人は見ているつもりでほとんどのものを見逃している.


人は見ているつもりでほとんどのものを見逃している。

『ひとりエスノグラフィ』DESIGN IT! w/LOVE

ほぼ毎日長文を,しかも中身の濃いものをしたためられているHIROKI tanahashiさんのBlogを読んでいて,引っかかった言葉.
これを初めて意識したのは,1年間のインターンシップを終え,オーストリアから帰国し,成田空港に降り立った時だ.「全てが分かって,気持ち悪い」.看板,広告,人の声,アナウンスといった周りにあるもの全ての情報を理解できることに戸惑った.ヨーロッパでは,理解できないのが当たり前で,その中で生きていくために必要な情報を逃さないように,アンテナが知らず知らずのうちに研ぎ澄まされていったのだろう.

だが,その感覚も1週間も経たないうちに薄れてしまった.自身の処理できる情報量よりも多すぎる情報であふれている世の中では,それを遮断せずには生きていけないのだろう.

自然に遮断し,取捨選択する能力はストレスを軽減するという意味では有効だ.だが,気付かないうちに捨ててしまっている情報があるということに気づけたこと,そしてアンテナを研ぎ澄ませられたことは,外国生活の一つのいい点だった.