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関西学院大学社会学部 島村恭則ゼミ

2015-03-03

菊一文字―長崎の刃物商―

| 22:47

社会学部 増田智美

【目次】

はじめに

第1章 菊一文字とは

1.来歴

2.名前の由来

3.京都長崎の菊一文字

第2章 刃物の世界

1.刃物の種類

2.刃物の変遷

3.堺の鍛冶職人

4.刀鍛冶と野鍛冶

第3章 16代目細川真一氏のライフヒストリー

結び

謝辞

はじめに

 本論文は、社会調査実習として行われた長崎県の調査報告書である。本論分では長崎県万屋町に店を構える「菊一文字」の店のあり方について16代目のオーナーを通して深く掘り下げていったものである。

第1章 菊一文字とは

1.来歴

 菊一文字が始まったのは鎌倉時代である。菊一文字の初代である一文字則宗は、福岡一文字派と呼ばれる刀鍛冶をしており、職人を探すのが好きであった後鳥羽上皇が則宗に刀を自分のために作らせたところから菊一文字は始まった。初代則宗がつくった刀は、国宝として東京の日枝神社にまつられており、800年経ったいまでも刃に錆がないことから、当時の刀鍛冶の技術力の高さがうかがえる。

 菊一文字の16代目オーナーの細川真一氏は、菊一文字は鎌倉時代から江戸時代までは刀鍛冶1本でやってきたが、明治9年に廃刀令が発せられ、日本刀が不要になった。これが菊一文字にとって一番大きな転機だったのではないのかと言う。細川氏が言うには、刀は戦うためのものとして作られたが、包丁は食材を切るために作られたもの。つまり、日本刀は、叩き切るために作られたが、包丁は食材をシャープに切れることが求められた。この考えから、菊一文字の刃物が生まれ、明治9年以降は日本刀ではなく、刃物を扱うお店となった。菊一文字は、廃刀令をきっかけに作るものが刀から刃物に変化しながらも時代に対応していった。

 最初、菊一文字のお店は大阪住吉大社の海沿いの道にあった。当時は銅版を使った看板を掲げて商売をしていた。しかし、14代目のころに戦争があり、大阪空襲が激しかったため、祖母の実家があった長崎県疎開した。大阪空襲から逃れるために、長崎疎開したが、長崎でも原子爆弾が落とされるという空襲の被害があったが、幸い菊一文字がある万屋町に被害はなかった。戦争が終わった後、大阪に戻ることも考えたが、大阪空襲の爪痕がひどく残っており、大阪でお店をまたひらくことは難しいと考え、そのまま長崎で菊一文字を続ける形になったという。

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【写真1−1 当時のお店の銅版】

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【写真1−2 大阪でお店をひらいていたときの看板】

 菊一文字は、鎌倉時代から続いている800年強の伝統的を持つ刃物商である。細川氏からうかがった話によると、2代目〜12代目までは戦争の関係上資料が全て焼けてしまったため、経営者の証は残っていない。ここでは、菊一文字の経営者である13代目〜16代目について述べていきたい。13代目である細川松三郎氏は、趣味が人形浄瑠璃であり、浄瑠璃の語である「勢風」という名を持っていた。商売も上手く、人間として粋のある生き方が好きな人だったらしく、自分の銅像も作らせるなどしていた。実際に菊一文字に訪れてみると神棚の上に細川松三郎氏の銅像が置かれていた。14代目、15代目は細川真一氏の祖父、15代目は細川真一氏の父がオーナーとしてお店を経営していったという。

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【写真1−3 14代目松川松三郎氏の銅像】

2.名前の由来

 菊一文字の名前の由来は、初代則宗が後鳥羽上皇の御番鍛冶を務め、後鳥羽上皇が定めた皇族の紋である16弁の菊をつけることが許されたからである。下記の写真にある通り、菊一文字の文字の前に「甲」とあるが、これは漢字の「甲」ではなく、馬の轡を表している。元々刀鍛冶であった菊一文字は、日本刀だけでなく、馬の轡も作っていた。それを見かねた天皇が「菊」だけではなく、馬の轡の絵も菊一文字のトレードマークにしろと命令したことから「菊一文字」となった。

 菊一文字の刃物に皇族の紋である菊が入っていないのは、皇族の菊は16弁と決まっており、日本刀にそれを入れるのは難しく、中々できることではなかった。その代わりとして馬の轡の絵を菊一文字の名前に入れたのではないのかと細川氏はいう。細川氏によると、「菊一文字」という名前を使いたがる人は多いが、商標登録しているため、完全に同じ名前でできるお店はなく、この名前を使えるお店は長崎県万屋町にあるお店と京都府三条にあるお店だけだという。

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【写真1−4.看板のトレードマークとなっている馬の轡】

3.長崎京都の菊一文字

 菊一文字は14代目が決定したときに、大阪(後に長崎へと移転)と京都の2つにわかれた。それは昔の言葉でいう「一子相伝」という意味の通り跡継ぎは必ず1人ということから、お店が分離する形になった。14代目は細川氏の祖父が受け継ぐことになり、もう1人の弟子は京都でお店を構える形で出ていったという。

 流れから行くと、菊一文字の総家は今も16代目と続いている長崎の菊一文字とされる。京都京都支店の本店であることに間違いはないが、総家ではない。また、長崎京都の菊一文字は、名前が同じでも、お互い独立しあっているので口出しをすることはなく、置いている商品も、刃物をつくっている鍛冶職人も全く違う。それなのにも関わらず菊一文字と看板を掲げているのは、元々の出発点が同じであったからだ。


第2章 刃物の世界

1.刃物の種類

 刃物には様々な種類があるが、大きく分けると和包丁と洋包丁の2つに分けられる。洋包丁とは簡単に言えば、西洋料理のためにつくられた包丁のことである。一方で和包丁とは、日本の包丁のことで和食のためにつくられた包丁のことを指す。

 洋包丁と和包丁の違いとは、和包丁は刃が片刃であり、洋包丁は刃が両刃だということだ。片刃の特徴は、切る物が内側に来る特性があり、魚を捌くときに、おさえることで骨に沿っておろせることである。また、片刃は刃がくぼんでいることから、大根などを切るときに斜めになり、和食などでつかわれるかつらむきをするときに剥きやすいとも言われている。一方で両刃の特徴は、刃が表裏対称なため、モノを切るときにまっすぐ切りやすく、使い勝手が良いため今日では両刃の包丁である洋包丁を使っている人の方が多い。

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【写真2−1.菊一文字の刃物】

2.刃物の変遷

 従来の日本の包丁といえば、持ち手が和式のハンドルであり、全体もさびやすかった。しかし、洋包丁にステンレスが使われ始めた頃から、刃物自体は錆びることがなくなりそれが魅力となりよく売れていたという。しかし、ステンレスは錆びない代わりに切れ味が持続しないという問題点があった。錆びずに切れ味が持続する刃物をつくるために、鋼を使ったが刃物が作られたという。鋼の特徴は、錆びないで切れ味が良いことから、鋼を使った包丁が作られた。


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【写真2−2.刃物のパンフレット

 上記の写真の刃物は、日本の刃物の原点だと細川氏は言う。刃物のビジュアル一つ一つが綺麗であるのは和食料理の特性からきているのではないのか細川氏は推測している。日本人は、刺身をよく好んで食べていた。刺身を作るためには、魚を捌く必要があり、包丁の切れ味が必要だ。食べ物を切る際、切れ味がよくなければ、味も落ちる。海外は、日本みたいに食べ物を生で食べる習慣がなく、ぺティナイフなどで食べ物を切り、鍋に入れて料理することが多いことから、見た目を気にすることが少ない。独自の食文化を持つ日本だからこそ、日本は刃物の研究が進み、切れやすく時代のニーズにあった刃物を生み出せたという。

 刃物の進化を長崎市の学校の給食包丁を例に挙げて述べたい。長崎市内の学校給食の料理に使われている学校包丁は、ほとんど菊一文字で作られたものだという。

 最初、給食包丁で使われていた刃物は、口金がなかったが、刃の部分は錆びないように加工されていた。また、包丁の持ち手を金属にしたりなど、刃物の衛生面にも気を遣いながら刃物はつくられていた。しかし、金属のハンドルは、衛生面的には評価は高かったが、持った感じが冷たいなどで好き嫌いはっきりしていた。そういった意見を聞きながらも菊一文字の刃物は進化していった。

 金属のハンドルが冷たく、使い手の好き嫌いが別れることから、持ち手が冷たくない特性樹脂のハンドルに変えた。特性樹脂は水をはじき、本体も錆びないように加工をしたりなどして、工夫を重ねたという。学校給食の包丁だからこそ、衛生面も考えながらも、作っている人の使いやすさの意見を聞きながら、新しい刃物を作っていく。細川氏は、こういった色々なものの組み合わせが菊一文字の刃物として成り立っているという。

3.堺の鍛冶職人

 大阪府堺市の堺には、鍛冶職人が多く存在する。日本全国にある鍛冶屋でも、堺の鍛冶職人の刃物の技術力の高さは日本で第一位だと細川氏は言う。菊一文字の刃物も堺の鍛冶職人がつくっている。

 堺に鍛冶職人が多いのは、水の都と呼ばれる大阪は水が豊富で刃物を作るのに適しているからだ。刃物をつくるのに、水が必要な理由は刃物の温度を冷やすために必要だからだ。一度限界まで熱した刃物を水で冷やす作業を水焼きと言い、この温度調整が一番難しいとされている。そのため、刃物を作るために同じ材料を使っても職人が違えば、刃物の出来栄えも違う。

 特にこの水焼きという工程が一番難しいと言われているのは、水は急に温度が下がるため、包丁を作るにあたって失敗する確率が高いからだ。しかし、リスクが高い分刃物の切れ味は一番良いとされている。水焼きの代わりに、一度熱したが刃物を油で覚ます油焼きというものもある。油は水に比べると、沸点が高いため、水ほど急激に温度が下がらないため、失敗の確率は低いが刃物の硬度はあまり良くない。

4.刀鍛冶と野鍛冶

 菊一文字は刀鍛冶から始まった刃物商であるが、一方で野鍛冶から始まった刃物商もある。特に長崎県では刀鍛冶から始まった刃物商は菊一文字だけであったが、野鍛冶から始まった蚊焼包丁と呼ばれる刃物商も有名である。刀鍛冶とは、日本刀を作る職人の事を指し、野鍛冶とは、農作業の道具を作る職人のことを指す。刀鍛冶・野鍛冶も共に刃物を作る製法が違うため、差があると細川氏はいう。刀鍛冶の刃物は、磨きがきれいなため、刃物がシルバーに見えるが、野鍛冶は最後が刃物を打ちっぱなしにするため、磨きがないとされる。これが刀鍛冶と野鍛冶の刃物の違いだ。

第3章 細川真一氏のライフヒストリー

 第3章では16代目細川真一氏のライフヒストリーから見えてくる現在の菊一文字の意店のあり方について明らかにする。

 細川氏は体育会系の大学を卒業後、教授のすすめで大阪の企業に就職をし、営業業務を担当するサラリーマンをしていた。そこの会社で10年間勤め、30歳になったときに自分が長男であることからそろそろお店を継ぐときがきたと思い、退職し長崎へと戻り、大阪で学んだ商売の基礎を生かしながら、菊一文字の16代目になった。

 細川氏は菊一文字を経営するにあたって「物が物だけにソフトにやっていきたい」という。それは、日本で刃物や包丁という言葉を聞くと物騒で怖いというイメージが根強いからだ。しかし、菊一文字にくるお客さんは、置いてある商品を見て、「怖い」と言うのではなく、「きれい」という人が多く、刃物=芸術として捉える人もいる。そういった考えは、15代目までは、刃物を棚に立てて商売をしていたが、細川氏は棚に包丁を立てて陳列するのは、圧迫感があると考えた。そこで、刃物をガラス越しのケースに入れ刃物を寝そべる形にして陳列するというディスプレイへのこだわりから来たものだと考えられる。

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【写真3−1 ガラスのケースに入れられた刃物】

 細川氏は刃物を置くにあたって様々な工夫をなしていた。一番需要が高い家庭用包丁は入口から入ってすぐのガラスケースに置いていた。刃物を種類別・サイズ別に置き、種類の細分化を行うことによってほかの刃物とすぐ比較ができるようにしていた。その他にも刃物をお客さんにきれいに提供したいからという理由で、刃物に値段を貼らなくなった。そのため、ガラスケースの上に大きいテレビをパソコン代わりとして使い、刃物のカタログをそこ入れて、刃物の値段や特色の説明をしていた。

 また、包丁にもシーズンがあると考え、刺身包丁や出刃包丁は年末に使うことが多いことから年末の時期になるとこれらの包丁を入り口近くに置き、いかに包丁を見やすくするかというのを意識してやっていた。これは従来のやり方ではなく、お客さん目線に立つことで、新しいアイデアを出しながら商売をしていきたいと細川氏のやり方があらわれている。

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【写真3−2 ガラスケースの上に置かれたパソコン】

 その他にも、菊一文字の外観や内装は古いが、菊一文字の窓は大きく、店内の様子がうかがいやすい。そこで細川氏は毎日窓拭きをし、古いものをきれいに見せる工夫をしているのだという。また、窓の外から遠めで見つめている人を手招きで呼んだりと、暖かい雰囲気でお店を経営している。

 店内は古いながらの良い個性があり、趣もあるが、店内にはジャズのBGMがかかっていたり、ガラスケースの上に大きなテレビが置いてあったりと、不思議な感じがあった。バックグラウンドジャズのBGMを流すことで、店内が落ち着き、居やすく、落ち着く空間になっていた。これも、細川氏のこだわりだと言う。

 細川氏は、「昔のままではダメ、今のことだけでもダメ、一番良いのは歴史とハイテクの融合だ」という言葉を大切にしていた。この言葉の意味を刃物にたとえると、刃物は昔から手打ちで作り方は今も同じであり、それが錆びなくなった。商売も刃物を作る過程と同じで、昔のままでなく、時代にあったやり方をして、お客さんに楽しくお買い物をしてほしいし、細川氏も楽しく商売をしたいという思いを持っていた。こういった考えからも菊一文字がどのように変化し続けているのかが見える。

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【写真3−3 菊一文字の外観】

 お客さんが菊一文字の刃物を買う理由は、自分のためという人も多いが、人への贈り物として買われるパターンもあるという。お祝いの品として、刃物を送ることは縁の切れ目などでタブーとされるパターンも多いが、実際祝いごとには全て刃物が関わっている上に、昔は鍛冶職人が天皇日本刀を献上していた。つまり、見方を変えれば刃物は天皇に献上できるほど贈り物としては最高級なものではないかと細川氏は言う。

 例えば、結婚式でのウェディングケーキへの入刀・ワインをあけるためのソムリエナイフ・テープカッターでのハサミなどといった祝いの場所でも刃物は使われている。実際に結婚する人に引き出物としてハサミを渡した人もいるそうだ。ハサミは二つの刃で合わさっており、それは刃が上手く噛み合ってることから夫婦で力を合わせてこれからの生活も頑張ってくださいという願いを込めて送られたという。その他にも、結婚するお祝いの品として新郎にソムリエナイフとワインのセット、新婦にぺティナイフと小ぶりのケーキを贈った人もいるという。一見刃物を引き出物として送るのはタブーと思われるかもしれないが、刃物自体に切り開く(開運)という意味もあるため、贈り物としては細川氏の言うとおり最高急なものなのかもしれない。

 細川氏は日本人と外国人の刃物の考え方の違いについても話してくれた。日本人は、包丁は料理をするときに使うもの、ナイフはアウトドア用のものと分けて考える人が多いが外国人は包丁=ナイフと考えているという。だからこそ、菊一文字に来る外国のお客さんは刃物を家族・友人へのお土産としても買いに来る人が多い。日本人にとっては、包丁をお土産にもらうというのに違和感を抱くかもしれない。しかし、外国人にとって日本の刃物はステータスであり、クリスマス近くになると、家族へのクリスマスプレゼント用になどと言って刃物を買っていく人が多いそうだ。日本人は刃物を自分用に1本だけ買っていくというケースが多いが、外国人のお客さんは1人3本など買って行くケースが多いという。

 もともと菊一文字に刃物を買いに来る外国人が多いのか聞いたところ、外国人のお客さんが増え始めたのは、16代目に変わってからだそうだ。外国人のお客さんはヨーロッパ系が多いという。それは、以前にノルウェーのある会社のオーナーが進水式の関係で長崎に来たことが関係している。

 オーナーの秘書が、菊一文字で包丁を買い、その包丁が切れ味がよいことから気に入り、それをオーナーに話したら、進水式のときにオーナーがSPを連れて菊一文字にきたという。そういったこともあり、菊一文字は口コミで海外にも有名になっているのではないかと細川氏は推測していた。実際に外国人の客さんは友達に教えてもらってきたという人が多いという。外国人のお客さんは、なんとなく見に来ただけという人は少なく、最初から包丁を買う目的で来店している人が多い。外国人のお客さんが増え始めたことから、お店には英字の名刺や海外用の宅配便の用紙などが用意されている。また、外国人のお客さんとも会話を楽しみながら、商売をやっていきたいという細川氏はコミュニケーションツールとして地球儀を置いたりなどしていた。

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【写真3−4 外国人用の宅配便用紙と菊一文字に置いてある一番大きい包丁】

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【写真3−5 棚に置かれている地球儀招き猫

 菊一文字においてある刃物は全てサンプルとして置いてある。刃物は、お店に来たお客さんが直接見てから、オーダーしてもらいそこから職人さんに作ってもらうというかたちをとっている。昔は、大量に作って在庫にして売るという形態をとっていたが、今は物流がはるかに早くなったため、在庫に入れておく必要がないからだという。今や包丁は、ただ物が切れれば良いという概念は終わり、スタイリッシュで切れ味が良いものを求められることが多い。

 細川氏はお客さんとの会話の中で、お客さんがどういった包丁を求めているのかを見極め、お客さんが納得する商品を売りたいと考えている。そのため、お客さんの要望は全て鍛冶職人に伝え、可能な限りお客さんの要望に応えている。これが今も菊一文字の刃物の進化していく大きな理由になっている。良い刃物を作るためには、鍛冶職人とオーナーの話し合いや緊密につながることが大切とされている。とくに海外のお客さんの場合、滞在日数が決まっているため、職人と連結するのが大切だと細川氏は言っていた。

 刀鍛冶から始まり、刃物へと変化した菊一文字の歴史は古い。菊一文字は伝統800年という歴史があるからこそ、苦労してきた点が多いと思われる。しかし、時代の変化についていきながら、変化し、良いものを守り抜いてきたからこそ今もこうした形で残っているのではないかと細川氏は言う。細川氏は跡継ぎのことなどは、考えず今をやりきろうという考えで菊一文字を経営している。自分で選んでオーナーになっているからこそ、やらされているなどのマイナスな気持ちはなく、前向きに自分自身が楽しんで商売をしていた。

 今後のお店の経営の展開としては、人口は圧倒的に、東京大阪が多いため、できることならお店も都市部に戻りたいと考えている細川氏だが、とりあえずは長崎で地場を固めて、徐々に菊一文字を展開していきたいとも話してくれた。今はどのようにして全国に発信していくかというやり方を考えているという。従来のものを守りながらも、何か新しいものを取り入れながら変化し続ける刃物商、菊一文字。だからこそ、国外問わずに菊一文字の刃物が人気になっているのであろう。

結び

 本調査は、長崎の刃物商「菊一文字」について16代目の細川真一氏を通して現在の菊一文字の在り方について、明らかにした。菊一文字は、明治廃刀令をきっかけに日本刀から刃物をつくる店になった。従来の伝統を守りながらも、現在の良いものを取り入れながら商売をしている。だからこそ、今もなお伝統800年という歴史を持ち続け、国外問わず人気になっている。

謝辞

 本論文の執筆にあたり菊一文字16代目細川真一氏には大変お世話になりました。依頼の際から、本調査に快く協力していただき、お忙しいなか、菊一文字について詳しいお話を聞かせてくださいました。この場を借りて心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。