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XRQ技研の業務日誌(XRQ Tech Lab)

2013-09-03 防災の日

防災フェスティバル

 南からの湿った暖気が上空の北からの寒気のぶつかっている。前線が日本列島に乗しかかるように停滞した状況である。天候が不安定になり、昨日は竜巻と思われる突風で大きな被害が出た。気象庁でも今年の天気について異常気象と言えるのか検証する会合を持ったという。地球規模の災害が続いている。スーパーコンピュータでの気象解析が進んできたこのごろになり、予測できない気象事象が頻発しているのは皮肉である。

 9月1日は大正12年9月1日に発生し甚大な被害を起こした関東大震災を忘れないために設けられた「防災の日」である。この日の前後は防災週間として位置づけられ、さまざまな防災に関する行事が行われる。

 先日、地域で行われた防災フェスティバルに参加した。消防署や消防団、町会や地域防災会などが中心になって災害への備えをアピールした。その中で応急救命のコーナーを担当し、胸骨圧迫による心肺蘇生法とAEDの取り扱いについて説明を行った。

 その中で、60歳代と思われるご夫婦がみえられ、とげのある質問をしてこられた。一通り心肺蘇生法の説明をした後、そのご婦人が次のような話をされた。

 お母様が国立の名の通った病院に入っていて、胸骨圧迫の蘇生をする状況になったという。その時、「大きな身体の若い医者が力一杯胸を押していた。そのおかげで母は、その後胸が痛いと言っていた。そしてまもなく息を引き取った。母が亡くなったのはあの医者があんなに強く胸を押したからだ。」と話されたのだ。

 病院でどのようなことがあったのかを知る由もない私としては、返答のしようもなく、お悔やみを伝えるしかなかった。そして、「心肺蘇生法を行えば必ず助かると言うことではないが、そのまま放置すれば亡くなってしまう方でも、蘇生法によって助かる命があるならば、できるだけのことをしたいとこの講習をしているのですよ」と伝えた。

 二人称の死を経験した者にとっては、さまざまな悔いが残り、「もし・・・・ならば」と考えてしまうのは致し方のないものである。いつまでも生きていてほしいと願うのは当然であり、死という現実を受け入れることの難しさは計り知れないものがある。

 胸骨圧迫蘇生法は究極の状況で行われるものだ。外部から胸郭が5cmも沈むほど大きな力で胸骨を押し、その下にある心臓を圧迫し、脳への血流を確保する。肋骨の骨折が起こるかも知れない。圧迫部の皮下出血は当然起こる。内臓部の損傷の危険もある。そんな危険を冒しても脳の酸素不足によるダメージを軽減したいということから行われるものだと理解している。

 AEDにしても、「止まってしまった心臓を再び甦らせるもの」と理解されているむきもある。しかし、 AEDはAutomated External Defibrillator,「自動体外式除細動器」と呼ばれるように心室細動によって本来の心臓機能が損なわれてしまったとき、機器が自動的に解析を行い、必要に応じて電気的なショック(除細動)を与え、心臓の働きを戻すことを試みる医療機器なのだ。これを使えば誰でもが甦ることのできる魔法の機器ではない。

 大人でさえ命と向き合うことは難しい。小学生や中学生にも心肺蘇生法やAEDの扱いを講習しているが、どこまで命の尊さに迫って伝えられているか自信はない。しかし、限りある命をその最後の時まで大事にしていくのだというこの取り組みは続けていきたいと思う。