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周志の読み跡・視聴跡 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017年01月24日

3年の思いを込め原点を演ずる7人 − 舞台「Wake Up, Girls! 青葉の記録」を観劇して

 1月19日〜22日、舞台「Wake Up, Girls! 青葉の記録」がAiiA 2.5Theater Tokyoにて公演された。私は21日(土)昼公演を一般席(15列目)、及び夜公演をプレミアム席(6列目)にて2回観劇してきた。

 ストーリーは最初の劇場映画『Wake Up, Girls! 七人のアイドル』を再現したものだが、オーディション風景だけを描いた特典映像の『Wake Up, Girls! - 出逢いの記録』や、TVシリーズを見てから知るような場面も組み込まれている。特に後者については、ライバルアイドルチーム「I-1 Club」をWUGのストーリーと並行して描くことで、本編の主人公である「島田真夢」が抱える過去が、『七人のアイドル』の時点でも見えてくる形になっている。基本的にはWUGのストーリーを全て把握しているワグナーたち向けの脚本だが、初見の人にとっても「一つの物語の始まりとして、少女たちが立ち上がる姿を描いたもの」として楽しめるものだったのではないだろうか。

 WUG7人の配役は、この作品から声優としてデビューしたリアルWUGの7人。もともと「ハイパーリンク」というキャッチフレーズの下、アニメの作品内同様に、ド新人が集まったユニットとしてリアル声優7人がアイドル活動していることにWUGの特性があったが、この舞台は彼女たち自身が声だけでなくリアルな役者として、所謂「2.5次元」の世界を演じる特別なものとなっていた。

 大抵二次元作品の三次元化はアニヲタたちから嫌われる傾向にあるものだが、WUGに限っては二次元と三次元が最初からリンクしているため、ファンであるワグナーたちには告知当初から歓迎されていた。それだけに演じるリアルWUG7人は、大きなプレッシャーを感じていたことだろう。殆どのメンバーは、舞台経験すらなかったのだ。

 しかし彼女たちの演技は素晴らしかった。それはきっと、3年間自分とともにいたキャラクターへの積み重ねた思いが、このステージ上の演技に注ぎ込まれていたからだろう。そして私だけでなく、きっと多くのワグナーたちも、その彼女たちの思いを見つめ続けてきたからこそ、恐らく他の舞台では味わえない感動で胸が一杯になったことだと思う。

 島田真夢が自ら閉ざしていた扉を開いてWUGの中へ飛び込んだシーンの後、この舞台ではアニメの中にはなかった場面が挿入される。社長が失踪し活動継続の是非が問われている中、島田真夢の加入によって一度はやる気を取り戻したものの、1ヶ月経ってもやはりライブの予定が立たず、七瀬佳乃、久海菜々美は具体的な目標がない現状に苛立ちを募らせる。そして佳乃はつぶやく。

 「あのときスッパリやめておけばよかった。……結局自分は何をやっても上手くいかない。もう夢なんて見れない……。」

 2015年暮れ、続劇場版後篇が公開され、アニメ作品としての一区切りがついてしまった時に開催された幕張のWUGフェスで、吉岡茉祐は「まだWUGを終わらせたくない!」と泣きながら叫んだ。リアルWUGの7人も具体的な目標をこの時失っていたのだ。それでも翌2016年、「今度は私たちが作品を引っ張っていく番だ。」とメンバーたちは口々に語り、作品への誇りとキャラクターへの愛情を持ってそれぞれの活動に臨み、7人揃ったときには「WUGここにあり」とばかりに、初見の観衆をも惹きつけるパフォーマンスを演じた。3rdツアー初日に「私の役目は他からファンを連れてきて、WUGを大きくしていくことです!」と宣言した山下七海の凄みは今でも忘れられない。それでも16年暮れの幕張では、みなが「今年は不安で一杯だった。」と本音を漏らしていた。去年は本当に苦しみの中、頑張った1年だったのだと思う。

 脚本の待田堂子は、デビュー当時からの彼女たちをずっと見ていたからこそ、この新たなシーンを挿入したのかもしれない。挫けそうになる佳乃に真夢は、今まで逃げてきた自分だからこそ「もう諦めたくない」という思いを伝える。そして「行き詰まった時に歌う歌」としてTwinkleから教えてもらったという『ゆき模様 恋のもよう』を、7人がアカペラで歌うのだ。普段こういった作品を見ても涙を流すことがない私でさえ、このときばかりは目頭が熱くなるのを抑えられなかった。

 そう、この舞台の上にいたのは、島田真夢を演じる吉岡茉祐ではなく、島田真夢であると同時に吉岡茉祐であり、林田藍里であると同時に永野愛理、片山実波であると同時に田中美海、七瀬佳乃であると同時に青山吉能、久海菜々美であると同時に山下七海、菊間夏夜であると同時に奥野香耶、そして岡本未夕であると同時に高木美佑だったのである。これほどの「ハイパーリンク」があるものだろうか……。

 雪降る演出の中で、バラバラの制服を着て『タチアガレ!』を歌い踊るラストシーン。劇中のライブシーンではコールと手拍子はOKということになっていたが、それをする観客は僅かであった。今、道なき道へと向かいタチアガッた7人。そして3年の思いを込めて新たな道へと踏み出そうとする7人。私たちはきっと、そんな彼女たちを胸に刻みこむように、じっと見つめることしか出来なかったのだ。

 さてこの舞台では、WUG7人以外のキャラクターも、三次元の姿で登場する。しかし岩崎志保役の大坪由佳を除き、全員アニメ声優とは別のキャスティングだ。だがなんということか、全く違和感を覚えないのだ。特に松田耕平役の一内侑の演技は、アニメの松田以上にWUG7人とともにいると感じさせる松田だった。社長も『七人のアイドル』の作中としてはアニメ以上に愛すべきキャラで、演じた田中良子はシリーズを通した丹下社長をしっかり汲み取ってくれていたのだろう。

 狂言回しを演じた大田組の3人も、ワグナー側に立ってとても楽しませてくれた。大田がアニメキャラそのままで、見ていたワグナーみんな納得だろう。

 そしてI-1Clubのメンバーである。実はアニメでは、メイン7人揃ったI-1Clubとしての印象に欠けるところがあった。しかし舞台では7人がみなトップアイドルとして輝き、レッスン風景での掛け合いで各々の個性が感じられ、アニメ以上にキャラクターとしての存在感が溢れていた。素直に「この7人も応援したい」と思わせてくれたのである。加えてキャスト陣がみなツイッターアカウントを持っていて、レッスン中や本番舞台裏の様子をツイートしてくれていたので、彼女たちもまたWUGという作品を愛し、舞台で演じることを心から楽しんでいることを感じられたのが嬉しかった。是非またこの7人が歌い踊る『Knock out』を見てみたい。

 文中は敬称略してしまったが、舞台を支えてくれた裏方の皆さん含め、心から敬意をもって感謝したい。

 心の奥深くまで沁み入る素敵な舞台をありがとう。本当にありがとう。

<追記>

 終演後に書かれたI-1Clubを演じた方々の言葉が嬉しい。舞台はWUGの物語だけど、同時にリアルなI-1の物語もここにはあったんだなと。ブログ記事にはそのリンクを、ツイッターでつぶやいてくれた方には終演後ツイートのリンクを以下に紹介します。心より感謝。

 ◆吉川愛役 岩田華怜さん

  タチアガレ

 ◆近藤麻衣役 小山梨奈さん

  Wake Up, Girls! 青葉の記録 ありがとうございました!

 ◆相沢菜野花役 水原ゆきさん

  『Wake Up, Girls!〜青葉の記録〜』終演

  『Wake Up, Girls!青葉の記録  終演◆

  『Wake Up, Girls!青葉の記録  終演 ラスト』

 ◆鈴木萌歌役 山下夏生さん

  ※このリンク先ツイートに画像での長文記事あり

 以下お二人はまとまった記事を書かれてないが、ツイートでいろいろつぶやいてくれてました。

 ◆鈴木玲奈役 立花玲奈さん →終演後ツイート

 ◆小早川ティナ役 日下部美愛さん →終演後ツイート

2016年07月19日

3年目の正念場 − Wake Up, Girls! 3rdライブツアー開幕&舞台化発表

 2ndライブツアー以来のご無沙汰です。今でもしっかりワグナーやってますよ。

 さて、一昨日7月17日よりWake Up, Girls! 3rdライブツアーが、千葉・舞浜アンフィシアターを皮切りにスタートした。今年は千葉から大阪、新潟、仙台、沖縄、福岡、最後に東京・Zepp DiverCityと、全7ヶ所昼夜合計14公演という、なかなか野心的でハードなスケジュールとなっている。自分は諸々の事情で、今年は最初の舞浜と最後のZeppしか行けないのだけど、とにかく彼女たちを応援する気持ちは変わらない。

 ライブの感想を書く前に、少しこの1年のWUGを振り返ってみたい。

 チャレンジングで熱い2ndライブツアーは、劇場版アニメへと繋がる布石でもあった。9月と12月に前後編として公開された劇場版は、奇をてらったものではなく、プロットとしては王道で、それ自体は悪くないものだった。しかし約50分を2本、テレビ放映の4話分に収めるには詰め込み過ぎで、いきなりダイジェスト版を見せられた気分であり(特に後篇)、相変わらずもったいない出来の作品になってしまった。

 それでも一つの区切りを迎えたアニメ作品を締める形で開催された12月の幕張イベント。これにも参加してきたが、ライブは素晴らしかったものの、中盤の野球コーナーでダラダラと1時間も費やしてしまい、非常に間延びしてしまったのが残念すぎた。一昨年の幕張イベントは評判がよく、ブルーレイにもなったが、昨年のはどうやらお蔵入りしそうである。

 という感じで、作品絡みのキャンペーンは今一つの効果で終わってしまったのではないかと思う。もちろん実態は分からないが。

 しかしそんな中、「今度は自分たちが作品を引っ張っていく番だ」と、三次元のWUGメンバーたちが意気込みを新たにしている。それは単にあちこちで作品の宣伝をするということではなく、各自が新たな作品やイベントに関わっていく中で、しっかり自分たちの存在をアピールし、多くの人たちに知ってもらうことで、結果としてWUGにも興味を持ってもらおうと頑張っているのだ。

 3月のソロイベも、ななみん、よっぴー、あいちゃん、かやたん、まゆしぃの回に参加。昨年のソロイベのときよりも自信を持って自己アピール出来ており、みんな本当に頼もしくなってきている。

 そうして迎えた3rdライブツアーである。今回はホムラジであいちゃんを知ったというアイマスPを一人連れていくことが出来た。これもあいちゃんをはじめ、メンバー一人ひとりが自分の個性を活かし活躍しているからこそだ。

 オープニングはまさかの「Beyond the Bottom」から。最初からクライマックス感で、会場はみんな緑を主に、色付きライトを用意してたので、慌てて白に変更。そこから「少女交響曲」「素顔でKISS ME」と、昨年の劇場版の曲を連続で披露。もったいつけてない感じで、ぐいぐい攻めてきた。

 そして挨拶MCを挟んでの新曲。一発目は7人全員で歌う「HIGAWARI PRINCESS」。今回7ヶ所を巡るツアーでは「プリンセスシステム」という会場毎の当番制を採っており、この曲のセンターも会場毎に替わるということで、この舞浜ではみゅーちゃんが担当した。可愛らしい曲で、去年の「地下鉄ラビリンス」みたいにライブで見て楽しいタイプだ。

 続いてあいちゃん、みゅーちゃん、みにゃみの三人ユニットによる「タイトロープ ラナウェイ」。当人たちも言っていたとおり、おふざけ衆にもかかわらず聴かせるタイプの曲。そしてまゆしぃ、よっぴー、ななみん、かやたん四人による「outlander rhapsody」。こちらも少年たちの冒険を表した感じの、WUGとしては新しいタイプの曲として聴かせてきた。初回でワグナーの反応も決まっていないが、「プラチナ・サンライズ」のように間奏以外はコールなしがいいなと感じさせる2曲だ。

 そこからこの舞浜公演のプリンセス、みゅーちゃんの出番である。お馴染みのキャラソン「WOO YEAH!」で盛り上げた後、新曲の「It’s amazing show time」は、これまでライブで積み重ねてきた思いを振り返りながら語りかけるように優しく歌い上げる。そこにはアニメの岡本未夕もリアルの高木美佑も同時にいて、この天真爛漫の笑顔にも成長の跡がしっかり見えて、とてもしみじみとした気持ちに満たされた。本当にどんどん素敵になってるんだよね、みゅーちゃんは。

 ここで意外に早めの物販映像が流れた後、衣装替えしてI-1 Clubの「止まらない未来」と「運命の女神」。更に昼はまゆしぃ、みにゃみ、ななみん、みゅーちゃんによる「リトル・チャレンジャー」、夜はよっぴー、あいちゃん、ななみん、みゅーちゃんによる「レザレクション」と続いた。WUGをユニットとして見た場合、持ち歌が増えてきた今、I-1の曲を歌うことには微妙に感じるところはある。しかし後で触れるが、このライブはやはり作品としてのWUGが前提としてあり、外すことは出来なかったのだろう。曲はよいので、ライブとして盛り上がる分には異存なく、「レザレクション」など本来は1+3構成のところを、4人構成に組み直して、ちゃんと全員に見せ場のあるパフォーマンスに仕上げてきていた。

 さて、ここで再び衣装替えのために、スクリーンにはアニメの映像が流れる。アニメ全編をダイジェストとして構成された映像は、過去へと遡る形で観衆を思い出へと誘い、まだユニットが生まれる前のオーディションの場面まで導いていく。後から気づいたことだが、実はこれがこのライブの無言の設定になっているのだ。

 映像が消えて暗転し、衣装替えしてステージに現れたWUGちゃんたちは、「Beyond the Bottom」の衣装を身に纏っていた。冒頭に歌った曲をまた歌うのかと一瞬戸惑ったところで流れてきたのは、「言の葉 青葉」のイントロだ。初期の思い出を噛みしめるように歌う彼女たちと、それを聞き入るワグナーたち。続いて同じく初期の拙さと初々しさが染みこんだ「16歳のアガペー」。今これを歌うWUGちゃんたちには、もちろんもうあの頃のような拙さはなく、この曲の初々しさも含めて、しっかり自分たちのものにしている。そして本編最後のMCの後、「私たちの始まりの曲」、夜公演では「初心を忘れずに」といったまゆしぃの言葉とともに「タチアガレ!」。もはやワグナーにとっても体に染みこんでいるこの曲で会場は一体となり、公演本編を締める。

 ここで改めて最後の衣装について触れたい。何故「Beyond the Bottom」の衣装だったのか。夜公演が終わった後も、自分の中ではこれが違和感となって引っ掛かってたのだが、他のワグナーたちの感想ツイートを眺めていたら、なるほどと納得する言及があった。このライブの影のコンセプトは、3年目のWUGちゃんたちによる、これまでの歩みの振り返りなのである。アニメ作品としては最後の衣装であるBtBの白い衣装で、今ここまで歩んできた思いを込めて、初期の3曲を歌っていたのだ。過去へと遡るアニメ映像はその流れを演出しており、冒頭が「Beyond the Bottom」だったことにも、その意図があった。ライブを作品全体の中で構成しているから、当然I-1の曲も外せない。みゅーちゃんの新曲も、3年目の岡本未夕が歌っている。多分この後の公演で披露される各メンバーの新曲も、そのコンセプトに基づいているのだろう。

 お約束の「Wake Up, Girls!」コールで再びステージに現れたWUGちゃんたちは、ラフなライブTシャツに着替えて、最後はお馴染みの「7 Girls War」と「極上スマイル」で、みんな楽しく笑顔でライブを締めた。

 そのアンコール曲の間で昼に発表されたのがWUGの舞台化だ。原案・監督のヤマカン氏が無期限休業と宣言してるせいで、アニメ作品の今後は今のところ完全に白紙状態なのだけど、コンテンツとしてのWUGを終わらせるわけにはいかないという、メンバーとスタッフたちの思いが、舞台という形を導き出したのだろう。キャストは当然メンバー当人たちである。まさに体を張って三次元のWUGちゃんたちが、作品を引っ張っていこうというのだ。大抵アニメの実写化とか舞台化というのは叩かれるものだけど、これについては両手を上げて応援したい。公演は1月でまだ先だけど、絶対に見に行く。

 そしてもう一つこの舞浜公演で強く印象に残ったこと。夜公演のアンコールの合間にななみんのバースデー祝いをしたのだが、そこで語った彼女の今後へ向けた抱負の言葉が強烈だった。

 「私の役目は他からファンを連れてきて、WUGを大きくしていくことです!」

 実際に言った言葉は多少違うかもしれないが、他からファンを連れてきてWUGを大きくすること、それが自分の役目であること、そう明言したのである。ななみんはみにゃみと並んでWUG以外の仕事量も多く、売れっ子若手声優の仲間入りをしてきている。まだ目立った仕事の少ないメンバーやその子らの推しファンからすれば、嫌味にも聞こえかねない際どい言葉だ。しかし自分のホームがWUGであることを自覚し、仲間を信頼しているからこそ、こういう言葉を言えるのだろう。普段はほわほわしたタイプなのに、この時のななみんには凄みすら感じられた。

 全体を振り返って、今回のライブには新鮮さや驚くような挑戦はなかった。新曲も新たな代表曲となるようなインパクトには乏しく、保守的な印象は否めない。影のコンセプトが3年間の振り返りであったのだから、それは仕方ないのだろう。しかしだからと言って、つまらなかったわけではない。コンテンツ的に新しいものがない中で、一旦後ろを振り返られるだけの成長がはっきり見え、今出せる最大限のパフォーマンスで会場を盛り上げてくれた。もちろん舞浜はツアー初日で、去年同様ステージを重ねる毎にブラッシュアップしてくることだろう。ただ2nd初日ほどの不安定感はなく、彼女たちの自信の度合いが今年は違う。

 3年目のWUGは、明らかに正念場に立っている。だからこの3rdライブツアーは、一見保守的であっても、それは守りに入っているためではなく、道なき道へ踏み出すための決意表明のステージなんだと捉えたい。

 ツアーの途中を追えないのは残念だが、最終のZepp DiverCityでグッと踏み出す彼女たちの姿を、もう一度確認したいと思う。

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2015年08月16日

Wake Up, Girls! 2nd Live Tour 千秋楽、仙台公演(東京エレクトロンホール宮城)を終えて

 7月20日に始まったツアーも、あっという間に千秋楽を迎えてしまった。大阪、福岡、舞浜、仙台の昼夜全8公演のうち、自分は大阪昼、舞浜昼夜、仙台昼夜の5公演参加。

 実は仙台前日朝、東京の自宅を出発した直後、チケットが入ったチケットケースを落としてしまっていた。家を出る直前に確認し、カメラバッグのサイドポケットと間違えてキャリーバッグの取っ手差しの間に差し込んでしまったらしく、歩いているうちにするりと落ちてしまったようなのだ。だが幸いにも親切な方が拾って下さり、チケットと同封してあった受取書に名前も電話番号も思いっ切り記載されていたため、ご連絡くれた上に、仙台のホテルまで着払いで送ってくれたのだ。チケットを買った時は個人情報モロ書きで、本人確認用とはいえこれっとどうよとか思ってたのだけど、ファンクラブ会員個人情報明記さまさまであった。本当に心より感謝。人の善意とはなんとありがたいものだろう。自らも斯くあらねばと、改めて心に誓うところであるよ。もっともライヴ当日午前中到着便で送ってもらったとはいえ、着くまでは生きた心地がしなかったが……(汗)

 そんなトラブルがあったお陰で、ライヴの方は本当に心の底から堪能することが出来た。WUGちゃんたち、ホントステキだったよ……。

 セットリストに沿った細かい話は舞浜公演の記事で書いたから割愛。今日は気持ちのままに。

 千秋楽ということもあり、とにかく全部出し切るという気持ちが伝わった熱い熱いライヴだった。一番心に響いたのは夜公演のみゅーちゃんがソロでキャラソンを歌った時。キャラソン「WOO YEAH!」に「アリーナも二階席も三階席も 今はまだエアだけど」という歌詞があり、昼公演の挨拶でも言ってたけど、夜公演で「アリーナも二階席も三階席も 今はもうエアじゃない!」って会場見上げながら歌った時は、そうだよ〜って感じで会場みんなが「ウォー!」っと声を上げて、WUGちゃんもワグナーもここまで来たんだという一体感が半端じゃなかった。規模だけなら舞浜アンフィシアターのほうがデカイのだけど、やはり仙台でこの規模のホールを埋められたというのは一つの感動だ。

 ライヴ用新曲3曲はネットに試聴用の音源がなく、毎度ライヴの記憶だけが頼りだったのだけど、さすが最後はワグナーのコールもある程度揃い、WUGの持ち歌になってきたという実感をメンバーもファンも共有出来ていたんじゃないかなと感じた。大阪で初披露された時はWUGちゃんたちも緊張気味だったし、ワグナーも当然反応のポイントが分からず、間奏で「ハイ!ハイ!」ってやるのが精一杯だったが、やはりツアーというのはそれをやりながら完成していくものなんだな。

 もちろんここはこうしたほうがいいんじゃないかな、というものもある。例えば「地下鉄ラビリンス」で「ランラランラランラランラ……Go ahead!」ってとこは一緒に歌った方が盛り上がりそうだし、そういうの覚える意味でもCD音源がほしい。

 一方みにゃみとよっぴーの「プラチナサンライズ」は、さすが聞かせる曲であり、間奏以外誰もコールしないのはいいね。二人がハモりながら情熱的に歌うのは、黄色と水色に変えたブレードを握りしめてじっと聞くのがいい。この曲もCD化してもらいたのは当然のこと、どんどん歌唱レベルを上げていく二人を見たいので、今後もライヴでガンガン歌ってもらいたい。

 今回夜公演は1階後ろの方の席だったのだけど、「言の葉 青葉」については後ろでよかった。舞浜ではプロジェクションマッピングの演出で幻想的な空気を味わったのだけど、前の方の席では広がりとしてそれが分からず、贅沢な悩みを感じていた。しかしそういう演出のない仙台でも、ワグナーがブレードで緑一色にした空間は優しく切ないバラードに相応しく、おっさんの涙腺も危うく決壊しかける。この曲は「タチアガレ!」とは別の意味でWUGの原点。この歌に込められた気持ちというのは、WUGもワグナーも忘れちゃいけないものなんだとつくづく感じている。

 そしてやはりオーラスの「タチアガレ!」。何度も歌われ、何度も聞いて、何度もコールしてきたのに、なんでこの歌はこんなにも突き刺さるような感動を覚えさせるのだろう。ツアー最後の曲とあって、メンバーもファンも全力。全員燃え尽きると同時に、今また走り始めるんだと心を新たにする感覚がこの曲の、そしてWUGの醍醐味なんだろう。やめられないよねw

 挨拶の時まゆしぃが語っていたWUGの目標、いつか武道館。夢はまだまだ遠いかもしれないけど、うん、行きたいね。行かせてあげたい。試されてるのはファンの方でもあるのだよ。

 昼に情報解禁されたバスツアーは、ちょっとアレ?って感じはあるけど、夜に発表された12月12日(土)幕張での単独イベント開催は朗報。昨年は香港競馬遠征で泣く泣く諦めたが、今年はヨーロッパ遠征に金を使うため香港はなし。安心してチケット申し込める。(もっともそのヨーロッパ遠征が続・劇場版前編公開日の9月25日から10月7日なので、最終日にしか見に行かれん。舞台挨拶とかシアター限定版BDとか諦め……)

 うん、WUGちゃんマジ止まらない。ツアーが終わった喪失感もない。もう幕張に向けてテンション高まってるよ!

 でもその前に、明日は仙台から気仙沼へ移動。天気は生憎の雨になりそうだが、WUGをきっかけに震災の痕もきちんと目に焼き付けてきたい。これも後日報告できればと思う。

2015年08月10日

新たな一歩を踏み出した7人 − Wake Up, Girls! 2nd Live Tour 舞浜アンフィシアター公演

 7月20日大阪公演より始まったWake Up, Girls! 2nd Live Tour。8月1日に福岡公演を挟み、8月8日、最大キャパの舞浜アンフィシアター公演が開催された。私は昼夜公演共に参加し、昼はCブロック後方中央、夜はAブロック前方という良席で見ることが出来た。昼の席はステージほぼ真正面で、比較的距離が近かっただけでなく、全体の動きもきちんと見え、演出意図をそのまま受け取ることが出来るポジション。夜はステージ側面からになるが、とにかくメンバーの表情を目の前に見ることが出来て、実にテンションが上がった。側面だからこそ見えてくるダンスフォーメーションの妙味もあり、昼夜共にWUGライブの魅力を心から堪能させてもらった。また、前回大阪公演のブログ記事では問題点も指摘し、彼女たちは舞浜までにブラッシュアップしてくると書いたが、その期待にも見事応えてくれた舞浜公演だった。

 正直に書いてしまおう。大阪公演で喉の調子が今一つに思えたメンバーというのはよっぴー(青山吉能)だ。実は大阪と福岡との間に行われたワンホビでのミニライヴでも、よっぴーは声の伸びを欠いている。

 ワンホビの声を聞いてみると、喉の調子が悪いというより、歌い方、声の出し方が上手くいっていない印象だ。よっぴーは高校時代合唱部にいて、コーラスでの歌い方を意識している気配がする。WUGに入ってからは、もちろんポップスのボイストレーニングを徹底的に受けているはずで、これまではそれで声は出ていたのだけど、彼女なりのこだわりで模索し始めたのだろう。しかしその答えを出せぬままに本番がスタートしてしまったようだ。

 だが、歌にこだわりのあるよっぴーはそのままでは終わらなかった。舞浜で見事に乗り越えてきたのである。今までは声が出ていたとはいっても、どこか壁があって、声の伸び幅に限界があり、大阪、ワンホビでは合唱の声楽を意識してその壁を突破しようとしたが、逆にエンストを起こしてしまった感じだった。しかし舞浜ではきちんと喉が開いた声が出ており、きれいで且つ力強く壁を突き抜け伸びてきたのだ。素晴らしかった。と同時に「よし!よっぴーの歌唱力はまだまだ伸びるぞ!」と確信したのである。なんか偉そうに書いてるけど、一応私も若いころ市民コーラスで歌っており、ポップス系のボイストレーニングも受けたことがあるので、地区大会レベルの高校球児がプロの若手選手を評するくらいには間違いないw

 さて、前回はネタバレを避けてセットリストには触れなかったが、中里キリ氏の大阪公演レポートわぐそくで公表されたため、今回は遠慮なくライブ全体の感想を書いていく。

 前回の記事では、今回のセトリは「チャレンジングな内容」だと書いたが、それはまず冒頭から、ファンにとっては分かりやすい形で登場する。1曲目「7 Girls War」、そして間髪入れずに2曲目「極上スマイル」でステージをスタートするのである。この2曲、数少ないWUGの持ち歌の中で、最もアップテンポでダンスの動きも激しく、とにかく体力を消耗するのだ。もちろん冒頭から盛り上げるには打ってつけの選曲である。しかしこれを冒頭から連続で持ってこられたことが、何より彼女たちの体力的成長なのだ。あと、せり上がりで7人並んでの登場というのは、舞浜アンフィシアターならではの演出でとても盛り上がった。個人的には特に夜公演で一番端のみゅーちゃん(高木美佑)と目が合うんじゃないかという席だったから、めちゃ高まったw

 そして一旦TVアニメ最終話の映像を流し、新たな物語のスタートして新曲「素顔でKISS ME」を披露。

 前回も書いたとおり、これはこれまでのWUGにはないクールな曲で、大人の雰囲気もレパートリーに入れてきた。9月に公開される続・劇場版の劇中歌としても使われるようだが、作中でどんな位置づけになるのかも楽しみだ。

 続いて今回最も「チャレンジングな内容」といえるのが、更なる新曲3曲の発表。続・劇場版で使われる2曲の披露はツアーが始まる段階で予想の範囲内だったが、まさかアニメ作品とは全く関係のない、ライブ用の新曲を3曲も引っさげてくるとは本当に驚きだった。しかもそのうち2曲はユニットを分けたのだ。これまで7人全員か個人のキャラソンしかなかったのを、5人と2人に分けたのである。今まではどうしてもアニメとのリンクが良くも悪くも枷となり、スピンオフの「うぇいくあっぷZOO!」主題歌「ワグ・ズーズー」を除き、結局約1年半新曲を出せない原因ともなっていた。しかしこれで三次元WUGは二次元作品とはパラレルに、自由にユニットの組み合わせも替えながら、新たな展開をしていくことが可能になったのだ。

 その新曲1曲目は7人全員で歌う「地下鉄ラビリンス」。キュートでコミカルさもある、今どきアイドルっぽい曲で、注目すべきはあいちゃん(永野愛理)が振り付けを考案したということである。アニメでは最もダンスが出来ない林田あいちゃんだが、リアルでは永野あいちゃんがメンバー中最もダンス経験が長くて、メンバー一人一人の個性と可愛らしさを存分にアピールしたダンスパフォーマンスに仕上げている。リーダー、センター役は他のメンバーではあるが、実はWUGの精神的要は、みんなのおねえさん的存在であるあいちゃん。この曲のパフォーマンスはそんな彼女だからこそ出来た作品であり、見えている以上にあいちゃんのパーソナリティに裏付けされた楽曲といえるだろう。

 2曲目の「セブンティーン・クライシス」は、みゅー、あいちゃん、まゆしぃ(吉岡茉祐)、ななみん(山下七海)、かやたん(奥野香耶)の5人ユニット。明るくテンポの良いダンサブルなナンバーで、この曲のセンターはみゅー。みゅーはアニメ作中ではメンバーの中でもやや脇役ポジションで、リアルでは最年少であり、あまり自分からグイグイ前に出ていくタイプでもないから、どうしても今一つ目立たないところがあった。しかし今回のツアーでグッと成長を感じたのは、先述のよっぴーとみゅーちゃんである。元々メンバー中一番背が高く、バレエの経験もあるため、ダンスに関してはキレのあるカッコよさのあいちゃんに対し、美しさのみゅーちゃんという印象があった。そしてこの曲でセンターというポジションを得たことで、優雅で且つダイナミックな彼女のダンスが一際冴え、加えてパフォーマンスを演じることに喜び溢れる彼女の無邪気な笑顔がとてもキュートで、見ていて本当に幸せになれる。もちろん他の4人とも息ピッタリで、アイドルユニットの王道を行く曲となっている。

 そして3曲目は、よっぴーとみにゃみ(田中美海)、現在のわぐラジパーソナリティ「もやしとごぼう」の2人によるデュエット曲「プラチナサンライズ」。この2人、メンバーの中では最もおちゃらけたタイプなのだが、曲は一転、ハーモニーをじっくり聞かせるものになっている。だから2人が煽る間奏部分を除いて、観客は皆、基本的にコールを入れない。みにゃみは私が感じる限り、メンバー中最も安定したエンターテイナーだ。明るい声質でブレのない歌声を響かせ、それでいてしっかりクールな雰囲気も醸し出している。そしてよっぴー。感情を目一杯乗せ、とにかく聞かせにかかっている。特に昼公演で披露したロングトーン。これをやりたかったんだろうねw 観客からも思わず「うおぉ!」って声があがった。やや硬質なよっぴーの声に、軽量で安定したみにゃみの声が重なって、素敵なーハーモニーとなったいい曲である。

 この3曲は、ライブだけでなく、是非とも早くCD化してもらいたいものだ。

 この後は一人ひとりのキャラソンメドレー。順番は以下のとおり。

 ハジマル(まゆしぃ)

 可笑しの国(あいちゃん)

 WOO YEAH(みゅー)

 スキキライナイト(かやたん)

 オオカミとピアノ(ななみん)

 ステラドライブ(よっぴー)

 歌と魚とハダシとわたし(みにゃみ)

 ここまで個別に触れてない3人についてコメントしておこう。

 トップバッターのまゆしぃ。キャラソンについてではなく別視点から話をすると、まゆしぃというのは役者なんだなと常々感じる。歌の中の人物に入っていくのである。またエンターテイナーとしてもしっかり演じていこうとする。その分アドリブがちょい苦手なんだが。しかし誰よりもステージ全体をきちんと作り上げていこうという意思がはっきり見えるから、やっぱり彼女はセンターなんだよね。上でリンクした中里キリ氏のレポートで触れられてるが、「ハジマル」という曲をつかむまでかなり苦労してきたという。「島田真夢」というキャラとの関係性の中で曲を理解し表現することに人一倍取り組んでいたのだろう。だからこそ歌を通じて彼女が投げかけてくるものを、ファンとしてはしっかり受け止めて彼女に向けて投げ返すようにコールしてあげたいなと思っている。

 役者という意味では、かやたんもそうだ。彼女も、キャラソンに限らず、歌の中の人物になりきるように歌い踊っている。もっとも、彼女は皆に見られることで役者になりきっていくので、ソロの時は特に皆を煽る。かやたんはメンバー最年長ではあるけど、メンバーが揃っている中では決して自己主張やリーダーシップを出すタイプではなく、一見目立たない。しかし一旦自分に注目が集まれば、途端に本領を発揮し皆を惹きつけていく。今回の公演でも、彼女のそういった媚薬のような魅力に磨きがかかったように感じた。

 一方ななみんは、もう天性のアイドルなのだろう。天然なのか計算ずくなのか、あの大きな瞳と笑顔で確実にファンのツボを突き、骨抜きにしていくのである。ワグナーの中でも、かやたん推しとななみん推しは重患率が高いと思われる。真骨頂は今回よりも3月のソロイベの時だったと思うが(私はチケットが外れたのでニコ生で視聴)、今回舞台に近かった夜公演では、彼女がとにかくよく客席に視線を送ってくるのが分かった。もちろん他のメンバーもやってるのだけど、あの少しいたずらっぽさも混じった笑顔はヤバイね。ななみん推しが夢中になるのもよく分かる(斯く言う私は徹底して箱推し。7人全員がそれぞれ可愛すぎて困る。)。因みに会場ロビーでは、かつてななみんがニコ生のグッズ化プロジェクトで天然を炸裂させ、今年のエイプリルフールでネタとして実現された「等身大お弁当箱」が展示されていた。

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 キャラソンメドレーの後は、I-1clubのナンバー。これまでも持ち歌が少ない中でアニメ劇中ライバルのI-1の曲は歌ってきたのだが、今まではWUGとして歌わせてもらっていたのに対し、今回は衣装もキャラ設定もなりきっての登場。元I-1メンバーだったまゆしぃの島田真夢役はそのままに、残るメンバーはI-2、I-3として自由にキャラ設定をした自己紹介で、バラエティー色を出した演出で楽しませる(個人的にはみゅーちゃんのコロスケと、針を振り切った不思議ちゃんキャラのあいちゃんがツボだった。)

 曲は、昼の1曲目が「シャツとブラウス」、夜は「ジェラ」で、2曲目は共通して「リトルチャレンジャー」。衣装も赤く揃えたことで、この瞬間だけはI-1clubのステージになりきるものの、既に歌い込んできていることもあり、これらももうWUGちゃんたちの曲にもなってるんだなとしみじみ感じた。特に「リトルチャレンジャー」はまゆしぃの曲でもある。まゆしぃのソロパートは、実はどの曲よりも島田真夢と吉岡茉祐がシンクロしているのではないだろうか。

 この後一旦衣装替えの時間も兼ねた物販紹介ビデオが流れる。大阪と舞浜では映像に登場するメンバーが異なり、舞浜の昼と夜でも一部映像が差し替わっているので、おふざけ満載のバラエティーにもなっており、いずれライヴBD化の際には特典映像として入れてくれると嬉しい。そういう意味では、開演前に流れたみにゃみの「お約束体操」(いわゆるマナー啓蒙ビデオ)やまゆしぃ書き下ろしの影ナレも全会場分是非お願いしたい。

 さて、ここでついに今回ツアーの一番の目玉ともいえる続・劇場版前篇「Wake Up, Girls! 青春の影」主題歌「少女交響曲」。まずスクリーンに続・劇場版の一部場面が流され、劇中音楽プロデューサー早坂が「ほら、くれてやるよ。」といって音楽データと思しきものをスマホでWUGメンバーにピッと送信すると、暗転してミリタリーグリーンの新衣装に着替えたリアルWUGメンバーが登場。大阪で初披露された時は、なかなかの粋な演出で、会場のテンションが一気に高まった。今回舞浜では既にワンホビのステージがネットを通じて披露されたせいもあって、観客側もバッチリ合わせていくぞという雰囲気で高まる。斯く言う私もかなり聴き込んで行った。ツアーを追いかけるというのは初めてしているのだけど、その醍醐味というのは、ステージ上の演者だけでなく、ファンもステージ毎にブラッシュアップされていくところなのだろう。

 当然WUGちゃんたちも完成度を高めてきた。大阪ではまだ少し緊張感があったように感じられたが、ワンホビ、福岡を経てパフォーマンスに自信が付いてきたのだろう。会場の雰囲気も後押ししているのかもしれない。この曲はまゆしぃとよっぴーだけでなく、みにゃみとななみんの見せ場も加わっている。明るい声質の2人が歌いながら手を取り合い輪を作り、その中を残る5人がくぐり抜けて最後のサビに突入していくところは、彼女たちが新たな扉を開き次のステージへ駆け上がっていくイメージに繋がる。一歩一歩階段を登っていくWUGらしさが滲み出ていて、なんというか胸に来るものがある。彼女たちを代表する1曲になることは間違いない。

 曲が終わったところで告知コーナー。舞浜での新規情報としては、続・劇場版の新規PVが公開された。

 その他、聖地・仙台巡りのアプリI-1clubの新曲など、コンテンツとしてのWUGにも改めて力が入っている。

 そして本プログラムラストは「16歳のアガペー」。初期のWUGの初々しさを再確認する安心さで一旦の締めとなる。

 この後はWUGライヴの様式美ともなっている「Wake Up, Girls!」コールのアンコール。最早本来のアンコールという概念はなく、これも含めてセットリストのうちなのだが、これを楽しむのもWUGライヴということでいいだろう。

 それゆえその後の演出も仕込まれており、特にこの舞浜公演では、まずスクリーンに「ペンライトを消してください」とのメッセージが表示される。暗転するとアンフィシアター特有の半円状に客席側へせり出したステージに七色のスポットライトが照らされ、それぞれの光の下に7人が登場、「言の葉 青葉」のメロディーが流れ出す。そしてしっとりと切なく優しいバラードにプロジェクション・マッピングの美しい光の演出が合わさって、会場はとても幻想的な雰囲気に満たされた。実は昼も夜も「言の葉 青葉」のときは、ボーっとこれまでの彼女たちのことを思い返していたり、あるいはこの歌の背景にある震災のことを考えたりしてしいて、終わってみると歌をちゃんと聞いておらず、ステージ上もきちんと意識して見てなくて、「あ、しまった……」となってしまった。でもまあ、それもよいのかもしれない。

 次に一転、明るく楽しい「ワグ・ズーズー」。これは曲の前に観客全員で振り付けの練習。夜の部では振り付け指導役でななみんが目の前に来て、幸せを満喫。

 そしてオーラスは、WUGの原点「タチアガレ!」。メンバーもワグナーも体に染み付いている曲だ。会場は出し惜しみない一体感に包まれ、最高の満足感をもってライヴを終了したのであった。

 WUGメンバーは、インタビューやブログ、ラジオ等で、よく自ら「成長」という言葉を使う。実は、私個人的にはちょっとこれが苦手で、自分で自分のことを「成長している」と表現することにやや抵抗感がある。ある程度分かりやすい指標がある技量に関し、その指標に到達したことを指して自ら「成長した」というのはまだよい(もっともその場合「上達」という表現のほうがマッチするが)。しかし精神力、経験値などが増したことを自ら「成長」と呼ぶと、どこか慢心に陥りそうで、「成長」とは他者から見てそう判断する言葉なのではないかと、飽くまで私個人は思っている。

 しかし彼女たちにとっては、この「成長」という言葉は、自分たちを磨き上げていくための一つの秤になっているのだろう。新たな技量を身につけた時、新たな何かを発見した時、また何かを達成した時、それを自らの証として「成長」という言葉に置き換える。そしてそれは他者から見た時、確かに彼女たちの「成長」の証なのである。

 今回のツアーでも、彼女たちの確かな成長が感じられ、そしてツアー中にもステージ毎に磨きがかかっているのが分かった。WUGはいつだって「成長中」なのである。そして今回は何より、多くの新たなチャレンジが試みられた。このツアーはこれまでの彼女たちの集大成ではなく、新たな一歩を踏み出したステージなのである。もちろんまだ来週の仙台公演が残っている。最後までこの新たなスタートを楽しみたいと思う。

2015年07月21日

Wake Up, Girls! 2ndライヴツアー開幕

 日付替わって昨日7月20日より、Wake Up, Girls! 2ndライヴツアーが、大阪なんばHatchを皮切りにスタートした。

 もうすっかり筆が重たくなり、昨年春のWUG初の単独イベントでいきおい思いの丈を書いて以降放ったらかしになっていた当ブログだが、WUGちゃんの応援は今も変わることなく続いており、ブログやラジオのチェックは完全に日常となっている。ライブ・イベント関係も、昨年夏の1stツアー東京公演(昼夜)、11月のプロジェクション・マッピングイベント、3月の各メンバーソロイベント(まゆしぃ、みゅー、かやたん回参加)、ファンクラブ「わぐらぶ」初回ミーティングに足を運んでいる。12月幕張のWUG vs I-1Clubイベントに参加できなかったのが悔やまれるが、香港競馬遠征とモロ被りだったので仕方がない。まあ、接触系イベントにも欠かさず足を運んでいるワグナーさんから見れば生温い程度だが、一応自分もワグナーを名乗っていいくらいには応援してると自負している。

 さて今回の2ndライヴツアーだが、7/20大阪→8/1福岡→8/8千葉(舞浜)→8/16仙台と4ヶ所公演。自分は当初舞浜と仙台の昼夜のチケットをファンクラブ経由で押さえ、幸い席もなかなかよいところが当たり、8月を楽しみに待つつもりでいたのだが、初日大阪で秋の続・劇場版用新曲「少女交響曲」がお披露目になると公式に発表されたため、昼公演のみ一般販売で急遽購入、参戦してきた。

 セットリストは公式にもエンタメニュース等にもまだ出てないので、詳細は差し控えるが、予告されていた「少女交響曲」と当然予想の範囲内のカップリング曲「素顔でKISS ME」が初披露されたのはもとより、その予想の範囲を越えてチャレンジングな内容で、かなり驚きのステージだった。もちろんいい意味での驚きだ。多分この試みは、今後のWUGの活動にとって、新たな展開への突破口になるだろう。

 上記新曲2曲については、まず先に「素顔でKISS ME」が披露される。これがまず最初の大きなチャレンジだ。明らかにこれまでのWUGにはない曲で、人によってはかなり戸惑いもあったのではないかと思う。まあ敢えて比較するならI-1の「ジェラ」に近いイメージか。これまでライヴではWUGも「ジェラ」を歌っていたけど、自分たちの持ち歌としてこの路線を一つ加えたのは、やはり一つの挑戦といえるだろう。

 そして「少女交響曲」。こちらはある意味王道で、劇場版主題歌としてピッタリだと思う。即ち、アニメ作品「Wake Up, Girls!」の物語を確実に引き継いでおり、デビュー曲「タチアガレ!」が彼女たちの目覚めの曲、「7 Girls War」が7人一つになって走り始めた曲であったのに対し、「少女交響曲」は試練に抗い乗り越えていこうという曲と感じた(もちろん歌詞を一発で記憶できるほど自分の頭はよくないので、飽くまでイメージ)。劇場版のTVCM等で流れば、WUGを知らない人でも耳に止まるようないい曲に仕上がっている。

 もう一つ今回の彼女たちのチャレンジを明らかにしてしまうと、全て歌に徹していたことだ。今までは持ち歌が少ないせいで、どうしても余興的なコーナーが入ることになり、それはそれで楽しいのだけど、今回は衣装替えの間物販用のビデオを流すとかを除けば、徹底して「ライヴ」だった。当然彼女たちにとって、歌やダンスを覚えるレッスンにおいても、本番の体力的にも、これまで以上に大変だったと思う。しかしそこに踏み込んでいけたのは、間違いなく彼女たちの成長だ。

 とはいえ、ファンだからといって手放しに全てを評価するつもりはない。正直に言うと、今日はまだそれらの挑戦を十分には消化し切れてなかったと思う。競馬に喩えるなら、休み明けでまだ完全には息が出来ておらず、手応え良さそうに直線に入ったものの、最後の一伸びを欠いて3着といった感じだ。実際ペース配分を誤ってか、枯れていたとまではいかないものの、最後は喉の調子が今一つだったメンバーもいた。新曲ではマイクの掴みが悪いのか、声を上手く拾いきれていないようなところもあり、いろいろ改善すべき点はあると感じる。

 しかし続けて競馬に喩えるならば、今日は休み明け一叩き目の毎日王冠だ。次に初公演となる福岡が、3歳馬や別ステップを進んできた馬たちと最初に相見える天皇賞(秋)。最もキャパの大きい舞浜アンフィシアターが世界の強豪も集うジャパンカップ。そしてツアー最後となる聖地仙台は、互いの手の内を知る者同士が集まる年末の祭典、有馬記念といったところだろう。福岡は自分は行けないが、一戦ごと、一公演ごとにブラッシュアップし、舞浜、仙台では更に磨きのかかったWUGちゃんたちが見られることを期待しているし、彼女たちなら絶対それに応えてくれるだろう。そういう意味で、ツアーを追いかけるということそのものが、実に楽しみになってきた。

 うん、WUGはまだまだ止まらない。

2014年05月04日

"Wake Up, Girls!"というアイドルの物語 − 単独イベント「イベント、やらせてください!」を終えて振り返る

 一週間前の4月27日、Wake Up, Girls!の初の単独イベント「イベント、やらせてください!」に行ってきた。

 この手のイベントは2年前のアイマス7thライブ以来だが、あの時はアケマス時代からの古参Pである競馬クラスタから誘われ余剰チケットを回してもらったもので、今回のように自分からチケット購入に動いたものではない。またあの時は横浜アリーナだったのに対し、今回は品川ステラボールというスタンディングライブ会場。規模がまるで違う。若い頃ファンクラブに入っていた某アイドルのコンサート(ライブなんて言い方じゃなかった)でも、既にそこそこの人気になってからだったし、こんなふうにド新人アイドルユニットのライブイベントに行くなんて初めてだ。もうおっさんなのに、よくやるよオレ……(苦笑)

 しかしこのWake Up, Girls!(以下WUG)という一連の企画を通じ、この子たちには、なんというか放っておけない衝動みたいなものが沸き起こってしまったのだ。観客をざっと見回してみても、アイマスライブより平均年齢押し上げているおっさん比率が高かった気がする。「あんたらイベントTシャツにマフラータオル巻いて気合入れてるけど、普段はスーツ着て、会社で若い部下たちをどやしつけてる営業課長や、怒らせたら怖い総務部長なんじゃないの?」って顔した人もちらほらいた(まあ、クリィミーマミに萌えてた頃からそのままって雰囲気のおっさんもいたけど)。WUGには若いオタたちだけでなく、おっさんたちの心に触れる何かがあるのだろうか。少なくとも私の心には触れてしまった。

 敢えてアイマスの話から始めよう。

 自分はゲームの類をやらないためアイマスの本道には触れていない。とある友人がニコマスにはまってはてブをよくしていたので、私もなんとなく眺めているうちに二次創作に対するその懐の深さが面白くなり、アイドルの基本キャラ設定を覚えたり曲の豊かさに惹かれていった結果、いつの間にやらすっかり千早病をこじらせていたのだ。そして制作者の愛情に溢れたアニメ化が実現し、それを堪能したのである。古参Pも新参のアニオタも、多くがこのアニメ作品で「アイドル」という偶像世界を楽しんだはずだ。 

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 またアイマスは、中の人たちのイベントやライブ活動によっても、そのダイナミズムを展開している。声優が出演作品のキャラソンを歌うイベントは多くあるが、アイマスほど一つのジャンルを確立したコンテンツはなかなかあるまい。

 ゲーム、アニメ、ライブといった主催者側からの展開と、ニコマスを始めとしたファンの二次創作による拡大と深化。アイマスは多くのPたちによって磨き上げられてきた。そして劇場版『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』で、アイマスはある種アイドルの理念型にまで近づいたといえる。

 アニメやゲームにはまることへのハードルがかつてより大きく下がっている昨今、アイマスを通じてリアルにアイドルを目指す子が現れても不思議ではなく、既にAKB48のような大所帯の中にはそういう子がいてもおかしくないだろう。声優が歌って踊るアイドルの入り口にもなっている。また当然二匹目のドジョウを狙って、他にもゲームやアニメと三次元とのメディアミックスを前提とした企画が現れるきっかけとなった。ラブライブはその一番の成功例であり、多分ミルキィホームズなんかもその範疇に含まれてくるのだろう(私自身は両方とも全く触れてないのだが)。

 WUGもまた、そういった二匹目のドジョウを狙った企画であることは間違いない。アイマスが築いた道がなければ、アイデアとして生まれても、企画として大きく動き出すことが出来たかは怪しい。エイベックスを巻き込んで新人オーディションから始めるといったプロジェクトは、アイマスという成功例がなければ出来なかっただろうし、2000人も応募者が集まることもなかっただろう。

 だが、WUGが他と一線を画する特徴は、まさにこの新人オーディションから始めたというところにある。メインキャラ島田真夢役のまゆしぃ(吉岡茉祐)を除く6人は、全く芸歴のないド新人であり、まゆしぃも知名度のない子役俳優をやっていた程度だ。アイマスやラブライブの声優たちは、最初は無名レベルだった人たちも多いが、釘宮理恵のような売れっ子も含まれ、皆多かれ少なかれ経験者たちだった。(※追記 この辺はちょいちょいツッコミ受けたので訂正。アイマスもラブライブもそれが初作品の声優さんが何人かいます。ちょい勢いで書いた。すまんです。)それに対しWUGは、実質的にゼロから始めた声優兼アイドルユニットだ。即ち、素人を集めたローカルアイドルユニットの成長物語というアニメ作品は、それを演じる中の子7人の成長物語にもなっているのである。このようなアイデアは決して斬新なものとは思わないが、7人の女の子たちの人生に決定的な意義を持つという点では、生半可なものであってはならない企画だった。

 而して1月から始まったアニメ作品は……およそ褒められたクオリティーのものではなかった。

 物語の序章にあたる部分を劇場版で、それを前提としたストーリーがテレビ放映で同時に始まるのだが、何を狙ったつもりか分からないが、テレビから入った人たちは出だしからしてやや取り残されたもやもや感に襲われてしまう。私はテレビ1話を見たあと、ニコニコ動画の劇場版有料配信に手を出したが、ここで手を引いたアニオタも少なくなかろう。また、劇場版とテレビ第1話で描かれた初ライブでのパンチラシーン。劇場版を見ればWUGの7人が腹をくくって臨んだことが一応理解できるが、テレビだけだと制作者が安易にエロで媚びてるような印象を覚えかねず、私も初見では不快に感じた。そして不本意な下積み営業を描いた第2話では更に不快なシーンが描かれ、アイドルたちの爽やかな成長譚を期待していた視聴者はここで相当数離れたに違いない。冒頭に触れたアイマス古参Pも、ここで切ったという。

 更に追い打ちをかけたのが、既に最初からやや不安定さを感じさせていた作画が、早くも第3話にして大崩壊したことだ。普段は多少の作画乱れは気にしないのだが、この回は見るに耐えなかった。またストーリーも安直な「いい話」で、およそきっちり練りこまれた脚本とは思えなかった。アニオタは3話までで視聴継続の見切りをつけるというが、そういう意味ではこの第3話に視聴者を引き止める力はまるでなかっただろう。

 結局作画、脚本は、最後までクオリティーが低いままだったと言わざるをえない。作画は映画が通常テレビ放映の標準レベルで、テレビはもう全くスケジュールに追いついてないのが丸分かりだった。監督のヤマカン(山本寛)氏、制作会社タツノコプロは、アニメ制作者として失格である。シリーズ構成・脚本も練り込み切れていたとは言えず、大枠としての設定と流れに対し、ディテールが色々と甘かったり薄かったりで、それら総じてこの作品は「出来損ない」になってしまった。

 と、ここまでこの作品を全く褒めていないのだが、ではなんで私はここまで入れ込んでしまっているのか。それは何よりアイドルたちを演じる7人の新人たちに惹かれてしまったからだ。

 それでも百歩譲ってまず原案者であるヤマカン氏を立てると、この作品のアイデア、設定自体はよかった。新人アイドルの成長物語という設定自体は特に真新しいものではないが、それぞれ色々な思いを持ってアイドルの道に踏み入った少女たちの群像劇というのは、ストーリーとして十分期待の持てるものだった。しかし作品自体の出来は既述のとおりである。だがそんな作品にしてしまったダメな大人たちに対し、作中でもダメな大人たちの下でアイドルたち自らがもがき悩みながら頑張っていたのと同様、新人声優の7人がキャラに自分たちを重ねるかのように一生懸命声を注ぎ込んでいるのが伝わってきた。作中の新人アイドルWUG7人と新人声優WUG7人のシンクロ感は、作品の不出来具合を差し置いても、二次元、三次元ともに「この子たちを応援したい」という気持ちにさせる力があったのである。

 もちろん声優の演技に耳慣れたアニオタ視点に立てば、この子たちはまだまだ素人臭さが抜けない。だが「素人臭さ」というは、ジブリが(話題作りも込みで)アフレコ経験の乏しい有名人を起用しているように、専門職の声優では逆に出せない味わいを引き出すことがある。もっともジブリの場合、「素人臭さ」を消費している感に、戦略としての嫌らしさが付きまとってしまうのだが、WUGの7人は出し惜しみなく自分たちをキャラにぶつけてきていたため、その「素人臭さ」が未完成で荒削りなアイドルユニットというキャラたちに存外なほどリアリティを与えたのである。例えばあいちゃん(永野愛理)のどうしようもない素人臭さは作中の林田藍里の素人臭さそのもので、花澤さんでもこの鈍臭さは表現できまい。(褒めてない?この作品ではベストマッチということだ。)

 とはいえ、彼女たちの全力投球が単発の「素人臭さ」の消費で終わってしまっては、彼女たちの人生に対し不誠実に過ぎる。しかし残念ながら作品自体は、彼女たちを押し上げる十分な力にはなっていない。この「素人臭さ」が通じるのはこの作品だからこそで、次からはそうはいかない。また今回のような作品制作では、容易に2期というわけにいかないだろう。仮にやる話があるとしても、ヤマカン氏や脚本の待田堂子氏、タツノコプロが今度こそしっかり仕上げたシナリオと制作スケジュールを用意しない限り、製作委員会の他の参加組織(エイベックスや学研か)が許すまい。待田氏の小説版を読むと、活かし切れなかった設定がいろいろあり(ななみんは本当にもったいない)、アニメ作品が如何に不十分な仕上がりであったかがわかる。

 ではこのままWUGというコンテンツは終了し、彼女たちは放り出されてしまうのか。WUGの明日はどっちだ?

 その明日を示す光を今唯一残し、強く照らし出そうとしているのは、他ならぬWUGの7人自身である。当初作品を見ながら「この子たち下手なりに頑張ってるなあ。でもこれが終わったあと大丈夫かなあ。」という程度に気にかけていたのだけど、何気なくニコニコ動画に上がった2月のワンフェスのステージを見た時、一気に心を掴まれてしまった。

 出てくるなり、まず観客以上に自分たちがその小さなイベントステージに立っている喜びを溢れさせている。そして1曲目の劇場版主題歌「タチアガレ!」。前向きな力強さと初々しさに充ちた楽曲の良さが、彼女たち自身の活力を引っ張りだし、とにかく全力で歌い踊る7人。当然まだまだ荒削りなのだけど、この出し惜しみのないパフォーマンスには思わず引きこまれてしまう。しかも歌い終わったら、1曲目であるにもかかわらず既に出しきった満足感が溢れてしまって、その後のMCはロクなしゃべりになってないのだが、その初々しさがまたいいのだ。庇護欲を掻き立てるような初々しさではなく、ミスっても構わないからそのままガンガンいっちゃえ、って応援したくなるフレッシュさ。結局3曲目のテレビ版OP「7 Girls War」を歌い終えたあとは、「楽しかった〜!」「全部出しきっちゃった、どうしよう。」とか言ってる始末だ。まったく、作中で早坂が評するところの「ごっつごつのおイモちゃん」なのだけど、ホカホカに蒸かして塩振っただけのおイモのなんと魅力的なことよ。

 作品のキャラを演じる声優がイベント用にユニットを組んでいるというのではない。彼女たち自身がWUGそのものとなっているのである。作品終了と同時に終わらせてしまうわけにはいかないだろう。彼女たちは、WUGとして今タチアガッたばかりなのだから。

 第1話で事務所の存続が問題になっている時、「私たちが頑張れば事務所だって持ち直すってことじゃないですかぁ。」というみゅーのセリフがあるが、作品制作がボロボロの中で、リアルWUGの7人がまさにそれを体現しているようである。となると、その頑張りに応えるのは周りのスタッフだけではない。ファンが彼女たちにどう応えるかも問われているのである。

 そんなわけで私はテレビOP、EDのCD2枚と劇場版BDを発売と同時に買い、CDに封入されていた優先申込券を使って4月27日のイベントチケットを入手したのだ。

 そして年甲斐もなく行ってきた品川ステラボール。開場に一時間以上待たされるという手際の悪さには、つくづくWUGの周りのスタッフしっかりしてくれよ、と思わされたのだが(自分は整理番号が早かったので建屋内に入れていたが、春の炎天下で待たされた後方グループはかなりきつかったらしい)、いざ始まると、期待通りのWUGらしさが弾ける、実に楽しいステージだった。

 ミニライブと各種企画コーナーという構成で、まずは「タチアガレ!」で幕が開く。作中と同じ制服を着て歌い踊る彼女たちに、キャラクターたちのイメージがピタリと一致する。このキャラと中の子とのシンクロ度だけは、アイマスでもラブライブでも決して敵うまい。この時点でもう大満足である。

 続いて松田マネージャー役の浅沼晋太郎氏が登場し、彼の司会の下、各種コーナーが進行する。2chやツイッターでもみんな言ってたが、リアル松田は実に有能だ。このイベントが楽しく盛り上がれたのは、彼の軽妙なしゃべりと、WUGたち一人ひとりの個性を上手く引き出す切り回しの良さによるところが大きい。作中の松田はキャラクターを活かし切れず、視聴者からも完全に無能扱いされてしまって実に残念だったが(会場の浅沼氏はしっかりそれをネタにしてたけど)。

 各種コーナーは、アニメの場面の振り返り、WUGメンバーが互いの問題点を告発し合う裁判コーナー(メンバー個々人の個性を楽しく引き出す企画であるが、よっぴー(青山佳乃)一人がいじられまくって全部持っていった)、浅沼氏が一旦下がってメンバーだけの模擬ラジオコーナー(これも基本はアニメに則した話題で盛り上がった)という感じで、変にダレることもなく、とても楽しく進行する。これもひとえに彼女たち自身がこの瞬間を楽しんでいたからだろう。ワンフェスの時よりもみんなしゃべり慣れていて、そういうところも「成長してるなあ」と感じられてよかった。

 各種コーナーのあとはお色直しをし、作中「アイドルの祭典」でのステージ衣装を着て「7 Girls War」「言の葉 青葉」「16歳のアガペー」を披露。これも全力で彼女たち自身がステージを楽しみ、観客に楽しんでもらおうという気持ちが弾けていて、本当に気持ちがいい。最終話で「自分が幸せでなければ、誰も幸せに出来ない」というまゆしぃのモノローグがあるが、ここのいる7人はまさにそれを実践していた。

 ここで一旦お約束の終了をし、彼女たちが下がったあと、お約束のアンコール。観客のコールは「アンコール!」ではなく、作中同様に緑のサイリウム(事務所名がグリーンリーヴスだから緑がチームカラー)を振って「Wake Up, Girls! Wake Up, Girls!」。彼女たちが戻ってきて、まゆしぃが「持ち歌4曲しかないんですけど…」と言うと、観客皆が頭上に両手で丸を作って「オゥケィ!」。観客も一緒になってアニメの再現だ。となれば、当然歌うのは最初の曲「タチアガレ!」。この流れはアニメとリアルとのコラボイベントならではの楽しさだろう。

 このイベントでは、結果として真新しい情報はなく、夏のライブツアー向けに新曲の一つも発表されるかと期待していたが、それもなかった。飽くまでアニメ作品「Wake Up, Girls!」の一つの締めくくりのイベントだったということだろう。ある意味それゆえに、最初から最後まで会場が一体となってこの瞬間を楽しむことができたのかもしれない。

 だが当然これで終わりであってはいけない。WUGの7人はキャラとシンクロしたアイドルユニットであると同時に、メンバー一人一人が独立した新人声優である。唯一の新情報として「Wake Up, Radio」というレギュラーラジオ番組が始まることでWUGとしての活動も一応継続していけるが、WUGを離れたそれぞれの活躍も重要になってくる。幸いかやたん(奥野香耶)とみにゃみ(田中美海)は早速夏アニメ「ハナヤマタ」のレギュラーが決まり、ななみん(山下七海)もローカル番組ながら「おへんろ。」で仕事を得た。ファンとしてこんなに嬉しいことはない。

 かやたんは7人の中で最も艶のある声で、アニメだけでなく洋画の吹き替えなんかでもいけると思う。「ハナヤマタ」では更に実力を磨いてほしい。

 みにゃみの声はまさに元気な女の子がぴったりで、「ハナヤマタ」でもそういうキャラのようだから、まずは自分の長所を鍛えあげてしまおう。

 ななみんは、「おへんろ。」で地元に愛されるキャラを演じ、菜々美だけでは出来なかった表現の幅をつけていってほしい。

 まゆしぃは既にステージ度胸があり、イベントやラジオで場馴れしながら次の仕事でその度胸を活かしていけば、まだまだ伸びる。

 みゅー(高木美佑)はいわゆる萌えキャラ声がはまってたのだが、低い声では意外と艶があるので、表現力を更に磨けば活躍の場はある。

 よっぴーは受験生で地元も熊本だから、当面大きな仕事は出来ないかもしれない。しかししっかりと通る声は十分なポテンシャルを秘めているので、焦らずチャンスを掴んでいってほしい。

 一番心配なのはあいちゃんだけど、ステージでは藍里と異なり自分から積極的に動いて明るく輝いていた。前向きにしっかり表現力を磨いていけば、あいちゃんならではの癒し系ボイスを活かすチャンスは来るだろう。

 序章である劇場版とテレビ版最終話で社長の丹下が「アイドルとは物語」というが、彼女たちはまさしく今、自ら声優としてアイドルとしての物語を紡いでいる。イベントが終わり、「Wake Up, Girls!」という作品を一旦離れて、みんなそれぞれのステップに踏み出す。ここから7人の群像劇は更に深みを増していくだろう。まずは夏のライブツアーで、作品から一歩踏み出した新たなWUGを見せてほしい。私も東京公演は昼夜2回とも見に行く。そしてそれぞれが各々の経験を積んだ姿として、アニメ作品としてのWUGの物語を再び見たいと思っている。それまで彼女たち7人には前向きに一歩一歩がんばっていってほしい。

 そして当然だが、ヤマカンさん、大口叩くばかりでなく、今度こそは結果で唸らせるようなしっかりした作品を作ってくれ。頼むよ。



【追記】

 まさかブクマ100越えとは想像してなかったわ……(大汗)

 自分としては、イベント後いろいろ胸に溜まってたものをアウトプットしないと他のことへ気持ちの切り替えが利かなそうだったので、チラ裏のつもりでダーッと書き綴ったのだけど、意外にもはてなでヒットしてしまいビックリです。いろいろご意見ご批判どうもありがとうございます。

 そんな感じで書いたので、いろいろツッコミは甘んじて受けます。特に「アイマスやラブライブの声優たちは、最初は無名レベルだった人たちも多いが、釘宮理恵のような売れっ子も含まれ、皆多かれ少なかれ経験者たちだった。」ってとこは、「もしかしたらあさぽんとかアイマスが最初だったっけ?」とか「ラブライブは正確には知らんが、名前を知ってる子はこれより前に作品あったよな」とか頭の隅っこで思いながらも勢いで書いてしまったので、大変失礼しました。どうもすみません。それらが初作品の声優さんも複数おりました。まあWUGは全員まとめてド新人なのでそこが他作品と違うといえるのですが、しかし厳密にはまゆしぃが「そんなとこでやってたとか知らんがな!」ってとこで微妙に経験者なのでゴニョゴニョ……

 作品についてはとことん批判しか書きませんでしたが、やはりアイドルの成長物語であるWUGの全体ストーリーは好きなので、最後まで毎週楽しみにしながら見てました。ただ各論になると評価の上げ下げが大きく、作画の不安定さは言わずもがな、脚本としては、例えばななみんと松田のキャラを最後まで十分に活かし切れず、それが非常に残念。本文でもちょっと触れたように、特にななみんは小説版で彼女の心情が描かれているのだけど、改めて見返してもアニメ本編(特に7〜9話の流れ)だけでその辺の葛藤を汲み取るのは無理でしょう。またファンサイドを描いたことはとてもよいのだけど、不安を持ってWUGを見つめていた大田の心がガチっと掴まれる瞬間がなく、10話で突然MACANAを埋めるほどにファンが増えてて、折角良い設定を用意したのに、大事な過程をすっ飛ばしてしまった。そういった諸々がディテールの甘さだったり薄さだったりって評価になってしまうのです。一方でストーリーの転換点となった第9話は、震災を絡めつつとても丁寧に描かれていて、これだけでもWUGという物語にグッと深みが増したと思っています(ななみんの心情描写が不十分だったことは返す返すも残念ですが)。

 そんな感じで、各論を始めたらきりがないのでここまでにしときますが、総じて、全体としての設定は良かったのに、一つ一つの仕上げが非常に不十分だったということですね。だからこそこれで終わりではなく、今度こそきっちり練り込んで仕上げた作品として、二次元、三次元のWUG7人が成長した姿を再び見たいと思っています。改めてヤマカンさん、よろしく頼むよ。

2013年10月02日

宇宙戦艦ヤマト2199 ― 「種族を越えた理解」という理想に挑む

宇宙戦艦ヤマト2199 1 [Blu-ray]

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「俺たちは異星人とだって理解し合えるということだ。」

(第24話古代守の台詞より)

 ヤマトが「2199」としてリメイクされるにあたり、総監督の出渕裕は、旧作の矛盾点や設定の甘さに新たな解釈や新規の設定を加えることで、現代のアニオタの視聴に耐えうるものにしようと試みた。しかしそれは、単に旧作を補完するというものではなく、「宇宙戦艦ヤマト」の作品イメージをある意味大きく塗り替えるほど、ストーリーの思想性に深く踏み込んでいくものになっている。

 旧作設定の新解釈の中で、特に重要な意味を持つのが、「二等ガミラス民」という設定だ。この設定が、2199を旧作とは違う作品イメージへと塗り替えていく引き金となっているのである。

 旧作では、冥王星基地に駐留していたシュルツ以下ガミラス兵たちの肌の色が地球人と同じ肌色で、デスラー総統ら本星ガミラス人の青い肌とは異なっていた(実際はデスラーもシュルツが戦死する回までは肌色で、翌週からしれっと青くなったのだけれど…)。出渕はこの設定上の矛盾を、ガミラス人とは異なる被占領星の種族と解釈し直し、「二等ガミラス民」と位置づけることで、星間国家ガミラスが支配種族と被支配種族とに分かれる階級社会であるとの設定を加えたのである。このことによって2199では、物語の早い段階から、ガミラスが必ずしも一枚岩ではないという可能性が示されていた。

 シュルツは第2話での初登場と同時に「我々は失敗するわけにはいかないのだ。」という追い詰められた言葉を吐いている。また本星には妻と娘を残していること、功績を上げれば二等臣民から一等ガミラス民へ引き上げられる可能性があることが、回を追う毎に明らかにされていく。即ち、ザルツ人という設定を加えられたシュルツらは、単に地球を破壊しヤマトの行く手を阻もうとする敵としてではなく、彼らなりに家族を守るため、一等ガミラス民となって差別されない暮らしを得るために戦っているのだという、地球とは異なる側の悲しきドラマが描かれているのである。

 第8話、シュルツ艦の乗組員たちは、恒星の炎に焼かれていくとき、「ザルツ万歳!」と叫び、ガミラスの支配から解放され、自らの種族の誇りと共に散った。だがシュルツだけは、ただ黙って目を閉じ、妻と娘の姿を思い浮かべて散っていく。彼はガミラスやザルツといった国家、種族のためではなく、夫、父として最後の瞬間を終えたのである。本国へ戻る退路を絶たれ、「我らの前に勇士なく、我らの後に勇士なしだ!」と部下に最後の激を飛ばして特攻をかけ散った旧作のシュルツは、いわばどこまでも軍人であった。それに対し2199では、よりプライベートな人間としてのシュルツが表現されていた。

 このように2199は、シュルツたちに「二等ガミラス民」という設定を与えることによって、敵であるガミラス側の物語をより深く人間的に描いていくことを可能にした。旧作ではガミラス側の個々の登場人物たちが抱えるプライベートな事情が描かれることはなく、シュルツにしろドメルにしろ飽くまで軍人であり、その人間性も軍人としての矜持や気高さの表現に留まっていた。それはそれで、戦う者の誇りは敵味方を問わず敬意を払われるべきものだという、旧作原案者西崎義展なりの「普遍的人間性」が描かれていたといえる。だが旧作では最後まで一般市民の姿や、登場人物たちの軍人を離れた姿が描かれることはなかった。

 2199ではシュルツの物語の後、徐々にガミラス本星での一般市民の姿、反体制派の存在なども描かれていき、またドメルでさえも、その個人としての姿が明らかになる。彼は幼い息子を失っていた悲しき父であり、その悲しみを妻と分かち合い生きている夫であった。彼は政治には関心がなく、飽くまで領土防衛に誇りを持って臨む有能な軍人であり、実際に彼が最も活き活きとするのは戦場であった。だがこのような個人としての背景を描くことで、彼が悲しみを振り切るためにどこまでも軍人であろうとする姿が垣間見え、だからこそ彼は最後まで軍人としての矜持を貫き散っていく。軍人として敵であるヤマトをリスペクトする姿は、旧作同様である。旧作と異なるのは、軍人として散っていく夫を思う妻エリーサが存在することだ。彼女が反体制派に身を投じていたのも、夫が絶え間なく戦線へ赴く社会を変えたかったから、と想像してみることも可能であろう。

 再び「二等ガミラス民」という視点に戻ると、シュルツは、ゲールから劣等種族として見下されることを苦々しく感じていたのに対し、かつて仕えていたドメルについては、素直に敬意の念を表し、誇らしき良き思い出として語っている。軍人として通じ合える上官に対しては、種族の違いを越えて尊敬することが出来、またドメルもシュルツの名前を幾度か口にしていたが、そこからは部下としてシュルツを信頼し評価していた様子が伺えた。共に分かち合える土壌があれば、種族や階級といったものが越えられていることが描かれているのである。ドメルが沖田に敬意を表することも、これと通じるものだ。

 この点は既述のとおり、旧作においても、軍人同士の描写に限られながらも表現されている。もちろん軍人以外であるイスカンダルとの関係もあるが、旧作では飽くまで対象はスターシャ一人であり、彼女はいわば絶対善であって、種族間の問題とは意味合いが些か異なる。いずれにせよ旧作ヤマトは、シリーズ続編で更に、デスラーと古代の和解や「ヤマトよ永遠に」での雪とアルフォン等、敵である種族と理解し合うというテーマにより踏み込んでいる。これは原案者西崎の意向か監督松本零士の考えかは分からないが、「種族を越えた理解」というテーマは、旧作ヤマトシリーズの大きな主題の一つであったとはいえよう。旧作でガミラス本星を殲滅したあと、「我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。…愛し合うことだった。」と古代に嘆かせたのは、この時点で西崎か松本にそのような思想があったからだろう。とはいえ、それまでにガミラス人に同情するほどの十分な描写はなく、この古代の台詞にはどこか唐突感が否めなかった。全て滅ぼした後に今更何を言ってるのだという、半ば自己陶酔的な欺瞞にさえ聞こえた。だから続編でのデスラーと古代の和解は、この台詞を後から正当化するために作られた設定とも解釈したくなるものであった。

 2199では、この「種族を越えた理解」というテーマは、シュルツたちを感情移入できる「人」としてじっくり描いたことで、物語中盤から明らかに本作の主題となっていく。まずはアナライザーとガミロイド兵「オルタ」という異星A.I.同士の交流という変化球から始まり、そしてメルダがヤマトの捕虜となる話で、地球人とガミラス人が、人として同じメンタリティをもって理解し合える存在であることが示された。最初は「ガミラス人」メルダに憎しみの目を向けていた山本が、メルダと戦い、メルダに救われることによって、憎しみの対象が彼女個人でないことを知る。旧作でも捕虜に対する古代の葛藤シーンがあったが、ガミラス人捕虜自身の個性は殆ど描かれず、憎しみの対象が個人に向けられるものではないという結論は、飽くまで古代個人の内側でのみ自己完結していた。だが山本とメルダは、物語終盤の第22話では、イスカンダル人のユリーシャも含めた3人で、スイーツを食べながら恋話をする仲にまでなっている。この女子会場面は、緊張感が続く中での唐突な息抜きシーンではあったが、ヤマトが最後の決戦に臨む前に、目指す世界はここだと、その理想形が示されたものとも受け取れる。

 更にこれと並行して、「種族を越えた理解」というテーマは、物語終盤に改めて、「二等ガミラス民」のザルツ人を主軸としてクローズアップされる。2199で新たにオリジナルストーリーとして加えられた、第442特務小隊とその一員ノラン・オシェットを巡る話である。

 第442特務小隊は、ドメルによって召集されたザルツ人義勇兵による特務部隊だ。ヤマトがドメル艦隊と交戦する混乱に乗じ、肌の色が地球人と同じであることを利用してヤマト艦内に潜入、イスカンダル人のユリーシャを奪取することが任務であった。

 この「第442特務小隊」とは、米国の「第442連隊戦闘団」をモチーフにしていることは明らかである。この米国第442連隊戦闘団は、第二次大戦中、敵国日本の同族ということで偏見に晒されていた日系人の志願兵によって編成された部隊であり、苛烈な最前線で多くの戦死者を出しながらも、米国への忠誠を示して勇猛に戦ったことで知られている。ザルツ兵の第442特務小隊もまた、劣等種族という偏見に抗し、ガミラスへの忠誠を誓い戦う姿が描かれている。彼らがドメル配下に編入される際、バーガーから受けた偏見の言葉に対して、ノラン・オシェットがガミラス国歌を歌い出して忠誠を示し、ドメル以下ガミラス兵もそれに呼応し全体の士気を高めた。このシーンは、彼らの位置づけをよく象徴していた。

 第442特務小隊は、日本人の視聴者としては、米国日系人部隊の逸話が設定の背景にあることで、ある種感情移入しやすい存在ではある。しかしある国内でマイノリティである民族が、マジョリティの民族社会の中で生きていくためには、少なからずこのように仲間として認めてもらうための努力をしており、それは現代においても変わらない。むしろ国を越えた移動と移住が容易になった現代の方が、このような問題は多くなっているだろう。現代の日本社会でもそのような人々が大勢生活しており、私の職場にも数名いる。彼らは他の日本人社員と同様に働き、私たちと信頼関係を築いている。ザルツ兵の第442特務小隊は、単に歴史上の逸話をモチーフにしているだけでなく、現代社会へ投げかける一つの問題提起にもなっている。

 ヤマトの話に戻ろう。

 ヤマト艦内に潜入した第442特務小隊は、ノラン・オシェットを除き、皆ザルツ人としてのプライドを胸に戦死する。一人生き残ったノランは、ユリーシャと間違えて連れ去ってきた森雪をユリーシャと勘違いしたまま、護衛任務に就いていた。彼らを乗せた次元潜航艦UX-01艦内で目を覚ました雪は、ノランを見て思わず「あなた、ガミラス人なの?」と尋ねる。そのとき彼はキッと雪を睨み返した。中継所となる収容所惑星レプタポーダで、所長のボーゼンに劣等人種と侮辱されたときも、「俺たちだってガミラス人だ!」と強く反発する。ガミラスへ忠誠を立てて任務に就く彼にとって、見た目で差別されることは屈辱でしかない。そのプライドは、第442特務小隊の隊長や、ゲールに苦言を呈したときのシュルツのものと同じであろう。ザルツ人がガミラス臣民として等しく認められることが、彼らの忠誠の動機であり、戦うプライドでもあった。

 だがノランの意識は、雪との交流を通じて少しずつ変化していく。まず雪が彼をボーゼンの暴行から救ってくれたことで、彼女個人への崇敬の念が芽生える。最初はイスカンダル人と思い込んでいたことから、高貴な人の博愛性への敬意と、自分自身に直接手を差し伸べてくれたことに対する喜びと憧れであったかもしれない。ただそのことによって、彼女を守ることが、単に与えられた職務としてではなく、彼個人の内面から動機づけられた使命となっていく。やがて彼女がユリーシャではなく地球人だと気づいても、「僕の任務はあなたをお守りすることです。」と言って、それをリークすることなくそのまま彼女の護衛を続けた。ガミラスへ忠誠を尽くすことと表面上齟齬が生じない限り、ノランは雪個人を守ることを選んでいるのである。そしてヤマトが総統府へ突っ込んだとき、その事情を知らぬままノランは雪に「ここから逃げましょう。」と進言した。ついさっきまでデスラーと同席していた総統府内から自己判断で雪を連れて逃げ出すことは、もはやガミラスへの裏切りの意味を孕んでいた。だからこそ雪もその言葉に「そう言ってくれると思った。」と答え、ドレスの裾を破り捨て、ユリーシャとして演技し続けることを止めたのである。

 とはいえ、この時点のノランの目的は、とにかく危険な状態にある総統府ビルから雪を安全な場所へ連れ出すことであり、デウスーラに乗せられたまま第二バレラスへ移動した後も、外部へ脱出することだけを考えていた。その後雪をヤマトへ送り届けるつもりでいたのかまでは分からない。しかし肝心の雪が真っ直ぐに安全な場所へ逃げようとせず、デウスーラの波動砲制御室に潜入してこれをぶっ潰そうとすることで、彼の行動は行き詰まった。雪は即ち、死を覚悟していたからである。

雪「今までありがとう。もうこれ以上私に付き合う必要はないわ。あなたは早く…」

ノラン「何故あなたはそんなに頑張ろうとするんだ!」

雪「やっと見つけたから」

(古代「やっとわかったよ」)

雪「自分にしか出来ないことを」

(古代「自分がすべきことを」)

(ユリーシャ「それは……」)

ノラン「それは……」

(古代「君を守ることだ!」)

 雪がノランになんと答えたかは分からない。「ヤマトを守ること」、あるいはガミラス人を含め「みんなを守ること」だったかもしれない。しかしそのときノランにもわかった。自分にしか出来ないこと、それは、「雪を守ること」だったのだ。ノランは、波動砲を暴走させるレバーへ手をかけた雪を、銃を突きつけて引き離し、デスラー総統を救うためと詐って、波動砲制御室から追い出した。そして彼女に代わり、彼女の意志を継いで、波動砲を暴走させるのである。彼女を逃す際「これは本物のガミラス人になれるチャンスなんだよ。」と言った言葉は、雪が「ノラン…、あなた、嘘が下手よ…」と涙ながらに言うほどに、ただの方便となっていた。ノランは、ガミラス人としてでもザルツ人としてでもなく、最後は雪という異種族の個人への親愛に殉じたのである。

 このように敵側ガミラスの人間模様が描かれた末に、2199では旧作のようなガミラス本星殲滅という結末はありえなかった。本星へヤマトが突入する場面では、シュルツの娘ヒルデや、ドメルに花束を捧げた少女、ドメルのロクロック鳥と戯れていた少年たち等、それまでに作中に登場していた所謂「無垢な子どもたち」の姿も再び描かれており、旧作のように全てを滅ぼした後に「我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。…愛し合うことだった。」という古代の台詞を出すことは不可能なのである。結果として2199のヤマトは、ガミラスを滅ぼすのではなく、救う存在として描かれた。旧作の台詞の思想を継承するために、2199総監督の出渕は、この台詞の場面そのものを消し去り、全く別の結果へと大きく塗り替えたのだ。

 代わってこの旧作の台詞は、地球へ帰還途中のヤマトを急襲し乗り込んできたデスラーへ向かって、雪によって叫ばれた。

雪「地球もガミラスも戦う必要なんてなかったのに。お互いに相手を思い合って、愛し合うことだって!……出来た……はずなのに」

 雪はここに至るまで、ザルツ人であるノランを筆頭に、ガミラス人であるドメル夫人との心を許した会話、そしてイスカンダル人ユリーシャとの友情という異種族との信頼関係を、ヤマトの乗組員の中で最も多く経験していた。ジレル人であるセレステラともガミラス本星で対話をしており、彼女とは信頼関係を築けていなかったものの、ガミラス人でないセレステラが、デスラーに対し単なる主君として以上に心を捧げていることを、雪は感じ取っていた。漂流していたところを救助されヤマト艦内にいたセレステラは、ヤマトへ潜入してきたデスラーに不用意に駆け寄り撃たれてしまった。上記の雪の台詞は、この時、ガミラスで既に顔見知っているデスラーに向けて叫ばれたのである。

 旧作では唐突で空疎な理想主義の感を否めなかった台詞に、2199では積み重ねられた強い思いがこの時注ぎ込まれた。この台詞を真に実感のこもった言葉にすることが、出渕にとって「宇宙戦艦ヤマト」をリメイクする最大の目的だったのではないだろうか。全編を見終えて振り返ると、そう思わざるを得ないほどに、「種族を越えた理解」というグランドテーマを伴って、作品全体がこの雪の台詞に凝縮されているのである。

 2199ではまた、「絶対善」も「絶対悪」も描かれなかった。既述のように、旧作のイスカンダルは、スターシャという一人の「絶対善」として象徴されている。しかし2199では、かつて波動砲の威力をもって大マゼラン銀河を支配した種族であると明かされており、スターシャはその罪を二度と繰り返してはならないという種族の贖罪を、その思想の基礎としている(これは「ヤマトIII」のシャルバートの設定が、イスカンダルに置き換えられたものだろう)。ガミラスもここまで論じてきたとおり、「悪」と一括りには出来ず、最終的には「敵」でさえなくなった。そして何より、地球側でさえ、実は最初に戦端を開いたという「罪」を負っているのである。こうすることで、「罪」も「正義」も種族に依拠するものではないことが示されている。

 では「罪」を生み出すものとは何か?結局のところそれは「思想」であり、遍く銀河の平和というスターシャの「思想」を、自らの手を血で染めてでも武力でもって引き継ごうとしたデスラーの「思想」が、多くの人や星々を不幸にする「罪」となった。旧作ではシリーズ化されていく中で、次々現れる「敵」に「絶対悪」はなかったものの、皆最終的には撃滅される「罪」と「罰」を負わされ、ヤマトやイスカンダルに代わる存在が「正義」を体現する、勧善懲悪のエンターテイメントが希求されていった。一方2199では、誰もが「罪」を背負う(背負いうる)存在であり、過ちを繰り返すまいという意志が、平和への希望へと結び付けられていく。結局「罪」に対する「罰」を受けたのは、スターシャの願いを誤って叶えようとし、「罪」を背負っても尚自分の「思想」に盲目的に進んでしまったデスラーだった。

 大量破壊兵器である波動砲を作り出してしまったこともまた「罪」であり、イスカンダルでヤマトは波動砲発射口を封印し、二度とこれを使わないことを誓う。これにより旧作を踏襲した続編はもはやないと考えていいだろう。完全新作の劇場映画の2014年公開が発表されたが、これが白色彗星編のリメイクで、新戦艦アンドロメダの登場とまでなれば、2199でのヤマトの誓いに泥を塗ることになる。理想は破れ、戦いは幾度でも繰り返され、どんなにきれいな結末にしようとも、それが自己欺瞞に過ぎないものに陥らざるを得ないだろう。旧作ヤマトシリーズが徐々に興醒めていったのも、勧善懲悪エンターテイメントから脱しえず、「正義」の側の自己欺瞞を見透かされてしまった点は否定出来ない。

 ヤマトからブームを継いだガンダムは、その点で最初から連邦軍側の自己欺瞞を明示し、勧善懲悪エンターテイメントに陥らない仕掛けを施していた。自己の正義をぶつけ合えば、最終的にはイデオンのように全員殺してリセットさせるしかないと、富野由悠季は分かっていたのである。

 出渕はそれでも、2199で敢えて理想を物語の最終に持ってきた。但し、旧作のように取って付けたような空疎な言葉としてではなく、各々の種族が持つ「罪」を自覚させた上で波動砲を封印し、物語全編を通じた思いとして雪の言葉に結実させたのである。

 出渕によって再提示されたヤマトの理想は、現実社会を顧みれば、きっとあらゆる場面で裏切られることだろう。だが、「種族を越えた理解」というテーマを丁寧に描き切った上でその理想を裏切るのは、「種族」「民族」といった人それぞれの不可避な属性ではなく、それに囚われたままの個々人の「思想」であり、理想を守るのもまた、人々の「意志」であり「思想」である。2199はその「意志」を強く示した作品として、私は心より評価し、賞賛したい。

 だからこそ本当は続編を作ってもらいたくない。完全新作であっても、正直なところ怖い。それでも作られることになったのならば、ガミラスの再建を中心に据えた物語であってくれたら良いと思う。ヤマトは波動砲を使わず、彼らをちょっと手伝うくらいで。どうか2199で示された理想への意志を貫いた作品にしてほしい。そう願い、公開を待とうと思う。