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書房日記

2017-03-31

関千枝子『図書館の誕生』

 かつて北上次郎は日野市立図書館誕生のこの物語を「水滸伝」と評したが(『図書館読本 別冊・本の雑誌13』本の雑誌社、2000年)、初代館長による前川恒雄『移動図書館ひまわり号』筑摩書房、1988年(再版夏葉社2016年)を読了した上で読んでも、全く熱い群像劇に違いない。ノンフィクションライターとして、図書館に関するドキュメントを物にせんとした著者の狙いは十分に達成されている。

 『移動図書館ひまわり号』と基本的な構図を同じくしながらも、本書の独自性が現れているのはより利用者、特に女性と子どもへの視点に力点が置かれていることだろうか。「電車図書館」での子ども達、高幡図書館建設の原動力となった「子どもの本を読む会」の女性たち、読み聞かせを担った女性図書館員の描写を挙げることが出来る。

 日本図書館史と日本現代史、ことにその戦後女性史の研究とが交差する時、そこには戦後日本社会における性別役割分担の中での、主婦・母親としての女性たち、そして働く女性としての女性図書館員の存在が浮かび出て、そこからまた戦後日本図書館史の、日本現代女性史の新たな論点が見いだされていくのではないかと、本書からは読後にそんなことも感じさせられたのだった。

 それからもう1つ付け加えるなら、これ程「図書館映画」「図書館ドラマ」にふさわしそうな題材はまたとないように思われる。何時か映像化企画が生まれることを期待したい。

2017-03-05

ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏


1993年設立された出版社である岩田書院は、主に日本史民俗学関連の学術書を取り扱っていて、編集者を兼ねる岩田社長ただ一人が正社員という会社で、その設立以来20年分の「新刊ニュースの裏だより」をまとめたのがこのシリーズとなっている。

実はこの裏だより、同社のホームページでも全て公開されている。書籍として読むと一つ一つの記事の短さは時に感じるし、時には愚痴や毒も混ざっている。ただ通読することで、1990年代からの出版の変化、底が抜けるような学術書を取り巻く状況の変化と、その中で一貫して学術書を発行し続けてきた著者の出版への意気を読み取ることも出来る。学術書出版に関する具体的な記録として、出版に興味のある読者から今後も参照されることが期待される。

2017-01-20

『図書館を育てた人々 日本編1』

 田中稲城から中田邦造まで、明治期から戦前期までの代表的な図書館関係者18人を取り上げた評伝集で、『図書館雑誌』での連載記事が元なので、実物を手に取ると思ったよりコンパクトだった。

 

 個人史としてみると状況に恵まれなかったり不遇だったりと、なかなかに暗い話も少なくない。石井敦があとがきで述べるように、まさに「苦闘」という語が相応しいけれど、ただでさえ高等教育経験者が少なかった時期の帝大出身者など、相対的には皆結構な高学歴だったり、人事制度の確立前なので公共図書館大学図書館などの館種の区別を超えて複数の図書館を渡り歩いたりと、反面なかなかに自由と言えば自由なところもあったのだなあという印象も受けた。

 このシリーズ、日本編1に続いてアメリカを対象とした外国編1が出たところでストップし、単独でイギリス篇が出ている。戦後日本を対象とした「日本編2」が企画されることを期待したいものだ。

 

2016-12-29

回顧・2016年 読んだ本 附 読んだ漫画

過去の分は回顧・2014 読んだ本 附 読んだ漫画 - 書房日記回顧・2015 読んだ本 附 読んだ漫画 - 書房日記

 しかし2年前はこれでも多少は読んでいたんだなあと感じてしまうし、過去2年と比べても更に数が減ったことは否めず、更に途中からほとんど個別記事を書いていないので、来年は今年分の個別記事からやり直すことになるだろう。

 とりあえず落とせないものを順不同で列挙すると、桜井英治『贈与の歴史学中公新書2011年はこれは周囲の誰からも評価されているのが納得の、2010年代の歴史系新書でもオールタイムベストに入るのではないかという面白さで、未読の方は是非御一読下さいと素直に言いたくなる1冊でした。

 今年復刊された前川恒雄『移動図書館ひまわり号』夏葉社2016年(初版は筑摩書房、1988年)も、日本図書館史に残る一大変革の当事者による証言という枠を超えた、現場での現実と理想との間での苦闘を描いた傑作ノンフィクションと言って良い面白さだった。


 これも今年復刊された森崎和江『からゆきさん』朝日文庫1980年も、従軍慰安婦の前提となる戦前の売買春の歴史を当事者の女性を描いている中で、九州の村というローカルな場を起点に文字通り世界を動き生きた女性たちを通じて19世紀から20世紀のアジアにおける帝国主義と植民地支配のダイナミックな世界を描いた凄い本だった。

 野党共闘という形での社会運動の大同団結が見られた一方で、戦後の社会運動史の評価というよりも評判が落ちていくばかりの感もある昨今、澤井余志郎『ガリ切りの記 : 生活記録運動と四日市公害影書房、2012年は地域での社会運動についての記録として興味深かったけれど、後半の公害問題を巡る政治の在り方は原発事故後の現在読み直しても重いものがあった。

 また十五年戦争期の社会史と地域史を総ざらいした感のある、大串潤児『「銃後」の民衆経験』岩波書店2016年も今年出ている。

 漫画の方が相対的に比重が高くなった感もあり、池田理代子オルフェウスの窓』とやまむらはじめ『天にひびき』は今年完読して終盤にうーむとなったけれども、それぞれクラシック好きは一読の価値ありと感じた。池田理代子だと『おにいさまへ…』の方が好きな感じだった。

 青池保子も『イブの息子たち』の続きに加えて、『七つの海七つの空』『エル・アルコン』を読んで、エロイカのコミカルさはどこへやらの『Z』に通じるような生臭い展開におおっとなった。こうの史代この世界の片隅に』はいい加減映画版も観てみたいところ、Cuvie『絢爛たるグランドセーヌ』もなかなか良かったし森薫乙嫁語り』は19世紀中央アジアとか歴史研究者顔負けの濃さでこれも続きが読みたい。

 あとは島本和彦アオイホノオ』も1・2巻だけでさすがの濃さで、庵野秀明描写新谷かおるへの言及だけでも満足してしまい続きまで読めていない。篠原ウミハル『図書館の主』も、図書館漫画は意外に?良作揃いのジャンル、という法則に違わず読んでみるとなかなか良かった。

という辺りで時間切れです。

2016年の回顧

 駆け足で振り返ると、はてなブックマーク別館 稲田朋美防衛大臣の就任会見に関する質問 - 書房日記はてなブックマークでは今年最大の反響で、貧困女子高校生報道を巡る問題についてのはてなブックマーク別館 自称愛国似非保守の言論における誤認と無責任さについて - 書房日記にしても、結局は現代日本の似非保守に対する批判ということになるだろうか。


 結果的に一番記事数が多かったのは将棋のソフト使用不正疑惑、いや不正疑惑を巡る日本将棋連盟の対応の不当性に関するもので、竜王戦挑戦者出場停止事件 - 書房日記に始まり今週の日本将棋連盟の不正疑惑対応とその不当性について - 書房日記まで、論旨と結論はほとんど変わっていないつもりだけれど毎回こちらの予想を上回る自体に閉口しながら書く破目になった。

 くしくも積読本のリストを「順位戦」と銘打って載せだしたところだったので、本家順位戦の歴史にまさかの汚点が残るとはと感じたものだった。


 加藤寛治日記と1929年の美保関滞在について - 書房日記はDG-Lawさんの鳥取島根旅行記記事がきっかけになって書かれたもので独立性の高い単発記事だが、これぐらい限定された主題に当たっても十分記事が1つ書けるんだと感じさせられ、あれこれ考えるよりも取りあえず書いて残しておくと後から参照出来て良い、ということを改めて実感した次第。

 そういう視点だと、DG-Lawさんのブックマークをまとめ直した記事(いい感じに少し前のブックマークで読んだ記事を再度紹介して貰えるので勝手に時間差記事と読んでいる)のような、ブックマークなりハイクなりをまとめ直したものをここに置いていくのも良いかなと、これは来年の運営の課題だろう。ハイクでぼそっと書いたつもりのはてなブックマーク - 劇場版で西住まほが作戦名に「ニュルンベルクのマイスタージンガー作戦」と提案... - ガルパン - shigak19 - はてなハイクがこれも有数の反響だったので、機会があればまとめ直したい。

 去年は従軍慰安婦に関する日韓合意に何だかなと感じた休み入りだったけれど、今年は日本将棋連盟の会見と首相真珠湾演説に何だかなと感じつつ、休みに入ることとしたい。今年も何かと有難うございました。来年もどうぞ宜しく。

2016-12-27

日本将棋連盟の不正疑惑対応とその不当性について

過去3度の記事でも延々書いてきたことであるが、この事件は動きがあればある程、予想を上回る事態が起こり、全く閉口したくなる憂鬱な気分で記事を書くことになる。

既に3度の記事で提示した視点を再提示するものに過ぎないが、今この時点で改めて書きたいという心情の赴くままに書き連ねることにも多少の意味はあると考えて、以下の文章を記した。正確性を欠く面もあるやもしれないけれど、読者諸賢の御批判をお待ちしたい。


日本将棋連盟の設置した第三者委員会は、三浦弘行九段の不正疑惑について、不正行為に関する証拠が不十分で不正の事実を証明することが出来ないとする旨の調査結果を公表した。

このこと自体は、当方が何度か論じてきたことであるが、筋が通っていて、一連の事態の中では丸山忠久九段の筋の通った意思表示と共に、数少ない真っ当な判断であろう。

しかし第三者委員会は、竜王戦前の不十分な証拠での処分を「妥当」と判断している。これは連盟側から依頼された委員会として連盟寄りの姿勢であるという事情があるにしても、不当な判断と言わねばならない。当方が既に論じているように、不十分な証拠しか揃っていないのならば証拠不十分で不処分にすべきだったし、竜王戦という一タイトル戦の名声・評判のために、不十分な証拠で以て挑戦者を排除することこそが、人間対人間の勝負を保障するという将棋の根本精神を踏みにじる危うい行為だったのであり、緊急性は処分を妥当とする根拠にはなりえないと考えるべきではないか。連盟の理事会・常務会の責任を減免するような、政治的な決定とさえ言えるかもしれない。

さらに今回最も批判すべき点は、谷川浩司会長以下の日本将棋連盟理事会がこの第三者委員会判断に基づいて、三浦九段への謝罪は行ったものの、自らの責任を不問に付し会長ら3名の減俸処分にとどめた上に、朝日新聞報道によれば何と救済措置として「不利益の救済策の一つとして、連盟は、来期もA級の地位を保証することを決定」したということにある(http://www.asahi.com/articles/ASJDW4TVNJDWUCVL01C.html 村瀬記者の、20時34分付けウェブ版記事)。

ここまでくると、棋士たちを中心に構成されているはずの将棋連盟理事会にとって、順位戦の重みとは、勝負の重みとは、将棋とは何なのか、と問わざるを得ない。勝手にA級順位戦不戦敗にしておいて、その処分が不当だったら救済措置として即A級残留を確定するなど、これはもはや政治の世界の論理であって、勝負の、将棋の世界の論理ではないのではないか。A級順位戦を勝ち抜いて名人に挑戦すること3度、遂に名人位5期獲得によって永世名人の称号を得た谷川浩司会長にとって、A級棋士の地位は盤上での指し手ではなく連盟理事会の、それも一度目は明らかに不当だった決定に2度までも左右されても良い程度のものに過ぎないのだろうか。

A級順位戦の三浦九段不戦敗分の取り消しは当たり前だが、その分は指し直しにすべきで、そこで敗れたのならば一敗は一敗として計上するのが、棋士人生ある限り付いて回る順位戦の成績の決め方だろうと考える当方は、いささか単純すぎるのだろうか。

何度か書いてきたことだが、実力名人制以来、順位戦将棋界も、盤上での指し手こそが全てという勝負の論理に貫かれて成立してきたのであり、その論理に反して挑戦者を差し替えた上、その処分の不当性をA級残留という超法規的措置で補おうとする連盟理事会はもはやこの論理に反しており、この論理に基づく将棋界が崩壊するか、この論理をないがしろにする理事会と将棋連盟が滅びるしかないのではないか、と当方は感じざるをえない。

将棋連盟の正会員たるプロ棋士一人一人が、一手一手の指し手に、人間対人間の勝負に意味を見出し一生を懸けるという将棋棋士の原点を改めて愚直に尊重し、良心的に行動することを、一将棋ファンとして願ってやまない。