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清水正ブログ

2015-11-29

小岩井杏奈はこの日、一人の舞踊家としてわたしの眼前に現れた。

2015年11月27日、金曜日は午後六時開演の日舞公演『五彩』(日本大学芸術学部演劇学科 平成27年度卒業制作)を江古田校舎北棟・中ホールで観た。個人作品「蕾の時」の岡崎こと美、「酔うて候‥‥」の山脇智子、「Speech」の佐伯侑美、「しろつばき」の小岩井杏奈の四人は昨年・平成26年度の「雑誌研究」の受講生、「心も届けます」の澤健太郎は今年度「雑誌研究」の受講生である。そんな縁もあって彼らの日舞公演にはかならず足を運ぶことにしている。そのつど、若い人たちの舞台にかける情熱をひしひしと感じて胸が熱くなる。先の公演から一年ほど経っている。日々の精進ぶりがよくわかる。

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 今回、特に目を見張ったのが「しろつばき」を踊った小岩井杏奈である。前回は早急に熟した柿を思わせる仕上がりと同時に、いつ落下してもおかしくない危うさを感じさせた。卒業したら踊りはやめるなどと口にしていたので、そんなものかと思っていたが、今回の舞はいい意味で裏切られた。最初の立ち姿から目を引きつける妖しいオーラを放っていた。その姿は、遙か彼方のものをここに、といった切ないまでの毅然とした希求を感じた。ここ一年の間に、何か決定的な事件でも起こったのかと思わせる、前回とは比較にならない飛躍を感じた。立ち姿、歩く姿は、まるで暗黒舞踏を思わせる内的な深さをも感じさせた。遙かなるもの、永遠なるものを、内なる世界へと招き寄せる、その真摯な思いの中に透明な悲しみがにじみでている。

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 パンフレットの「少女は老婆である 老婆は少女であり 生きることは死ぬことであり 死ぬことは生きることである わたしはしろつばきであり しろつばきはわたしである」という言葉もいい。死を内包した生、生を内包した死、彼女の舞は現実世界を生きる者の内なる矛盾葛藤を、永遠の命を獲得した〈しろつばき〉に昇華し、妖しいまでの輝きを放っていた。小岩井杏奈はこの日、一人の舞踊家としてわたしの眼前に現れた。

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当日、日舞公演を観た「雑誌研究」受講の学生達。

2015-11-21

日藝演劇学科日舞コース三年生の創舞公演「あっ!」を観た

本日は午後四時半より日藝演劇学科日舞コース三年生の創舞公演「あっ!」を観た。終了後、記念撮影

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2013-12-22

演劇学科日舞卒業公演を観る(連載2)

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。


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四六判並製160頁 定価1200円+税


20日は午後六時より演劇学科日舞卒業公演を観る(連載2)

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日本舞踊というと、芸者が酔客を相手に踊る場面をイメージするものがいるかもしれない。日本映画の中では料亭やお座敷に呼ばれた芸者が三味線を伴奏に畳の上で踊る場面が出てくる。この場合、踊る空間は畳一畳もあれば十分で、客は粋な芸者の踊りに満足する。芸者は接客業の一種であるから、酒を注いだり、話の相手をしたり、求められれば歌も歌うし、踊りも踊る。こういったお座敷芸としての日本舞踊は、ある一定の狭い空間で踊ることから、飛んだりはねたり、走り回ったりすることはできない。振りは小さく、動きはできるかぎり抑えて優雅な感じを出さなければならない。踊り手の衣装は着物、白足袋、髪型は日本髪と決まっている。着物姿で女性特有の色香や優美さを表現しようとすれば、とうぜん身体各部の動きは限定されることになる。顔の表情、うなじ、肩、腰、脚、足、腕、手、指を駆使して、どのように優美さを醸し出すか。踊る場所はきわめて狭いので、腕の延ばし、手先のひねりや差し、しゃがみ、立ち、ひねり、回しなどの動きも全般的にゆるやかにしなければならない。日本舞踊に唯一神に対する崇拝の念とか、地下の地獄に対する恐れといった感情の表出はないので、天と地と地下を結ぶ垂直軸の身体表現は基本的に要請されていない。天井に向けて垂直に飛び上がる動作や、地下に落下するイメージの鋭いしゃがみもない。日本舞踊の基本の振りは、螺旋と斜線と言っていいだろう。いわば身体各部の緩やかな水平的動作によって成立している。

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お座敷での日本舞踊は、基本的に客の気分を損ねてはならない。客を含めたその場に存在するすべてのものとの融和、調和、愉楽に力点をおいた緩やかな水平的な動作によって、人間の感情・情念を表現しなければならない。動きの速い、激しい動作は、露骨で極端な表現であり、それは野暮の骨頂となる。粋な踊りは抑制のきいたゆるやかな動作・振りをもって表現されなければならない。泣いたり、笑ったり、叫んだり、悶えたり、呪ったりといった、激しく悩ましい情念の表出も、抑制のきいた型におさめて慎ましやかに表現することが求められている。ドストエフスキーの人物たちの多くは〈感情の爆発〉を起こすが、日本舞踊にあっては、そういった生の荒々しい感情の表出は許されない。それは日本人の美観に反するものとして拒まれてきたのである。

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 先日、日芸江古田校舎・中ホールで観た演劇学科・日舞コース六人の踊りは、既成の日本舞踊に対するイメージを大きく覆しているが、しかし日本舞踊の伝統の上に立っていることに間違いはない。まず、衣装は着物で足袋をはいている。お座敷と違って舞台空間は広く、飛んでも跳ねても走っても別に差し支えないが、しかしより高く飛ぶとか、より速く駆けるということが第一に要請されてはいない。和服は飛んだり駆けたりするには都合が悪すぎる衣装である。バレリーナや女子体操選手の衣装ではなく、あくまで着物と足袋にこだわっているところに、日本舞踊の伝統を継承する者の明確な意志を感じる。

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 今回の公演で強く感じたのは、踊り手の主体である。踊りが踊る主体の意志、思想、ビジョンを明確に反映している。過去の伝統を踏まえながらも、現在を生きる〈我〉を前面に押し出している。今回の舞踊を指導された花柳昌太郎氏は挨拶文で「大きな全体のテーマに沿って、自分の作品は何を言い、何をどう表現して行ったらよいか、作品制作の過程の中で問い、長い時間をかけて考え悩んだ結果が、今日の舞台で生き生きと「生きる」に結びついていると思います。一つの作品を創るのに自分の持ちうる全てのものを出し切って、各々の作品が完成された事と思います」と書いている。わたしは公演を観て、花柳氏のこの言葉を感動の震えのままに素直にきくことができる。パンフの〔指導〕の項に「創舞 花柳昌太郎」とあった。まさに今回の公演は〈創舞〉であった。一人一人の踊り手の特性を大切に育てながら、各自が自らの〈創舞〉に取り組んだ、その必死な稽古の現場が脳裡を駆けめぐって行く。指導者と学生の関係というよりは、やはり師匠と弟子の〈創舞〉に賭ける濃密な関係の渦のただ中から、今回の生き生きとした公演が実現したのだと思う。

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 彼女たちの公演にわたしが感動したのは、まざまざと彼女たちの「生きる」現場に立ち会ったからである。どんな人間でも、この世に誕生すれば死ぬまで生きているわけだが、自分が本当に〈生きている〉という充実した感覚を持ち続けることは容易ではない。生きながらにして死んでいるような人間は多い。一見、元気はつらつに生きているようで、実はハイデガーの言葉で言えば、世界に頽落した様態(好奇心・おしゃべり・曖昧)を生きているだけの者は多い。今回の公演のテーマである〈生きる〉を表現するために、踊り手たち一人一人が、自分の人生を振り返り、現実を見据え、未来にどのような思いを寄せたのか、その内的揺らぎや葛藤のドラマが舞踊という身体表現に体現されていたからこそ、わたしの魂を直撃したのである。自らの舞踊に心血を注ぎ、真摯に自己と向き合えば、その思いは観るものに伝わる。自分の思いと構想が先走って身体表現に結びつかない場合もあろうし、既成の表現形式から脱却しきれないいらだちもあるだろう。しかし、第一の問題は、技術ではない。自己を見つめる真摯な姿勢であり、自己に対して偽りや妥協を許さない精神の姿勢である。哲学や思想は、借り物であってはならない。自分の頭で、自分の感覚で、自分の体験を踏まえて、人間とは何かという謎を掘り下げていかなければならない。未熟を恐れて、虚栄に走ってはならない。原寸大の己自身を表現しなければならない。文芸は〈言葉〉で、音楽は〈音〉で、絵画は〈色〉で、舞踊は〈舞い〉と〈踊り〉で表現しなければならない。表現されたものによって、表現者の内的世界は浮き彫りにされる。踊り手の自己内省力、不信と懐疑の振幅、葛藤、悶え、叫び、憤怒、悲嘆、歓喜、祈り、あらゆる人間感情のすべてが反映される。もし〈表現〉に虚栄が、嘘があれば、それはそのままに反映されてしまう。だからこそ表現は恐ろしい。

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 踊り手は各々の〈生きる〉を表現していた。構想と表現が一致するとき、踊り手の実存が観客の魂を直撃する。わたしが、今回素直に感動したのは、踊り手たちに妙な、すれた変化球の投方を感じなかったこともある。若い踊り手たちが、必死に独自の表現を模索し、葛藤し、悩んだ痕跡はあるが、そこに甘えや妥協がなかったこと、舞踊表現に必死にしがみつくその真摯な姿勢に胸がざわめいたのである。若い踊り手たちの才能を確信し、踊り手たち各自の独自性を尊重する、花柳昌太郎氏の指導法と情熱にもいたく感動した。わたしはこういった感想を記すことでしか応援できないが、今回の「生きる」を観せていただいたことに心から感謝している。

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スタッフの二人は私の担当する『雑誌研究』の受講生。演劇学科三年日舞コース上田薫さん(左)と長友友里さん(右)。

肖像写真は本人の許可を得て掲載しております。無断転載は固くお断りいたします。

2013-12-20

演劇学科日舞卒業公演を観る

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。


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本日は午後六時より演劇学科日舞卒業公演を観る。演技コースの卒業公演に感動したので、演劇学科の卒業公演は時間を作ってでもすべて観ようと思った。本日の公演はすばらしかった。

特に私の心をふるわせたのは、小野ひとみの「にんぎょうのうた」。パンフには「わたしは、人形です。でも、生きています。からだの奥で叫ぶわたしの声に手足は答え、からだはうたいます。」とある。さらに「これは、人間の世界をひとりの人形が生きようとした、魂の叫びである。2人のわたしが呼び合い、ぶつかり、共鳴する、独唱なのだ。わたしという存在は、自らに操られた人形なのである。」と記されている。文章がいい。ストレートに表出された内面の言葉でここにはみじんの虚飾もない。踊りはこの〈魂の叫び〉を裏切っていない。内的葛藤を踊りという身体表現にみごとに合致させている。

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小野ひとみさん


池杏子の踊りには精神内部の奥深くに降下していく快感をおぼえた。パンフに「ジェームズ・アンソール作『陰謀』1890年」の絵が載せてあり、その下に「この絵の右下に描かれている男性に焦点をあて、作品をつくりました」とある。右下の男以外はすべて仮面を被ったさまざまな人間たちが描かれている。人間という動物はいつの時代にあっても仮面を被って組織の中を泳ぎわたっていく。が、ただひとりこの画面の中ですっぴんのままに、人間の生きてある諸相を冷徹に見すえているものがいる。池杏子はこの人物のまなざしを通して人間世界と自分自身の存在を捉え返そうとしている。彼女の踊りがわたしの心に訴えてきたのは、そういった誰もが言いそうな理屈を越えた身体表現に昇華されていたからである。

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池杏子さん


林杏の「夢の女」には日本舞踊技の基本を見せられたような感じをおぼえた。長年にわたる厳しい修行の積み重ねを前提にしなければこの踊りはできまい。林杏は迸る女の情念を抑制して〈踊り〉に昇華している。〈夢の女〉の怪しいまでの情念を爆発寸前で抑えて表現する技は、踊り手の〈生きる〉魂の震えを感じさせた。

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林杏さん

二十分の休憩をはさんで第二部は六人の踊り手による「生きる」。これがまたすばらしかった。パンフに「波となり 風となり 駆け抜ける いのちの声 ときには おだやかで あたたかく ときには はかなく 散るように そして 燃えさかる炎のように」とある。まさにパンフの言葉通り、六人の踊りはそれらを体現していた。パンフの最後に「踊ることをひとつの志としてきた六人の、色とりどりの“いのち”の躍動を共に感じてくださることを、切に願います」とあった。わたしは確かに彼女たちの踊りにいのちの躍動を感じた。大津波と原子炉爆発の体験を経て生きる現代日本人の逞しくも悲しい、ぜつぼうを抱えたいのちの輝きを感じてわたしは会場を後にした。<生きる>をテーマにした舞台であったが、わたしは六人の舞踊を観て<生きている>という強いメッセージを魂に受け止めた。

この公演は日芸の学生ばかりでなく、一般の多くのひとにも観てもらいたいと思った。

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2013-12-01

『アルゴス坂の白い家』(作・演出 川村毅。演劇学科 平成25年度3年生舞台総合実習)を観る

本日は午前一時より日藝江古田校舎中ホールにて上演された『アルゴス坂の白い家』(作・演出 川村毅。演劇学科 平成25年度3年生舞台総合実習)を観る。「文芸批評論」を受講している山下裕貴さんがアガメムノン役、「雑誌研究」を受講している柏木純子さんがクリュタイメストラ役で出演していた。演劇学科主催の公演は久しぶりに観劇したが、この日の舞台はすばらしいの一言に尽きる。学生たちの演技もかなり水準が高い。特に感心したのはエウリピデス役の鈴鹿通儀さん、彼のセリフの言い回し、演技はプロの役者を思わせる。演劇学科にこんな逸材が隠れていたとは、わたしは批評家だが、演出衝動に駆られた。

アガメムノン役の山下裕貴さんは授業中、いつも真摯な姿勢を崩さない学生で、『白痴』朗読の際はロゴージン役を担当してもらった。彼の芝居に対する情熱は授業中にも感じていたが、舞台ではプロ級の顔つきで登場していたので新鮮な驚きをおぼえた。クリュタイメストラ役の柏木純子さんは二年生の時に「マンガ論」を受講していたが、そのときから一種のオーラを発していた。

わたしの授業ではマンガや小説のテキストを使って朗読や演技をしてもらうことが多々あるが、柏木さんはいつも手を抜いていた。演技や朗読を求めると演劇学科演技コースの学生たちはいちおうに〈手抜き〉する。本格的な演技実習で鍛えられている学生たちは、文芸学科の講義もので本気を発揮することはまずない。こういった学生たちに本気を出させる授業演出をどのように仕掛けるかは、こちらの企業秘密だが、いずれにせよ日藝は八学科あるので、授業はやり方次第でクリエイティブなものともなる。舞台に登場した柏木さんは主役にふさわしい輝きを放っていた。ドストエフスキー作『白痴』のナスターシャ役に抜擢したいほどの美しさを備えている。彼女には舞台女優としての可能性を感じた。

舞台の内容はギリシャ悲劇を現代に結びつけるもので、今年、二度目の『オイディプス王』論を書き終えたわたしにとってはかなり興味深いものであった。人物、作者、神々、神……これらが織りなす悲劇に関しては、改めて本格的に批評しなければならない。今回、わたしは初めて川村毅演出の舞台を観たが、氏の悲劇を見るまなざしには親近感をおぼえた。ギリシャの古代から21世紀の現代にまで貫く人間悲劇の永遠性、普遍性を凝視し、舞台上に表現する、川村氏の創造エネルギーに心揺さぶられた。

学生たちが舞台で〈生きていた〉ことを確認できたことは本当にうれしかった。日藝生の創造にかける情熱を胸いっぱいに抱きしめてわたしは研究室に戻った。

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配られたチラシ

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キャスト

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公演中は撮影できなかったので終了後の舞台を撮影。私が座った一番前の席からは何十枚も撮影したかった場面があったが、撮影できないのでしっかり両目に焼き付けてきた。この舞台は本当に後世に残るほどすばらしい舞台であった。エウリピデスの鈴鹿さんの演技は突出していたし、その表情が実によかった。天性の役者を感じた。柏木さんはスタイルもいいし、顔つきもいい。この女優は鍛えれば大きく化けるだろうな。撮影すれば映える女優だ、肉眼に焼き付けた。

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演出家の川村毅氏と記念撮影。

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エウリピデス鈴鹿さんと記念撮影。

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鈴鹿さんと柏木さんに囲まれて。

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クリュタイメストラ柏木さん。将来有望な舞台女優。

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オレステス役で男・女二役を熱演した竹岡宏樹さんと記念撮影。