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島唄の奇跡 日記

2018-12-29

シスター鈴木秀子先生と国際コミュニオン学会わかちあい会との出会い

 2018年がもうあと2日ほどで終わろうとしている。
 今年は、あまりにもいろんなことが起こった。
 予期しないことが次々に起こって、呆然としている間もないほどであった。
 しかし、いま振り返れば、ネガティブな感情を引きずりすぎず、ときには「あれ、こういうふうに平静に、客観的に、別の視点からみる気持ちがわいてきているな」と自分自身で気がつくことすら、あった。
 特に2018年の終盤、秋になって降りかかった天災に対しては、自分自身の気持ちを反転させるまでの時間が早かったと思う。意識が変わった、と自覚することによって状況もぐんぐん良い方向に向かっているように思えた。

 なにから話せばいいだろうか。
 落ちこまざるを得ないことは、春になって突然降ってわいたように起こった義母の病の発覚であった。
 92歳とはいえ元気で体力もあり、自分でなんでもやってきた義母が、なにかの間違いでは?
 いきなり義母の病が告げられてもにわかには信じられなかった。
 今思い出すと、いちばん戸惑っていたのは義母であったろう。
 しかし、病院での検査の結果は最悪のものであった。
 ナチュラル・ハイジーン、マックス・ゲルソン療法、知っている限りの縁故をたよってドクターにメールで相談した。そのころ、さまざまな講演会学会に出かけ、相当の額になるほど書籍を買いあさり、ネットで調べまくった。
 その結果、落ち着いたのは『積極的治療をしない』ということだった。高齢者の治療に関しては厚労省ホームページでも、まだこれからの研究課題としており、積極的治療が必ずしもいいとは限らないことを示唆している。
 手術をすすめる担当医に積極的治療をしないことを告げ、なにより義母に理解してもらうのは、簡単ではなかった。
 しかし、三か月おきに検査をして、状態を見ていくということを続けて八か月後の現在はありがたいことに症状がでず、義母は元気でいてくれている。
 最初に診断が出たときに、わたしは相当混乱していたのだろう。携帯電話を紛失してしまい、いまでもデータがなくて連絡できない方がいる。
 この混乱のさなか、わたしがまっさきに思い浮かべたのは、鈴木秀子先生であった。
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 4月から聖心女子大キリスト教文化研究所の、2018年度教養ゼミ文学と人生』を受講することに決めたその第一回の授業では、まだ義母の病はなにもわからないまま、わたしは新しい世界が開ける予感にわくわくする新入生の気分で授業に臨んだ。
 川端康成の『伊豆の踊子』と『葬式の名人』をテキストとして使うので次回までに読んでくるように言い渡された。
 わたしがうつ病発症する直前の仕事は、「名作を旅する」という自身の提案した雑誌企画で、なんと第一回が『伊豆の踊子』を読みながら伊豆を旅するというものだった。この偶然には心底驚いた。
 当時の雑誌を探し出し、久しぶりに自分の文を読んだ。
 そして、今度は新たな気持ちでテキストを読む。
 授業では、受講者の感想を聞き、シスターの解説を聞く。
 その結果、わたしはなんといったらいいか、自分の思い込みの堅い殻が割れて、中から真新しい自分が生まれ出てくるような、意識の反転、新しい自分との出会いのようなものを味わうことができた。
 雑誌取材伊豆旅行のときに感じていた体調の不調からくる不安や異常な寒さ。一緒に仕事をしたカメラマンとのちょっとしたすれちがい。カメラマンは杉の山に撮影に行き、ひとりで文学館に残ったものの閉館時間になって戸外に出なくてはならず、心細い思いでカメラマンの車を待っていたとき、夕暮れとともに天気が急変して山から霧がわいてきたときの不安。
 『伊豆の踊子』のなかで、学生が天城越えをするときの冒頭シーンのように、雨に追われる心細さがありありとよみがえってきた。
 そういった不安感や体調不良によるネガティブな感情が張り付いたままだった『伊豆の踊子』が、今回新たにテキストに向き合うことで、まったく異なった面をみせてくれた。
 作品の客観視と同時に、自己客観視のようなことができたのだと思う。
 これはたしか、はじめて聖心女子大学で国際コミュニオン学会主催のシスターの最後の傾聴のセミナーに出たときに『自己客観視ができるようになりたい』と自ら望んだことではあった。
 第一回のゼミの後、発覚した義母の突然の病。
 わたしは次の授業も待ち遠しく、授業が終わるやシスターに「義母が病に」と言ってしまった。
 シスターはおっしゃった。
 「あなたがよく話を聴いてあげてね」
 お祈りしますから手紙を書いてね、と。
 長い手紙をシスターに渡したのは、次の授業のあとである。
 夏休み前にぎりぎりセーフでシスターに伝えることができただけでも、なにかほっとしたものだ。不思議なことにシスターに手紙を書いてよこす人たちはみな書き終えた時点で自分で解決策をみいだしたり、落ち着いたり、ほっとするものだと、NHKのEテレ『あしたも晴れ、人生レシピ』に出演したシスターがおっしゃっていたが、わたしもまたその通りであった。
 こころの平安をとり戻すのに大きく役立ったのが、シスターのゼミの後で行われる国際コミュニオン学会の「わかちあい会」に参加することだった。
 少人数のグループに分かれて、シスターの文をアニメーターと呼ばれる方が朗読するのを聞いて感想を話し合う。決して話す人を否定することなく、傾聴し、たとえ自分と違う感じ方であっても「ああ、そんな考えもあるんだな」と流すことが大切とシスターはおっしゃっていた。
 この訓練をするたびに、自分の狭い意識で、ある意味偏見をもって人の話をきいてしまいがちであることがわかる。同時にひとはいろいろな感じ方をするものなのだなあ、とわかる。
 そのあとで、今度はそれぞれがこころに浮かんだイメージを絵に描き、ひとりひとり絵を見せながら、その絵について話をし、みんなで絵の感想を言い合う。
 絵にはさまざまなメッセージがこめられていることがわかる。
 絵に対する受け取り方も、人によってさまざまであることもわかる。
 1年間の講座がおわって、このクレヨン画をあらためて見てみると、この1年間の自分自身に起こったさまざまなことと、こころの動きがわかってほんとうにおもしろい。
 このわかちあい会のおかげで、いわば絵画療法と認知行動療法によって、自分自身の考え方のくせや思い込みもわかり、平静に保つことができ、別の考え方もあるのだと気づくようになる。そうすることによって自分の意識がポジティブなそれに代わっていき、現実に起こることに対してもポジティブな面を見つけ出せるようになってくるのだ。
 物事にはいろいろな面がある、と気づくだけでもしめたものである。
 それはもう現実にはネガティブな面だけではなく、むしろポジティブなことがかならずあり、それはとりもなおさずわたしの成長にとって必要なものであるということが、わたしの脳にインプットされるからである。

 今まで描いてきたクレヨン画は、すべて撮影してあるので、この絵をみながらそのときに自分が感じていたことがよくわかる。そして次第に、たとえネガティブな状況であってもポジティブな一面に光をあてられるようになっていっていることが、自分なりに自己分析できるのだ。このわかちあい会は、こうしてクレヨン画を並べてみると、ほんとうにありがたいレッスンになっていることがわかる・・。
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 10月24日から、今年も竹富島種子取祭に行った。
 実はまだ写真もきちんと整理できていないという状況なのだが、ひとことでいえば、自分自身がまず竹富島スピリットの「うつぐみ」を実践しなくては、・・ということに気付いたことがいちばんの成果だった。
 それは、島人たちだけの「賢さやうつぐみどう勝る」、「協力しあうことは賢いことだ」だけではなく、見せていただく外部の人間同士も、まして取材者として祭祀を取材するもの同士にも、大切なマナーであり、精神だということをあらためて確認したことであった。
 正直に言えば、最初に取材者として種子取祭にきたときには、あまりのカメラの多さ、テレビの取材クルーの多さに、閉口したこともあった。
 いい写真を撮ろうと、前へ前へでたがるのは、わたしたちの性(さが)であるし、これなくしてはやはり仕事人としてはちょっと弱いものがある。でも、祭祀の最中に、小さな小競り合いや罵り合う声がすると、ほんとうにいやな気持ちになるものである。
 厳粛であるべき場でマナーをわきまえないのはいかん、と独り言をいいつつ、このわたし自身ですらかつて芳徳さんに注意されたように、何度か行列に思わず近づいていっては、執行部の人から注意されることがある。今年はミルクおこしのとき、女性は前に出ないよう注意されて、とまどったものだ。あれ、そうだったっけ?
 もちろん神司の前には決して出ないように、神さまが先頭をあるいていらっしゃるのだから、という意識は常に頭にあるのだけれど、狭い集落のいりくんだ道は実にやっかいなのだ。
 長年、種子取祭を見てきているおかげで、こういうルールみたいなものも細川貂々さん一家とご一緒したときにも説明することができたし、はじめて見に来る観光客に簡単なアドバイスをすることはできる。
 いまは精神的に(雑誌取材という呪縛から逃れられているので)余裕があるから、ブレイクタイムや中抜けもできるし、逆に新しい人に場所を譲ってあげてもいいな、と思うときすらあるのだ。
 種子取祭で毎回会う取材陣とは顔見知りになっている分、同志のような気分がわいてくる。今年もまた、大塚勝久さんと会えたし、南山舎の大森一也さんも取材に来ていたので、なんだか同窓会気分もあって、彼らの仕事ぶりを横目で見ているのもなかなか楽しいものであった。
 そう、縁あって竹富島に通う取材者たちもまた「うつぐみ」スピリットを活用してなにかができればいい。取材の成果は自分だけのものでなく、業界だけのものでもなく、発表したからには島人たちはもちろん、後から来る取材者のためにも資料としてデータを島にプールしておけば、どれだけ島の宝として役立つことだろう。
 それが、一か所に集められてあるということが、それも島にあるということが重要なのではないか、未来の島の子どもたちのために、と思った次第である。

 2か月の夏休みがあり、秋からの聖心女子大でのシスターのゼミを受講する前にも、朝日カルチャーセンターやつくばでのシスターの講演会に出かけた。
 とりわけ印象的だったのは、朝日カルチャーでの僧侶・野口法蔵さんとシスターの対談での祈りの話だった。
 祈ることを伝えた病人のグループと、伝えなかったグループ。
 さて、どちらのグループに良い結果が出たか?
 答えは、どちらも。
 祈っていることを伝えようが伝えまいが、だれかが祈っていることで、その病者は回復に向かったというデータがあるのだという。今後、祈りの効果は脳科学の研究で明らかにされていくだろうということだった。
 また、つくばの講演会では、シスターはNHKの特番で放映された、長寿に最も効果があるのは、食事よりも運動よりも「本を読んで話し合うこと」という山梨県疫学研究の話をされた。
 これは、まさにわたしにとって、驚きの、そしてありがた〜い情報であった。
 それまでさんざん医学講演会に出て、高い講演料を支払い、資料を購入し、得意の食事療法に関してはたくさんの本を義母に勧めてきたものの、すべてが空振りであった。
 むしろ自分なりにこれまで元気で長生きを実践してきた義母にとっては、押し付けであり、へんなものを食べさせたりへんな薬を飲ませないでちょうだい、という警戒と疑惑の念まで抱かせてしまっていたのであった。
 世間に対して警戒する高齢者の気持ちをわたしはまったく理解しないで、まして目も耳も老化現象をたどる高齢者の立場を理解せず、「いいものはいいのだから」と一方的に押し付けていたのである。
 おたがいにかたくなっていった義母との関係をあらわすクレヨン画もある。
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 夏の間に、介護認定の結果が出て、市町村助成金サポートによって手すりをつけてもらうことになり、介護認定の福祉課の方々がやってきたり、手すり業者の方が来たり、いろいろ出入りがあった。そのときの、義母とわたしの意識には大きな隔たりがあったと、いまでは素直に認めざるを得ない。
 わたしは93歳にもなれば高齢者なのだから、当然国家のサポートを受けるのになにも恥ずかしいことはないし、むしろ堂々とサービスをうける権利があると思っていた。しかし、いままで体力に自信があり、ひとりでなんでもやってきて、自分で考え納得したうえで決めることが自慢であったろう義母の意識は、はるかに若かったのである。
 世間体を気にするというのは見栄かもしれないが、見栄を張って世間体を気にしてもなお、かっこよい姿を見せたいというのは、まさに若々しさであり、義母なりの矜持なのかもしれないのだ。
 人はいろんな考え方、感じ方をするのだなあ、ということが、この1枚のクレヨン画を描いて参加者と話し合ったときにもわかった。逆に言えば、このときの参加者の方の反応が、わたしをして、はじめて義母の感じ方に気づかせてくれたのであった。なんとも鈍感なものではある。
 なるほど、1枚の絵があれば、絵画鑑賞さながら、いろんな感じ方、考え方があるんだなあ、ということがほんとうによくわかった。そして、これは、立場の違う人を思いやる大切な視点とも重なってくる。とくに福祉の仕事をしている方々はそういう配慮ができているだろう。高齢者であっても(世間を気にして、かどうかは別として)サービスをあえて受けないという生き方だってあるからだ。
 シスターがいつもわかちあい会でおっしゃっているように、わかちあい会で話した内容は、ここのなかだけで外には出さない、この場を安心な場として、本人にいやな形で入っていくようなことのないように、ということが基本となっている。
 おそらく義母は、このような暗黙の了解がわたしになかったことに、逆に驚いたことであろう。いまなら理解できる。わたしもまた、わかちあい会での私自身のことだけを語らねばならないのは、言うまでもない、掟である。

 そして、ありがたいことに、朝日カルチャーセンターでの講演会の後、シスターに「おかげさまで義母は検査の結果もよい値が出て、ある部分では疑いも晴れました」と報告するまでになった。
「そうでしょう、そうでしょう」とおっしゃってくれたとき、そのシスターの反応に、あらためて祈りの力を実感したのであった。

 竹富島を描いたクレヨン絵は、二枚続けてある。
 夏の西塘祭取材に行ったあとに描いた絵は、2018年10月18日の日付で、アニメーターの方が読み上げたテキストは『一人ひとりが光の存在』だった。
 その文を聞いてこころにイメージして描いたクレヨン画のわたしなりのテーマは「うつぐみ」。竹富島の光、と添え書きがある。
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 種子取祭から帰ってきて11月のわかちあい会で描いたのは、種子取祭の会場となる世持御嶽の境内での絵だ。 
 祭の翌日、竹富島を去る前に、今年も祭に呼んでもらったお礼を伝えるべく、だれもいない御嶽に行って祈っていると、携帯が鳴った。
 群馬県に住む義母の姉妹が義母に会おうと、もうひとりの妹と義母に電話をかけているのだが、どちらも電話に出ない、というのである。急だけれど、あしたしか時間がないの。それを聞いて、御嶽の石垣に腰掛けて、義母と義母の妹さんに電話をかけまくる。留守電に録音しつづけ、1時間近くも立ったのでその場を離れようとした瞬間、携帯が鳴って、姉妹三人義母の家に集まることができるようになったとの連絡。
 よかった!竹富島の神さま、ありがとうございます!
 祈りの力を実感したのはいうまでもない。
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 そして、今年最後の授業となる12月のゼミ
 それまで遠藤周作の「深い河」を読んで感想を話し合ってきた後だけに、シスターが『深い河』の解説をしてくれたことで、いままでこの深い作品世界をどう理解したらよいのかわからない部分もあったのだが、すっと腑に落ちるように納得できた。
 遠藤は、主人公の青年をして、最もみじめな苦しいつらいときに神はその人とともにいる、ということを伝えたかったのか。
 誰もが深い世界を求めながら、リアルな現実世界で生きていかねばならない、そのなかでいろいろな生き方する人間のさまざまなありようを遠藤は描いて見せたのか。
 それこそが人を描くということであり、文学である・・。

 このあとのわかちあい会、わたしの描いたクレヨン画には、『災い転じて福となす』『禍福はあざなえる縄のごとし』とかきこんである。破壊と創造、とも。
 秋は本当に忙しかった。台風も二回あり、種子取祭と病院付き添いもあって、二宮の実家に行ったのは10月である。
 このとき、三階の父親アトリエにしている部屋へ至る階段の上に破片がぱらぱら落ちていた。見あげれば壁紙がたわんではがれているところがある。外れている天井板を棒で押し込んで、全労済に連絡しなくては、と思った。
 そして、天候が悪く10日ほどたって、墓参りを終えて夕方近く二宮に行くと、三階に至る階段には天井の内壁が落下して、化け物がのたうちまわっているように断熱材と壁材ががれきの山をなしていた。
 がれきが階段下の、私が寝ている部屋の入口にまで達し、足の踏み場もない。
 がれきを踏みつつ瓦礫で足を怪我しないようにスリッパをはいて、障害物を乗り越え階段の上にまで行くと、惨状に声も出ない。
 だらりと垂れさがった断念材。
 階段を覆う不気味な断熱材はいまにもうごめきだしそうで、暗くなり出した三階の階段は、テレビで見た地震災害の現場を思い起こさせた。
 急いで妹に電話するが、現場を見ていないとひっ迫感がない。
 全労済電話番号を教えてもらい連絡すると、工務店の見積もりが必要というので、幸いまだ5時前だったので工務店の連絡先を教えてもらい、電話だけ入れた。
 翌日、ありがたいことに工務店の方が来てくれて、見積もりをするにもいまは台風被害のため屋根屋さんが混んでいて年内年始に対応できるか微妙だが、屋根屋さんに話してくれるということになった。全労済に連絡してわかったのは、台風による被害の申し出がすでに7万件に達しており、現場検証は工務店の見積もりに切り替えて対応しているということであった。
 翌週、なんとか年内にゴミをだすべく意を決して二宮へ行く。
 その前に父の墓参りに大磯、楊谷寺に行くと、折しも三千仏法要の三日目の日で、三千の仏の名前を読み上げつつ五体投地を繰り返す行が行われていた。
 あと百仏というところで顔を出した私は、檀家の方だろうか三人ほどの若い方々にならい、(もちろん座したまま祈るのでもいいというので座ったままの方々もいる)みようみまねで五体投地をやってみる。たぶん半分ぐらいやっては、座ったまま祈るという手抜きになったが、なにしろ早い動作を繰り返すので、息は上がるしそれでも唱えねばならぬし、太ももがだんだんだるくなり痛くなってくる。もう最後はよれよれで筋肉痛の予感がする・・。
 三日間通って三千仏の五体投地をすべて行ったのは、なんと若い女性だった!帰りに駅で会うともう階段をおりられないでいる。柏まで帰ると聞いて頭が下がった。
 しかし、ご住職がこれでみなさまの願いが聞き届けられるというお話をされたとき、その場の全員が満ち足りた思いをあじわったものだ。
 高揚感と達成感。脚は痛いが、こころは軽い。
 なにか不思議なエネルギーが充電されたような感じで二宮の実家についた。
  早朝から、不思議なバカ力を発揮して、階段にのたうつ断熱材をぐるぐると巻き、ゴミ袋につめる。小さい瓦礫を集めて袋に入れる。燃えるごみとして出せるものは、4袋。瓦礫はゴミ出しの日が違うので工務店の方が見積もりに来るときに頼むつもりで二袋。
 火事場の馬鹿力とはよく言ったものである。うお〜っと声に出して、不気味なものを丸めていけば、階段に大きなものがなくなっただけで、ずいぶん気持ちが違う。
 自分でもよくやったなあ、と不思議な気分である。
 そのあと一週間は、脚の筋肉痛でヨタヨタ歩きが続いたけれど。

 クレヨン画は、この台風被害を『災い転じて福となす』とすべく、ピンチをチャンスに変えるためのビジョンを描いたつもりだ。なんとか全労済の力も借りて内壁を修理して整理整頓、多くのみなさまに父山本義一の絵を見ていただき、家を活用することができれば、また新たな道も開けるのではないか。
 口にしてしまえば、絵に描いてしまえば、祈りは現実化するのではないか。
 そう、祈りの力を、今のわたしは知っているのだから。
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 それでは、みなさまどうぞよいお年を!
 こころからすべての人の幸せを、世界の、宇宙の、平和を祈っております!
 
  
 
 

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