荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載15)

ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本

偏愛的漫画家論(連載15)
山田花子
 「誰にも救えなかったオタンチンに再び愛を」 (その②)

荒岡 保志漫画評論家

山田花子が、念願の「ガロ」に初めて掲載するに至るのは、「神の悪フザケ」の連載が終了した同年の夏、1989年8月号であった。
4ページの短編漫画で、タイトルは「男心」、掲載時のタイトル通りに言えば、「少女漫画 男心」になる。この作品も何故か当時は単行本化されず、やはり山田花子の死後、1998年1月に青林工藝社から発行された「からっぽの世界」で、「からっぽの恋愛編」の一遍として位置づけられている。

ある日、大好きな中野くんからデートに誘われる。喜ぶ私、お洒落をして中野くんとデート。しかし、中野くんは、何故かあまり口を利かずムッツリしている。そして、中野くんは、「今日は帰る」と、早々に別れてしまうのだ。「きっと私の事嫌になったんだ」と私は悲しむが、数日して、中野くんはまた私をデートに誘うのだった。
「よかった、きらわれてなかったんだ」と再びデートをするのだが、やはり、中野くんはムッツリするばかりで、一言もない。たまたま道端で会ったクラスメイトの女の子とは楽しそうに活発に話す。ただ、二人きりになると、またムッツリを決める。「中野くんて一体、何を考えているのかしら。もしかして私をからかっているの?」とオロオロするばかりの私である。

少しシャイなだけで、本当の中野くんはこんなに怖い顔はしていなかっただろう。山田花子の男性に対する不信感、同時に恐怖感が、爽やかな少年中野くんまで鬼のような形相に見せるのだ。いじめられっ子だった体験は、ここまで山田花子の精神を追い詰めてしまった。もう他人の気持ちに触れることができなくなってしまっているのだ。この魂は誰にも救えそうにない、面白半分だったろうが、いじめと言うのは重罪である。そして、山田花子は、「もう男心ってわかんない」と半ば逆ギレ状態で、もう一歩踏み込めば救いの手が届くだろうボーダーラインまで自ら向かうことも決してないのだ。

それからの山田花子は、もちろん「ガロ」を中心に作品を発表するようになる。ようやく自分の描きたい漫画を発表できる漫画誌、すなわち自分の居場所を見つけたわけだ。

ここで面白いのは、毎号「ガロ」に発表される短編漫画、「待ち合わせ」、「対人の基本」、「乙女のワルツ」などであるが、主人公は河合桃子、17歳の女子高生であることだ。何と、山田花子は、「ヤングマガジン」で余儀なく連載を終了するに至った「神の悪フザケ」を、そのまま「ガロ」に持ってきてしまったのだ。新たな登場人物は増えるが、もちろん、桃子の性格も、クラスメイト、学園生活も全くそのままである。
これは痛快である。ある意味では、「ヤングマガジン」に、また編集者のY氏に対する最後の復讐である。しかし、流石は「ガロ」、懐が深いと唸るばかりである。

「ガロ」掲載作品の絵柄について言うと、「神の悪フザケ」の第2部「桃子編」の延長上にある。ただし、あの「観察漫画」のディティールはしっかり残っているし、やや読みづらいと思われる細かいコマ割りも健在である。説明じみたネームも多く、「ヤングマガジン」だったら没になっていた可能性も高かったろう。何はともあれ、「ガロ」デビュー、おめでとう、である。

実はこの間、1990年までに、「ガロ」以外の商業誌にも多くの作品を発表している。1988年8月号から1990年6月号まで、みのり書房「漫画スカット」に連載された「至福を肥やせ!子供たち」、1989年5月号から同年7月号まで清出版「PINK HOUSE」に連載された「夢見る女の子日記」、1989年5月8日・15日合併号から同年8月14日号に、無理やり編集者を変えてもらい、「ヤングマガジン」に連載した「修羅の図鑑」、1989年9月号から1992年5月号まで「PINK HOUSE」に連載した「花子の女子高生日記」、1989年12月号から1990年5月号まで竹書房「シンドバット」に連載した「桃色ルンバ」、1990年2月号から91年10月号まで白夜書房「コミック・パチンカーワールド」に連載した「チューリップ幻術」、1990年4月3日号から同月24日号に学生援護会「デイリーan」に連載した「子供の友」、1990年5月28日号から1991年11月25日号にリイド社リイドコミック」に連載した「マリアの肛門」、他、飛鳥新社ポップティーン」1989年11月号に読み切り短編「ゴキブリと少女」などを発表する。 山田花子の漫画がせいぜい4ページまでの短編漫画と分かっていても、これは大変な執筆量である。「自殺直前日記」に書いてあるが、山田花子は大変筆が遅く、2ページ描くのに36時間はかかると言うのだから。
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)、漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。
現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。