ユッキーの紙ごはん(連載31)

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ユッキーの紙ごはん(連載31)


【ないものねだり】

ユッキー


 

 舌にピアスを開けたい。

 かれこれ5年間ほど抱き続けている願望だ。舌ピアスを開けたい。
 言うと、多くの人は止めてくる。怪訝な顔をする。誰も、「いいんじゃない? やってみなよ」 とは言ってくれない。

 そんな現状が気に食わないが、かくいう私も、舌ピアスは好きだが鼻ピアスはとても理解ができないので、もし友達が 「鼻ピ、開けてみたいんだよね」 なんて言った日には 「疲れすぎて頭がおかしくなったのかな? 車を出してあげるから温泉にでも行って休もうね」 と優しく諭すだろう。
 私の舌ピアス願望を否定してくる人たちも、きっと同じ思考なのだと思う。

 でも、どうしても舌ピアスを開けたい。夏には就活を終えて4月に就職するまでの数ヶ月間だけでも開けるのが、今の目標だ。

 それにしても、自分でもよくわからない。
 エッセイと一緒に載せてある顔写真からおわかりになるだろうけど、私は舌ピアスを開けていそうなタイプではない。地味・真面目・普通という、つまらない人間三拍子が揃っている。対して舌ピアスは、ちょっと不良のイメージを抱いている人が大半。

 就活が終わったら、舌ピ、開けようと思うんだよね。
 最近そう言ったとき、「意味がわからない」 「バカっぽい」 「ちょっと嫌いになる」 「人格を疑う」 「頭の中からっぽなの?」 となかなか辛辣なお言葉を数人にいただいた。

 どうして私は、舌に穴なんて開けたいんだろう?

「一つの穴 (ピアス用の) を開けるたびごとに自我がころがり落ちてどんどん軽くなる」

 鷲田清一 『悲鳴をあげる身体』 (PHP新書) という本の中に、こんな引用がある。ある男子の言葉らしい。
 芹沢俊介という評論家が新聞記事のなかで引いていた言葉のようで、彼はこれに対して 「自己の体への小さな暴力といっていいような無償の負荷を自分から差し出すことによって、精神的な報酬を得ている」 と述べている。

 自我がころがり落ちて軽くなることはキモチイイ、だからピアスを開ける。どこの誰かも知らない男子が言うのは、そういうことらしい。

 実に若者らしくバカっぽい。そして私も、そう思うから、その快感を予想するから、舌にピアスを開けたいのかもしれない。

 なんといっても、地味・真面目・普通というつまらない人間三拍子が揃っている私である。「真面目だね」 「偉いね」 「ちゃんと考えて生きている感じ」 なんて人に言われるたび、そんな自分の人格が重たくて重たくて仕方ない。

 舌ピアスを開けるなんて 「バカっぽい」 「人格を疑う」 と言われるけれど、私はバカだと思われたいし、人格を疑われてみたい。頭からっぽ、とまで言われたら、ひどいよとショックを受けながらも、嬉しい。

 まわりくどく書いてきたけれど、端的に言えば、教室の隅にいる目立たない子がヤンキーになる自分を夢想するのと同じ心理。
 つまり、メチャクチャ、ダサい。

「舌ピ開けたい開けるって、言うだけで、どうせしないくせに」

 友人の一人はそういって笑った。図星ど真ん中を指されて痛かった。

 そのくらい自分をわかってくれている存在がいる幸せに甘えて、私は舌に穴を開けたいとうるさく叫んでいるのだろうか。

※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。