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shin422の日記

2012-09-17

満洲帝国

23:55

 この連休を利用して、愛知県伊良湖にサーフィンに出かけてきた。普段は伊良湖まで足を延ばすことはないが(せいぜい西は浜松までかな)、台風の影響もあって、ちょうどいい感じの波になっていたので、かなりの数の波乗りが押し寄せて、初心者がベテランの邪魔をしてところどころ揉め事が起っていた。伊良湖はサーフィンするにしても釣りするにしても環境に富んでいて、僕としてもこの辺は理想的かもしれない(ただし、山がないので冬から春にかけてはスノボができない点が非常にネックである。海も山も富んでいる環境ともなると中々ない。意外なことにレバノンにはそんな環境が富んでいるのだが、ほとんど知られていないのが不思議だ)。

 こういうところでこそ、ドゥルーズの『差異と反復』や『千のプラトー』を読むべきと思う(人によっては『襞』を読むべきと言うかもしれないが、『襞』よりも『差異と反復』、『千のプラトー』でしょう)。ともかく、机にかじりつきながら読むべき本ではない。そんなことは法律書で十分だ。

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 このところ連日、「中国」(あくまで中華人民共和国の略号として使用する。地理的概念ならば、China=シナが相応しいと思う。古来、「中国」とは自国のことを指す言葉であるからだ)での「反日暴動」のニュースが方々で伝えられている。百近くの都市で暴動が起こっているとのことだが、なにせ中国では年間十数万件の暴動やデモが繰り返されていると聞くので(中国社会科学院が公式に認めている分ですら約18万件。となると、実際はその倍ほどの暴動が起こっているのだろう。実は、予算のうち軍事よりも治安維持に使われている方が多いというのだから、社会環境の面では事実上破綻しているとみていいだろう)、数の多さには殊更驚かされることはないものの、今回の暴動の無茶ぶりは一見「プロレタリア文化大革命」を彷彿とさせるように思えなくもない。もちろん、暴れているのは極く一部の若者であるし、毛沢東のような独裁者による発動でもないので、文革時の紅衛兵と同じく扱うわけにもいかない。

 とは言うものの、破壊行動が見境ないものとなっており、中には共産党関係の施設にも暴徒が襲いかかったとも聞く。党中央の指導者も心中穏やかではないだろう。暴徒たちが毛沢東の肖像を掲げているのも、昨今の貧富の格差や共産党幹部による絶えざる汚職・腐敗などを放置する政府に対する批判と読めなくもなく、その意味で、文革当時の民衆の不満と重なる点もある。よって、政府によるコントロールがきかなくなれば、中国社会は再び混乱の様相を呈し、ともすれば近い内に失速が予想される中国経済は、なお一層早く最悪の形で落ち込んでいくことも多いにありうる。少なくとも、今回の暴動で明らかに中国は大損することになるが、仮にその大損を覚悟してまで得ようとする何かがあるのだとすれば、それは何なのか?人民解放軍のクレディビリティと発言力が高まっている今、日本としては楽観視できない状況が続いていくに違いない。文化大革命第二次天安門事件などの騒乱による国内の混乱を最も恐れる共産党指導部が、矛先を日本に向けさせる策を講じないとも限らない。さすがに、いざ緊迫した事態に至れば、「東アジア共同体」などと世迷い事を主張する論者も、多少は目がさめるかも知れない。

 今年は習近平体制に代替わりする年であるとともに、日中国交正常化40周年の年でもある中で、日本との関係を殊更こじらせたくはない指導部ではあろうが、領土問題に関しては一歩の譲歩もできない手前、何らかの対抗措置を講じてくるに違いない。とはいうものの、日本としても尖閣諸島の問題で中国政府に譲歩することなどできようはずもない。譲歩できるのは漁業権に関することで、事実、台湾との関係においてはこの点で穏便に解決できる可能性は残されている。が、こと中国については不可能である。残された選択肢は現状維持のみ。中国側が現状維持を呑めるかどうか、のめないのだとすれば、遅かれ早かれ日中の衝突は避けられないだろう。最悪に備えて日本側としては防衛力を強化するよりほかない。今からでは遅すぎるが、なにせ2000年代に中国が大軍拡しているのに、それに即応したかたちで防衛力を整備して対中封じ込めを怠ってきたつけがこのざまでもある。実際90年代まで東シナ海制海権は圧倒的に海上自衛隊が押さえ得ていたが、ここ十数年の中国海軍の大軍拡により相当流動化しているのである。

 東シナ海が南シナ海と同様に中国に侵略されるような状態にならないように警備を厳重にするとともに、海上保安庁だけでは対応困難な事態も想定して、海上自衛隊をいつでも出動できる態勢を整えていると思われる。日中軍事衝突という事態は日中両国とも望まない事態であろうから、そうなる可能性は低いものの、隙を見せれば南シナ海でのベトナムフィリピンのような憂き目にあう危険性は十分にある。可能性の低い軍事衝突ともなれば、幸い海上自衛隊の軍事力は中国海軍に比べていまだ優位にあるので、米軍の介入なくとも日本側が敗れることは考えにくいが、韓国海軍よりは手ごわいこともまた確かであろう。ただし、中国人民解放軍には跳ね返りの将校が血気盛んなことを主張しているようなので、戦争にまでは至らないまでも軍事衝突が発生しないとは言えない。もっとも、いざ軍事衝突ともなれば、この人民解放軍将校の非現実的な楽観とは真逆の結果、つまり中国海軍の大敗という事態をむかえるだろうから、そうなると、中国社会はなお一層大混乱、中国共産党への非難がまきおこり収拾がつかなくなることだし、これまでの海洋戦略も雪崩をうって崩れていくことだろう。中国にとって軍事衝突は自爆行為なのである。

 そんなこんなしているうちに、明日は満洲事変の契機となった柳条湖(柳条溝)事件が勃発した日である。おそらく暴徒たちはさらに暴れ出すだろう。

 昭和6(1931)年9月18日未明、奉天(現在の瀋陽)郊外の南満洲鉄道の線路が何者かによって爆破されたこの事件を契機として、一気に関東軍が満洲全土を制圧し、翌年(満洲国元号では大同元年)に「満洲国」が建国され、清朝最後の皇帝である宣統帝溥儀が、蒋介石による北伐を期に紫禁城を追われ天津租界の日本領事館に匿われていたところ、敵の目を欺き満洲の地に降りるや執政として迎え入れられ、二年後の昭和8(1934)年(満洲帝国元号では康徳元年)には皇帝位に就かれ、「満洲帝国」となったわけだが、中華人民共和国政府はあくまでこの満洲国をシナ東北部を侵略した大日本帝国によってつくられた傀儡政権であるとして独立国とは認めず、「偽満」と呼称し続けている。

 しかしながら、清朝が崩壊して再び解体された蒙古は満洲国建国を歓迎していたわけで、当時のシナ社会が総じて満洲国を認めないとしていたわけではなく、むしろ、満洲国への入植する者があとを絶たなかったという事実があることを確認しておきたい。

 確かに、柳条湖事件に関しては諸説色々あるとはいえ、通説的見解によれば、明らかに関東軍の板垣征四郎日本陸軍始まって以来の天才と言われた石原莞爾による発案で(ちなみに日本海軍第一の大秀才とうたわれたのは、岸信介の兄である佐藤市郎中将である)、本庄繁司令官の了承のもとになされた謀略事件であって、しかも日本国政府方針とは明らかに外れた関東軍による暴走ともとれる事件ではあるものの(とはいえ、日本国内の世論は、満洲問題は武力解決の他なし、との意見が多数を占めていた)、その後の日本の介入をみるかぎり(とりわけ、日満議定書の付属文書として当時秘密に約された内容を見ると)、蓋し「傀儡」と言われても致し方ない側面もあろう。ただし、全くの傀儡政権として片付けてよいかと言われれば、必ずしもそうでもない。なるほど、この事件は国際的に非難され(といっても、日本による一方的な侵略行為とまでは言えない。いわゆる「十五年戦争」と称して、一貫して日本がシナ大陸侵略を企ててきたという考えも見られるが、明らかに史実に反する見方と思われる。当時の連盟からの批判の元にあったリットン報告書にも、中華民国主権を侵害したという記述にはなっていない。とはいえ日本の九ヶ国条約違反は批判されても致し方ないことも否定できず、幣原喜重郎外務大臣の折衷案も御破算にされ、結果として日本政府は関東軍の行動を事後「追認」するような格好になってしまったのは、明らかに「外交上の愚策」と思われる)、実際に日本の国際連盟脱退の原因になったものの、満洲帝国の発展ぶりを見るに連れ、後にバチカン市国をはじめとしてドイツイタリアスペインエルサルバドルコスタリカなど多くの国々が満洲帝国を承認しはじめ、国交を樹立している。国交までは結ばずともソ連のように連絡事務所を設置して事実上国交を結んだ国々まで含めると、50もの国々が満洲帝国と関係を結んでいたことも同時に忘れてはならないものと思われる。

 国務院総務庁を中心として、ソ連の五か年計画に範をとった工業化が推進され、「王道楽土」・「五族協和」を理念とした多民族が集う「人工国家」が満洲の地に作られたわけである(ちなみに「王道楽土」という造語は、小澤開作によるものであるという。なお、小澤開作の息子が世界的指揮者である小澤征爾であり、「征爾」という名は、板垣征四郎の「征」と石原莞爾の「爾」からそれぞれとってつけられたものである。小澤征爾が果たして気に入っているかどうかは知らない)。そこにはナチの迫害から逃げてきたユダヤ人もに移り住んできたことも知られているし、白系ロシア人貴族も赤化された母国から満洲の地に逃れてきたのである。

 国策会社である南満州鉄道株式会社の誇る技術はつとに知られ、満鉄調査部は最高のシンクタンクとして多くの日本の優秀なスタッフが集まった。中には内地弾圧されたマルクス主義者も多くいた。いわゆる1942年の「満鉄調査部事件」によって弾圧されるまで、このシンクタンクは最高の情報調査能力を誇ったとも言われている。大杉栄らを殺害したとされる(事実は違うと思われるが)甘粕正彦が、石原莞爾を事実上追放する形で満洲帝国に君臨し、満洲映画協会理事長に就任して表舞台では映画を使った大衆プロパガンダを展開し、裏では諜報活動に従事し(奉天特務機関長である土肥原賢二の指揮のもと、天津租界の日本領事館に匿われていた愛新覚羅溥儀を密かに満洲に脱出させる工作に携わったのも甘粕正彦であるし、岸信介らとともにアヘン密売による工作のための資金調達にも携わるなど、満洲帝国を発展させていくために様々な謀略活動に従事し、挙句は「夜の満洲は甘粕が支配する」と言われたほどであった。日本と満洲のためならば私利私欲を捨ててストイックなまでに国家に殉ずるその生き様は、大日本帝国の敗戦に伴う満洲帝国崩壊とともに自らの命を処決せしめた)、日本からの莫大な投資もあって、岸信介、古海忠之、星野直樹革新官僚が満洲国総務庁で内地では行い難かった大胆な統制計画経済を断行して、満洲国の経済力を飛躍的に高めた。奉天や新京(現在の長春)あるいは旅順などは近代都市として整備され、その成功ぶりは、岸信介をして「満洲は私の作品」と言わしめたほどである。哈爾濱のキタイスカヤ通りは、上海のバンド地区や天津のヴィクトリア・ロード以上の華やかな多国籍な文化が漂う目抜き通りで、東京銀座大阪御堂筋など比べ物にならぬほどの賑わいを見せていたと、満洲時代を懐かしむ往時の日本人もいた。

 果ては何をしているかわからない大陸浪人や内地で弾圧を受けた左翼から日本の最高のエリート集団であった革新官僚まで含め、目的達成のための方法に関しては非常にリアリスティックな視点をもちながらも、その目的において誇大妄想的な理想主義に突き動かされて突っ走った巨大機関車のごとき国。恰も、満鉄特急亜細亜」号が象徴するように、多分に日本人のノスタルジックな感情を喚起させもする存在。満洲に対する日本人の持つ一つのイメージである。

 この遺産を中華人民共和国はフルに利用して工業化が可能になった。もし満洲の遺産がなければおそらく中国の工業化はさらに遅れていたことは大方の人の常識だろう(満洲以外に工業化の素地は何もなかったのだから。毛沢東は、「東北部さえあれば中華人民共和国の工業化は可能である」と言い、事実として後々の中華人民共和国における工業生産の約9割は、満洲帝国の遺産によってもたらされたのである)。

 これまで、中国共産党の「正統性」に抵触せぬように遠慮がちに行われてきた感のある左翼的な歴史研究の動向にも疑問符がつけられはじめたおかげで、やや正常化されてきつつある。が、それでも十分とは言えない満洲研究におけるネックは、そもそも満洲という土地は歴史的に見て必ずしもシナ人の領土であったとは言えないという視点が抜けているということであろうと思われる。かろうじて清朝の版図にはなっていたとは言えるが、清朝はもちろん満洲族による王朝であり、辛亥革命以後は清朝は各民族ごとにバラバラに解体され、少なくともシナ大陸の南方しか勢力範囲にしていなかった中華民国の版図ではなかった。満州族蒙古族朝鮮族、ロシア人やその他有象無象の馬賊が跳梁跋扈していた土地であって、長い期間にわたってシナの版図とは言えなかったのである。

 柳条湖事件以後の日本の行動を肯定するつもりはないが、満洲事変に関しては、中華民国の主権を侵害する軍事的侵略行為とまでは断言できないのである。強いて言えば、満洲族の土地であって、漢族の土地ではなかった。そもそも歴代シナの王朝は、一貫して漢族の王朝であったわけでもないことは周知の事実であって、ウイグルチベット内蒙古も満洲も漢族の勢力下ではなく、大きく見積もってもせいぜい「万里の長城」までが領土と言える程度だ。軍閥の張学良が、日本が満洲に投資した資産を俺のものだからよこせといったぐらいしか実は根拠が希薄であろう。

 とはいえ、大日本帝国の政策が正しかったとは到底思えないし、今さら日本が満洲を領有すべきとも思わない。加えて、満洲での「負の歴史」が存在したことも否定できないので、当時の日本の行動を丸ごと肯定するわけにもいかない。しかしながら同時に、当時の日本の行動を当時の世界情勢下における具体的事情(とりわけ日露戦争によって得た権益や投資した莫大な資本の保護や在留邦人保護を図ることは、当時としては当然の行動である。満洲事変のきっかけも、日に日に拡大していく排日運動から満洲権益や在留邦人をいかに守るかという切実な問題に直面していたことから、事態打開の策として日本による満洲領有化かまたは親日的などくりつ国家設立の選択に迫られてのことである)を無視して事後的な視点からこれを全否定し、あたかも中国共産党の正当性を承認するかのごとき、ほとんど捏造されたと言っても過言ではない歴史に立つこととは異なるという点も指摘しなければなるまい。満洲の可能性の肯定的な面も見据えないと、公平な歴史の見方とはならないだろう。

 例えば、井上清『日本の歴史』などその最たるものだ。マオイズムにかぶれた者によるプロパガンダの一例として後世に残るだろうが、歴史学の世界では失笑物としての扱いしかなされなくなるだろう。ちなみに、この井上清は、尖閣諸島の領有権を急に中華人民共和国が主張するようになるや、わざわざ北京政府の代理人よろしく「釣魚島は中華人民共和国の領土である」と主張した人間であるし、「プロレタリア文化大革命」を支持した曲学阿「中」の徒である。すなわち、満洲が古来シナの領有であり、その領土を日本が一方的に軍事侵略して奪ったという見解も誤りであるということである。同じく、今も激しい独立運動が起こっている内蒙古もウイグルもチベットもまたシナの領土とは言えず、中華人民共和国による軍事占領が続いている土地だということである。とりわけウイグルやチベットの侵略は旧日本軍の行為など比較にならないほどの蛮行だろう。これら侵略行為には目をつぶり、あろうことか中華人民共和国を少数民族との共生の理想的モデルとして言祝いでいたのである。かかる中国共産党の暴挙に目をむけるとき、つくづく思うことと言えば、大日本帝国の最大の失敗は、とりもなおさずシナ大陸の共産化に結果的に手を貸してしまったということなのである。つまり、防共のための戦いが、かえって共産化を招いてしまったという歴史の皮肉なのである。

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