ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

XRQ技研の業務日誌(XRQ Tech Lab)

2011-05-23 本の整理・処分

ムギの開花

 早くも南の方では梅雨入りしたというニュースが入ってきた。一方では北海道は雪が降り一面が白い世界になっている映像がテレビから流れている。

 東京では昨日は午前中さわやかな太陽の下で気持ちのよい気候だったが、昼を過ぎたあたりから雲が厚くなり、夕方には激しい雨になった。そして気温が急激に下がり、上着がほしいほどになった。

地震が相変わらず続いている。さすがに大きな揺れは少なくなったが「やや強い」と形容される震度4程度の地震が各地で起きている。横になっていると背中がもぞもぞするような感じがして、地震への感覚が鋭くなっているようだ。揺れに対する恐怖というよりも「大きな地震が来るのでは・・・・」という不安が常にぬぐいきれない状況である。

 3月11日の地震では本棚の書籍が飛び出し、足の踏み場もない状況になった。これまで買い溜めてきた本が棚に収まりきれず平積みのまま部屋を埋め尽くしていたのだ。どれも思い入れのある本なのだが、そろそろ整理する時期である。とりあえず、今後読みそうもない書籍を集め近くの本のリサイクルショップへ持ち込んだ。「まだ誰かに読んでもらえればいい」との思いである。

 受付で店員に書籍を渡すと、しばらく待つように指示された。15分ほどすると呼び出され、「○○円なら買い取るがそれでよいか」と聞かれる。その提示された金額に驚いた。書籍を購入した金額の一割にも満たない金額なのだ。一冊一冊に思いがあり、まだ本としての価値は十分にあると思っていたので、そのような低い査定に驚いてしまった。これらの本はそんなに価値のないものなのか?

 しかし考えてみれば、自分が店に持ち込んだ本は「場所ふさぎ」の厄介ものとして処分したかったものであり、本の価値は人それぞれに負うところが大きいのだ。引き取った店としてもそれが流通するか否かは定かではなく、在庫の場所ふさぎになってしまう恐れもある。そのリスクを考えれば高い金額を付けるわけにはいかないのだ。

 冷静に考えれば納得するのだが、自分の本、あえて言えば自分の読書経験が否定されたような、評価されなかったことへのショックは大きかった。

 そのようなとき、地元の図書館ホームページが目に入った。予約状況のページである。人気のある本では千人以上もの人が順番を待っている。図書館でもそのような人気のある本は複数冊所蔵し貸し出しているのだが、要望に応じきれていないようだ。そこで、本の寄贈を受け付けていると掲示があった。寄贈された本で閲覧希望の多い本は図書館の蔵書として受け入れ、それ以外の本は希望者に配布してリサイクルしているとのことである。

 このような仕組みがあるのなら是非活用したいと思った。古書の店に持ち込んでむなしい気分になるよりも、ずっと気分良く「場所ふさぎ」の解消ができる。物である「本」はいつかは紙として処分されるのだが、せめて綺麗なうちはその中身・書かれていることを活かしてもらいたい。

 

 書籍が電子化されれば、純粋にデータとして扱われるのでこのようなことはなくなるのだろう。しかし、今、物として目の前にある本に対しては愛着がわいてしまうのも致し方がないと言い訳する自分である。 

2011-05-09 堂平山天文台

堂平山天文台

 連休中、高速道路はどこも渋滞が発生しているようだ。遠くまで行き、渋滞に巻き込まれると疲労がことのほか溜まってしまいそうである。昔、「安・近・短」という言葉がもてはやされたが、遠くに行かなくても、お金を掛けなくても、宿泊をしない旅でも結構楽しむことができそうである。

 今回も、車が走り出してから行き先を考えるという気ままな旅を始めた。「天気がいいね」「爽やかな季節だね」「木々の緑がきれいになってきたね」と話しているうちに「山に行こう」と行き先が決まってきた。以前行ったことがある堂平山を目指すこととする。

 堂平山は都幾川村にある。今は都幾川町になったようだが、木の村と言われるように林業で有名なところで、堂平山は標高876m、関越道鶴ヶ島あたりを走っているときに山頂にある天文台ドームが見える山である。

 1962年に東京大学東京天文台・堂平観測所として開設され、その後国立天文台・堂平観測所となっていた。以前訪ねたときには天文台へ通じる道路はしっかりと施錠されていた。そのため約1km手前の駐車場までしか近づけなかったところである。2000年3月、天文台は閉鎖され、施設は都幾川町に管理が移されたそうである。

 今回は嵐山・小川で高速道を降り、小川側から定峰峠を経て白石峠、そして堂平山へのルートを通った。山道なので細くくねくねと曲がりくねった道が続く。途中、たくさんの自転車に出会う。ギアを落とし、力を入れながら登っていく自転車。そのウェアーから十分に練習を積んだ人たちだと思われるが、すごいパワーである。下ってくる自転車は恐ろしいほどのスピードで豪快に下っていく。

 ただ山道のところどころで路面に亀裂が入ったり、盛り上がったところがあるのが気になる。ここにも地震の影響があったのだろうか。

 以前来たことのある駐車場に到着。そこはパラグライダーの離陸場になっていた。鮮やかな傘が風を見ながら飛び立っていく。上空にはいくつものパラグライダーが舞っている。

 車を駐車場に置き散策を始める。天文台への道が開いており、約1km、キャンプ場があるとの表示がある。この距離ならちょうどよい散策行程である。道ばたはさまざまな花が咲いていて一つずつ見ているのでなかなか前に進まない。特に多いのがスミレである。いろいろな色、種類のスミレが見られる。

 途中には大きな鉄塔の電波中継所が2カ所あり、上っていく車やバイクも結構多い。山頂には天文台と広場があり、その少し下にモンゴルのテント・パオやログハウスを備えたキャンプ場がある。

 天文台の周りを歩いていると見学できるという表示を見つけた。早速、受付で申し込み天文台内部を見学させていただくことにする。この日案内してくれたのは都幾川町に住んでいるというボランティアの方で、機械の整備のために登ってきていたところだとのことである。見学できたのは幸運だったわけである。

 91cm日本光学製のカセグレン型反射望遠鏡が設置されていた。定期的に観望会が行われていたとのこと。過去形なのは現在は使用できなくなっていたのだ。3.11の地震でドームが脱線してしまい動かないのだという。ボランティアの力で修理するには手に負えない状況である。

 現状ではこの建物の中は宿泊施設として貸し出されていて、寝室、台所、トイレ・バス完備で、ガス、水道、電気も使える、キャンプ場施設として使われているのだという。風呂からは横浜方面まで見えるそうだ。天文台内部を分割して貸し出すことができないので、この施設全体を一つのグループに貸し出すのだそうだ。何とも贅沢なものである。

 堂平は東京に近いながら冬季の晴天率がずば抜けていいところだそうで、天文ファンの利用が多いという。天文ファンならずともグループで活用するにはとても貴重な体験ができそうな穴場である。

2011-05-05 こどもの日

折り紙でカブト

 東京の天気はあいにく曇り。気温は昨日と比べればだいぶ低いものの寒いと言うほどではない。空一面に厚い雲が広がり、いつ雨粒が落ちてきてもおかしくない様子。

 こどもの日としては青空の中にこいのぼりがゆったりと泳いで欲しいのだが、今日の天気では致し方ない。五月の端午の節句としてはせめてもの慰めとして、柏餅をほおばって味覚を楽しむこととする。

 最近、歳のせいなのか涙腺が緩んでしまってしかたがない。被災地の子どもたちが、やっと卒業式を迎えたり、避難所になっている学校で入学式を行ったり、普段なら喜びでいっぱいのはずのこの時期、家族を亡くしたり家を失ったりという複雑な気持ちの中で式に臨んでいる姿を見ると涙が流れてしまう。

 この大震災で人々の感じ方・考え方ががらりと変わってしまった、大人でさえ大きな痛手を負ったのだから、子どもたちは理解を超える出来事に対してどう対処できるのだろうか。大人たちみんなが、子どもたちのこれからの成長をしっかり見守っていく必要がある。

 被災地を離れ全国に避難している方々も多いが、ふるさとへの思いを共有しながら心を一つにして日本全体として復興を進めていきたい。子どもたちには大きな輪の中で希望を持ってくれることを願いたい。

 

 本日、19:41から国際宇宙ステーション(ISS)がほぼ天頂を横切る形で通り過ぎるのが見えるようだ。この厚い雲が晴れれば見えるはずである。ISSは地上からの距離が東京=仙台程度の距離である。こんなに近い距離で地球の周りを高速で飛行している。地上から見るISSは点滅しない飛行機の明かりのようで静かに進んでいく。その明かりの中に人がいるということを考えるだけでも科学の未来にわくわくする気分である。ぜひ子どもたちにはわくわくする未来を持って欲しい。

 折り紙で兜を折った。「のぼうの城」で有名になった忍城を訪ねたとき教えてもらったものである。普通は平面的な直角三角形のような折り方だが、このカブトは立体的である。少し厚手の紙で折ると堂々として存在感が出てくる。このような造形を考えられるのも人のすばらしい力である。子どもたちの健やかな成長を祈ってしばらく飾っておきたい。

2011-05-01 日常を取り戻すために

陶芸の丘で顔を出していた

ゴールデンウィーク前半も終わる。何もせず家にいても仕方がない。被災地に多くのボランティアが行っているようだが、私には体力的に難しい。かえって交通渋滞や厄介の元になっては申し訳ない。

 そこで、近くで震災の被害を受けた地に消費活動ということで行くことにした。

 震度6強という激しい揺れに見舞われ、多くの窯が被害を受け、作品も失われたという益子を目指した。この連休は毎年、陶器市でにぎわうところである。いつもお邪魔する知床窯のお店はどうなっているのだろう。

 早朝に家を出て東京埼玉栃木と高速道を走る。心なしか車の数が少ない。窓に支援物資輸送中と書かれた紙を貼っている車もある。一般道に降りると周りの家々の屋根にブルーシートが目立ってくる。尾根の部分や瓦同士がぶつかるところの被害が多いようだ。すでに1ヶ月経つが修理の手が入っていない。これだけの数の修理となれば手が回らないのも致し方ない。塀が崩れているところも多く見かけた。大谷石のような石材を積んだ塀は大きな揺れに耐えられなかったようだ。

 益子の街に着く。陶器市のテントの数は例年より少ないようだ。また人出も若干少なく静かである。目当ての知床窯の本田さんの店に行く。いつも通りの営業をしているので安心する。話を聞くと震災の時、奥さんは店にいたが大きな揺れで一部の商品が落ちてしまい破損したが、大部分は助かったという。しかし、工房では窯に入れる前の作品が大部分破損してしまい、作り直すのが大変だったそうだ。象嵌てん前テントのご主人にも挨拶に行くと、「これまでこんなにたくさん作品を壊して捨てることがなかったので、小気味よい感じもした」と強がりを言っていたが、その悔しさはいかばかりかと推察された。4窯分もの作品が被害に遭ってしまったそうだ。でも、数は少なめだがいつものように爽やかな作品を並べ、息子さんと共にテントに立っている本田さんの姿は、益子の他の作家の皆さんの姿と重なって力強さを感じさせていた。

 もう一カ所、気になっているところがあった。那珂湊である。ニュースでは津波を受けて岸壁が崩れ、店も営業できない状態だと伝えていた。その後、営業を始めたという便りも聞こえてきたので、栃木〜茨城と高速道を走ることにする。

 一般道にはいると道路の凸凹が気になった。マンホールが浮き上がっているところがあるのだ。港に行くといつもの駐車場入り口は閉鎖され、奥側の半分を使っている。岸壁が崩れ、敷石がめくれあがっている。トイレも使用不能だ。それでもお魚市場ではいくつかの店が営業を始めている。買い物客も以前ほどではないが来ている。皆、思いは一つのようだ。震災からの復興は日常の生活を取り戻すこと。市場のにぎわいを取り戻すことが必要なのだ。

 那珂川沿いにおいしいイワシの丸干しを作っている店がある。そこを訪ねて驚いた。塀に大きな穴が開いている。海からの大波を被ってしまったようだ。人影は見えず営業ができない状態である。付近の公園もコンクリートブロックが剥がされて散乱していた。津波の爪痕が生々しい。

 「津波や原発の大きな被害から比べればこんなことは被害とはいえない」と益子の方が言っていたが、それぞれが毎日の生活を取り戻すためにがんばっていられる。自分のできることから復興への力となっていきたい。