Even experts may make a mistake.(エキスパートだって万能じゃない)

医薬品販売で経過措置、省令を来週にも公布―厚労省

役人側からすれば予定通りなんだろうけど、ついに本当にとんでもないことになってしまった。
はじめに断っておくと、僕は楽天の利害関係者なので、以下に書くことは割り引いて読んで頂ければと思います。(が、正直に言って、楽天にとって薬が売れなくなるということ単体での収益インパクトはほとんどゼロ。単純に「売上減るから困る」というだけならあそこまで頑張る必要は全くない。)

中小の薬剤師が業界団体を作り、役所に陳情し、政治家に献金し、規制を強化するという、どこにでもある構造ではある。別に、陳情や政治家への献金を否定するつもりなど毛頭無い。それはそれで健全な民主主義の一部でもあるとさえ思っている。

今回の問題に限らず、社会システムにおいて、大きな限界に来ているなぁと感じると思うことがある。それは、「聖人君子」のようなエキスパートの存在を仮定している点だ。役人はとても頭が良くて、国家公務員一種の試験を通って...完璧な人間のはずだ。だから天下り先を用意されても、それに負けずに国のために働いてくれる「はずだ」と。政治家は、民意を代表して選ばれているわけだから、多少献金を積まれたくらいで信念を曲げる「べきではない」と。

もちろん、中には「聖人君子」みたいな人もいるだろう。でもね、全員にそれを期待しちゃダメ。そこは個々人の才能ではなく、仕組みそのものが「全員が聖人君子なんてことはあり得ない」ということを前提に設計されているべきなのだと思う。


今日、全く別件だが似たような話があった。特許の話。
特許というのは、特許庁の役人が許可を行う。また特許の権利侵害や無効性判断の裁判は、裁判官によって裁かれる。つまり、特許を審査する役人の能力や、特許関連の裁判を裁く裁判官の能力によって、我が国の特許の在り方が大きく変わるだけではなく、各企業の損得が大きく変わるというのは社会システムとして非常に大きなリスクを背負っているということを認識すべきだと思った。


最近話題の検察特捜部も全く同じなんだと思う。
緊急時には、総理大臣だって大統領だって差し替えるぞ、というくらい、自己修復能力が高い社会システムが必要な気がする。(そんなの出来たらノーベル賞もののような気もするが。)

オープンソースとコアコンピタンス

オープンソース的な何か」について日々考えている。

オープンソース的な何か」と言っても、ライセンスの問題に興味があるわけではない。オープンソースが発達した場合に、イノベーションの形態にどのような影響がもたらされるかについてだ。この吉岡さんの素晴らしい記事にインスパイアーされたので書いてみる。

イノベーションはどっかで起こっている(東京で)

Innovation Happens Elsewhere (IHE) -- イノベーションはどっかで起こっている
オープンイノベーションの究極の姿はOSSオープンソースソフトウェア)である。LinuxハッカーPerlハッカーRubyハッカーも全部社外にいる。社外のイノベーションを取り込んで自社のサービスの根幹に据える。そして、すべてのイノベーションが外部にあるときに、どうやって自社のサービスの付加価値を高めるのか。
イノベーションの外部化だ。その時のビジネス戦略はどのような形になるのだろう。

通常、イノベーションは最終的には、営利企業にて起こる。イノベーションの源泉は大学や研究所である場合もあるが、最終的に社会に便益を享受させる役割を担うのは企業である。企業は資本主義というメカニズムの中で、圧倒的な加速度を持って、イノベーションを起こしていく。

競争戦略というのは、競争企業との格差を作り出すこととイコールである。自社にはあって他社には無い何かを作り出さない限り、競争には勝てない。オープンソースが発達すると、矛盾が起こる。自社「だけ」が知っていることを強みにしたいという(経営側の)考え方と、多くの先進的な知がオープンになっているという事実が矛盾する。

自社で利用する技術の大半がオープンソースであるというのは、経営的には信じられないくらい怖いことだ。一見、自分たちの強みがどこにあるのかを見失わせるからだ。水平統合を目指すにせよ、垂直統合を目指すにせよ、オープンソースに依存するということは、経営的にはものすごく怖いことなのだ。

だが、そうせざるを得ない理由が二つある。

第一の理由は、オープンソースの方が性能が良いという点である。垂直統合を目指して、閉じたイノベーションを目指した製品と、多くのエンジニアのちょっとずつの時間によって生まれた製品は圧倒的に後者の方が出来が良いということはもはや歴史が証明しつつある。WindowsよりもLinuxが、IISよりもApacheの出来が良いのは偶然ではない。

第二に、オープンソースを採用した瞬間に、圧倒的に多くのドキュメントがウェブ上にあることに気づく。垂直統合を目指している限り、参照すべき文書はイントラネット上に存在するものだけだ。これは従来であれば当たり前のことだった。ところが、オープンソースを採用した場合、多くのドキュメントは検索エンジンから探すことになるだろう。20年前に一体誰が、社内の開発上の問題を解決するのに社外の文書が役立つようになると想像していただろうか。つまり、オープンソースを採用することで、企業から見れば、(1円も給与を払っていない)他人の知までも利用することができるようになるのだ。

こうなると、必然的にオープンソースを採用せざるを得ない。だが、そうすることで益々コアコンピタンスが分からなくなる。この問題こそが現代の経営者が解くべき問題なのだと思う。要はバランスの問題なのだ。AppleAmazon Webserviseもオープンソースを採用している。だが、コアコンピタンスも明確に存在する。このバランス感覚こそ、オープンソース時代の経営者の条件なのだ。