小林リズムの紙のむだづかい(連載88)

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紙のむだづかい(連載88)
小林リズム

【プリクラに「※写真はイメージです」とは書かない。これがワタシだもの。】


「えー、ホントですか?すごい!」
という初対面の人に対するオーバーリアクションや、
「大丈夫大丈夫!将来のことはちゃんと考えてるから!」
という親への適当な返事なら平気でする。
 嘘かどうかどうかと問われれば嘘になるのかもしれないし、盛っていると言われればそうかもしれない。「嘘はいけませんよ」という教えそのものが嘘だということには、だいたい小学生くらいに気づくものだし、生きていれば人を騙したり計算して振る舞ったりすることは多少なりとも必要なときがある。…と、こんなふうにいつも私は自分に対してめちゃくちゃ甘い。そんな自分をすべて棚にあげて世の中に対して許せないことがいくつかある。

 たとえば、お菓子のパッケージについている「※写真はイメージです」の文字が気に食わない。おいしそうに湯気が出ていたり、お洒落にお菓子がちりばめられているポップなデザインに「※写真はイメージです」の言葉を見た瞬間、そのお菓子に対しての熱が冷めてしまう。
 イメージを裏切られたからではない。むしろ、イメージ通りの商品とは最初から思っていないのに、わざわざ「※写真はイメージです」の文字をつけて予防線を張るスタンスが好きになれないのだった。え、なに、このお菓子はイメージに負けるの?こんなこと書いちゃって、自信ないの?と心のなかで厳しく突っ込みを入れてしまう。たぶん「イメージと違うじゃないの!」と文句をつけてくるクレーマーがごくまれにいるから、わざわざ表記しているのだと頭ではわかっていても、素直にそれを認められないのだった。クレーマーに「イメージ以上の商品をお届けしているつもりでございます」くらいしれっと言い放ってほしい。

 洗剤のCMも気になる。「汚れを全部落として清潔!」というようなことを言っているのに、使用前と使用後の拡大した菌の映像では、使用後にもほんのちょこっとだけ落としきれていない菌が残っている。おそらく映像を修正して菌が少しも残っていない状態に消せるはずなのに、あえてそれをしないのだ。誇大広告とケチをつけられるのを恐れているのかもしれないけれど、それだったらはじめから「汚れをかなりの確率で落として清潔!ご覧ください、菌はちょこっとだけ残っていますが…でもほとんどが落ちています!」というように忠実に事実に沿ったナレーションをすればいいのに…と思ってしまう。

 つまるところ、予防線を張った安っぽい嘘が嫌いなのだ。他人から嫌われないようにするための媚だったり、言い逃れできる道を残したズルさだったり、そういうものを自分が持っているからなおさら、ほかの人がそれをやっていたときに敏感に反応してしまう。
 私が人から騙されることがめったにないのは、私自身が人を騙す要素を持っているからだ。自分の行動を振り返って他人を疑い、人の狡猾さに気づくから騙されないですむ。優しい人が人から裏切られたりするのはその逆で、自分が人を裏切ることをしないから、他の人もそうだろうと簡単に人を信じてしまう。だから純粋に生きてきた性格の良い優しい人って、きっといっぱい傷つくことがあるんだろうなぁと思う。優しい人が報われない世の中なんて不条理だ…と思いつつ、そういう人たちを、どちらかといえば騙す側にまわる立ち位置であろう自分を思って、なんだかなぁと頭を悩ませるのだった。
 綺麗にもまっすぐにも生きられないので、あれこれと手段を考えながらまっすぐじゃない道を選択していっているのだけれど、とりあえずはまあ、「※写真はイメージです」の言葉を素直に受け入れられるように。「イメージよりもおいしいよ」って製菓会社に感想のハガキを送れるように。まずはお茶でも飲みながら味わってみるところから始めよっと。