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清水正ブログ

2017-03-20

「私の「D文学通信」時代」(連載1)



清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。



清水正宮沢賢治論全集 第2巻』が刊行された。

清水正宮沢賢治論全集 第2巻』所収の「師弟不二 絆の波動」より山下聖美(日本近代現代文芸研究家・日本大学芸術学部教授)「私の「D文学通信」時代」を3回にわけて連載する。


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『100分de名著 宮沢賢治スペシャル 永久の未完成これ完成である』定価524円+税

現在、全国書店にて絶賛発売中



「私の「D文学通信」時代」(連載1)

山下聖美(日本近代現代文芸研究家・日本大学芸術学部教授)


 宮沢賢治グスコーブドリの伝記」に、「てぐす工場」が描かれる場面がある。

  するとてぐす飼いの男は、狂気のようになって、ブドリたちをしかりとばして、その繭を籠に集めさせました。それをこんどは片っぱしから鍋に入れてぐらぐら煮て、手で車をまわして糸をとりました夜も昼もがらがらがらがら三つの糸車をまわして糸をとりました。

 鍋で煮られ、その身を犠牲としながら糸を生み出していく蚕の存在は、物語のブドリの生涯と重なるところがある。一方で、昼も夜も糸をとり続けるその姿に、私は様々な思いを馳せる。

 小学生の時、理科の実験で蚕の幼虫を飼っていた。幼虫のプニュプニュとした手触りや、粘着力のある小さな足部、透明感を増していく肢体、餌である桑の葉の匂いなど、今だ鮮明に思い出す。

 蚕の幼虫は、もくもくと、大量の桑の葉を食べた。彼らはとにかく食べることに対して真摯であり、その姿はとてもひたむきに見えた。こんな彼らを養うべく、私たちもまた夢中になって桑の葉調達にいそしんだ。近所にあった東京工業大学のキャンパスには、たくさんの桑の葉が茂っており、スーパーの袋いっぱいになるほどの葉っぱを(勝手に)ちぎりまくっていたものである。桑の葉泥棒の小学生をとがめるものは誰もいなかった。おおらかな時代であったと思う。

 しばらくたった後、確か、画用紙で小さな仕切りのようなものを作らされ、幼虫はその中で綿菓子のような糸を吐き出した。もはや桑の葉は必要ない。幼虫は、ただひたすらに音もなく糸を吐き続ける。そし気付けば真っ白な繭となっていた。きれいな卵形になっているもの、形がいびつなものと様々で、この中で幼虫はさなぎとなっていたらしい。しかし実験では、さなぎから羽化させてはいけないという決まりがあり、繭は大鍋でぐつぐつ煮られることとなる。ちなみに、さなぎから羽化した場合でも、彼らは長年人間に飼い慣らされてきた習性によりその翼で飛ぶこともなく、大量の卵を静かに産み続け、死んでいくのだという。なんとつつましく、ひたむきな、蚕の一生であろうか。

 当時はこんな感慨にふける間もなく、大鍋で煮られ、ゆで上がったほかほかの繭が私たちの前に並べられた。幼虫が吐き続けた生糸をたぐり、くるくると巻いていく地味で根気のある作業のはじまりだ。小学生の私にとってこれは至難の技であった。「てぐす工場」のようにうまくはいかない。蚕はたった一つの口から、たった一本の糸をはいているわけであるから、本来ならばするすると巻いていくことができるはずである。しかし、たぐりよせることができる一本をつかむのが、難しい。糸は途中でぷつぷつと切れてばかりいる。少し巻けたかな、と思ってもプツリ、また巻いてもプツリ。結局私はそのたった一本をたぐりよせることができずに、むなしく作業を終えた。蚕がその身をもって生み出した生糸を無駄にしてしまったわけだ。


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