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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2017-04-12

ジェダイが滅んだのは主にヨーダの責任 04:38

 むかしからの友人である小野和俊が社内に「PMジェダイ評議会」を作ったと言うので、「へー」と思ったのだが、冷静に考えるとジェダイ評議会って、なにもしていないどころか偉そうなことばかり言って結局災いの種(アナキン)を止めることができなかった無能な組織だったので、なぜジェダイ評議会が失敗したのか考えてみた。


 第一の失敗は、アナキンをパダワンにしたことだ。

 まあその下手人はクワイ・ガン・ジンで、この愚かな男が目先の欲に目がくらんでか弱い現地の人間をぺてんに掛け、エンジンとアナキンの両方を手に入れた。


 彼らが執拗に拘ったのは、「ミディ・クロリア値」という、よくわからない指標だ。現代の日本にあてはめれば、これはIQとか親の年収とか、大学の偏差値とかと似たようなものだろう。


 そもそも人間の生まれつきの能力を測る客観的な指標があるという考えかたが傲慢なのである。

 それが傲慢であることを、僕はAIを作る度に思い知ることになる。確かに才能溢れるAIというのは存在する。生まれつき、与えられた問題を解くのが得意なやつだ。


 そして全くダメなヤツというのも存在する。いつまで学習しても収束できないでどっち付かずのところでウロウロし続けるヤツだ。地球の資源と宇宙の時間は有限なので、こんなやつにかまっている暇はない。だからといって、生まれてすぐに問題に対して収束していった天才的AIが、そのままずっと天才で居続けるという保証はない。むしろわずかずつでも確実にloss(誤差)を減らしていくコツコツ型AIが生まれつきの天才AIを追い抜く姿を何度も見てきた。


 ミディ・クロリア値が高いからと言って、銀河の平和を司る重要な職に就く資格があると認める、いわばナチスの優生学的な発想がそもそもジェダイ評議会に存在し、ヨーダが気にしたのはアナキンがその時点で「年を取りすぎてる」ということだけで、生まれた時からきちんとした教育を施せば必ず優秀な銀河の守護者になるのだという傲慢な考えかたを隠そうともしない。


 クワイ・ガン・ジンが血迷ったのは、そもそもジェダイという価値体系が、結局その才能の拠り所をミディ・クロリア値というよくわからない生物学的要因に求められていたからとも言える。


 完璧な蛇の絵に足をつけて台無しにするのを蛇足というが、やはり1-3の三部作は駄作と呼ぶにふさわしい。やはり結末が決まっている物語をうまくまとめるのは難しいのだろう。


 第二のミスはクローン兵である。

 そもそも誰が発注したのか疑わしいクローン兵、しかもその元ネタはかなりのならず者であるジャンゴ・フェット。オビ・ワンはジャンゴに出会い頭に襲われている。にも関わらず、デュークー伯爵の反乱に対してドヤ顔でクローン兵軍団を率いてやってくるヨーダことジェダイ評議会の最高意思決定者。これが終わりの始まりであることにどうして気づかなかったのか。少なくともこの時点ではパルパティーンのほうが遥かに利口である。


 パルパティーンは、美しい女王アミダラに取り入り、まともな思考能力があるのか疑わしいジャージャービンクスを利用する。ジャージャーは一度たりとも知性的な振る舞いをしたことがないのにナブーの代表としてパルパティーンに銀河共和国の全権を委譲するよう提案し可決された。ヒトラーがそうなったのと同じように、極めて合法的な方法でパルパティーンは銀河共和国の全権を握るのである。


 最後のミスはオビ・ワン。あいつがあそこでアナキンにちゃんとトドメを刺しておけば、パルパティーンは相当困ったはずだ。


 そしてアミダラにアナキンの子供がいるとわかったときのヨーダの対応も最悪だ。


 自分のミスの決着を部下(オビ・ワン)に押し付けて自分は秘境惑星ダゴバに一人で逃げるなど、リーダーとして言語道断な行動は責められこそすれ、それでも尊敬心を失わないオビ・ワンも相当頭が悪くてクラクラする。僕がオビ・ワンだったら、はてなダイヤリーに恨みつらみを毎日5000字くらいづつ投稿し、出版し、それなりに金持ちになっているだろう。オビ・ワンの世捨て人のような生活を考えると気の毒になる。頭が悪いって可哀想。


 所詮、ミディ・クロリア値など幻想だったのだ。

 かなりの世捨て人感のあるローグワンのソウ・ゲレラの方がずっとマシな生活をしているように見える。ジェダイ評議会とは、単に自分をエリートと勘違いした愚か者の集まりだったのだということがわかる。なにしろたった一人のシスの暗黒卿(パルパティーン)によって滅亡させられたのだ。しかもパルパティーンが直接手を下したのはメイス・ウィンドウだけで、ヨーダとの一騎打ちは引き分けだが、そもそもヨーダはその後、ひたすら逃げ隠れするだけでパルパティーンをのさばらせている。マジでロクデナシ。


 ローグワンであれほどの犠牲が出たのは、基本的にヨーダの責任であるにも関わらず、なんとかしようと思ってやってきたかつての弟子の息子、ルーク・スカイウォーカーがやってきたときも「こいつはトシをとりすぎてる」とか難癖つけて修行を断ろうとする。あんた、自分の責任をどう思ってるわけ?


 冷静に考えると、ヨーダは一度たりとも反省しない。

 もう最悪だね。


 明らかに自分のミスなのに。


 ヨーダが優れていたのは戦闘能力だけだ。デュークー伯爵との一騎打ちは見事だった。

 けどそれだけだ。



 子供の頃、エドワード・E・スミスの「レンズマン」がスターウォーズの下敷き、つまり元ネタなんだと言われて、スター・ウォーズが死ぬほど好きだった僕は親父が買い漁っていたレンズマンシリーズの小説を全部読んだ。


 レンズマンは素晴らしい。

 なぜ素晴らしいかというと、たしかにレンズマンそのものはエリート中のエリートなのだが、なぜエリートなのかという定義は、「精神力が強い」ということしか評価基準がないからだ。


 レンズマンの根幹を成すのは精神エネルギーであり、正しい精神エネルギーを持っている人間だけがレンズマンになれる。


 これは分かりやすいし、わけのわからん微生物(?)であるミディ・クロリアが寄生しているという設定に比べるとだいぶ良い。


 銀河パトロールは万能ではなく、しかし銀河パトロールの初代銀河評議委員長であり、人類最初のレンズマンであるヴァージル・サムスは自分が完璧ではないことを知っている。


 その生物(人間とは限らない)にレンズマン資格があるかどうかは、高次生命体のアリシア人のメンターが判断する。レンズマンの資格がある生命体には専用のレンズが用意され、本人の精神エネルギーを増幅する。レンズが増幅するのは精神エネルギーだけであり、精神エネルギーのみによってレンズマンはレンズマン足り得る。レンズを外すことはできるが他人が触れると即座に死に至る。


 レンズマンはレンズを通して遠く離れた他のレンズマンとテレパシーで交信することが可能であり、これがレンズマンの重要な要素になっている。


 ニューロマンサーも映像化不能と言われたが、レンズマンのほうが遥かに困難である。戦いの舞台が主に精神エネルギーだからだ。日本ではアニメが制作されたことがあるが、造形はともかく演出はひどいものだった。いつかハリウッド映画にして欲しい。


 そして本当に素晴らしいのは、レンズマンシリーズのラスト、「渦動破壊者(ヴォーテックス・ブラスター)」という作品では、レンズマン試験に落ちた天才数学者、ニール・クラウドが、人類初の第六型思考者として、より高次の知性との交流を実現する点だ。つまりレンズマンシリーズのラストで、レンズマン的価値観を否定して終わるのである。レンズマンを選抜する方法が必ずしも最も優れた人物を選抜する方法ではないことを示して終わるところが素晴らしい。


 レンズマンシリーズは、敗北と復活の歴史で、メインの主人公、キムボール・キニスンはエリート中のエリートとして活躍しつつも、船を喪い、両手両足を喪い、精神を浸食され、幾度も生死の境を彷徨う。しかしキムはかならず立ち直り、強敵に立ち向かい、撃破する。その源泉となるのは純粋な精神エネルギーであり、精神エネルギーを高めるのは反省と前進への意志だけだ。


 ローグワンにしろ、エピソード1にしろ、旧作からのファンがガッカリしたのは、結局のところ今のスターウォーズ"サーガ"の世界では、ミディ・クロリア値という謎の数値が先天的にその人がジェダイ足り得るかどうかを決定してしまうということだ。


 僕はあまり気にならなかったが、年配のスターウォーズ・ファンは、ローグワンに不満があるらしい。

 その不満の主な要因は、ラストのサバイバルゲームのごとき戦闘シーンと、宇宙座頭市こと盲目のジェダイ信者、チアルートが結局ジェダイとして覚醒しなかった点だ。


 エピソード4(つまり最初のスターウォーズ)の面白いところは、ごく普通の少年だったルーク・スカイウォーカーが、精神的な成長と修行によってフォースに目覚め、ジェダイの騎士への道を意識する(あくまでこの時点では理力=フォースに覚醒するだけだった)というところだった。


 この設定がウケてしまったので、回を重ねるごとにルークは成長し、ついにエピソード6ではジェダイの騎士となって強敵に立ち向かう。まあルークもあんまり賢い感じはしないが、精神的な成長はすごく感じる。だから傑作となった。


 旧三部作を繰り返し見た世代としては、新三部作の雑な後付の設定、特にミディ・クロリアにはイライラする。まあ別にいいんだけど。


 おそらく「アナキンの父親」を出したくないから考えられた設定だったんだろう。

 でもこの設定が全ての世界をブチ壊しにしてる感じは否めない。


 「ハリー・ポッターとか、ヒカルの碁とかを読んでワクワクするのは、"もしかしたら自分にもそういう隠れた能力があるんじゃないか"っていう気持ちにさせてくれるからだよね」


 むかし、僕が好きな女性から聞いた話で今でも印象に残っている台詞だ。

 ハリーは優秀な魔法使いの息子として生まれた超エリートだ。白人至上主義の世界ではウケるだろうが、そこに愛らしい人間(マグル)の魔法使い、ハーマイオニーが登場する。


 観客は血統的エリート(だが現世ではいじめられっ子)のハリーと、努力のみによって魔女になったハーマイオニーの両方に感情移入できる。


 スターウォーズの新三部作の場合、天才(この場合、ミディ・クロリア値が高い人)以外は感情移入しづらい。

 バットマンに感情移入しづらいのと似ている。あんなレベルの金持ちの子供に、今から生まれ変わるのはほとんど不可能に思えるからだ。


 アメリカで不動の人気があるのはスパイダーマンだという。

 なぜなら、生まれながらの金持ち(バットマン、アイアンマン)や宇宙人(スーパーマン、ソー)にはなれなかったとしても、よくわからん蜘蛛に遺伝子を改造されるのは誰にでも起きうるからだ。


 同じ意味でキャプテン・アメリカもやる気だけはある虚弱体質(つまり兵隊としての素質はない)の男が、なんだかよくわからないが改造されて強くなるという話も受け入れられるんだろう。


 僕は幸運が天から降ってくるという発想は嫌いだ。勝利は自ら掴み取るものだ。幸運すらも自分で引き寄せるものだと思っている。だから好きな物語は、人間が努力によって成功を掴み取る物語で、たとえばアポロ13とか、ある意味でアイアンマンとか(彼は生まれながらの金持ちではあるが努力の天才でもある)、スターウォーズの旧三部作(ルークは血縁的に才能はあったかもしれないが、たゆまぬ努力によって父を救い、皇帝を倒す)とか、24のジャック・バウアー(彼は大金持ちの家に生まれながらも、公務員として命がけの任務で国家国民を守ることを優先する)であって、スパイダーマンとかキャプテン・アメリカとかではない。


 ひょんなことから、六本木ヒルズのマーベル展に行った帰りに小野和俊が「ジェダイ評議会」とか言い出したのでなんかそんなことを思った。


 ちなみに小野和俊は、自分がエリートだと心から信じている愛すべき生命体で、僕はわりと好きだが、ふつうは同性から嫌われるタイプだ。


 同性から嫌われるというのは一つの才能で、異性から嫌われる場合、単なるモテない男だが、同性から嫌われる場合、服従する人間しか近寄ってこなくなる。


 それはそれで、組織をまとめるには好都合なので、「おれを嫌いたくば嫌えばいい」という感じなのは好感が持てる。


 異性、特に女性は、「根拠のない自信を持つ男」に惹かれる性質がある。従って小野和俊はモテる。まあ本人に言うと、「根拠はある。○○とか○○とか」と言うだろうが、そんなこたどうでもいい。そこじゃねえんだよ。おれは小野和俊の自信は本当は根拠がないと思ってる。ただ、客観的な事実があるだけだ。そこが根本的に違う。


 たとえば、小野と同じ慶應SFCに行った人間がみんな小野と同じように根拠のない自信を持っているかというとそうではない。むしろ彼らの自尊心を支えているのは、「(あの)慶應に合格した」という喜びだけであり、それは「慶應がおれを認めたから、おれは素晴らしい」という程度の認識に過ぎない。この根拠は、慶應SFCのOB、OGもしくは現役の誰かが問題を起こせば脆くも崩れ去る。スーパーフリーの和田さんと小保方さんによって早稲田の権威が失墜したように。


 けど仮に、今後慶應SFCから犯罪者が続々と出現したとしても、小野はめげることなく、むしろ本心から母校の荒廃を憐れむだろう。そしてたとえ慶應SFCの権威が地に落ちたとしても、小野は平気だと思う。そこが彼の強さであり、最高の魅力だと思う。


 故に敢えて言えば、自ら「ジェダイ評議会」を名乗る愚は、ある意味で小野の面白さであり同時に弱さにも成りうると思う。


 小野はかつて「ララア」というハンドルを名乗っていた。要はシャアの愛人である。シャアことキャスバル・レム・ダイクンは、ジオン・ズム・ダイクンの嫡子であるが、ララアはシャアの命令によって造られたフラナガン機関で育成されたエリートである。たぶん彼の意識の根底に、どこかそういうものがあるのかもしれない。僕はそういう物語の登場人物と自分を重ね合わせたことはないから、真相は想像できないが。


 彼は素晴らしい人間なので、まあ無邪気にジェダイ評議会を作ったんだと思うけど、そこから想起される事柄は、そんなにポジティブじゃなかった。僕にとっては。まあ、深夜だし