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清水正ブログ

2013-08-29

「サハリンにチェーホフを訪ねる」を寄稿

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。


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サハリン国立大学で刊行している学術機関誌がようやくできたということで、サハリンから帰国した山下聖美さんから本日受け取った。わたしはエッセイ風に書いたものを寄稿した。書き終えてから一年近くたつが、サーシャさんのロシア語訳と小生の文章を紹介しておく。f:id:shimizumasashi:20130829152311j:image

サハリン国立大学発行の機関誌

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わたしは「サハリンチェーホフを訪ねる」を寄稿した。



サハリンチェーホフを訪ねる

清水正


 サハリンに着いたのは2012年9月11日、日本時間の午後六時過ぎであった。今回のサハリン行きの目的は、サハリン大学の日本文学・文化研究家のエレーナ教授の取材を受けることにあった。エレーナ教授は海外在住のロシア文学研究者に広く取材し、それを纏め発表する仕事をしているということであった。これは北海道大学名誉教授でロシアポーランド文学者の工藤正廣氏と交流している詩人の窪田尚氏を通じてもたらされた話で、私と日本文芸研究家の山下聖美氏が参加することになった。

 サハリン宮沢賢治林芙美子も訪れており、一度は訪ねてみたいと思っていた地であった。私は四十歳から五十歳までの十年間に共著編著あわせて三十冊ほどの宮沢賢治論を刊行、林芙美子に関しても『林芙美子屋久島』『「浮雲放浪記』No.1などを刊行している。また昨年は日大芸術学部図書館から『林芙美子の芸術』を監修・執筆して刊行した。

 さらにサハリンといえば『サハリン島』で有名なチェーホフを忘れることはできない。私は十七歳でドストエフスキーの『地下生活者の手記』と出会い、以後今日まで五十年近くドストエフスキーの作品を読み続け批評し続けてきた。現在は『清水正ドストエフスキー論全集』を第六巻まで刊行している。この全集はとりあえず全十巻の予定ですすめている。

 ドストエフスキーに熱中していた二十歳代の頃、私はドストエフスキー以外の本を読むことができなかった。トルストイを読めるようになったのは三十歳をすぎてから、チェーホフを本格的に読み始めたのは四十歳を過ぎてからである。ドストエフスキー文学はヨハネ黙示録ヨブ記に多大な影響を受けている。ドストエフスキーの描き出す人物たちは激しく熱い。まさに彼らは「熱いか冷たいか」のどちらかを生きている。ドストエフスキーが生涯苦しんだ問題は神の存在をめぐってである。ところがチェーホフの人物たちの多くは、冷静で、シニカルである。神が存在しようがしまいがそんなことはどうでもいいさ、といった感じである。

 現代人が抱えている虚無はドストエフスキーのそれよりは、はるかにチェーホフのそれにあるように感じていた頃、当時出版社に勤めていた窪田氏から依頼されて『チェーホフを読めーー空虚な実存の孤独と倦怠ーー』(2004年4月。鳥影社)を刊行した。内容は「映画『小犬をつれた貴婦人』を観る」「チェーホフ原作『小犬をつれた貴婦人』を読む」「『かわいい女』を読むーードストエフスキー文学との関連においてーー」「『六号室』を読むーードストエフスキー文学との関連においてーー」「『黒衣の僧』を読む」「『退屈な話』を読む」である。

 その後、チェーホフに関しては「江古田文学」62号(2006年7月)に工藤正廣氏と対談「チェーホフの現在」、座談会「ドストエフスキー派から見たチェーホフ」、そして批評「この陰鬱な曇り空は永遠に晴れないーーチェーホフ戯曲『イワーノフ』」を掲載した。対談と座談会ではチェーホフの『サハリン島』を俎上にあげ、この作品の謎に迫っている。

 ドストエフスキーは二十八歳の時にペトラシェフスキー事件に連座した廉でシベリアで四年間の懲役と四年間の一兵卒勤務に服することになった。この監獄生活を題材にした作品が『死の家の記録』で、この作品によってドストエフスキーはペテルブルグ文壇に確固たる地位を築くことになった。チェーホフドストエフスキートルストイの後に文壇に登場した小説家で、この巨大な二人の作家を意識せずにはおれなかったであろう。チェーホフ文学は一見、ドストエフスキー文学とは無縁に見えるが、『退屈な話』の老教授の名前ニコライ・ステパーノヴィチはドストエフスキーの『悪霊』の主人公ニコライと彼の家庭教師であったステパンからとったのではないかと思わせるし、『六号室』や『黒衣の僧』などはドストエフスキー的世界とも通底している。

 私は工藤氏との対談で「『サハリン島』で一番不思議だなと思ったのは、チェーホフサハリンにいた三ヶ月ほどの間に細かくひとつひとつの世帯を調査していて、七千八百くらいの調査書が残っている。なぜ、こんなに細かくここまで調べる必要があったのかと妙な感じがします。それは、まず軍事的な問題があったのではないか、領土の問題、それから調査したのはサハリンだけではなかったのではないか。個人的に小説家としてロシアの民衆をもっとよく知りたかったというだけではなく政治的な側面があったのではないかという感触があるんです」と発言した。はたしてチェーホフ小説家として純粋にサハリン島へ渡り、サハリンに暮らす貧しい人々の実態を緻密に調査し、それを作品に生かしたのか、それともそこには未だに解明されない何かが隠されているのか。その真実を明らかにするのは今後の研究にまたなければならないが、いずれにしてもチェーホフドストエフスキーの『死の家の記録』を意識して『サハリン島』を書いたことに間違いはないであろう。

 2012年9月12日、窪田、山下氏と三人で歩いてチェーホフ記念館を訪れ、販売されていたパンフレットとロシア語版『サハリン島』などを購入してきた。館内にはチェーホフが使用していた机や椅子、鞄、医療器具、肖像画、当時のサハリン住民が着用していた衣服、生活道具、関係文献や日本で刊行された翻訳本や研究書なども展示されていた。14日には通訳をお願いしたサハリン大学の大学院生アントニーナさんと窪田氏と三人でチェーホフ記念館を訪れ、拙著『チェーホフを読め』と編著『チェーホフの授業』を寄贈した。アントニーナさんのおかげで12日には許可されなかった写真撮影も許され、チェーホフ記念館の研究員イリーナ・アルトゥローヴナさんの解説もよく理解することができた。チェーホフ文学の内容に突っ込んだ話はできなかったが、サハリンにおいてチェーホフがはたした役割や当時の住民の暮らしの一端をうかがいい知ることはできた。

 エレーナ教授にはドストエフスキー関係の拙著を手渡し、簡単に自己紹介しただけに終わったが、今後、さまざまな研究会やシンポジウムを通して交流を深める機会を得たことは幸いであった。

2012-09-19

サハリン日記(4)

『世界文学の中のドラえもん (D文学研究会)

全国の大型書店に並んでいます。

池袋ジュンク堂書店地下一階マンガコーナーには平積みされています ので是非ごらんになってください。この店だけですでに二十冊以上売れています。まさかベストセラーになることはないと思いますが、この売れ行きはひとえにマンガコーナーの担当者飯沢耕さんのおかげです。ドラえもんコーナーの目立つ所に平積みされているので、購買欲をそそるのでしょう。

我孫子は北口のエスパ内三階の書店「ブックエース」のサブカルチャーコーナーに置いてあります。

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京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。

ドラえもん』の凄さがわかります。

http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp

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http://www.youtube.com/user/kyotozoukei?feature=watch

サハリン日記(4)

平成24年9月14日(金曜)

朝、何が当たったのかはげしい下痢。山下さんは腹痛で夜中じゅう眠れなかったそうで、薬を飲んでとにかく睡眠をとることに専念。十時、どんなにビールを飲んでもひとり元気な窪田さんとロビーでアントニーナ(トーニャ)を迎える。タクシーを呼んでもらい、チェーホフ記念文学館へ向かう。ホテルを出てすぐにアンナ(十一日、サハリンに着いてすぐに税関で話しかけて来た日本語堪能なロシア女性)が黒のミニスカートをはいて歩いているのをトーニャが発見。タクシーの中から私が大きな声で「アンナ」と呼んだがまったく気づかずに行ってしまった。アンナとトーニャはサハリン大学で日本語を学んだ、いわば学友。残念ながらアンナの写真だけは撮ることができなかった。


運転手が道一本遠回りしてチェーホフ記念文学館に着く。トーニャと記念撮影。一昨日の記念館のメンバーにトーニャからわたしの訪問の意図を伝えてもらう。研究員のイリーナ・アルトゥローヴナ(Ирина Артуровна)に『チェーホフを読め』(鳥影社)と『チェーホフの授業』を渡す。後者はイリーナにサイン入りで贈呈。その後、いろいろと説明を受けた。トーニャの通訳に助けられてスムースにいろいろな話をすることができた。

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装いを新たにトーニャ登場。トーニャは今年の八月に十カ月ぶりに日本留学からサハリンスクに戻り、エレーナ教授のもとで研究を続けている。日本人受けするユーモアあふれる優しいお嬢さん。十一日夕方、レストランへ向かう途中「年齢を聞いてもいいですか」と訊ねると「ロシアの女性はそういうことまったく気にしません」と言う。「それでは、いくつですか」「十九歳」わたしたち三人はびっくり仰天。聞き返すとトーニャ大笑いして「にじゅうきゅうさい。わたしすうじよわいのでまちがえました」これでわたしたちは一気に仲良しになり、楽しい食事会を過ごすことになった。

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チェーホフの記念銅像の前でトーニヤと一緒に撮影。熱い日差しが容赦なく降り注いでいた。サハリンは寒い、否、涼しいと思っていたのに、日本とまったく変わらない猛暑が続いていた。

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記念文学館研究員のイリーナさんに拙著『チェーホフを読め』(鳥影社)を渡す。この本は担当者が窪田尚さんで、依頼されて四カ月で一気に書き上げた。

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二日前と違い、写真撮影はなんでもオッケー。トーニャのおかげで会話もスムース、イリーナの説明もよくわかった。イリーナさんはチェーホフをよく研究しているひとなので、デリケートな質問にも明確に答えてくださった。

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チェーホフの『サハリン島』はしばしばドストエフスキーの『死の家の記録』と比較検証されてきた。右下は『死の家の記録』の原書。イリーナさんはガラス戸を引いて撮影しやすいように配慮してくださった。

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チェーホフ記念文学館は来年には閉館、場所を移すそうで、今年来館できたことはラッキーであった。イリーナさんの説明で、チェーホフがこの地で実にすばらしい仕事を残したことを実感した。今でも祖先のことを調べるためにチェーホフが書き残したメモを見に来るひとが絶えないそうである。チェーホフ晩年の大仕事である詳細なサハリン調査は未だ多くの謎に包まれている。今後、その謎はきちんと解き明かされなければならないだろう。

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トーニャとイリーナと記念撮影。たいへんお世話になりました。