[]『悶え狂い』の噂に悶え狂う…!

shimizu43102005-10-27

映画が終わって(短篇調査団最多入場者?)筒井武文さんが


「金井さんの撮影作品を集めて上映してはどうでしょう?

 ピンクも含めて…」


と問うと、金井さんが答えるには…


「あー新藤孝衛監督の『雪の涯て』(1965)とかね。

 でもアレはマジメだからなあ、

 鈴木清順グループ脚本を書いた作品があって、

 これはスゴイんだ!!もう残ってないと思うけど……」


清順グループ?どんな映画???

金井さんの説明によれば

「たぶん田中陽造脚本を書き、早稲田を出たハルノという男が監督した」

というその映画の内容は……………!!!


舞台長崎

ある男が尼僧を犯していると、

「ピカ」が落ちて閃光が走り、

男の額に十字架の影が焼き付いてしまう。


…ぎゃああああああ!!

いろんな意味でヤバい設定です。


十字架の刻印を取るために男は散々苦労するが、

「聖なる者を犯せばよい」という結論に達し、

再び尼僧を……(そういうジャンルですから)


その後、男はコーラを飲み干し、空き瓶を空高く放り捨てる。

水溜まりに映る男の顔……十字架が消えている!

喜んだのも束の間、

落ちてきたコーラの瓶が頭に当って男は死ぬ。


…なんじゃそりゃああああ!!!

スゴ過ぎるオチ。

『無人列島』を思い出しながらニヤリとしちゃいます。

それすっごく見たいなあああああああ!!!!


金井さん「野田真吉さん*1がたまたまロケ先の佐世保で見て、

     面白いって『映画芸術』のベストテン投票したんだから」

佐世保……長崎で上映してるんだ!!)

私「その映画……題名は何というのですか?」

金井さん「んーとね、『悶え狂い』!」


『悶え狂い』1969年上松プロ/佐々木監督

日本映画データベースhttp://www.jmdb.ne.jp/1969/cs000770.htm


佐々木元(ささき・げん)

1939年7月28日長崎県諫早市小野島町に生まれる。県立諫早高校を経て

1962年早稲田大学政経学部を中退後、芸術映画社、大映テレビなど数社で

製作助手、演出助手として働く。この頃のいつも素足に下駄履きという

出立ちで飲み屋街を闊歩した、大男佐々木元の武勇伝は数限りなく聞かれ

るところである。その後、成人映画助監督として新藤孝衛、西原儀一の

下につき、1966年6月『脱がされた制服』で監督となる。26歳、異例の

スピード昇進であった。完全・緻密志向の新藤・西原の老雄に師事した

にもかかわらず、それを糾弾するかのように演出は大胆で自由奔放な方向

へと傾斜してゆき、『悶え狂い』(1969)はその代表作であるばかりでなく、

ある意味でそれまでのピンク常識を破ったものとして注目された。

しかしこの作品を境に業界商業ペースに組み込まれていき、9年足らず

で120本以上を作り、"昼メロを撮り続けてきたような気分だ"と言い残し

1972年業界を去った。『悶え狂い』以後では近親相姦を題材に"血"と

いうテーマに挑んだ『色道魔』(1972)が営業用作品群に背を向けた彼の

ささやかプロテストとして記憶される。映画監督をやめたあとは大衆

酒場を経営、自らカウンターに立っている……(執筆者:高橋

キネマ旬報日本映画監督全集1976年初版より

長い引用になりましたが、監督長崎出身……確信犯確信犯だ。

ちなみに執筆者の(高橋)とは高橋伴明さん!!


私「フィルムはないとしても、シナリオだけでも読みたいですねえ…」

金井さん「シナリオはね、昔ボクの弟子だったMが持ってっちゃった」


…Mさん(『鬼火』『恋極道』を撮られた)今もお持ちでしょうか??


というわけで『悶え狂い』についての情報を求めております。

*1ドキュメンタリー映画作家(1916〜1993)。戦前東宝文化映画部出身だが劇映画機関車小僧』(1949)から科学映画マリン・スノー』(1960)そして実験映画『ふたりの長距離ランナーの孤独』(1966)まで幅広いジャンルを往還。金井さんとはその後神奈川ニュース映画協会で伝統芸能記録映画『世附の百万遍念仏』(1971)『鳥屋の獅子舞』(1972)などを作った。

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