2010-05-28 悪いものは、何も見えない
『うわさの人物 神霊と生きる人々』を読んで
超能力や霊能力は真実か、という切り口は、いまでもテレビを賑わすテーマのひとつですが、その答えのすべてを伝え切っているような本を今、読んでいます。作家の加門七海さんの『うわさの人物神霊と生きる人々』(集英社文庫)というインタビュー集で、非常に中立的な視点が貫かれています。
取材に際して350項目以上の共通の質問や、何ができて何ができないかというチェックシートを用意したりと、緻密な作家らしい切り口で、超能力者&霊能力者とは何かを突き詰めていくのです。
中には、懐疑派の代表でもあるあの大槻教授とテレビ出演し、大槻教授の使っているゴルフクラブのヘッドカバーを言い当てて黙られたというハマサイ氏も登場しています。
もちろん、この本は、超能力や霊能力が真実か真実ではないか、という視点で書かれたものではありません。僕が興味をもったのは、「私の目には悪は存在しない、悪いものは何も見えない」という霊能者の言葉でした。
おそらくは、目に見えるもの、見えないものも含め、魑魅魍魎すさまじい人や霊と接してきたであろう霊能者が語った言葉が、「悪いものは見えてない」の一言。卓越している、といえばそれまでですが、ただ人や世界を信じて生きるという姿勢が、この本を読んで最終的に、自分の中に残ったことです。
どんな能力を持っているにしろ、いないにしろ、生きるとは、ただ信じ続けることなのではないか、と哲学的なことを思うこの頃でした。
2010-05-07 『引き寄せの法則』を引き寄せる!
『ザ・シークレット』DVD版をみたよ
先日、ベストセラーとなった『ザ・シークレット』(角川書店)のDVD版を観ました。この本は、歴史上の賢者たちがこっそり知っていたという「引き寄せの法則」について、ストレートかつ面白くイメージ映像で解説してもらうと、すいすいと頭に入ってきます。
THE SECRET [DVD] ザ・シークレット
http://www.honokasha.jp/music/secret-dvd.html
『神との対話』のニール・ドナルド・ウィッシュなど、名だたるスピリチュアル書籍の書き手も登場し、まさに、満を持して世に出た、スピ版「ウィ・アー・ザ・ワールド」といった感じです。
「引き寄せの法則」とは、簡単に言えば、思っていることや考えていることがそのまま現実になる、という、もっともシンプルで誰にもあてはまる宇宙の法則で、「シークレット」いわく、「宇宙のカタログで自由に商品を選ぶように、望むものや状況が得られる」と聞くと、なんだかワクワクしてきました。
と、同時に、今ようやく気付いたことがあります。
ホノカ社で制作や販売に携わっているオラクルカードも、この引き寄せの法則に基づいたアイテムのひとつなのですが、実際にオラクルカードの解説書を隅々読んでいると、正直なところ、こう思うことがあります。
「その状況が好転するとか、新しい展開や出会いがもうすぐあるとか、ちょっと都合良いメッセージばかりじゃないか‥‥」と、制作側にもかかわらず、ちょっと疑いの視点もわいてきます。
でも、この引き寄せの法則に基づいたオラクルカードという物を、<引き寄せた>人だからこそ、こんなメッセージが届くわけです。
じつは至極当然なことでした。くじを買わない限り、宝くじが当たらないのと、まったく同じです。
たとえば、「新しい展開が起こる」というメッセージを読み、それを信じることで、本当にそうなってしまう=引き寄せてしまう、という流れです。
ここ数年で「ザ・シークレット」やオラクルカードをはじめ、さまざまな媒体を通して、<引き寄せの法則>が世界中に広がりました。
この先の数年後には、がらりと変わった美しい世界になっている、という未来を、僕は引き寄せようと思います。
2010-04-23 泣きながら食べたごはんの味は一生忘れない
大学時代のころのはなし
エッセイ |
大学を中退した後、何もすることが見つからず、結局、その中退した大学の学生たちがつくる演劇サークルに入って、毎日キャンパスに通っていました。
僕は新参者でしたが、プレゼンの結果、脚本と演出を担当することになりました。当時、この演劇に、自分の表現力のすべてを注ぎこむことで、なんとかその後の人生を切り開こうとしていたような気がします。
学生演劇とはいえ、俳優とスタッフは30名近くおり、公演も、プロが使う本格的な劇場をおさえていました。
ところが‥‥。
本番の数日前から、予想もしない事態の連続でした。役者もスタッフも次々に疲労で倒れたり、看板女優がいままでのうっぷんをはらすかのように、脚本・演出の僕に講義文を提出してきたり。
公演初日となると、大事な場面で役者が小道具を落としたり、アドリブで失笑をかったり、半年間も稽古してきたというのに、いちばん大事な本番だけでしか起こらないミスばかり起こるのです。
僕にとっては、表現力で勝負するというはるか以前の問題で、自分も含め、学生独特の甘さとエゴが噴出した、ひたすら苦い経験となりました。
この半年がかりの失敗は、その後さまざまな仕事をするたびに、経験しておいて良かったなあと思うのですが、いまでも忘れないのは、不思議と、その夜のごはんの味です。
公演初日を終え、深夜に帰宅してようやく一人きりになったとき、くやしいのか、悲しいのか、おそらくためこんだ感情を吐きだすために、ポロポロと涙をこぼして、泣きながら遅い夕食をとりました。
自分にとっては、これがいちばん演劇らしいワンシーンだなあと思ったりしながら、顔をタオルでこすりつつ、ひたすら箸を動かしました。いつもの炊飯器で炊いたものなのに、このときのお米の甘さを、ことあるごとに思い出すのです。
人生の苦い経験は、涙とごはんの味とともに記憶の棚に整理されていくのではないか、というのが、今でもつづく自分なりの仮説です。
2010-04-07 待合室のハッピーバースデー
大阪モノレールの駅の構内でのこと
エッセイ |
大阪モノレールは、我が町から、伊丹空港や、岡本太郎の太陽の塔で有名な万博公園などへ通じているので、よく利用しています。
各駅の待合室には、ちょっとリッチなスペースがあり、自動販売機とけっこうしっかりしたソファとテーブルが並んでいるので、僕はあえて電車を一本遅らせ、このラウンジでカップコーヒーを片手にくつろぐのがちょっとした楽しみでもあります。
もっとも、通勤通学で行き来する人にとっては、あまり関係のないところのようで、このスペースは、ほとんど利用されていません。
そういう貸し切り気分の中、その日の夜十時過ぎも、ひとりでコーヒーを飲んでいたのですが、今夜はなぜだか、二つ隣のテーブルに、たくさんのロウソクの炎が見えました。
仕事帰りといった感じの、二十代後半の女性四人が、ケーキを囲んで、ハッピーバースディーを歌っています。次々とプレゼントを渡し、主役を囲んで写真をとり、四人それぞれが楽しそうに談笑しながらケーキを分け合っています。まるで「SEX AND THE CITY」の四人組のようでした。
この駅は、いくつかの路線のハブでもあり、四人全員がうまくそろう場所がここだったのかもしれません。毎日遅くまで仕事、明日の朝も早い、というおきまりの忙しさの中でも、負担なく、友人の誕生日のその日に、少しでも長くいられる場所が、この駅のスペースであったと。
この四人は、きっと十年後、二十年後も、きっとどこかで集まって、こうして友の誕生日を祝っているのだろうなと想像しながら、僕は、ちょっとリッチなカフェタイムを終えて帰宅したのでした。
2010-04-03 いちばん涙と出会う場所
サッカー少年たちは、こうして生きる力をつけていく
家族エッセイ |
小学五年生になる息子が、少年サッカークラブに所属しており、週末は、おなじみの子たちの試合を見に行くのが常です。
このエッセイのタイトルにある、「涙と出会う場所」とは、その子どもたちの試合会場のことで、チームを問わず、試合に負けた、特にPK戦ではずした子たちが、声をあげてわんわんと泣いている姿をよく見かけるのです。
大人からすると、毎週のように試合があるじゃないか、とも考えてしまうのですが、子どもたちは、そのいつもの試合で、泣いてしまうほどに、とにかく一生懸命なのです。
PK戦は運が左右することが多く、はずした子を責めるような子は誰一人いません。いつ自分がその立場になるかわからないからです。
それでも、負けた責任を感じてか、ただ悔しくてか、やっぱりまだまだ子どもらしい表情で目を赤くしてベンチにさがり、お弁当の時間になっても、まだ膝を抱えて泣いている姿を目にします。
僕はそんな子をよく、遠目から眺めているのですが、チームメイトが、一人また一人と、じつにさりげなく「次がんばろうや」とか、「気にすんなよ」と声をかけていくのが常です。
サッカー少年たちは、こうして生きる力をつけていくのだな、と感じながら、泣くほどに一生懸命になれることができるのは、子どもの頃だけなのかな、いや、そんなことはないぞ!と、週末ごとに思うのです。
