関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

都市修験の民俗誌―名古屋市・倶利加羅不動寺の事例―

都市修験の民俗誌―名古屋市・倶利加羅不動寺の事例
中村優花

【要旨】
本研究は、名古屋市守山区にある倶利加羅不動寺をフィールドに実地調査を行うことで、都市における修験とシャーマニズムのあり方を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。
1. 森下永敏氏は山伏である上野光真を師として修験の道に入り、2度の流産の後に青木大神や倶利加羅不動明王といった力のある神々を守護神とし、シャーマン化した。瑞堂氏もシャーマンと化している可能性がある。
2. アパートの一室を使っていたくりから不動教会時代は、信者の居住地域は広範囲に及んでいた。特に春岡町の「和田病院」は院長が患者に推薦していたこともあり信者が多かった。しかし、現在は教会時代からの信者はほとんどいない。
3. 倶利加羅不動寺の立地は、倶利加羅不動明王によって定められ、現在は1000坪に及ぶ敷地に50もの神仏が祀られている。寺紋は森下家の家紋に由来する梅鉢紋である。
4. 寺にある言霊の碑の裏には女性らしき影があるが、霊示により神功皇后だと判明したため、鳥居を設けて祀っている。神功皇后の姿が見つめる先には息子の応神天皇(八幡大菩薩)を祀る鎮守八幡宮がある。また、倶利加羅不動寺のさざれ石は日本最大と謳われており、表出している部分は大徳龍神御神体となっている。参拝時、君が代を斉唱する。
5. 永敏氏は、本尊や淡海龍神を顕現させ、カナダでは金龍美大龍王を顕現させている。これはとある皇族から依頼されたことであった。
6. 倶利加羅不動寺の人々や信者は、土地も神仏も関わらず「礼拝」と呼ばれる作法を3回繰り返して参拝する。この動作の中で差し出した両手には神仏が乗る。そのあとに頭を下げるのは、足を乗せてくださった神仏に恐縮するからである。そして、すべての法要では般若心経が唱えられる。それ以外に唱えられる経や祝詞は法要によってまちまちであるが、いずれも信者全員で声を揃えて唱えられる。
7. 永敏氏が倶利加羅不動明王から「ただお滝に入って心を洗うのではなく、真の心まで洗え」と告げられたことから、滝行で「洗真(せんしん)」という言葉を3回唱える。すべての作法は永敏氏から弟子に口伝で伝えられている。口伝で正しく教えないと法力が効かないからである。
8. 永敏氏は、1982年の石室断食即身成仏行にて先祖供養の重要さを悟り、法要の先祖供養の比重を増やしたり、墓地地鎮祭を行ったりすることで供養を篤く行っている。1995年からはパラオ戦没者供養も行っている。
9. 恐山で水子供養の修行を行った際、水子の葬儀の必要性を悟り、永敏氏は史上初「水子のお葬式」を始めた。葬儀では、霊視によって戒名をつけ、通夜、本葬、火葬など一般的な仏教式葬儀と同じ手順を踏む。
10. 永敏氏に霊視してもらいながら相談ができる「お伺い」は、家族や子供の問題で依頼する人が多い。原因には先祖供養や水子供養の不足が多い。
11. 2005年に落慶を迎えた強巴林は、日本で唯一のチベット仏教寺院である。永敏氏がさらなる厳しさを求めてチベットで修行をした際、ボミ・チャンバ・ロドロ高僧から受戒され、日本にチベット仏教を正しく教えるよう願いを託されたからであった。

【目次】
序章 ――――――――――――――――――――――――――――――――7
 第1節 研究史………………………………………………………………………8
 第2節 問題の所在………………………………………………………………10
第1章 修験者の誕生――――――――――――――――――――――――11
 第1節 最初の守護神……………………………………………………………12
 第2節 本尊との出会い…………………………………………………………13
 第3節 くりから不動教会………………………………………………………16
第2章 倶利加羅不動寺の建立――――――――――――――――――――21
 第1節 聖地の決定………………………………………………………………22
 第2節 神仏の配祀………………………………………………………………28
 第3節 儀礼の生成と展開………………………………………………………39
 第4節 修行………………………………………………………………………65
 第6節 お伺い……………………………………………………………………73
 第7節 瑞堂住職…………………………………………………………………75
第3章 チベット仏教の導入―――――――――――――――――――――81
 第1節 チベット仏教との出会い………………………………………………82
 第2節 チベットでの修行………………………………………………………83
 第3節 チャンバリンの建立……………………………………………………84
結語――――――――――――――――――――――――――――――――91
文献一覧――――――――――――――――――――――――――――――94

【本文写真から】

写真1 倶利加羅不動寺本堂


図1 「礼拝」(森下永敏2011『水子のお葬式』より)

写真2 霊示をもとに作られた石碑。裏に神功皇后の鳥居がある。


写真3 伏見稲荷御礼参拝時の青木大神への供物


写真4 チベット仏教寺院「強巴林(チャンバリン)」

【謝辞】
今回の調査でご協力いただいた森下永敏大住職、森下瑞堂住職、池田憲徳法務長、倶利加羅不動寺の職員の皆様、信者の皆様に心から御礼申し上げます。何度も何度もお寺にお邪魔しましたが、毎回優しく丁寧にご対応くださいました。本当に感謝しております。ありがとうございました。