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2006-02-25 「萌え」とは「特定のキャラ属性を持つキャラへの受動的な全肯定」

[]「萌え」とは「特定のキャラ属性を持つキャラへの受動的な全肯定」

ここ最近、「サルでも描けるまんが教室」で有名な竹熊健太郎先生のブログで、萌えについての考察が日々続いております。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_c9f7.html


しかし、竹熊先生の「萌え」理解が、ちょっとピントがズレているのではないかと思い、しかもそれを誰も的確に指摘出来ていないように思うので、自分なりの「萌え論」について、ちょっと論じてみました。


竹熊先生が、ここしばらく「萌え」だと誤認して論じているのは、実は単なる「フェチ」なのではないでしょうか。言うなれば、それは「絵フェチ」であり「動きフェチ」であり「セリフフェチ」です。

これは非常に80年代的なアプローチだと思います。1980年代にアニメ文化が、絵フェチ=ロリ絵、動きフェチ=乳揺れ、セリフフェチ=だっちゃ、と言う表現の革命を起こし、空前のアニメブームを作り出した頃の文脈上で、未だに竹熊先生は論じておられるのではないかと思います。

現代の「萌え」の本質は、それより一歩踏み込んだ所にあるような気がします。そのきっかけとなったのは、ギャルゲーであり、何よりも90年代的な「サルまん」の分析技法なのではないかと僕は思っています。


「萌え」の対象は、絵柄、動き、衣装、言い回し、性格などの個々のパーツではなく、それらを束ねる法則、すなわち「キャラクター属性」にこそある、と言うのが僕の持論です。


1人の萌えキャラは、「ツンデレ」「つるぺた」「メイドさん」「幼なじみ」など、性格や外見的特性、性格と関連付けの強いコスチューム、主人公との関係性などで分類される、様々なレベルにまたがった複数の属性の組み合わせによって形成されています。

それらの行動パターンは非常に細かくコード化されており、キャラ属性同士の組み合わせの相性や、萌え要素を破壊しない範囲でのミスマッチなどが、不文律的に構築されています。そして、その属性という概念を、作り手だけでなく受け手までもが共有した上で、キャラクターを愛しているのです


この流れは、ハーレム的シチュエーションの漫画をベースにしたと思われる、恋愛シミュレーションときめきメモリアル」に端を発し(恋愛シミュの明確な起源についての論はここでは省略)、ギャルゲー・エロゲーの隆盛と、それを再び漫画にフィードバックする動き(赤松健マンガ「らぶひな」「ネギま!」等が顕著)によって、一般オタク層に広まったものと思われます。さらに、属性分析の一般化を象徴的に表すのが、あからさまな「萌え記号」の集合体であるキャラクター「でじこ」がオタク人気を博したという事実です。


その時の、キャラ属性を形成する際の分析の手法が、非常に「サルまん」的であることは誰も否定が出来ないところかと思います。読者によるマンガの評論・分析行為の一般化、という点においては、確実に「サルまん以前、以後」という変革の流れがあると思っています。


言い換えれば、「サルまん的」なキャラクター要素の分析行動を、一般的なメディアの受け手までもが意識的に行うようになったことが、現代の萌え文化の本質なのではないかと思います。

例をあげれば、かつては「ど根性ガエルのゴローくんって可愛い!」と言っていたのが、現代では「ゴローたん萌え〜!(=わたしはメガネくん属性が好き)」になっているのです。キャラクターの持つ属性を意識し、それが分類学的に作られたパターンだとわかった上で、それを自分の好みのタイプとして認識し、その属性=キャラの本質を愛でること。これが「萌え」という感情の本質なのではないでしょうか。


さらに言えば、これらの属性が導き出す言動や容姿(キャラ絵のタッチ含む)は、全て萌えの対象となります。

「萌え絵をマスターする!」と言うような文脈で言われる「萌え絵柄」と言う見方は、キャラの本質的な属性を愛する「萌え」行動に比べて、非常に表象的であると言えます。言うなれば、キャラの衣装だけを真似たような、非常に「風俗コスプレ的」で「フェチ的」な行動です。


さて。

ここまでは、萌える相手=「対象」についての話でした。次は、萌え感情のあり方=「スタンス」について、論を進めて参ります。


僕は、「萌え」の感情とは、自分が好む属性を持つキャラクターに対する「受動的な全肯定」の感情なのではないかと思っています。


これの逆となる「能動的な全肯定」とは、好きだから自分だけのものにしたい、自分以外は相手にしないで欲しい、自分の思う通りに行動して欲しい、自分好みの格好をして欲しい、と思うこと。一言で言えば、「愛ゆえの束縛」。現実の恋愛でも良くある、強い独占欲を伴う愛の感情です。


一方で萌えとは、「キャラクターを束縛しない愛」なのではないでしょうか。

今のままのキャラクターが愛おしいし、今後そのキャラクターから紡ぎ出される全ての動作、セリフが愛おしいという感情。自分を決して裏切らない二次元のキャラクターに対する、「俺も裏切らないよ」と言う表明と言っても良いものではないかと。

それはキャラクターが衣装を換えても(劇中のコスプレ)、時代背景や設定が変わっても(番外編、劇中劇)、一時的に性格が変わっても(酒を飲む、二重人格など)、変わらない。

何らかの一貫性を持つ「キャラの本質=属性」があることで生じるものである、と。


そのキャラクターの容姿、表情、セリフ、動作、衣装がどんなものであろうと、そのキャラクターの文脈(属性)を完全に壊すもので無い限り、徹底的に全肯定する。それが萌えの本質ではないかと思います。

自分のものにしようとするのではなく、ただ眺める。むしろ、触れてしまうと自分の影響を受けて、そのキャラクターの本質が変化してしまうのではないかと言う恐れすらある、と。


故に、原作キャラクターの文脈を外れた(属性のルールを破った)エロ同人誌を書く人は、厳密にはキャラに「萌え」ていないんじゃないかと思います。あくまで、そのキャラクターに何らかのエロ要素を見出しただけなのかと。

本当の意味でキャラに萌えている人は、キャラの妄想は抱きますが、それを積極的に形にしようとはしないのではないかと思います。自分がキャラを実際に描いた瞬間にキャラの本質が変わってしまうのを恐れるんじゃないかと。自分の「属性の本質把握能力」に自信がある人だけが、自他共に納得出来る「正しい」同人誌を書けるのではないかと思います。


最後にまとめると、「萌え」とは、「特定のキャラ属性を持つキャラクターに対する、受動的な全肯定の感情」なのではないでしょうか。

さらには、その感情が「好みのキャラ属性についての分析と自己認知を伴う」ものであるという点が、非常に現代的であると思います。


これはあくまでも僕の持論ですので、賛同や反対のご意見をお待ちしております。

長文をお読みいただき、ありがとうございました。

cellocello 2006/02/26 01:00 たけくまメモから来ました。とても面白いエントリーですね。自分の属性を自覚しているのが最近の萌えの特徴というのは確かにありそう。でも、それだとフェチと萌えって何が違うんでしょうか。パーツじゃなくて好みのタイプとか。部分じゃなくて全体ってことでしょうか?

くろいぬくろいぬ 2006/02/26 01:48 >celloさん
お読みいただきありがとうございます。ご指摘の通り、パーツか全体か、と言う違いだと思っています。タイプだから好きになるし、好きな人がタイプになる。まさに盲目的恋愛に近い感じかと。フェチはもう少し厳密に細分化された、限定的な嗜好という気がします。

izuminoizumino 2006/02/26 10:59 はじめまして。くろいぬさんが特定のフェチズムを自認しておられる方なのかは定かでないのですが、フェチストの心情を置いてけぼりにして「〜限定的な嗜好という気がします」とまとめちゃうのはちょっとどうかな、と気になりました。フェチストの中にも全人格的に愛そうという人はいくらでも居る筈で、萌えの方がパーツに拘ってるのが多いじゃないか、と言いたがるかもしれません。つまり個人差レベルの特徴を、それぞれ「萌え」と「フェチ」という異なるレッテルに振り分けてるだけなんじゃないかという疑問が生じるというか。例えば「萌えは穏やかな感情で、フェチは激しい感情」みたいな、片側の見地からの印象論で定義を決めちゃうような感じですね。付け加えると、最近はフェチストもフェチ対象に対して「萌え」という言葉を使うのですが、ぼくにはその「萌え」が普通の「萌え」とどう違うのか(個人差レベル以上には)解りません

izuminoizumino 2006/02/26 11:08 要約すると「萌え」の中にも「部分」と「全体」のレイヤー分けが存在するし、「フェチ」の中にもレイヤー分けが存在するんじゃないでしょうか。部分と全体の比重の違いで「便宜的に」「フェチは部分を重視する」などと言ってもいいと思いますが、それでもやはり個人的見地に過ぎない感は残ると思います

ヒロポンヒロポン 2006/02/26 11:10 たけくまメモでのコメントありがとうございました。
フェチと萌の違いは、最終的にジャッジをするのが個人なのか、共同幻想としての萌共同体(笑)なのかの違いなのかなーと思いました。
例えば、シチュエーションフェチとシチュエーション萌があったとしてフェチはその対象を個人で収集することに腐心してそれで満足を得られると思われますが、萌はそれを語り合う事で客観視しないと成立しないのではないかという考えからなんですが…どのように思われますか?

骨男骨男 2006/02/26 21:18 ども、はじめまして。
>キャラクターの持つ属性を意識し、それが分類学的に作られたパターンだとわかった上で、それを自分の好みのタイプとして認識し、その属性=キャラの本質を愛でること。
これは僕の考えとは少し違う文脈なのですが、こういう高度に知的な楽しみとして萌えておられる方は確実に存在しますね。
ただ、この文脈の萌えは属性の集合体としてのキャラに「粋」とか「趣」を感じているような気がするので、少々広義の萌えに傾いているような気が僕はします。

くろいぬくろいぬ 2006/02/27 00:19 >izuminoさん
celloさんへのコメント返信の部分は、ちょっと訂正したいと思います。萌えとフェチの違いについては、2/26のエントリーを参照して下さい。

くろいぬくろいぬ 2006/02/27 00:21 >ヒロポンさん
そのご意見には説得力がありますね。
というのも、「萌え」の背後には、ある種の「諦念」があるように思えてなりません。それは、萌えの対象を自分だけのものにすることを、あらかじめあきらめている意識です。それを諦めている同士だからこそ、本当は恋のライバルでありながら共に萌えについて語り、盛り上がることが出来るのではないかと。
例えば、自分の彼女がメガネをかけてみたら魅力的だったとしても、それを(冗談以外では)萌えとは言わないんじゃないかと。萌えとは、あくまで手に入らない、触れられないものへの憧憬のようなものではないかと思います。
アイドルの(声優なども含みます)親衛隊の団結力などにも通じるものを感じます(生身のアイドルに対しても萌えという言葉を使いますが、これはかつての「L・O・V・E、○○ちゃ〜ん」程度の意味で、より広義の萌えではないかと思っています)。
ただ、萌えコミュニティやフェチコミュニティの一般的な活動を深く知っているわけではないので、フェチとの違いについては推測の域を出ません。この辺りを深く語るには、もっと勉強が必要ですね。

くろいぬくろいぬ 2006/02/27 00:24 >骨男さん
はじめまして! どの時代のどの「萌え」を狭義の萌えとするか、と言う所から定義していかないと難しそうですね。ただ、自分の好む属性分析に自覚的な所は、かなり現代的な萌え行動の一つじゃないかと思います。

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