荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載44)


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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載44)

山野一
「消えた天才漫画家の復活を再び祈る」(その⑧)


●「走れタキシェ」、山野漫画はねこぢる漫画と融合する


「混沌大陸パンゲア」の混沌の一つは、山野一の妻である漫画家ねこぢるの存在である。山野一の妻千代美は、1990年にペンネームをねこぢるとして漫画家デビューを果たし、それからは二人三脚で執筆活動を続けていた。当然の事ながら、溜まっている仕事を二人でこなし、お互いに独立した漫画家ながら、お互いがアシスタントのような執筆活動であった。
この為、ねこぢるの漫画は山野一の哲学の洗礼を受け、山野一の漫画はねこぢるの無我が侵食するのだ。

1993年、ビデオ出版「月刊FRANK」2月号に発表された、梅毒にかかった工員が、聾唖者の、同僚の女の子を強姦、同居する祖父と共に殺害し、ドブ川に捨てる「工員」。
「つ○ぼのくせによう・・・」と、相変わらず障害者を卑下し、犬畜生のようにレイプし捨てると言う山野漫画炸裂の一作であるが、描かれる工員は、リアリズムがなくデフォルメされたもので、その黒目はどこを見ているのか分からないねこぢる漫画のキャラクターである。

1990年、ビデオ出版「月刊HEN」9月号に発表された「さるのあな」は、子供たちが穴に落ちた、巨根のき○がいを発見し、面白がって生うどん、犬などをその穴に放る、と言うストーリー。き○がいは、生うどんを貪り食い、犬は犯してやはり食い尽くし、骨だけが残る。子供たちは、更にエスカレートし、今度は女中を穴に落とすのだ。
このシュツエーションは、実はねこぢる漫画と重複している。当然、アイデアも共有しているのだ。

1990年、みのり書房「漫画スカット」1月号に発表した「走れタキシェ」は、主人公の「たけし」が進学する農業高校の畜産科の、異様な風体の教師について描かれる。牛の糞を舐め、頭の肉や目玉を削ぎ落としてチーズを作るなど、き○がいの半歩手前の教師であるが、たけしはこの異様な教師に傾倒するのだ。
この教師のキャラクターも、ねこぢる漫画のレギュラーであるが、1990年1月と言えば、まだねこぢるはデビューしていなかった訳である。この事は、ねこぢると言う漫画家の誕生は、山野一の多大な影響下にあった証明である。
因みに、余談であるが、この「タキシェ」は、中野ブロードウェイにある特殊漫画家ファンのオアシス「タコシェ」の捩りである。

1993年、「月刊FRANK」5月号に発表された「水産」、同誌6月号に発表された「火星法華経」は、現実と虚構が交錯する、言ってしまえばねこぢる色の強い作品である。「タブー」、「アホウドリ」など、現実と虚構の交錯は、今までにも多々あった事はご周知の通りだが、山野漫画のそれは、あくまでも精神世界が舞台で、正常と狂気の狭間に揺れ動く虚構であったのだが、ねこぢるのそれは、初めから虚構の世界にどっぷりと足を踏み入れている。夢を描いた作品、と言えばしっくり行くか。このドラッグ感は、ねこぢるの得意なカテゴリーなのである。
夢の中なので、ストーリーは存在しないに等しい。

「水産」は、鮮魚を運ぶトラックの運転手と助手が、食事の為にドライブインに寄る場面から始まる。そのドライブインの女店員は、やたらと電波を拾い、病院へ行くと、医者からは巨大な浣腸を打たれると、兎に角脈絡がない。電波の象徴として登場する、空を飛ぶ勾玉のようなオブジェは、ねこぢる漫画ではお馴染みの物である。
「火星法華経」は、いろいろな身体の穴に男性器を受け入れる天竺の五人姉妹の紹介から始まるが、その絵本を読みながらドライブをするカップルが、トンネルに入ると、トンネルの壁面がドロドロと溶け始め、いつの間にか地下鉄に追われ、何とか逃げ切ったホームで女子高生たちを跳ね飛ばす、と言う、やはり脈絡のないものだ。その暴走する車に跳ねられ死亡した女子高生の父親が、「火星法華経」の会合の為に寿司屋に入ると、メニューに天竺の五人姉妹の名前がある。

共に、絵柄はデフォルメされ、ギャグ漫画的に描かれている。また、掲載された雑誌が成年誌、エロ雑誌と言う事で、やたらと放尿、排便シーンが登場する。そこだけはある程度リアルに描かれ、山野一らしい、と言えばらしいか。


●山野漫画の狂気は続く、「のうしんぼう」に泳げ


「混沌大陸パンゲア」には、山野漫画の重要な核となる狂気を描いた作品が数多く収録されている。ねこぢるの夢うつつの世界観とは打って違い、精神世界、知覚神経を掘り起こす山野漫画本来の哲学がそこにあるのだ。
それらは、1991年、ビデオ出版「月刊HEN」11月号に発表された「Closed Magic Circle」、続いて同誌12号に発表された「壁」、1992年、「月刊FRANK」8月号に発表された「ラヤニール」、同誌10月号に発表された「SCHIZOID ZONE」などであり、「タブー」、「アホウドリ」の延長線上にある作品だ。

毎晩奇妙な夢に魘されるのだが、どうしてもその夢の内容が思い出せない、と言う「Closed Magic Circle」。
仙台刑務所に強姦殺人常習犯で服役中の死刑囚の精神のみが、刑務所の壁を抜け、新宿に在住する女子大生の意識に侵入し、再び強姦殺人を繰り返すというストーリーの「壁」。
徹夜続きの漫画家山野一が、現実からどんどん幻覚の世界へと導かれ、人格が破壊されて行く「ラヤニール」。
就寝中に、猛烈な腹痛に襲われ、妻と娘を連れ夜間病院へ飛び込むが、そこで診察するのは精神科医であった「SCHIZOID ZONE」。

「Closed Magic Circle」は、文明から遠く離れたニューギニアのスーリア島へフィールド調査に行く主人公「石原」が、その美女と畸形ばかりの島で、本来の目的を失い、生命の原初的な神秘に触れるストーリーである。その為に登場するピンクの液体は、勿論濃縮ドラッグであろう。やはり、インド哲学の洗礼を受けた作品である。ただし、全ては夢落ちで片付けられているが。

「壁」については、ストーリーの通りであるが、死刑執行日に、死刑囚の意識がなく、看守たちが、昨日起きた新宿の強姦殺人事件について語る辺りは、この死刑囚の精神が新宿に飛んだ証明として描かれている。ここでは、狂人が見た幻覚と言う捉え方はされていないのだ。

「ラヤニール」は、山野漫画に度々登場するが、山野一ご本人が主人公である。自分を美化して描く事もないだろうが、山野漫画に登場するご本人は、実に酷い性格、性癖で描かれ、その環境も殺伐としている。「ラヤニール」では、とうとう人格が崩壊し、女子高生、寿司職人、そして担当編集者の「藤井」までが崩壊した人格の一部を担うのだ。

「SCHIZOID ZONE」は、錯乱した精神状態の中で、一応は纏まったストーリーがある、ややミステリーの要素が強い作品である。夜間病院で診察を受ける主人公の腹には包丁が刺さり、同行していたはずの妻と娘は、血塗れの幻影となって消滅する。部屋に戻ると、自分の妻と娘が、精神科医と性交の最中である。そして、妻と娘は言うのだ、「お父さまはき○がいよ」と。
彼は、「うわあああああっ!!」と叫び包丁を振り下ろすのだ。

1995年、ぶんか社「まんがガウディ」1月号から、1998年、同社「まんがアロハ!」6月号まで連載された「ぢるぢる旅行記」の中で、山野一ねこぢるは、インド旅行中に、ガンジス河の麓、聖地「バナラシ」で毎日のようにガンジャを吸引していた事が描かれている。ガンジャとは、マリファナの事だ。ねこぢるは、ガンジャによる「安らかで充足した境地」を語り、「あの世界を知らないまま死んでいくのはなんだかバカバカしいー程不幸」とまで言っている。この旅行中に、あのオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起こっているところを見ると、二人のインド旅行は1995年だったのだろう。
これらの作品が描かれた1993年には、未だドラッグの体験はなかったのだろうと推測出来るが、いずれも、ドラッグが描かせた作品と言う印象である。国内でも、なんらかの方法で入手していたのではないか、と想像してしまうが・・・もし、それが真実でも、既に時効は成立しているのでお許し頂きたい。漫画評論家の作品解説が元で捜査、麻薬取締法違反で逮捕、などと言う事になっては洒落にならない。