「畑中純の世界」展を観て(連載21)

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」
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畑中純の世界」展を見て
ジーグラー




江古田にある日本大学芸術学部 芸術資料館で漫画家、画家の畑中純氏の作品展を観た。私が、初めて読んだ畑中氏の作品は、清水正先生の授業で取り上げられた、「まんだらやの良太」である。展示されている作品の中にも、「まんだらやの良太」のイラスト群が多く見られた。また、宮沢賢治の作品の絵本、イラストを多数描かれているその中に、清水正先生の著書「注文の多い料理店を読む」の表紙のイラストも含まれていたので驚いた。
その宮沢賢治の作品をモチーフとしたイラスト群は版画である。そのイラストのタッチは無骨でありながら、子供っぽさもあり、どこか懐かしさを覚えるものだ。その彫刻刀の刃の入れ方は大胆かつシンプルであるが、小さな部分を表現する場合には繊細な刃使いが見られる。たとえば、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」、「注文の多い料理店」の猫を描いた版画は、大きく見開いた猫の目玉は大きな丸に小さな瞳、猫の肉体の細かな毛、髭は細く、細かく表現されている。こちらをまっすぐ睨む、この猫のイラストは威圧のオーラを放っている。このイラストに代表されるように、畑中氏の版画作品は見る者に強烈なインパクトを与える。この版画作品群の中には、文章が彫られているものがある。同じく宮沢賢治
注文の多い料理店」、「どんぐりと山猫」、そして「雨ニモ負ケズ」などである。彫刻刀を用いて小さな文字を連ねた文章を彫る作業というのは、難しく大変なものだろう。下手をすれば読みにくいものになってしまい、文章として機能しない危険性だってある。しかしながら、畑中氏の彫った文章は一文字一文字がくっきりとし、読みにくい部分がほぼない。これは腕がものを言うところで、畑中氏の彫刻刀使いの質の高さを感じた。さらに、その文章の周りにはイラストも彫られており、字と相まって見る者を楽しませている。
畑中氏の彫る版画の絵の構図には興味深いものがある。宮沢賢治注文の多い料理店」を彫った作品で、2人のイギリスの兵隊の格好をした紳士と2匹の白くまのような犬を前面に配置し、その先に彼らを待ち受けるようにそびえ立つ西洋料理店 山猫軒の後ろには巨大に描かれてた山猫が虎視眈々と獲物が罠に掛からないかを狙っている。この作品は、田舎に動物を狩りに来た都会の紳士を、さらに狩ろうとする山猫の存在という「注文の多い料理店」のストーリーを版画という限りあるスペースの中に上手に表現しているものだ。絵だけで物語の内容を説明できる構図を描けるのは、絵を中心に物語を展開している漫画家という面が作用しているからだろうか。
冒頭でも書いた畑中氏の代表的な漫画作品、「まんだらやの良太」のイラストも展示されていた。原作の「まんだらやの良太」もさることながら、それらを見ていると自らの中学生、高校生の時に女性に感じていた思いが蘇ってくる。というのは、「まんだらやの良太」の主人公、良太が女性のキャラクターに対して向ける視線、考え方が昔の私と重なるからである。思春期の男子というものにとって、女性という存在は未知と神秘に包まれた性のワンダーランド、「ピーターパン」で言えばネバーランドである。女性のほんのちょっとした仕草や動きにまで、彼らは敏感であり、それだけで桃色の想像の世界へとひとっ飛びしまうほどだ。特にそれは、まだ女性を知らない童貞であればあるほど、激しいものである
。その女性に対する妄想の世界は「まんだらやの良太」においても描写が見られ、良太が女性に対して飢えに飢えていることが容易に伺える。また、妄想だけでなく、良太は女湯のボイラー番を買って出ながら、ボイラーを見るよりもボイラー室の小さな窓から女湯にいる女性客の裸体を観察して、マスターベーションをしている。そして、気になる女性に対しては異常に優しさを見せる面もある。ちょっとムラムラしてきたら、そのままマスターベーションに走るなど、良太の一連の行動は思春期の男子そのものを描写している。そんな良太を描いたイラストは、どれもが性にまみれていながら、馬鹿っぽく、笑える。女性の肌色の乳房や薄桃色の乳首、黒く陰毛に覆われたヴァギナを恥じらって隠すことなく女性
たちは描かれ、それを楽しむように良太を始めとする、男性のキャラクターたちが描かれている。 これらの作品はいずれも性のユーモアに溢れている。
私は考える。この全裸や半裸の女性たちと戯れる良太は、実はイラストを描いた畑中氏なのではないかと。大人になってできなくなったこと、頭の中で自由に想像できるが、現実ではできないことを良太に託したのではないだろうか。畑中氏が良太に託したその思いは、多くの男性読者の共感を得たことだろう。何故なら、畑中氏が作り出した良太というキャラクターは、世の男性の思春期の欲望を体現しているからだ。その性に開放的なイラストは、大人の入り口に立ったばかりの頃の思春期の記憶を呼び起こすタイムマシンだと言える。