起業するといふこと

結局在学中に自分でビジネスをすることはない、と最近決心した。じゃあ、なんで「起業すること」について書くかっていうとそれはそれで、いろいろ思うところがここ最近ずっとあるから。自分自身だけでなく、クラスメートの若い子たちの考えを聞いてるとほとんどの場合、「それってわざわざ起業してやるべきことなの?」って思ってしまうことが多い。

つまり、そこに必然性が感じられないわけで。

どうも「起業すること」が単に「就職すること」のオルタナティブとして捉えられているようにしか思えないこともある。おいもまえ、それってモラトリアムの延長とちゃうんかと。

その人が起業してまでやらなくちゃいけない必然性は何か?常に自問自答すべきだと思う。「楽しいから?」 「それが自分の能力を一番に引き出せると確信できると思っているから?」 「世の中を変えれると信じてるから?」 「社会貢献したいから?」 本人が納得できているのなら、そしてそれを他人にアツく延々と語れるなら(できれば加えて相手を納得させられるなら)、何でもいいのである。

別にスタートアップが、大変なことで、特別なことで、覚悟がいること、とは思わない。たいていの場合、起業する人はそれを、大変で特別なものだと当初は感じてないし、たいした覚悟もないと思う。気張った覚悟がある人はそれだけ慎重になっているということ、それなら止めた方がいい。ただ、覚悟なんてのはいらないのだけれども、やはりスタートアップに当たっての「なぜ?」という必然性は必須だと思う。自分自身いろいろ悩んでいてなかなか動けなく、「きっと覚悟がないんだな。」と当初は感じていたが、そうじゃなかった。必然性の問題だった。そして、今言えるのは、"今"のタイミングでは、起業の必然性が自分の中の人にはないということ。

若くしてケースを使ってビジネスを学ぶこと、まわりには企業家がたくさんいて様々な示唆を与えてくれること、同じように野心と向上心を持った人がいること、それから今すぐ身動きがとれること、貧乏であること。環境は全て起業するにあたってプラスに作用するだろう。きっとものすごく恵まれていたと後で感謝(痛感?)することになると思う。

ただ、どうせやるなら夢やビジョンは大きく。小さな成功に満足せずに大きな成功を狙っていってほしい。きっと才能はあるんだから、中小企業をつくるのではなくベンチャーであってほしいし、誰でもできそうなことをやってほしくない。それからもっと周りを使ったほうがいい。いっぱい駄目だししてもらったほうがいい。途中わけわかんなくなったら、成功した経営者に会いにいったらいい。それから、メンターは最低3人は必要。

よく働くということをマラソンに喩える。長いんだと思う。途中で息切れすることもある。人生設計の無意味さConnecting dotsなわけで確かに正しいが、それでもマラソンするにあたって、譲れないはあったほうがいい。一方、挫折のなさそうなゆとり教育世代に対しては、好きを貫け、直感を信じろ、褒めろってのはちょっと危ないんじゃないかと思うけど。またネガティブな粗探しは問題外だけど、生産的な率直さでものを言うことは必要。(最近この人が言っていることはどうも響かないことが多い。年食ったか。)


とまあ、いろいろ書いているが、結局何が言いたいんだっけ??そうそう、起業する必然性ね。「実際動かない、口だけなやつが何を」と逆に説教を受けるんだろうけど、まあそれはそれで反応としては健全だと思う。