荒岡保志の志賀公江論(連載7)

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。
ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本


荒岡保志の志賀公江論(連載7)

70年代少女漫画に於ける志賀公江の役割(その⑦)
志賀公江「亜子とサムライたち」作品論①


志賀公江論を手にする荒岡保志さん。撮影・清水正
1971年、「週刊マーガレット」15号から19号に、5回に渡って連載された「はつこい宣言」は、総ページ数で130ページの中篇漫画である。
キャラクターの設定、ドラマティックなストーリー展開は相変わらずの志賀漫画に仕上がってはいるが、志賀公江が、少しだけ肩の力を抜いて描いた、という印象の作品で、「スマッシュをきめろ!」、「狼の条件」にふんだんに表現される、あのギラギラと燃える灼熱の感覚は封印されている。

野球というスポーツを要所に絡め、その熱さを訴える場面こそあるものの、何と言っても、タイトルが物語る通り「はつこい宣言」なのである。「恋」を「宣言」する、というスカッと爽やか青春ドラマなのだ。
他にストレートな青春ドラマというと、単発の読み切り漫画を除外すれば、思い当たるのは1971年、やはり「週刊マーガレット」49号から1972年10号まで連載された「おしゃれなシャンゼリゼ」ぐらいのものだろう。志賀漫画ではかなり希少なシュチュエーションだと言わざるを得ない。

少女漫画と言えば、この「恋」、そして「青春」を謳い上げる作品が圧倒的大多数を占めるのだが、志賀漫画ではそれはかなり希少になる訳だ。ここに、消えて行く百凡の少女漫画家と志賀公江の、確固たる相違点が確立するのだ。

「はつこい宣言」について、少しだけ語れば、やはり主人公のキャラクター設定の相違だろう。
主人公の「ゆかり」は、確かに快活でお転婆な女の子だが、「スマッシュをきめろ!」の真琴や「狼の条件」のみさきのように背負っているものがない。普通に考えれば、10歳そこそこの女の子に背負っているものがある方が特殊なのだろうが、学園生活を謳歌する主人公は、志賀漫画に於いては逆に異質である。その中では、唯一、ゆかりも母子家庭であり、母の再婚先の兄弟、野球選手の大学生の兄と、画家を目指すゆかりの同級生の弟、その家庭環境の確執が描かれているという点だけは志賀公江らしいと言えるが。

また、「志賀公江にとって、父は特別な存在なのだ」と「狼の条件」の作品論で書いたが、もう一歩踏み込むと、志賀漫画に五体満足な家庭環境は存在しないのだ。頼れる父、優しい母、主人公はややお転婆の優しい女の子で、やんちゃな弟がいる、などという設定の家庭環境は、志賀漫画には間違っても登場しない。必ず、と言っていいほど片親、それも、そのほとんどは母子家庭である。このことをストーリーの構成上と言って片付ける訳には行かないだろう。意外と、この辺りにも志賀漫画の肝が伺えるが、それは一通り志賀漫画作品を論じてから総括したい。

水泳を題材にした「亜子とサムライたち」は、1971年、「週刊マーガレット」26号から44号まで連載される。この作品も、「スマッシュをきめろ!」と並び、志賀公江の代表作と推されている。志賀公江を評価する際に、どうしてもスポーツ少女漫画家という印象から逃れられないのだろう。ただし、この「亜子とサムライたち」については、少女スポーツ根性漫画には当て嵌まらず、して言えば少女スポーツ青春漫画とでも言おうか、どちらかと言えば「はつこい宣言」の延長線上にある作品である。

「亜子とサムライたち」の主人公は「中山亜紀子」、「白河学園」水泳部員の高校一年生、勿論、通称は「亜子」、ショートカットでやや栗色の髪、丸顔の快活で明るい女の子である。亜子のキャラクターも、やはり「はつこい宣言」のゆかりの延長線上にあるが、彼女には背負うべき過去がある。

ストーリーの要になるその過去は、亜子を助けようと荒波に飛込み、死んでしまった亜子のボーイフレンド「伸」であり、また、難産で、亜子を生んですぐに息を引き取った「志摩の人魚」と異名を取る海女であった母である。亜子は私生児で、ここでもやはり父は不在である。母は、「結ばれることがないと分かった人に恋をして」と亜子の言葉にある。今作では本当の父こそ最後まで出て来ないが、不倫関係の恋であったことは明らかである。「はつこい宣言」でも、ゆかりの母は、言い方によれば再婚相手の妾であった。再婚相手の病弱な妻が他界したことで本妻に就く、というストーリーなのだ。意外や意外、これは志賀公江の不倫願望、もしくは不倫経験の裏付けと考えて良いのだろうか。この時点で、既に90年代に発表された「虹子ララバイ」の世界観は構築されていたのだろうか。

このストーリーのヒーローは「島影慎吾」、「白河学園」水泳部のキャプテンにして、100メートル自由形で高校記録を持つほどのスーパーエースであり、同学園の校長の息子である。勿論、ヒーローである以上、長身でハンサムである。三重県の志摩に、親善水泳競技に行った際に、偶然、当時中学生の亜子と会う。それから、亜子が慎吾の後を追い、慎吾の在籍する「白河学園」に入学する訳だが、これは、慎吾が亜子の亡くなったボーイフレンド、伸に瓜二つだった為である。恋愛感情とは違うが、亜子は、伸が傍にいるようで安心するのだ。

そして、もう一人のヒーローは「大谷順平」、同じく水泳部で、実力は慎吾と互角、否、慎吾以上なのだが、決して本領を発揮しようとしない。常に斜に構え、不良振り、学園内、水泳部内でも悪評判が絶えないが、本当は心の優しい、凛々しい好男子である。

少女漫画ならではの恋のライバルに「原田小巻」、やはり水泳部のエースで、父は、娘の為に学園にプールを寄贈する地元の名士、というやや有り勝ちな設定ではある。小巻は、慎吾に恋愛感情を持つが、それを受け入れてくれない慎吾にストレスは溜まっている。そのストレスは、当然、真吾が愛する亜子に向けられる。

小巻は、亜子の存在がどうしても許せない。自分の心から愛する慎吾が、亜子を愛し始めているからだ。亜子本人はというと、未だ死んだ伸が忘れられず、慎吾の愛を受け入れることが出来ないでいる。小巻にすれば、このもどかしさは地獄の苦しみである。まだ、亜子が慎吾の愛を受け入れているのならば、諦めも付きよう。

小巻は、亜子に対戦を求める。100メートル自由形、それも一週間後だ。亜子は、一週間で、プールの女王と異名を持つ小巻に勝たなければならないのだ。この対戦に負けた敗者は、潔くこの学園を去ることが条件なのだ。
小巻は、亜子に訴える、「いつも慎吾さんと一緒に練習したのよ。あのひとに愛されたい、あのひとのそばにいたい・・・ただその一念で泳いだのよ」と。女王小巻も、普通の恋する女の子である。

亜子には天性の素質はあった。何しろ、「志摩の人魚」の娘である。一週間後の対戦に向けて、亜子の猛練習が始まる。この「亜子とサムライたち」で、ここだけが少女スポーツ根性漫画を継承しているか。また、「スマッシュをきめろ!」でもそうであったが、志賀公江のスポーツ競技に対する見識の深さには恐縮する。志賀公江がスポーツウーマンであったことは前述したが、陸上、テニス、水泳と、全く違う競技で、まるでご自身が経験されたのだと思わせるぐらい、その競技の本質にしっかり入り込んでいる印象である。

退学を賭けた対戦は始まる。水泳の基本を叩き込まれた亜子は、一週間でそのスピードをぐんぐん上げる。流石ではあったが、やはりプールの女王小巻には一歩届かない。亜子は敗れたのだ。亜子は、学園から去らざるを得なくなったのだ。

しかしながら、腹を決めていたのは小巻のほうだった。小巻は、亜子の素質を充分認めており、一週間あれば、自分は亜子に負けるだろうと踏んでいたのだ。小巻の水泳は、全て慎吾の為であった。それがないのならば、小巻はこの学園から去りたかったのだ。小巻は、これ以上苦しみたくなかったのだ。

そこに現れる小巻の父は、堂々たる風格で、自分の娘が勝手に行った無謀な対戦について、小巻と共に亜子に謝罪する。小巻の父を、有り勝ちな設定と書いたが、その実態は有り勝ちでもなかった訳である。ただし、この小巻の父は、この学園の水泳部自体に大変な影響力を持つことが露見する。

亡くなった亜子のボーイフレンド、伸の命日に、亜子は志摩に戻るのだが、慎吾も同行することになる。慎吾は、墓前で、伸と話し合いたかったのだ。亜子は、未だに伸の影を引きずっている。それを断ち切りたかったのだ。
海辺で、伸への思いに耽る亜子は、思い余って溢れる涙も拭わずに慎吾の胸に飛び込む。慎吾は言う、「おれは伸じゃない、島影慎吾だ。おれは生きている。生きてきみを抱きしめている」と。そのまま、慎吾は亜子を抱き上げ、唇を合わせるのだ。

少女漫画家時代の志賀漫画では、大変珍しいキスシーンである。逆に、キスシーンが少ないということは、志賀漫画がありきたりの少女漫画、恋愛漫画ではない証明でもあるが。

亜子は、伸への思いを断ち切れるのか、そして、亜子を取り巻く、慎吾と順平の確執、小巻の慎吾への尽きぬ思いが、高校生水泳選手権大会を絡め、クライマックスへ向かうのである。

荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。