Hatena::ブログ(Diary)

Mal d’archive

2012-12-01

2012-07-01

甘美なる死

フーコーの晩年における「自殺」に関する発言を適当に抜粋してみる。

フーコー:しばらく前から頭を離れないことの一つは、自殺するのがどんなにむずかしいものか、自分にもわかってきたということなのです。手近な自殺の方法に何があるか、ちょっと数え上げてみましょう。いずれ劣らずぞっとしないものばかりですが。ガス、これは隣人に危険を及ぼす。首吊り、これは翌朝死体を発見する家政婦の身になってみればやはり不快なものです。窓から身を投げる、これは歩道を汚します。しかも自殺は社会の側からはもっともネガティブな見方をされてもいるわけです。自殺するのはよくないことだと言われるだけでなく、もし誰かが自殺するなら、それはよほどひどいことになっていたからだと思われてしまう。

W・シュレーター:不思議な話をなさいますね。というのもぼくはちょうどアルベルト・バルサックという友人、これは僕の映画や演劇で衣裳係を務めている女性なのですが、この人と、最近自殺した二人の友人について話し合ったばかりなのです。
 ひどく落ち込んでいる人に、自殺する力があるということが理解できないのです。僕ならば恩寵の状態、最高の快楽を味わっている状態でしか自殺はできないでしょう。落ち込んでいるときにはとても無理です。

G・クーランジャン・ユスターシュ自殺が一部の人たちに非常な驚きをもたらしたのは、自殺に先立つ数日、彼が元気を取り戻していたからでした。

フーコージャン・ユスターシュは元気になって自殺したのにちがいありません。あんなに元気だったのにと、まわりの人たちは理解できない。実際、そこには認めることのできない何かがあるのです。自殺ほど美しく、従ってこれほど注意深い考察に値する行為はないと人々に再教育するための、真の文化的闘争に私はくみするものです。人は一生かけて、自分の自殺を練り上げなければならないのです。
(「ヴェルナー・シュレーターとの対話」ミシェル・フーコー思考集成〈9〉所収)


――結局のところ、社会保障はどのように人間倫理に貢献しうるのでしょうか?

フーコー:(……)私は社会保障はいくつかの問題を提起する、人生はなにに値するのか、ひとはいかに死に立ち向かうべきかという問題を提起することによって、すくなくともそれに貢献していると言っておきましょう。
 個々人と決定の中枢との接近という考えは、すくなくとも結果としては、好きなときにしかるべき条件で自死する権利が、やっと各人に認められることを前提としています……。もし私が宝くじで巨万の金を獲得したなら、死にたいひとびとが快楽のうちに、たぶん麻薬漬けで週末、一週間、もしくは一月を過ごしにやってきて、その後まるで消え去るように他界する施設を創立することでしょう。

――自殺への権利ですか?

フーコー:そうです。

――現代人の死に方については、なんと言うべきでしょうか?しばしば病院での、家族の付き添いもない、あの人間味のなくなった死についてどう思われますか?

死は非=出来事になっています。事故でない場合には、ひとは概して医薬品に覆われて死んで行きます。その結果、数時間、数日、あるいは数週間も完全に意識を失ってしまいます。消えてなくなるのです。私たちは医療および薬品が死に伴うことで死から多くの苦しみと劇的なものが取り去られる世界に生きているのです。
 死の「人間味の喪失」について、なにか統合的で劇的な大儀式のようなものが参照されちち言われるすべてのことに、私はそれほど同意しません。棺のまわりでのけたたましい涙は、かならずしもある種の臆面のなさを免れているわけではありません。そこには遺産相続の悦びがまじっているかもしれないからです。私はその種の仰々しさよりも死去の穏やかな悲しみのほうを好みます。現代人の死に方は、こんにち通用している感性、価値体系をはっきり示しているように思われます。懐古的な心の高ぶりのなかで、もうどんな意味ももっていない慣行を再現したいと望むことには、どこか空想的なところがあります。
 それよりも、死=消失に意味と美を与えようではありませんか。
(「無限の需要に直面する有限の制度」同上)


映画作家のダニエル・シュミットに会ったときに、数分後、彼と私は、私たちが本当に何も語り合う必要はない、と気づいたものです。こうして私たちは、午後三時から深夜までのあいだを共に過ごしました。酒を飲み、ハッシシを吸い、夕食を取ったのです。そして、この十時間のあいだ、私たちは二十分以上は話をしなかったと思います。これがかなり長い友情の出発点でした。私にとって、まったくの沈黙の関係の中で友情が生まれたのはこれが初めてのことでした(……)。
 沈黙とは不幸にも、私たちの社会が放棄してしまったものの一つであると思います。私たちは沈黙の文化を持ち合わせていませんし、自殺の文化も持ち合わせてはいません。日本人はそれらを持ち合わせています。
(「スティーヴン・リギンズによるミシェル・フーコーへのインタビュー」同上)


フーコー:(……)実際、私は本当に快楽を経験することがほとんどありません。快楽とは。私にとって極めて難しい振舞いだと感じられます。それは事物を享受するほど単純なことではありません。告白しなければなりませんが、それは私の夢なのです。私は、どのようなものであれ快楽を死ぬほど味わって死にたいし、またそう望みます。というのも、それは極めて困難なことだと私には思えるからであり、また、私が真の快楽、徹底して完全な快楽を感じることがないという印象をつねに持っているからです。そして、この快楽は、私にとって死に結びついています。

――なぜそのようにおっしゃるのでしょうか。

フーコー:私が真のものだとみなすような種類の快楽は極めて深遠、強烈で、完全に私をおし包むようなものであって、私はそれを生きて通り越すことはできないだろう、と思うからです。私は死んでしまうかもしれません。よりはっきりした単純な例を挙げましょう。かつて私は街頭で車にはねられたことがあります。私は立ち上がって歩きました。そしておそらく二秒ほどのあいだ、私は死んでいくのだという感じを抱きました。そして、私は本当に、とても、とても激しい快楽を感じたのです。それは目眩めき時間でした。
(同上)


一読して明らかなように、フーコーにとって「自殺」は徹底的に「美的なもの」として捉えられている。それは倫理と相反しない、しかし社会に迎合するような通俗的道徳から常に逃れ出る、そのような美的倫理である。わたしの死を制作すること、それはアート(技芸)に関わる。

現代社会では、技芸(アート)はもっぱら物体(オブジェ)にしか関与しない何かになってしまい、個人にも人生にも関係しないという事実にわたしは驚いています。技芸が芸術家という専門家だけがつくる一つの専門領域になっているということにも驚きます。しかし個人の人生は一個の芸術作品になりえないのでしょうか。なぜ一つのランプとか一軒の家が芸術の対象であって、わたしたちの人生がそうではないのでしょうか。
(「倫理の系譜学について――進行中の仕事の概要」同上)


またこのようにも語る。

私は自分の存在そのものを作品にしている人たちと、人生の中で作品を作っている人たちとを区別しません。存在は完璧で崇高な作品となりうるのです。
(「ヴェルナー・シュレーターとの対話」同上)


フーコーはこのような美的倫理を持ち合わせた文化の参照先に古代ギリシャや日本を選ぶ。フーコーが日本のラブホテルに霊感を受けて、死を選んだ人間が最後のときを過ごすために集う、一種の美的共同体のための場所を、「かくも単純な悦び」と題された奇妙だが詩的な文章において提唱していたことは比較的よく知られている。

あまり資力のない者たち、あるいは長すぎた反省に倦み、出来合いの方策に身を任せる気になっている者たちのために、日本人が性のために設け、「ラブ・ホテル」と呼んでいるような幻想的な迷宮がなぜ存在しないのだろうか。もっとも、日本人の方がわれわれよりも自殺に通じているというのは事実だが。
 諸君に東京シャンティイー(パリの北方にある美しい城館)に行く機会があれば、私の言いたいことがわかるだろう。そこでは、ありうべきもっとも不条理なインテリアに囲まれて、名前のない相手とともに、いっさいのアイデンティティから自由になって死ぬ機会を求めて入るような、地理も日付もない場所、そうした場所の可能性が予感されるのだ。そこで人は何秒、何週間、あるいは何ヶ月におよぶかもしれない不確定な時間を過ごすだろう。逸することができないと直ちにわかるであろう機会が、絶対的な自明さをもって現れるまで。その機会は、絶対的に単純な悦びという、形なき形をもっていることだろう。
(「かくも単純な悦び」ミシェル・フーコー思考集成〈8〉所収)


死は煌めく一回生の<出来事>である。あたかも芸術作品のようにわたしの死を能う限り磨き上げること。そうすれば、死はそれだけかくも「甘美」なものになりうる。

2012-04-28

2012-04-23

西丸四方の佯狂法(精神分裂病編)

ようきょう[やうきやう] 【▼佯狂・陽狂】

狂人のふりをすること。また、その人。にせきちがい。
Yahoo!辞書)

 典型的な精神分裂病の公式は次のようになっている。この病気が始まった途端に周囲の世界は怪しく何か意味ありげになる。次に、その意味がはっきり形をとり、迫害者がいて自分に悪口をいうのが聞こえ、自分をひそかにつけまわすのを感じ、電波催眠術で頭の中に通信したり体にいたずらしたりするのを感ずる。あるいは…(以下中略)。
 以上は、述語を使わない精神分裂病の症状の公式であるが、これに従って実演するには、どうするべきであろうか。迫害者がいて自分を狙っており、声で脅してくるのだと言って、被害妄想と幻覚を発表するだけでは、誰も狂気とは思ってはくれまい。まず、自分の職務をおろそかにし、いくら文句をいわれてもなおざりにして、さぼる。このとき、暇な時間を他人との談話やテレビ見物に費やしてはならず、ひとりで黙ってぼんやりとし、にやにやしてみたり、少々のひとりごとをいったりして、外界のことに注意を向けず、壁の方にでも向いて少しうつむいていることだ。また、家族に注意されれば反抗し、ときには暴力もふるってみる。「どうもあいつは、このごろ少しおかしいのではないか」と人に思わせるようにする。
 次に、いきなり迫害者がいるとか、脅し声が聞こえるなどといっては、必ずしも信じてはもらえないので、迫害の相手、たとえば隣家とか警察署とか放送局などへ、「自分は何も悪いことをしていないのだから、悪口をいったり、つけまわしたり、電波をかけて頭の中に通信したり、体をしびれさせたりするのをやめてもらいたい」と、毎日続けて何十通も手紙を出す。また、裁判所へ訴え出たり、あるいは隣の家に怒鳴り込んで、「こそこそと悪口など、いわないでほしい。自宅のまわりをうろついて偵察など、しないでもらいたい。」と強硬に申し入れ、夜など隣家に石を投げて「迫害の仕返しだ」と怒鳴ったりするのがよい。
 このようにして、あの人はおかしいのではないかとの客観的情勢をつくってから、その狂的な行為の理由を尋ねられて、はじめて妄想なり幻覚なりを発表するのである。ときどき、ひとりごとで訳のわからないことを呟く。あるいは、それを紙に書く。「兎が俺を作ったので神は暗い。それは本当にお前か。草の下に埋め石、白で黒で灰色だ」。そして、抽象画のような訳のわからないものを描く。一晩中、部屋の中を歩きまわり、ときどき壁にぶつかって掛け声をかけてひっくりかえったり、何のために何をしているかわからないようなことをする。そのうち、精神科の医者のところへ行くよう家人が勧めるだろうが、簡単に行ってはならない。「自分は病気ではないから医者に診てもらう必要はない」と抵抗し、さんざん人を手こずらせて、やっと無理やりに連れて行かれるのがよい。
 あるいは、これと逆に幸福な狂気の場合には、神社の参詣に行ったときに神主祝詞のあげ方から、自分は天皇の子であることを悟る。そして「丸の内皇居宮内庁気付 天皇陛下殿」として、葉書を書き、これを毎日出し続ける。そのうちに医者のところへ連れて行かれることになるであろうが、そのときは「医者も自分を手伝ってくれることになった」と、喜び勇んで行くのがよい。
 医者の前で肝腎な点は、あの鈍い、うつろな目つきと表情と動作である。医者に常時そうであると思ってもらうため、この表情や動作に一瞬たりとも活気を与えてはならない。次に大切なのは身だしなみの薄汚さとだらしなさであって、けっして銀行員のようにきちんとしていてはならない。手本となるのはヒッピーである。髪はばさばさで、顔はしばらく洗ったことのないように目やにをつけておき、無精髭を生やし、爪は伸ばして、黒い垢を溜め、足には垢をこびりつけ、肌着は二、三週間洗濯をしていないものが効果的である。そして周囲に何が起こっても、そしらぬ顔をしていることだ。医者の問いにはすらすら答えない方がよい。何回も尋ねられてから、やっと少しずつ、そしてやや漠然と答える。
 ――どうして警察署へ手紙を出すのですか。
 「私をいじめるんです」
 ――どうやって?
 「電波みたいなものをかけて……」
 ――何か放送してくるのですか。
 「電波みたいなもので、いってくるんです」
 ――何というのですか。
 「何か悪口か何か……」
 ――いってくる言葉通りにいってごらんなさい。
 「泥棒だとか、捕まえて殺すとか……」
 ――聞こえるのですか。
 「いや、頭の中へ電波みたいなものでいってくるんです」
 ――そのとき、あなたはどうしますか。
 「私は何もしないよ、といってやるんです」
 ――どうやっていってやるんですか。怒鳴るんですか。
 「いや、口でいうのではなく、頭の中でそういうと、向こうに伝わるんです」
 ――すると、何といってきますか。
 「お前は泥棒だといってきます」

(「狂気の価値」西丸四方

2012-01-27

吾妻ひでお、マイルス・デイヴィス

革命家は知っている。逃走は革命的で、引きこもりや気まぐれさえも、テーブルクロスを引っ張って、システムの一端を逃げ出させるのなら革命的である。ジョン・ブラウンのやり方で、みずから黒人にならざるをえないことがあるとしても、壁を通り抜けること。(ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「アンチ・オイディプス」)

機械の系譜学―少女機械

 吾妻ひでおの作品において、機械、アンドロイドクローン、あるいはサイボーグなどはひとつの重要なモチーフである。「趣味の生活」において、主人公の父親は自分の娘のアンドロイド(=盆栽?)を育てる。「海から来た機械」において、機械は少女の似姿に変形する(生成変化は吾妻ひでおの重要なモチーフのひとつでもある)。少女とその肢体に絡みついた機械。少女に細長い金属棒を咥えさせているロボット。少女と魚型のロケット。etc…。疑うべくもないことだ。吾妻ひでおの作品において、少女とマシンは密接に結びついている。
f:id:shiki02:20120117180413p:image:leftf:id:shiki02:20120117175548p:image:leftこの「少女とマシンの融合」への志向をさらに一層推し進めたのが内山亜紀であろう。そこでは、サイボーグ化された少女とその肢体に向かって何本も伸びる触手のような機械などのイメージが繰り返し反復される。内山亜紀吾妻ひでおらによる同人誌「シベール」刊行後の80年代ロリータ文化を牽引した、という意味でも吾妻ひでおの正統なる後継者と言うこともできよう(内山亜紀SF性について、今更何を語る必要があるだろう。彼の「ピンキーアンドロイド」を一読してそこにSF性を感じ取らない人間がいるとは思えない。これは宇宙を舞台にした、宇宙船長とアンドロイドの少女との恋愛物語なのだ)。(左:吾妻ひでおスクラップ学園」中央:吾妻ひでお「海から来た機械」右:内山亜紀「妖精人形」)
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いちおう確認しておくが、少女とアンドロイドサイボーグのモチーフを主題化したのは吾妻ひでおが端緒ではもちろんない。その系譜を辿ればリラダン、さらにはE.T.A.ホフマンにまで至るだろう(少女に限定しなければ東欧ユダヤにおけるゴーレム伝説がこの形態の中でおそらく最も古い)。もちろんホフマンの作品内にはナボコフにおける「ロリータ」のような明確なニンフェットは出てこない。しかし不思議なことにホフマンもまた現実生活においては少女愛好家のふしがあった。

1910年、当時34歳のホフマンは14歳の少女ユーリア・マルクにたいする熱烈な恋の虜となった。ユーリアとホフマンの初対面は、それより二年前、ユーリア12歳のときである。(種村季弘「怪物の解剖学」)

リラダンホフマンにこれ以上の深入りをするつもりはない。この記事は一種の系譜学(むしろこう言うべきか、反―系譜学)であるが元祖争いや本家争いがしたいのではない。問題はなぜ吾妻ひでお内山亜紀が取り憑かれたように少女と機械のイメージを反復したのか、これである。

マシン・ファンク

 マイルス・デイヴィスが電化を進めた時期と吾妻ひでおがデビューした時期がほとんど重なっていることを指摘した論者の存在を私は寡聞にして知らない。吾妻ひでおは1969年、「月刊まんが王」に「リングサイド・クレイジー」を発表してデビューしている。一方、太平洋の向こう側ではマシニックなるものへの欲望を抱き始めたマイルスが自身初の電化アルバム「マイルス・イン・ザ・スカイ」を1968年にリリースしていた。これを単なる「電化=エレクトロニック」と捉えることは早計だろう。なぜなら、それはマイルス自身の「サイボーグ化」をも意味していたのだから。どういうことか。たとえば菊地成孔大谷能生マイルスの「サイボーグ化」についてこう指摘している。

この時期(筆者注:1968年)からのマイルスは、あらゆる意味での「サイボーグ感」を高めていき、あまつさえそれは「ひょっとして自覚的なのではないか?」というレヴェルにまで至ります。その勢いは、80年代にはあのマイケル・ジャクソンとイメージ重複するにまで接近し、最晩年には「自分のトランペットのサンプル音源化」といったサンプリング/サイバー感覚にまで進むのですが、そのはっきりした顕在化はやはりこの年とするべきでしょう。(菊地成孔+大谷能生「M/D マイルス・デューイ・デイヴィス3世研究」)

菊地/大谷は、バンドの半分だけの電化が内なるサイボーグ感を啓発した、というのを半分の根拠としながらさらに続ける。

そして、「マイルスサイボーグ感」を形成しているであろう残り半分の根拠は、SM的ともダーク・サイド的とも言える、しかし重要なものです。それはマイルスの身体的状態そのものに由来しています。最悪化するまで放置されていた持病たちは、不惑を過ぎてからの肉体には、手術の要請というかたちで一気に襲いかかり、毎年どこかを手術しているような状態がスタートします。なかでも腰の手術は自己像の変化にとって決定的だったと思われます。(前掲書)

菊地/大谷はマイルス北米で最初にプラスティック製の人工股関節を移植した人物であること等も指摘しながら、こう結論づける。

痛みとの共生は遍く人類の本性ですが、マイルスの人生を彩る醜悪なまでの「肉体の痛み」は彼にとって伴侶にも似た創造の源であり、痛みを超克しようとする意志が、「独特なサイボーグ/アンドロジーナス感覚」という、あらゆるアンビヴァレンスの見事に整合的な形象化に結実している。(前掲書)

ロボットでも人間でもない、サイボーグ感(前掲書)」、「半分だけの電化」、「アンドロジーナス感覚」、「アンビヴァレンス」。いうまでもなくこれらの要素は主体に分裂や解離をもたらすだろう。たとえば自身の分身やクローン、もしくはドッペルゲンガーホフマン!)。菊地/大谷は野田努の「ブラック・マシン・ミュージック」における「ギャラクティックソウル」の概念を持ち出しながら、マイルスは宇宙に向かわずあくまで地上に留まった、と主張する。なるほど確かにそうかもしれない(それでも分裂と解離を代償に、だが)。しかし、マイルスはただ地上に留まったわけではなかった。マイルスは垂直(宇宙)ではなく水平を選んだ。それは「線」。この地上という平滑空間を横切る、一本の「逃走線」。それは速度でもあった。
 マイルスは75年から心身の悪化に伴い実質上の療養期間に入る。そのちょうど10年後の1985年から吾妻ひでおは低迷期に入り、89年に一度目の失踪に至る。マイルスは5年間の沈黙の末、80年に復帰する。それを待っていたかのように、その一年後、1981年に雑誌「レモンピープル」が創刊され、ロリコンムーヴメントが巻き起こる。もう一度確認しておく。マイルスは1968年に電化し、俗に言うエレクトリックマイルス期に入る。そしてその約10年後の1979年に同人誌「シベール」がコミックマーケットにて刊行、その2年後に「レモンピープル」が創刊されロリコンブームが起こる。マイルスは1975年に低迷期に入る。吾妻ひでおはそのちょうど10年後の1985年に低迷期に入る。この奇妙なシンクロニシティは、しかしちょうど約10年の時差があるのだ。この「ズレ」はいったい何を意味するのか。この問いをいったん宙吊りにしたままこの記事を終える。(もしかしたら続く)