新聞に「惜別」というページがある。
最近亡くなった人を惜しむページである。
昨日出ていた西村公朝さんは、仏像作家であるということだけ知っている。
何年か前、奈良の文化会館で、「仏像彫刻同好会作品展」という看板を見かけた。
素人の仏像彫刻!
面白そうではないか!
なんと言っても、「彫刻」だ。
立体である。むつかしいはずだ。
のけぞったような観音様とか、ボケーッとした不動明王、こけそうな阿弥陀如来、ほんとにこけてしまうのでお互いに力を合わせて支えあってる釈迦三尊像、薬師如来につっかいぼうをしてあったり、千手観音の手が取れたのをセロテープで張ってあったり、仏像作家の憧れの的、広隆寺の弥勒菩薩像に挑戦したのはよいけれど、あまりのできの悪さに、頭をかいて苦笑いしている弥勒菩薩などといった楽しい作品がならんでいるに違いない。
期待に胸を躍らせて会場に入ってがっかりした。
そういうヘンな物はなかったのだ。
入り口に近いところが初心者の作品のようである。
作品が小さい。
手や足、頭部だけといった、「単品」「パーツ」がほとんどである。
何だかほほえましくて良い感じである。
少し奥に行くと、「脱初級クラス」
小さな仏像である。
バランスが狂っているようなのもあるが、そこにかえって「古拙」とも言える魅力があると言っても良いような趣があるような気がしないでもないようにも思うがやはりおかしいかなとも感じる。
「中級クラス」になると、作品の大きさ、出来栄え、ともに立派なもので、素人の作品とはいえ、思わず手を合わせたくなるようなものもある。
中央に置かれた講師の方の等身大の作品は、実に素晴らしいものであった。
私は絵が好きなので、アマチュアの作品を見ることがあるが、この仏像彫刻のレベルの高さには感心した。
受付に70代くらいの男性が何人かおられたので話を聞いてみた。
「もっとヘンなのがならんでると思ったのですが」と言いたかったがやめた。
「別にむつかしいことおません。写真見ながらやるんですワ。一、二年したら結構彫れるようになります。お宅もやってみはったら」
そうなのか?
確かにこの人も、「仏像製作五十年!」とか「み仏に仕える!」とかいう感じの人ではない。
ふつうのおじさんだ。
大いなる疑問が浮かんだ。
法隆寺の百済観音とかもこういうおじさんが作ったのか?