小林リズムの紙のむだづかい(連載514)

小林リズムの紙のむだづかい(連載514)


【翼、生えてるかも】 


 ときどきすごく「自由になった!(気がする)」ときがあって、ふっと身体が軽くてどこへでも飛んでゆけそうな気さえする。好きなことを選べて好きな場所へ行けて、好きな人生を生きれる。そのことがこんなに嬉しいなんてどうしよう。生きてるってなんて素敵なことなんだろうと、真剣に思った。でもそういうトキメキはすぐにしゅわしゅわと跡形もなく溶けてしまって、残っているのは「あれってマボロシなの…? もしくは幻想?」という地に足のついていない自分に対する苦笑いと虚しさだけ。

 ずっとそうだったのに最近、すごくすごく重大なことに気づいて、以来私はずっと「自由になった」気持ちでいる。その重大なこととは、本当にシンプルに「自分の人生は自分でどうにかしなきゃいけない」と理解したことだった。社会人2年目にもなって何を今さら……、なんて思われるかもしれないけど、私はずっとそのことをわかっているつもりで理解できていなかったのだ。なんとなくいつも結婚や就職やらの「何か」で劇的に自分の人生が変わってしまう気がしていた。だから恋愛に関しても会社に関しても求めるハードルがいつも高かったし、何か「してもらいたい」と考えていたから常に不満があった。自分では「何かしてあげたい」なんてさらさら思わずに、一方的に選定している気になっていたのだ。

 ところがこの間、ふと「自分の人生は自分で責任を持たなきゃいけない」と、唐突に気づいてしまった。それはいい会社に就職しても玉の輿に乗って結婚しても結局は「私」というもは「私」のままであって、あらゆる人から影響を受けてもそれは「私」以外の何ものでもなくて、つまりは「私」がその場その場で選択や決断をしていかないといけない、という絶対的な真実だった。誰かに依存したり頼ったりしても、確実な保証はどこにもなくて、最終的には何事にもひとりで向き合い、戦わなければいけない。そのことに気づいた瞬間、私が見たのは「絶望」ではなくて底の見えないくらいに深い「希望」だった。

 もう、誰の手によってでも自分の人生を変えさせない。いや、「変えてもらおう」となんて考えなくてもいいんだ。そう思ったら、背中から羽が生えてきたように身軽になって、視界がぱーっと明るくなった。私が私の人生を選べること。好きな相手も付き合う相手も結婚する相手も、仕事もやりたいことも将来も、すべてを自分自身の力でつかんでいくことができるということ。信じられないくらいに大きな幸せだ。
 自己啓発書の類で「自分の人生は自分で切り開け!」なんて言葉をよく目にしていたけど、そのたびに「そうだよね」なんて思っていたけど、実際には全然わかっていなかった。誰かのスペックや将来性をみて、また誰かのアドバイス通りに人を選んだり付き合ったりしなくていい。それがこんなにも開放的で希望に満ちているなんて知らなかった。



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