清水正の『浮雲』放浪記(連載137)

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=LnXi3pv3oh4


批評家清水正の『ドストエフスキー論全集』完遂に向けて
清水正VS中村文昭〈ネジ式螺旋〉対談 ドストエフスキーin21世紀(全12回)。
ドストエフスキートルストイチェーホフ宮沢賢治暗黒舞踏、キリスト、母性などを巡って詩人と批評家が縦横無尽に語り尽くした世紀の対談。
https://www.youtube.com/watch?v=LnXi3pv3oh4

https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B 清水正チャンネル
https://youtu.be/KqOcdfu3ldI ドストエフスキーの『罪と罰
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp 『ドラえもん』とつげ義春の『チーコ』
https://youtu.be/s1FZuQ_1-v4 畑中純の魅力
https://www.youtube.com/watch?v=GdMbou5qjf4罪と罰』とペテルブルク(1)

https://www.youtube.com/watch?v=29HLtkMxsuU 『罪と罰』とペテルブルク(2)
https://www.youtube.com/watch?v=Mp4x3yatAYQ 林芙美子の『浮雲』とドストエフスキーの『悪霊』を語る
https://www.youtube.com/watch?v=Z0YrGaLIVMQ 宮沢賢治オツベルと象』を語る
https://www.youtube.com/watch?v=0yMAJnOP9Ys D文学研究会主催・第1回清水正講演会「『ドラえもん』から『オイディプス王』へードストエフスキー文学と関連付けてー」【清水正チャンネル】
https://www.youtube.com/watch?v=iSDfadm-FtQ 清水正・此経啓助・山崎行太郎小林秀雄ドストエフスキー(1)【清水正チャンネル】
https://www.youtube.com/watch?v=QWrGsU9GUwI  宮沢賢治『まなづるとダァリヤ』(1)【清水正チャンネル】


清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』清水正への原稿・講演依頼は  http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html

ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

デヴィ夫人のブログで取り上げられています。ぜひご覧ください。
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-12055568875.html

清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。



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 清水正の『浮雲』放浪記(連載137)
 平成◎年9月23日


 

 富岡はあわててゆき子の肩を強くゆすぶった。
 「おい、どうした! 気分が悪いのか?」
  雨はいっそう激しくなり、風も強く吹きつけて来た。富岡は、ゆき子を抱いてベッドに寝かしつけたが、額に青い筋が浮き、唇は白く乾いて、頬の肉が、ひくひくと、ひきつっている。富岡は、自分がよっぽどひどいことを言ったのだと判った。ゆき子の躯全体が病人のようになっていた。
両の手は何かを掴もうとして、十本の指が、蝉のように動いている。爪には黒く垢がたまっていた。(334〈四十三〉)

ゆき子がめまいの発作で失神すれば、富岡はゆき子の肩を揺すぶって「おい、どうした」と声をかけ、抱きかかえてベッドに寝かしつける。富岡はゆき子に焦々しても、冷酷に突き放して無視することはできない。否、それができないからこそ焦々する。富岡がゆき子を寝かしつけたベッドは、おせいと関係を重ねたベッドである。富岡が潔癖な男なら、すでに意識の上では過去の女になってしまったゆき子をそのベッドに寝かしつけるようなことはしなかったであろう。このことは同じくゆき子にも言える。彼ら二人は男と女の泥沼にはまりこんでのたうち回っているうちに、そういった潔癖な神経を麻痺させてしまっている。「額に青い筋が浮き、唇は白く乾いて、頬の肉が、ひくひくと、ひきつっている」ゆき子の顔を見ているのは富岡である。富岡はゆき子の両手の十本の指が何かを掴もうとして蝉のように動いているのを見る。ゆき子がつかもうとしている〈何か〉とはいったい何なのか。〈もぬけのから〉の富岡の内に、ゆき子が必死に掴もうとしている〈何か〉が存在するのであろうか。〈から〉に向かって両手十本の指を蝉のように動かしても所詮無駄である。マルメラードフの言う「あてのない借金」のようなもので、求める相手に応える何もないことが分かっていても、全身全霊で求めずにはおれないのである。富岡のまなざしは、ゆき子の求める十本の指の爪に黒く垢が詰まっているのを見逃さない。ゆき子の手も十分に汚れている。この黒い垢は石鹸で洗っても落ちるような代物ではない。指の爪に黒垢をためた汚れ切ったゆき子が〈もぬけのから〉に向かって〈何か〉を求めているのだ。行くところまで行ってしまった、汚れきった二人の現場からいっこうに撤退しようとしない作者芙美子はいったい〈何〉を求めていたのだろうか。

この場面が凄まじいとすれば、富岡が蝉の抜け殻であり、ゆき子は七年の地中生活から這いだして、今、蛹から蝉へと脱皮する、その羽化の苦しみを体現しているということだろう。が、もういい。読者はすでに何回も〈死と復活〉の疑似劇を見せられている。まともに受け取るわけにはいかない。富岡の〈もぬけのから〉は戦前も戦中も前後も変わりはしない。富岡はいつも卑怯者であり、その卑怯の原因を敗戦だけに求めるわけにはいかない。ゆき子もまた時代の移り変わりに関係なく、いつも自分の欲望のままに生きている。伊庭と三年のあいだ不倫の関係を結んでいても、伊庭の妻にみじんの罪意識も感じたことはないし、富岡と深い仲になっても、ニウや妻の邦子にやましい感情を抱いたこともない。性愛の現場に倫や不倫、ましてや法律を持ち込んだ者は、その時点で敗北を認めたも同然である。おせいがゆき子と本気で闘う気があれば、向井ごときに殺されている暇はないのである。が、これは何度も言っているように、おせいの問題ではなく作者林芙美子の問題である。殺す向井、殺されるおせいに、わたしはまったくリアリティを感じない。ついでに言っておけば〈もぬけのから〉の富岡に執着して追っかけ回すゆき子にもリアリティを感じない。わたしは今、小説的必然性からはずれた虚構の物語を、作り手の林芙美子以上の執拗さをもって追い続けているだけである。林芙美子が〈虚構〉をもってしても描き尽くしたかったものを、わたしもまた見ているからである。結論を何度先送りしてでも、わたしは今『浮雲』の歩調に合わせている。これは林芙美子とわたしの問題であって、別に読者の問題ではない。読者を気にしていたのでは、こういった繰り返しの多い、ねじ式批評を展開し続けることはできない。