを得られるのに対し、ほとんど捨てる部分に関しては「こりゃ胸焼けしそうだ」というのが指から伝わってくる。


 「同じカルビでも店によって味がぜんぜん違うのは、どの部位を"カルビ"として出すか、という店のセンスに掛かってるんだよ」


 という言葉にはなるほど説得力がある。


 何度か指先を切り落としそうになりながらも、懸命に「磨いて」行く。

 

 肉には歩留まりがあり、4.8キロのバラ肉を、食べれないところを捨てたらわずか1.8キロに、9.3キロのブリスケットを磨いたら、4.1キロに。だいたい、半分になってしまう。下手くそがやると、さらに歩留まりが下がる。


 肉の等級として、A4とかA5とかがあるんだけど、実はこの「A」というのは美味しさの基準ではなく歩留まりの基準。だいたい70%が使えるのがAランク牛、60%くらいのがBランク牛、それ未満がCランク牛と分けられる。


 普通の黒毛和牛はすべてAランクになるらしい。


 しかし歩留まりがいいということが、必ずしも美味しさと直結するわけではない。

 さらに、5とか4とかの数字は、これまた味に関係なくBMS(ビーフ・マーベラス・スタンダード)という基準で、これは肉にどのくらいサシ(脂)が入っているか、という基準でしかない。


 つまり、Aにも5にも「その肉が美味しい」という基準は全く入っていないのだ。


 なのに「うちの店の牛はA5ランクですから」と自慢するのはちょっとマヌケに見える。


 あくまで生産者、飲食店側の都合であり、美味しさの基準とは関係ないのだ。


 なぜこうなってしまったかというと、肉屋が商店街の対面販売ではなく、スーパーマーケットで流通するようになってしまったから、というのが千葉さんの説だ。


 本当は美味しい赤身肉よりも、見た目はサシが綺麗に入ってピンク色の霜降り肉のほうが美味しそうに見える。


 実際、霜降り肉って、食べてみると脂っこくて必ずしも美味しいとは言えないと思うし、霜降りステーキが高級なんて、完全に昭和の価値観だと僕は思う。


 けれども確かにスーパーマーケットに並んだ肉を見ると、霜降り肉は高価だし、美味しそうに見えてしまう。


 昔はそれを肉屋が対面であれこれ調理法やお客さんの状況までをも考えながら提案していたのが、スーパーマーケットによってディスコミュニケーションになってしまい、結局「高く売れるのは霜降り肉」ということになってしまった結果、BMSが高いA5牛の値段が上がっていったわけだ。



 となると、肉の生産者としては、できるだけBMSが高く、しかも重い(重いということは値段が高いということになる)、そして早く育つ牛を作るのが一番儲かるということになる。


 もはや「美味い肉を作る」のが目的ではなく、「高く売れる牛を作る」ことが目的になっているのだ。



 ところで格之進はどうかというと、実は全く真逆の考え方を持っている。


 100kgの牛が、例えばダイエットして60kgまで減ったとする。

 そのとき、牛の細胞は40%減ったと言えるだろうか。


 答えはNo。体重は上限しても、細胞そのものは増減しない。

 ということは、100kgの牛と60kgの牛で細胞数がほぼ同じということになる。


 では細胞が多いとなにが嬉しいか、細胞が細かくなるのだ。

 この細胞の細かさが、口当たりの良さや肉の柔らかさにつながる。


 たとえばビーズクッションを思い浮かべて欲しい。


 大きめのビーズが入ったビーズクッションと、小さく細かいビーズが入ったビーズクッションでは、同じ大きさなら細かいビーズクッションの方が柔軟性がある。プログラマー的に言えば、解像度が高くなる。


 肉は一般的に筋繊維が細いほうが美味い。

 だから雄牛や経産牛のように、筋肉を酷使して太くなった肉は筋張って美味しくないのだ。


 和牛は右利きが多く、したがって右半身よりも左半身のほうが若干は味が上になるという話もある。


 そこで格之進は、本当に美味しい肉をサーブするために敢えてBMSを求めず、しかも重量の小さい牛を一頭買いしている。


 格之進の肉はスーパーマーケットで並べて売るのではなく、あくまでも肉を知る人達に格之進流の「美味しい食べ方」を加えて提供するというポリシーだからだ。


 加えて千葉社長は言う。


 「儲かる部位だけを買ってきて、さあ美味しいお肉ですよ、と提供するのは、商売として正しいかもしれない。けれども、それは牛の命をわけて生かされていく我々人間にとって、牛に失礼なのではないかと思う。だから僕は一頭買いに拘りたい。そして一頭の牛の全部。本当に全部の部位をまるごと使って、そのままでは食べづらいところはミンチにして美味しいハンバーグにして、牛のあらゆる部分をまるごと頂いて、それで初めて、牛さん美味しいお肉をありがとうございました、と感謝の意を伝えられるのではないか。それが僕の考える格之進の姿なんだよね」


 確かに、僕らは肉だと思っているけど、実際にはあれは牛の死体である。

 死体を粗末にする動物は人間でなくても軽蔑される。


 ならばせめてもの供養として、牛一頭を余すところなく使おう、敢えて効率の悪いことに挑戦しよう。それが格之進の哲学なのだ。


 焼き肉ひとつ、ハンバーグひとつにこれほどまでに集中し、考え、食べさせてくれる。

 今回の旅で格之進が益々好きになった。


 仕事中、お客さんの一人が「店主と話がしたい」と言ってきて、「面倒なお客さんもいるものだな」と思ったのだが、駐車場を見るとウン千万はする超高級車が止まっていて、「なんだ、なぜこんな岩手の山奥にこんな高級車が???」と思うと、実は県外の超名門鉄板焼き屋さんの社長だという。


 アポもとらずにやってきて、ハンバーグとステーキを注文してからあらためて店主に肉の話が聞きたいと言ってくるあたり、シブい。


 格之進の評判を聞いて、実力を測ってみようと思ってやってきたのかもしれない。

 凄いなー、それ。そういう話は本当にあるんだねえ。


 ニコ生では、格之進の千葉社長が語る肉の成り立ちと、「秘伝!超美味しいハンバーグの焼き方!」も公開したよ。


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ぶらり岩手肉修行 vol.2 美味しいお肉と儲かる肉の作り方の違い - 2015/01/31 16:00開始 - ニコニコ生放送

http://live.nicovideo.jp/gate/lv208647864

 

 「肉は対流を意識して焼け!!」


 千葉社長直伝、必殺、3次元ハンバーグと、塊肉の焼き方は本当に必見。

 ハンバーグ、いつ食ってもうまいわ〜


 そして気づいたけどAmazonでも買える!

 格之進で売ってる肉はすべて45日の熟成肉!

 薄切りの焼肉用セットならご家庭のホットプレートでも美味しくいただけます。

 千葉ちゃんのアツい想いが込められた本当に美味しい熟成肉をぜひ召し上がれ