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清水正ブログ

2011-06-17

「林芙美子と屋久島」の展示開始

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。

ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  

清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー

清水正の新刊案内林芙美子屋久島』 (D文学研究会・星雲社発売)は日本図書館協会選定図書に選ばれました。

A五判並製160頁・定価1500円+税

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江古田校舎西棟・図書館内の展示コーナーで林芙美子屋久島のテーマで展示しています。林芙美子屋久島に取材旅行したのは昭和25年4月である。芙美子がメモを残した文芸手帖、屋久島で撮影された写真を整理した主婦の友社のアルバムなど、新宿歴史博物館から期間限定でお借りした重要資料も展示しています。

林芙美子屋久島に着いてすぐに安房館に寄り、その日一泊している。しかし、私が屋久島ショップで入手した「屋久島文学散歩」では、芙美子は安房館に十日も滞在して「浮雲」を執筆したことになっている。芙美子自身が文芸手帖に記したメモによれば、安房館に宿泊したのは昭和25年4月27日の夜から28日の朝までの一泊のみである。芙美子は28日の夜は宮之浦の田代館に一泊、翌29日の朝八時に宮之浦港からたちばな丸で出航している。午後四時に種子島に着き、午後九時に出港、翌30日の朝四時には鹿児島港に着いている。

林芙美子の「屋久島紀行」に「無口でおとなしい女主人」と記された女将は今まで名前もその容姿も知られていなかったが、私は昨年9月の屋久島研究旅行で田代別館の女将田代房枝さんに取材し、先代女将の名前と、たった一枚残された写真でその容姿を知ることができた。その詳しい事情に関しては今年四月に刊行した『林芙美子屋久島』に書いてあるので関心のある方は是非お読みください。

今回の展示コーナーには「無口でおとなしい女主人」の肖像写真、私が撮影した屋久島の写真、拙著『林芙美子屋久島』の市販版と限定五十部の『私家版 林芙美子屋久島も展示してあります。新しい発見に満ちた「林芙美子屋久島」の展示ですので、ぜひご覧ください。

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図書館内の展示コーナー前で。展示構成を担当した戸田課長(左)と山崎主任(中央)f:id:shimizumasashi:20110617135501j:imagef:id:shimizumasashi:20110617135508j:imagef:id:shimizumasashi:20110617135454j:imagef:id:shimizumasashi:20110617135440j:image

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屋久島での写真を見る高橋則英図書館副館長。写真学科の高橋教授は「林芙美子と写真」のテーマで執筆の予定。

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「主婦之友社」の屋久島アルバム。明記されていないが撮影者は林芙美子に同行した河内滋カメラマン。

2011-04-05

清水正著『林芙美子と屋久島』(D文学研究会)刊行

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。

ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

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清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー


四月四日、『林芙美子屋久島』(D文学研究会発行・星雲社発売・定価1500円+税)と『私家版・林芙美子屋久島』(Д文学研究会発行・限定五十部)が研究室に届けられた。市販本はA五版・並製・160頁と小さなものだが、校正などに手間取り、ようやく出来たという感じである。来週中には全国の本屋に並ぶ予定。この著作にはわたしの林芙美子に対する思いをこめた。

屋久島に取材旅行した時にたいへんお世話になった田代別館の貴久氏に報告、さっそく宅急便でお送りした。女将の田代房枝さんに取材できたことで、林芙美子が宮之浦の田代旅館に一泊した時にお世話した先代女将の名前を知ることができた。著作に先代女将ハヨさんの写真も掲載することができたので、それだけでも今度の本は価値があると思う。

この本には「林芙美子屋久島」以外にも

林芙美子と言えば「夜猿」がすべて

浮雲』と『罪と罰』について

放浪記」の森光子に乾杯

などの批評を収録してある。

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田代別館の房枝女将に取材したときの写真掲載。f:id:shimizumasashi:20110405091911j:image

林芙美子一行を御世話した田代旅館の女将ハヨさんの写真掲載。今回、初公開

2010-09-20

『浮雲』研究のために屋久島へ(連載第十二回)

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清水正の著作   D文学研究会発行本

 紀元杉を見た後、車は十一時二十分にヤクスギランド入り口に着いた。入り口前にはヤクシカが何の警戒心もなく歩いている。私が屋久島で見ることのできた猿も鹿も、人間に対してまったく警戒心を持っていなかった。特に人間に媚びるわけでも、無関心を装うこともなく、ごく自然に振る舞っていた。屋久島森林管理署の入り口で三百円を払い、ヤクスギランドに足を踏み入れて五分もすると「くぐり栂」がある。屋久島では杉だけが巨樹に成長するわけではなく、この栂も人間の伐採を免れて大きく成長し、くぐり天井を形作っていた。「くぐり栂」の下を通り抜けることが、ヤクスギランドに入るための通過儀礼となっている。

 屋久島では人間の傲慢さは通用せず、意識せずに謙虚にならざるを得ない。しかし、ウイルソン株にも象徴されるように、人間は巨大な屋久杉を斧と鋸で伐り倒して来た歴史も抱え込んでいる。株の中央部に十畳ほどの空洞があるウイルソン杉を前にして伐採を命じた者、実際に伐採した者たちがどのような感情を抱いたのか。畏怖の対象であった屋久杉伐採に纏わる政治、経済、技術、信仰に思いを巡らすと、壮大なドラマが展開し始める。一観光客の、通り過ぎる眼差しでは掴みきれない屋久島の〈闇〉、その闇に魅入られたら、ここから抜け出すことはできないという、ぞっとする怖さを感じる。

 屋久島の官舎で死んだゆき子を思い、そのように設定した林芙美子を思い、屋久島に取材して一年後に死んだ林芙美子の運命を思う。屋久島を抜きにして『浮雲』を語ることはできない。

 倒木や地表を這う幾本もの根株を隙間なく覆っている緑苔、この水分をたっぷり含んだ苔が木漏れ日に反射して幻想的な美しさを引き出している。幻想的で、アニメ的なとも形容できる森の中をさらに五分ほど歩くと林泉橋に着いた。

 案内板によると、平成五年度の重要自然維持地域保安林整備事業の一環として建設されたようだ。この橋から眺める自然の光景もすばらしかった。さらに歩くと「昔の屋久杉伐採」の看板が立っていた。そこには「昔、屋久杉は神木としてあがめられ誰一人として伐る者はいませんでした。屋久島出身の儒学者、泊如竹は、眠れる森林資源の活用をはかるため、島津藩に献策を行いました。1635年、宮ノ浦に大官が置かれ以後、屋久杉の本格的伐採が始まりました。島民は深い山に入り、何日間もかかって巨木をたおし、長さ60cm位、巾10cm位の薄版である平木(屋根をふく材料)に加工して背負っておろしたと言われています。」と記されている。

 こういう説明を読むと、改めて島民の純朴な信仰心と泊如竹の思想の違いと葛藤に想像力が駆り立てられる。泊は屋久島聖人とも称されているが、その実像はどうであったのか。

 「くぐり杉」を抜け、清涼橋(平成五年三月竣工)と名付けられた幅1m、長さ26mの吊橋を渡ってヤクスギランドの入り口に戻って来たのはちょうど十二時であった。車は十二時半過ぎにレストラン「れんが屋」の前にとまった。ここで瓶ビールと「とりめし」で昼食をとった後、一時二十分に安房港へと着いた。

 高速船トッピー2が安房港を発ったのは一時四十分。三時半過ぎには鹿児島本港南埠頭へと到着した。タクシーで林芙美子が通ったこともある市内の山下小学校を訪ねたのが午後四時、そば茶屋「吹上庵」に着いたのが午後四時二十分、ここで生ビールと天ぷらなどを食して一時間余りを過ごし、鹿児島空港行きのバスに乗車したのが午後五時五十六分、バスの窓からは噴火の煙を濛々とあげる桜島がいつまでも見送っていた。午後七時に鹿児島空港到着。JAL1878が東京羽田に向けて飛び立ったのは午後八時過ぎであった。f:id:shimizumasashi:20100903112310j:image

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2010-09-19

『浮雲』研究のために屋久島へ(連載第十一回)

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清水正の著作   D文学研究会発行本

車はトロッコ軌道を後に屋久杉自然館方面へ向かい、途中、道路脇に展示された「機関車・トロッコ」を見た後、ヤクスギランドを通り過ぎ、紀元杉へと向かった。車の窓をあけ、清涼な風に吹かれながら、右にモッチョム岳を見ながら進む。何の警戒心もなく道路に座っているヤク猿親子の仲むつまじい姿に心癒され、大空を突き上げる白骨樹の荘厳な立姿に心を奪われる。暗黒舞踏の創始者土方巽は、「死体が立っている」ということに暗黒舞踏の神髄を見ていた。わたしは屋久島の森に屹立する白骨樹に、密かに暗黒舞踏を重ね、かつて土方巽や大野一雄について批評していた頃を懐かしく思い出していた。

 鎌田さんは湧き水が出る場所で車を止めた。ここで屋久島の自然水をはじめて口にする。日本人が湧き水や井戸水を飲まなくなって久しい。わたしが子供の頃は、水を、金を出して買うなどということは信じられなかった。湧き水を飲んで、少しばかり屋久島の自然を体内に取り入れたようにも思ったが、雄大な森を前にしてはそんな思い自体が傲慢に感じられた。整備された道路を車に乗って、自然の森に入って来た者など、自然の側から見れば蚤一匹の存在ですらなかろう。

 紀元杉の入り口に石碑が立っている。左隣の看板には「モミ伐根」の説明が記されている。「1.樹齢 455年/ 2.樹高 33m/3.立木材積 35/伐採した理由 このモミは老衰により枯れたと推測されます。モミは400年前後が寿命とされており、これほどの高齢木は希にしかみられません。」(林野庁 屋久島森林管理署 2000.3)。紀元杉の碑の背後に巨大な白骨樹が聳えている。木で造られたの「紀元杉歩道」の階段を降りて、森の中へと進んでいく。二分ほど歩くとすぐに紀元杉に着いた。屋久島森林環境保全センタの説明板によれば、樹高19.5m。胸高周囲8.1m。樹齢3000年。着性植物はツガ、ヒノキ、ヤマグルマ、ヤクシマシャクナゲ、アセビ、サクラツツジ、ヒカゲツツジ、ナナカマド、ユズリハ、トカライヌツゲ、シキミ、ミヤマシキミの十二種に及ぶ。巨樹に依存する植物の多さに、屋久島で生きる植物の生存競争の厳しさと共生の不可避性、そして何よりも屋久杉の大いなる包容力を感じた。

屋久島では千年たたない杉は小杉と呼ばれています。千年以上たって初めて屋久杉と言われます。屋久杉は樹脂が濃いので伐採され放置されていても腐ることはありません。これを、土に埋もれた木と書いて土埋木(どまいぼく)と言ってますが、別に土に埋まっていたわけではないんですね。白骨樹は死んで枯れても腐ることがなく、あのように何百年も立っています。屋久杉は種がおちて自然に生育しますが、この杉の苗木を下に持って行って植えても屋久杉にはなりません。屋久島の森の中でしか屋久杉は育たないんです。」

 鎌田さんの流暢な解説を聞きながら、貯木場に積み上げられていた土埋木を思い出した。巨大な土埋木の年輪は実に細かく刻まれ、絶え間ない雨粒の浸食で中央に空洞をかかえて横たわっている。その姿は、何千年の歴史を自らの躯に刻み込んで深い沈黙を守っている。巨樹に対する畏敬の念で神にまで祭られた屋久杉は、しかし時の権力に従属する者たちによって伐採された。現在、屋久島安房出身の儒者・泊如竹(とまりじょちく)が、屋久杉を神とあがめる人々を説得して、屋久杉の伐採を積極的に押し進めたことが知られている。わたしは、この人物と屋久島の純朴な人々に思いを巡らせ、神と人間を巡る壮大な物語、昨年映画館で観た「アバター」を思い出していた。

 屋久島の森の中の風景は、宮崎駿のアニメ的世界と同時に、「アバター」的な壮絶な戦闘シーンを抱え込んでいるようにも思えた。屋久島に生きた島民たちの信仰と暮らしは、屋久杉(神)伐採によってどのように変容していったのか。貯木場に積み上げられ、工芸品に加工される順番を待っている土埋木は、人間の手によって伐採(殺)された死体でもあることを忘れてはならないだろう。

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2010-09-16

『浮雲』研究のために屋久島へ(連載第十回)

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清水正の著作   D文学研究会発行本

 再び車に乗り、屋久島山荘を左手に見ながら安房川橋を渡り、右にまわってあんぼう大橋を通ってすぐに屋久島電工トロッコ発着場へと着いた。かつては安房川沿いにずっとトロッコの軌道が敷かれていたそうだが、今はここから縄文杉にまで続く軌道が登山道となっている。林芙美子はこのトロッコに乗った体験をもとに、富岡兼吾が小杉谷の営林署に向かう場面を生き生きと描いている。

 車を降りて軌道に足を踏み入れると、すぐに宮之浦の道路脇の崖で見かけた赤いカニが、ここでも全身を緊張感漲らせて身構える。屋久島出身の蒲田さんはこのカニを食したことはなかったということであった。わたしは鬱蒼とした樹木に囲まれたトロッコの軌道を一歩一歩踏みしめながら、六十年前、林芙美子がこの軌道をトロッコで登っていった時に想いを馳せた。どこまでも歩いていきたい気持ちに駆られる道である。

 林芙美子は「屋久島紀行」でトロッコに乗った時の体験を次のように書いている。

  トロッコの支度はなかなか出来ないとみえて、私は待ちくたびれてしまった。鹿児島を隔たること九十七里、東西六里、南北三里二十七町のこの山深い島に、私はいまぼんやり渡って来たのだ。寒いせいか、店先の火鉢に蠅がゴマを撒いたようにぴっちりとまっている。スケッチをするつもりだったが、熱っぽくて何事にも興味がない。

  やがて二時間ばかりして、やっと私達は、丘の上のトロッコの乗り場から、機関車のついたトロッコに乗った。小杉谷まで行くには、どうしても山の中で一泊しなければならないというので、途中の大忠岳まで行くことにした。私は機関車の運転台に乗せて貰った。機関車は、トロッコを四輌ばかりつけていた。山への荷物が載っている。断崖の狭い道に敷いたレールの上を、ごうごうと機関車は音をたてて登った。鬱蒼とした山肌は時々、真紅な煉瓦色をしていた。ヘゴと言う、大きな羊歯の一種が繁っていた。つわぶき、鬼あざみ、山うどが眼につく。右手の川底の安房の町がだんだん小さく消えてゆく。吊橋も小指ほどに見える。トロッコは荷物と沢山の山行きの人達をのせて、断崖の上を走っている。雨が降ったりやんだりした。

  一時間くらいして、トロッコはやっと、大忠岳の峠へ着いた。軒のかたむいた山小屋の前でトロッコを降りる。山小舎には誰も住んでいないのかと思ったら、安房の町で、後のトロッコに乗った、子供づれの細君が、その山小舎の戸を開けてはいった。私も雨やどりをさせて貰う。女の人はまだ若い。すぐ、子供を降して炉に火を炊いてくれた。がらんとした板壁の暗い部屋である。まだ十日ばかり前に宮崎からこゝへ来たばかりで、御主人は石切りを仕事にしている人だそうだ。子供は素朴な木裂に車をつけた玩具で遊んでいる。

  こゝで、一台のトロッコを残して貰った。徳川さんは、紺のレインハットに、ゲートルに地下足袋のいでたちで、私の乗っていた座席へ転り、雨の中を私達の乗って来た機関車は小杉谷へ登って行った。小杉谷へ行ってみたかったが、寒さがきびしいと聞き、肺炎にでもなっては災難だと、そのまゝトロッコに乗って山を降りることにした。畳一枚もない、狭いトロッコに、四人が肩を寄せて乗りあった。若い山の人がトロッコを上手にあやつってくれた。断崖絶壁の山径を、玉転しのように、トロッコは轟々とすさまじい音をたてて降って行った。しのつくような雨のなかを、濡れながらトロッコは降って行く。雨傘一本持って来ていたので、それを差してふわふわと傘の柄につかまっているかたちだった。

 ここに引用した場面に出てくる〈徳川さん〉は、この日の昼に営林署の応接間で庶務課長の境田に紹介してもらった農林技官の徳川弘で、林芙美子は彼を文芸評論家の小林秀雄の風貌にそっくりだと書き、その直後にさりげなく「なつかしい気がした」と書いている。わたしは初めて「屋久島紀行」を読んで、この場面に触れた時、ふと、ドストエフスキー研究をライフワークにしていた小林秀雄と、ドストエフスキーの『悪霊』を愛読していた山林事務官であった富岡兼吾が微妙に重なる瞬間を感じた。小林秀雄は中原中也の愛人だった長谷川泰子を奪った男としても知られているが、小林秀雄の「白痴」論の生原稿を自分の着物の生地を使って特別に装丁していた宇野千代といい、林芙美子も小林秀雄の存在をかなり意識していたように思える。

 林芙美子は〈大忠岳〉から狭いトロッコに乗って四人で降りてくるが、この時、一緒に降りてきた人たちとは、まずはトロッコの運転をした山の若い男、それに取材旅行に同行した「主婦之友」の編集記者中山淳太朗とカメラマンの河内滋である。中山の回想記「林芙美子さんとの旅」には、河内滋が撮影した写真が載せてある。この写真には中央に林芙美子、左に山の男、右に中山が写っている。トロッコの前方に大きな手提げ鞄が置いてある。これはカメラマン河内のものだったのだろうか。中山は大きなたたんだ番傘を両手で抱え、芙美子は背後から中山の背に手を添えている。確かにトロッコは畳一畳分もないほどの狭さで、ここに大人四人が乗って断崖絶壁の軌道を降りてくることはさぞかしスリリングであったことだろう。

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中山淳太朗(右)・林芙美子(中央)・山で働く若者(左) 撮影は河内

資料

機関車とトロッコが展示されている場所に立てられた看板には「屋久杉搬出の花形」と題して次のような解説が記されている。「屋久島の森林軌道は、栗生・永田・宮之浦・安房の4箇所に敷設されましたが、現存するのは安房を起点とする小杉谷線のみです。/小杉谷の森林軌道は、国有林経営の前線基地あった小杉谷・石塚と安房をつなぐ唯一の交通機関でした。/大正11年から建設に着手、翌年には安房〜小杉谷間の16kmが完成、その後年々延長され、総延長は26kmにも及びました。/屋久杉を満載したトロッコは、カーブの多い急勾配をブレーキの操作だけで、いっきに貯木場のある安房まで下りてきました。材が降ろされ空になったトロッコは、当初馬や牛などの畜力を利用して引き上げていましたが、その後炭車やガソリン機関車、そしてここに展示されているディーゼル機関車へと移り変わりました。/伐り出された屋久杉はもちろん、生活物資の運搬や学童トロッコなど住民の足としても利用されました。/しかし、九州では最後まで残っていた森林軌道も小杉谷事務所の閉鎖、安房からの車道の開発により、昭和44年半世紀にわたる本来の役割にピリオドを打ちました。/現在、軌道の一部は土埋木の搬出などに利用されています。」 

 ところで、林芙美子の「屋久島紀行」(昭和25年発表)と、芙美子に同行した「主婦之友」の記者であった中山淳太朗の「林芙美子さんとの旅」(平成7年発表)では、微妙に異なる場面が二カ所ほどある。今回はそのひとつに照明を当ててみたい。

 中山淳太朗は次のように書いている。

  トロッコは途中、標高一五00メートルほどの太忠岳を越え、終点の小杉谷に着いた。

  小説「浮雲」では主人公の富岡がそこで泊まるのだが、わたしたちはそのまま帰りのトロッコで安房へ引き返した。林さんは雨に濡れたせいか、少し寒気がすると言った。

 この文章を読むと、林芙美子一行は終点の小杉谷まで行き、そこから安房へと戻って来たように思える。林芙美子の文章では、一行は小杉谷まで行っていない。この日、林芙美子は「雨にあたったせいか、腕がちぎれるように痛い。額に手をふれると、かあっと熱い」ほどの体調で、トロッコに乗る前に、宿でノーシンを二服飲んでいる。小杉谷まで二時間かかるというのであるから、やはり林芙美子が書いているように、途中の〈大忠岳〉から引き返したというのが本当のことであろう。林芙美子屋久島から帰ってすぐに「屋久島紀行」を書いて発表しているが、中山淳太朗の回想はなんと四十五年の時を隔てて書かれている。信憑性は林芙美子の方にある。もし、林芙美子の紀行文に間違いがあるなら、当時担当記者であった中山が、雑誌に発表する前に、それを正さなければならなかったはずである。

 また「標高一五00メートルほどの太忠岳を越え」という文章は大きな誤解を招きかねない。これではまるで、トロッコ軌道が太忠岳の頂上にまで敷設されていたかのように思えてしまう。林芙美子も「屋久島紀行」で「途中の大忠岳まで行くことにした」と書いており、屋久島の地理に疎い読者を迷わせかねない。林芙美子の書いた〈大忠岳〉(どういうわけか芙美子は太忠岳を大忠岳と表記している)は、「屋久島文学散歩〜椋鳩十からもののけ姫まで〜」のパンフの執筆者が記しているように〈大忠岳の山小屋〉(トロッコの太忠岳事業所)を意味していよう。

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