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shin422の日記

2012-04-16

京はくにのまほろば・・・

15:45

 数日間もらった休日を利用して曽祖父母の住む神戸の家を訪れたついでに京都に立ち寄り、既に散りかかっている京の桜を見に行った。何度訪れたか知れない京都だけれど、行けば行くほど京都の魅力がいや増してくる。早朝から夜半まで国内外からの観光客が絶えない京都であるが、この季節は紅葉の時季と並んで人波は尋常ではない。ただでさえ混み入った街であるので、自家用車で行くのは明らかに愚かな選択だろう。といって、私鉄地下鉄やバスなど公共交通機関を利用しようにも限界がある。地下鉄といっても東京大阪と違って、南北に走る烏丸線と東西に走る東西線の二本だけ。市内を走る嵐電叡電もあるが、一方は四条大宮から嵐山まで、他方は出町柳から鞍馬や八瀬方面に走っているだけできわめて限定された範囲である。阪急京都線にしても京阪本線にしても京都と大阪を結ぶのがメインであって、市内めぐりには使えない。市営バス京都バスは網の目のように張り巡らされているが、結局渋滞に巻き込まれるや、ほとんど身動きがとれず、一日で数か所まわろうと思うなら絶望的な状況となる。だからバスに頼るのも問題で、そんなときに重宝するのがレンタサイクルだ。幸い、京都は東山の一部が坂道になっているぐらいで(清水寺南禅寺などに行く際は上り坂が控えることになる!)、あとは平板な土地で、せいぜい北山方面に向かうときに緩やかな上り坂になっているにとどまる。しかも、レンタサイクルなら、電動自転車も用意されているので、よほど体力がないというならばいざしらず、あるいは、よほど地理的不案内であるならばともかく、そうでなければレンタサイクルを利用して京都散策するのが適しているように思う。京都という街は市街地に限って言うならば、東京や大阪などの都市よりも遥かに狭い。

 そんな狭い京都市の人口の約一割は、大学生・大学院生・専門学校生などの学生で占められている。各キャンパスが町中に点在するオックスフォードのような大学町といった感じか(ちょっと大仰な表現かな?)。また学者も多く京都に住んでいるので、異分野の学者間の交流が東京に比べても盛んで、それが共同研究に結実したりもしている。東京ならば街全体が広いので、一日中酒の席なりなんなりでも終電を気にしたりする人が多いものだが、京都の場合、そんなことは東京に比べて気にしなくてもかまわない。なにせ街が狭いから、どんなに遅くなってタクシーを利用せざるをえなくなろうと大した料金にはならない。そんな事情も伝ってかは知らないが、京都からは独創的な研究が出されているのだ、と何かの本で目にしたことがある。もちろん、実際のところはわからない。ただ確かに、京都から独創的な研究が出ているし、研究のみならず先端企業が京都に多いことからみても、新しいものを生み出すこととこの京都の風土との間に何らかの関係が存するように思われなくもない。

 僕も京都に対して持つイメージは、長い歴史に培われた伝統と新しいものとが時には調和を形成し、時には新しいものが革命的なものとなって伝統的なものとの緊張を生み、独創的な文化が産出され、またそれが次第に堆積して洗練されかつ成熟しもした文化伝統を形作ってきた町というものだ。だから、極端に「学問するには日本では京都しかない!」と思ってきたし、今もその思いは変わらない(それに、政治でも極端に「革新勢力」が圧倒的に強い都市は京都である。京都市の郊外に他都道府県から流入してきた新住民が増えたのちは、その勢いが衰えたとはいえ、京都の中心部の住民の投票行動を見れば一目瞭然である。東京や大阪を含め、他の都市や国政全体からすれば考えられないような事態が京都では続いてきたのである)。

 東京は、新しいものを生み、時にそれが革命的なものへとなって何かが創造されると期待できる素地に培われてきた文化伝統や、新しいものを受け入れる度量と土壌、新しいものが形をもったものとしてあらわれ、それが時熟していくための時間をじっと待つというゆとり、そして伝統と革新の緊張の契機をことどとく欠いているように思われる。生み出されるのは官僚と官僚もどきの「学者官僚」が多く、真の学者と呼べるような人物が生み出されたためしはむしろ少ないとさえ思われてならないのである。

 人・モノ・カネそして情報ばかりがただ単に忙しなく集約され、ただ単に分不相応の図体がでかくなるばかりで、各々が忙しなく「流通」しているだけでは、真に創造的なものは生み出されはしない。そこでは人は生真面目になるのが唯一の取り柄となる(上方から言わせれば関東は冗談が通じないということらしい。”忙しなさ”・”生真面目さ”は何も生み出しやしないのである。

 京都大学理学部の知的伝統・学風は、東京大学理学部のそれとは違う(最近は、京大の独自色はなくなってきつつあるのかもしれないが)。湯川秀樹朝永振一郎坂田昌一やその他数多の理論物理学者や岡潔のような奇天烈な数学者も、東大でなら輩出されなかったのではないかと思われてならないぐらいだ。佐藤幹夫の弟子たちをはじめとして東大数学科出身者も多く在籍しているものの、この「佐藤スクール」の面々やら森重文やら望月新一やら日本で最高の数学者を集めた京大数理解析研究所の打ち立てる数々の世界的業績も、京都という立地と間接的ながら関係しているのではないか。

 戦前の京都学派の哲学や戦後の京大人文研を中心とした新京都学派にしても、それぞれ問題を抱えつつも、東大には為しがたい結果を残してきた。おそらく西田幾多郎が東大教授であったなら、つぶされてしまっていたかもしれなかっただろう。まことに東京は学問するにあまり相応しい場所ではないようである。

 というと、学問すべてに関してと誤解されるかもしれないので一言断りを入れておくと、理論物理学や純粋数学あるいは哲学などの基礎学問をするには相応しい場所ではないというべきだろう。くどいようだが、これら長いタイムスパンで待つことを要する基礎的な学問にとって、”忙しなさ”は最も忌むべき敵であるからだ。逆に、国家運営を間違いのできるだけ少ないよう取り計らっていかねばならないとの要請から設けられた東京大学法学部は、政府中枢機関が集まる場所になければならないのかもしれない。明治以来、官僚養成機関としての役割を担わされてきたのだから仕方がない。対して、京都大学法学部は東京大学法学部とは別の役割を担うべきだし、事実設立当初はそう意気込んではいたという(『京都帝国大学の挑戦』参照)。しかしながら、今の京大法学部はどうかというと、正直言ってミニ東大法学部化してしまっているし、場合によっては、始末に負えぬ「御用学者」を次々と生み出しもしている。すぐれていると思える骨のある研究者はというと、目をつけられようものなら大阪市立大学立命館大学へと「都落ち」を強いられる。いわば「京大左派」の集まりのような様相を呈し、結果的に両大学の研究者の層は厚いという皮肉なことになっているのが傑作なほどだ。こと法学政治学に関しては、東大法学部の教員スタッフの陣容が圧倒的にすぐれており、他とは比べ物にならないというのは厳然たる事実なのだ。

 文化の成熟度合では逆立ちしても京都に敵いっこない東京であっても、逆に京都にはない特色を生かせばよいものを、どうも己の文化的貧困を自覚していそうにない。のみならず、文化的中心とばかりに居丈高になっている滑稽にも気づきもしない。ファストフードしか食べたことのない者が食通を自称しているようなものだ(事実、本来東京の食文化は貧しい。ちょっと前までは”ダシ”すらなかったわけだしね(笑)。ほとんどはよそからの借り物なのだ。さしあたり現在のロンドンのようなものかもしれない。今でこそロンドンにはうまい店があるけど、どうも一昔前はとても食えたものではなかったらしい)。あるいは仁清と100円ショップで売られる二束三文の瀬戸物との違いというべきかもしれない。そんな国は世界広しといえどもあまり見かけない。確かにパリはそんな例外となっているかに見えるが、なんのことはない、街中全体が公衆便所の便器みたいな都市をまねてどうするとでもいうのか(かのグロタンディークもパリが嫌いでしかたなかったようだ)。さりとて大阪のような”混沌”もないのだ。

 しかしファスト・フードにはファスト・フードの、にせものにはにせものの輝きとでもいうべきものが東京にはあって、逆に京都にはそうしたにせものの光学が欠けているともいえる。かつて映画化された谷崎潤一郎細雪』の蒔岡四姉妹の長女鶴子の「うちは、京都より東へは出たことあらしまへん」という台詞に現れた上方文化に対する強烈な自負に同意しないわけにはいかないものの、「いや、そうはいっても東京にはにせものの持つ怪しい輝きもあるのですよ」と思わずつぶやいてしまう自分もいる。己の生まれ育った東京の貧困を自覚するにつれ、なお一層京都への憧れを隠しきることなどできないわけだが、何も生み出すことのない”にせものの光学”、”貧者の美学”もバッサリ捨ててしまうわけにもいかないこともまた確かなのである。東京及びその周辺は、なんだかんだといってもやはり「ドンキ」なのだ。そう、映画『国道20号線』のあのドンキ(笑)。

 こういうと、今はホンモノ/ニセモノの区別が無化された時代だなどとシミュラークルがどうのこうの、複製技術時代のうんたらかんたらと訳知り顔で主張する者が出てきそうだが、よほどのバカでない限り区別ぐらいはつく。野々村仁清の京焼と二束三文の瀬戸物との違いぐらいはいくら感性が磨滅した者であろうと見分けることはできよう。良寛さまの書とそこらの落書の厳然たる違いは一目瞭然ではないか。

 問題は、区別が無化したなどというバカな話ではなく、ニセモノの方にもニセモノとしての輝きを示すこともあるのだ、ということだ。ニセモノだからといって無価値であるわけでは必ずしもないということだ。

 基礎学問をするには京都こそ相応しいという信念を持ちつつも、個人的には下京・中京・上京などの中心ではなく、右京区なり左京区のしかも端の辺りに住むのが理想的である。嵯峨野の奥やら大原やらは京都市街地から離れ、ほとんど山の中である。そこに庵を構え、思い立ったら気軽に市街地に出るというのがいい。冬は京都市街地より底冷えすること間違いないが、ニューヨークシカゴの真冬だって底冷えする寒さだ。

 僕の勤め先のヘッドクオーター(年収10億円超えがウヨウヨいる)などは、ニューヨークから鉄道で一時間少しほど離れたところのコネチカット州のグリニッチに居を構え、月に一、二度ニューヨークに顔を出すといういい御身分なのだけど(僕の場合は適当なところが見つかるまではニューヨーク市内の普通のホテルなのだけれど、いまだ見つからないとしてホテル住まい。行ったり来たりでこき使われる身分なので仕方がない(笑))、なるほどビバリーヒルズの住民より遥かにお金持ちの連中が軒を連ねる小高い丘陵地帯は、一見ニューヨークの喧騒とは無縁の環境で時間もゆったりと流れているように思える。しかも数学・物理学出身者の比率が異様に高いのが面白い(ちなみに、MBA取得者の採用は今や激減している。ハーバードプリンストン、イェール、シカゴ、スタンフォードカリフォルニアバークレーコーネルコロンビアぐらいしか相手にされないような。かつて米国をまねて日本版ビジネススクールがあちらこちらで開設されたが、その時、蓮實重彦がビジネススクールの弊害が指摘され始めている現状を「ビジネススクールより無用の学を」ということで賢明にも指摘していたのである)。中には哲学出身もいるが、アメリカでは哲学は日本でいう「文科系」という区分ではないようだ。事実、アメリカの科学哲学でもハードコアな領域を研究する者たちは数学・物理学の素養があって論文も結構面白いものがある(必ずしも分析哲学系という意味ではない。科学哲学が分析哲学である必要はないし、事実、分析哲学系の論文でも何でもない論文も相当あるのだ。但し、分析哲学の知識を踏まえていることが当然という最低限の前提が共有されているということがいえるぐらいではないだろうか。ただ、哲学の素人から言わせてもらうならば、科学哲学のハードコアな領域についての研究は、終局的には伝統的な形而上学の問題と結びつく。よって分析哲学系の諸議論は大いに参考にはなるが、その道具立てでは到底おっつかない。エピステモロジーを持ってきても同じこと。個別科学の知識を十分に自家薬篭中のものにして、そこに潜在する哲学的な問題に粘り強く思考する極く当たり前の力さえあれば済む。が、それを為しうる者がきわめて少ないだけなのだと思われる。17世紀の哲学者は、デカルトにしろライプニッツにしろ、自然学者であるとともに形而上学の問題を粘り強く思考した。石黒ひでによる名著"Leibniz's philosophy of logic and language"によれば、ライプニッツは実は分析哲学の始祖たる地位を占める。もっとも注意すべきは、ここで石黒がいう分析哲学とは、狭義の言語分析哲学の謂いではなく、論理学的な手法を以って概念を分析していく思考という程度の意味であって、その思考が必ずしも命題論理の分析に終始すべきことを意味するものではない)。

 話は逸れたが、いずれにせよ東京は、京都はおろか、ケンブリッジにもオックスフォードにもなれないし、競り合おうとしたところで土台無理な相談なのだから、異なる思考がぶつかり合い、いわばハイブリッドな知的空間が形成されることは期待できそうもなく、偉大な数学者も偉大な哲学者も偉大な科学者もそして偉大な芸術家も生み出されることはほとんどないだろう。しかし、それでいいと考えることもできないわけはないのだ。真夜中にどこからともなく煌々とネオン輝くドンキに群がって来た連中やその店員が一様に無愛想でかつタコツボ化していようと、東京は依然としてドンキであることをやめはしないし、人もドンキに引き寄せられていく。惹かれているわけでもないのに・・・。ニセモノの輝きを放つドンキにさしたる用もないのに集まってくる。収入のほとんどを改造や内装に費やしたとしか思えない車で乗り付けたヤンキーとその車の不釣り合いは、均衡などどこ吹く風といわんばかりの野蛮さをも醸し出していると思えなくもない。買い物にきたわけでもなく、まったりとしたナンパの場と化したドンキの駐車場に群がる車の群れが去った後のポイ捨てされたタバコや空き缶などのゴミが散乱した光景は、ここがヤンキー的なものの顕在化する場であることを示してもいる。そして地方都市もまたミニ東京、ミニミニ東京となっていく。だから東京中心部というよりそこから少し離れた場所でその特徴がより集約された形で最も顕在化するのだ。中心部以外の「首都圏」と呼ばれる場所にほぼ重なっている(僕にとっては「首都圏」という表現はどうしても笑いを誘うものなのだけど)。東京の西部や東部の一部、埼玉千葉神奈川群馬栃木、茨木は全国的に見ても異常にヤンキーが多い。僕がツーリングついでによく通っていた伊勢崎のドンキなど典型的だ(東京にいるときは、自宅近くの六本木店に頻繁に行っている)。駐車場にたむろするヤンキー、散乱するタバコや空き缶などのゴミ、土曜夜の大黒PAを小規模にしたようなドレスアップカーから流れる大音量の音楽、面している道路を爆音を垂れ流しにやってくる暴走族。「いや〜、批評的だなあ」とついつぶやいてしまうこの貧しい光景について、その貧しさに寄り添いつつ言葉として紡ぎ出す批評的営為は、逆に京都では為しがたい。ドンキの放つ怪しげな輝きに対応する言葉を京都から発せられると期待することはできそうもない。保田與重郎はもちろんのこと、浅田彰もそうした言葉を持っているとは思えない。貧しさの批評が貧しさを醸し出さなくてどうなるというのか。京都にいてはそれがわからないであろう。東京にはこの貧しさの特権があるのだ。しかしながら、未だそのような批評的言説にお目にかかったことがないというのがまた悲しいところなのである。

 

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