工藤伸一「悪魔が昨日、し忘れたこと。Ver.4.0」 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2012-01-20

『「太陽族」と「キン肉マン」――君と僕を殺してきた「マッチョ病」の功罪』目次案&第1章

http://ji-sedai.jp/school/application/post_39.html
※リンク先の初出では間違いが多かったため、ここでは随時修正を行っています。

  コピー:メゾフォルテは「やや強く」メゾピアノは「やや弱く」そして君や僕らは?
  カテゴリ:日本社会

  内容紹介

社会のバトルロワイヤルから離脱して自殺する若者は、社会に負けたように思えるかもしれないが、むしろ人生を辞められる「強い弱さ」の持ち主だった。太宰治や尾崎豊の作品には彼らの生き辛さが投影されていたが、しかしそれがファンの心の支えになっていて、その遺産は長生き組に決して負けていない。自ら命を絶つのはココロの病気に起因しているケースが多く思われるが、自殺はそれを自己解決しようとするマッチョな決断でもある。その「強い弱さ」が僕らの居場所を壊しつつ築いてきた。団塊世代の「太陽族」と団塊ジュニア世代の「キン肉マン」というマッチョなヒーロー像を中心に、僕らが抱えてきた「マッチョ病の功罪」をジセダイに伝える。

  語りたい事

とにかく生きてほしいけれど、
死んだ時にはそれはそれで仕方ない。
でもやっぱり生きていてほしいな。

   目次案

 プロローグ マッチョなココロと反マッチョなカラダの不一致

これは単純に「マッチョ」を批判するものではありません。「プロローグ マッチョなココロと反マッチョなカラダの不一致」というのは僕自身がマッチョ病を患っていると思うからで、実際それは「太陽族」だった父の影響に加え『キン肉マン』を愛読してきたことから産まれた「精神的な意味でのマッチョ病」だと考えています。

病気のことは医者じゃなければ分からないと思うかもしれませんが、問題なのは「病気なんて気合いで治る」という病院に行かないマッチョなので、そういう人は医者のアドバイスさえ拒否するのです。そんな「マッチョ病」と今後どのようにして付き合って行けば、ジセダイの君と僕がこれから先、平穏無事に長生きしてゆけるだろうか模索したいという話です。

 第1コース マッチョ病とは何か?

セット1 団塊/偽団塊ジュニア団塊ジュニアとマッチョの関係
セット2 コミケに奔走するオタクも実はマッチョだったりする
セット3 ナイーブそうな『ガロ』系マンガも意外にマッチョである
古川益蔵、蛭子能収、みうらじゅん福満しげゆき
セット4 ミリオンセラーキン肉マン』などマンガ的マッチョの王道
セット5 ミリオンセラー太陽の季節』など文学的マッチョの覇道

 第2コース セカイに蔓延するマッチョ病のルーツ


セット1 宗教戦争や民族紛争を過激化させた宗教史におけるマッチョ
セット2 経済戦争による自己責任論としての政経史におけるマッチョ
セット3 そもそもマッチョな動物のセカイ
セット4 けれども僕は動物じゃなくて人間だから
セット5 人間の僕らが進化して超人になるために

 第3コース 絵画や文学など芸術表現におけるマッチョの歴史

セット1 西洋の思想家による超人的マッチョ:ソクラテス、プラトン、ディオゲネス、ニーチェなど
セット2 西洋の快楽主義者による破滅的マッチョ:ランボー、ワイルド、ロートレックヘミングウェイなど
セット3 ビートニクスによるシュールなマッチョ:ブレイク、バロウズ、ケルアックなど
セット4 日本文学における『太陽の季節』のルーツとフォロワー

森鷗外、夏目漱石、芥川龍之介山田風太郎江戸川乱歩島田清次郎、小林秀雄、小林多喜二、石川啄木、宮沢賢治、太宰治、三島由紀夫大江健三郎、中上健次、池田大作、大川隆法、麻原彰晃、永山則夫、野坂昭如、澁澤龍彦、寺山修司、筒井康隆、小松左京、江藤淳、吉本隆明、岸田秀、蓮實重彦、柄谷行人、鈴木邦男、猪瀬直樹、村上龍、村上春樹、高橋源一郎、浅田彰、中沢新一、中森明夫、見沢知廉、外山恒一、福田和也、宮台真司、中島義道、高原英理、京極夏彦、辻仁成、町田康、花村萬月、藤沢周、吉村萬壱、中原昌也、二階堂奥歯、東浩紀、大澤信亮、雨宮処凛、赤木智弘、舞城王太郎、佐藤友哉、滝本竜彦、宇野常寛、伊藤計劃、西村賢太、古澤克大、橋下徹など

セット5 ジャパニメーションにおける『キン肉マン』のルーツとフォロワー

カムイ伝、スーパーマン、バッドマン、ウルトラマン仮面ライダー鉄腕アトムデビルマン、アシュラ、風の谷のナウシカガラスの仮面エースをねらえ!機動戦士ガンダム聖戦士ダンバイン、夢戦士ウィングマンキャプテン翼聖闘士星矢、北斗の拳、魁!男塾、ジョジョの奇妙な冒険、ドラゴン・ボール、幽々白書、新世紀エヴァンゲリオンワンピース、すごいよ!マサルさんとっても!ラッキーマンデスノート、ぼくらの、魔法少女まどか☆マギカよいこの黙示録など

 第4コース 芸能やスポーツなど身体表現におけるマッチョの歴史

セット1 昔の映画には飲酒喫煙シーンが多かった:洋画、邦画、Vシネマ、テレビ
セット2 肉体改造を施すモダン・プリミティブのマッチョ:ピアスやタトゥーやスプリット・タンなど
セット3 アダルトビデオや体当たり演技やリアクション芸人のマッチョ

アラン・バンクス、シルベスタ・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガー、ブルース・リートレイシー・ローズ、マドンナ、デミ・ムーアジャッキー・チェンショー・コスギパリス・ヒルトンブリトニー・スピアーズペ・ヨンジュンパク・ヨンハ、黒澤明、村西とおる、代々木忠、清水大敬、チョコボール向井花岡じったテリー伊藤、高須基仁、バクシーシ山下高橋がなり、TOHJIRO、長門裕之、加山雄三、田中邦衛、梅宮辰夫、原田芳雄、松田優作、横山やすし、萩本欽一、北野たけし、島田紳助、田代まさしダウンタウンケイン・コスギ、中山きんにくん、レイザーラモン、宮沢りえ、田中実、本木雅弘、阿部寛、飯島愛、森下くるみ、峰なゆか等

セット4 音楽におけるマッチョ

ベートーベンモーツァルトチャーリー・パーカーコルトレーンジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンローリング・ストーンズレッド・ツェッペリン、ジム・モリソン、シド・ヴィシャスマイケル・ジャクソン、メタリカ、ナパームデス、カート・コバーン、メイヘム、レディ・ガガ、北島三郎、内田裕也、矢沢永吉、遠藤ミチロウ田口トモロヲ、桑田佳祐、チェッカーズ、アリ・プロジェクト、TMN、尾崎豊、岡村靖幸、ユニコーン、B’z、Zeebra、浜崎あゆみ、椎名林檎、ゆず、在日ファンク、THE BAWDIES神聖かまってちゃん、Andy mori、髭など

セット5 スポーツやアイドルにおけるマッチョ

ベーブ・ルースエルビス・プレスリージェームス・ディーンマリリン・モンロー、力道山、ブルーザー・ブロディアブドーラ・ザ・ブッチャーハルク・ホーガン、円谷幸吉、長嶋茂雄、リヴァー・フェニックスマイク・タイソンアントニオ猪木、大仁田厚、朝青龍、伊良部秀輝マイク・ベルナルドピンクレディー、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎、松田聖子、中森明菜、少年隊、岡田有希子、酒井法子、光GENJI、SMAP、嵐、小向美奈子、仲村みう、AKB48など

 第5コース 現代日本社会に蔓延するマッチョ病

セット1 マッチョ・サイエンティストによる原発事故
セット2 ワーキングプアを生み出すマッチョの構造
セット3 マッチョ病による自殺者の増加を食い止めよう
セット4 マッド・マッチョからナード・マッチョへの転換
セット5 負の連鎖は団塊ジュニア世代で断ち切るべし!

 エピローグ 団塊ジュニアジュニアであるジセダイの君たちが生き抜くために!

書き出しの第1章(草稿:誤字脱字等は随時修正予定)

    ――有史以来の全人類に捧ぐ

  1-1:「マッチョ病」とは何か?

オイルショックの影響もあって発生した第2次ベビーブームは、戦後の第1次ベビーブームで産まれた団塊ジュニア世代と言われることもあるが、僕は1973年産まれで現在38歳。社会学者・三浦展によれば僕の世代は「偽団塊ジュニア」とのことで、母親はその世代にしても8歳年上の父親は戦前生まれで、2ちゃんねる元管理人ひろゆきなどIT系企業の社長や様々な分野でクリエイターを多く輩出した、いわゆる「ナナロク世代」より3歳上なので、PCや家電など大きな買い物をしがちな大学入学による新生活と、IT革命のスタート時期がズレていたせいもあって、残念ながらITバブルに乗り損ね、早期参入によるビッグ・チャンスは逃した。

三浦は「ナナロク世代より少し上の世代は使えない」と言っていて、それには流石に腹が立った。しかしもちろん僕より1歳上のホリエモンのように年齢に関係なく成功した例も数多くあるはずだが、その象徴たる彼が今や塀の中という体たらくで、やはり世渡り上手ではないことは確かである。イチローみたいな大スタアは出してきたものの、それはどの世代にも何人かいて当然なので、ベビーブームのピークだから人口も多い割に成功者は少ない印象は確かにあり、三浦の指摘の正当性を分からなくもない。

とはいえ昭和バブルの恩恵をギリギリ受け損ねて社会に放り出され氷河期世代でもあるから、それは全て自己責任によるものではなく、環境に恵まれなかったから仕方ないことのようにも思えて。それを下から観察していた「ナナロク世代」は僕らを反面教師にすることで成功していると考えることもできる。そうでなければ生き恥を晒しながら、もうこれ以上は生きてゆけなくなる。

かつて僕は体を鍛えていたけれど、10年ほど前からデスクワークが中心になってしまったこともあり、弱者に無理難題を強要するマッチョな思想は嫌いだ。ところがマッチョなイメージの強い「太陽族」や「キン肉マン」は好きで、それぞれ団塊と団塊ジュニアをつなぐ、家父長制や男尊女卑など多くの難点を持った、不治の病である遺伝病としての「マッチョ病」に冒されている。

団塊ジュニアはワープア的な貧困により、団塊ジュニアは「さとり世代」特有の諦めによって、全体的に晩婚化・少子化に拍車をかけていて、その影響もあって10年後に遅れて社会に出てくる「団塊ジュニアジュニア世代」のためにも「嫌な奴なのに何故か気になるアンチクショー的なヒーロー」もしくは「自己中心的で自分のことしか考えないスノビズムによって、大きな権力を得て弱者の反発をねじ伏せるエネミー」として力づくで僕らの歴史を塗り替えてきた、そんな大きな影響力を持つ「マッチョ病の功罪」について、様々な分野における実例を交えつつ、この先どのように付き合っていくべきか、自分なりの見解を説明していきたい。

  ※

僕はマンガ専門古書店「まんだらけ」で社員候補として3カ月だけ働いていて、好きな仕事だし給与も良かったのだけれど残業の多さがキツくて、ストレス耐性のなさから社員契約をする前日に辞めてしまった。けれどもその時点で既に東京都内にある全店舗の業務を行っていて。社員は全て把握している必要があるかららしいのだけれど、その経験は非常に勉強になったので「まんだらけ」には今でも感謝していたりする。僕の体力気力さえ続けば良い職場だったと思う。

それにしてもオタク向け商品を売るオタク系の従業員が、あんなにハードワーカーだとは思っていなかった。それは「オタク=ひきこもりニート」みたいな思い込みがあって、実はコミケなどオタク向けイベントに奔走するオタクは、マッチョじゃないとできない趣味だったりもすることに気付かなかったのは、自分自身がマッチョな思想に毒されていたからで、でもそれと同時に弱い人間だったからこそ、今はその思いこみを反省しているのである。

まんだらけ」古川益蔵社長はテレビ東京なんでも鑑定団』に出演していたこともある有名人で、余暇にはトライアスロン競技に参加するほどマッチョな人だけれど、本来は漫画雑誌『ガロ』に寄稿する漫画家だった。『ガロ』の読者層はアングラを好むナイーブさを持っていたりして、古川社長の作風にもそんな雰囲気はあった。けれども一方でマッチョだったりしていて、どうやらマッチョさを売りにする人ほどココロは弱かったりする実例にも思える。

同じく『ガロ』出身の漫画家・福満しげゆきの作風は好きだが、どうしても同意できない彼の思想がある。彼はエッセイ集も出していて、そこに「うつ病のふりをして生活保護を受けてる奴らがいる」とか書いてるんだけど、そんなこと簡単にできるとは思えなくて。

評論家・斉藤環さんの本業は精神科医で「これまでに1万人以上の患者を診てきた僕くらいの経験者になると、普通に町を歩いていて遭遇する人々の表情や言動を観察するだけでも何となく病名が分かる。明確に何の病気かは時間をかけて診察しないと分からないけれど、少なくとも病んでいるかどうかは顔を見ただけで分かる」と言っている。

福満さんのいうような人が本当にいるんだとしたら、それはおそらくヤブ医者が診断書を福祉事務所に見せて保護申請が通ったのか、そうでなければ彼らが医者を騙せるほど完璧に病人になりきれる演技力を持っていたかだろう。前者なら医者として恥ずべき行為なので医師免許を剥奪すべきだし、後者なら彼らには役者の才能があるってことだ。

そもそも福満さんの作品を僕が好きなのは、うつうつとしているところで。それは初期の作風で最近は割と能天気なほのぼのエッセイ漫画に近寄りつつあるけれど、でもやっぱり病的なグチっぽさで妻や編集者やライバル作家を貶めてみせたりし続けているのは、福満さん自身が病んでいるからだと思う。

今は奥さんがケアしてくれているところもあるから何とか出来ているにせよ、奥さんも心を病んでいた時期があるから同病相哀れむ状態で、そこに子育ての負担がのしかかってきたことにより、妻に頼れないというよりか助けなくちゃいけないから、そのストレスから「うつ」を発病することになってもおかしくはない。

もちろん医者でもない僕はそんなことを言える立場ではないが、自分自身が「うつ」を患ってしまった今なら「同じ匂いがする」と断言できる。そしてそれは今に始まったことではなく、もともと福満さんの漫画に宿っていた気質でもあり、僕も同系統の病根を持っていたから彼の作風に魅かれたんだと思う。だからもし君が心を病んでいる感じの作家のファンならば、君自身の心にも危険な爆弾は隠されているはずだ。

病院にいくべきかどうかは耐えられているかどうかという程度の問題だが、できれば早い段階で診てもらったほうがいい。突然発作を起こして死んでしまったりする前に、今すぐに! 福満さんは柔道の黒帯を持っているほどマッチョだから認めたくないかもしれないけれど、心を病んでいた奥さんとやってこれたのは、その「同じ匂い」を感じていたからと思えてならない。

  ※

芥川賞も受賞したデビュー作『太陽の季節』にて、奔放な若者を暴力的に描くマッチョさが賛否両論を呼んでいた小説家の石原慎太郎が国会議員や東京都知事になったのは、ベトナム戦争を取材したことに起因する。凄惨な地獄絵図を目の当たりにして、作家として文章を書いているだけでは世の中の役に立てない、自らの知名度を利用して政治家にならなければ何も変えられないと思ったのだ。そこには作家の先輩として慕っていた三島由紀夫の自決も関係していると思うが、三島も石原も病んでいたように見える。

石原は可能な限りグロテスクな人間の闇をダイレクトに描写したせいもあって、実弟・石原裕次郎の初出演映画『太陽の季節』には内容が過激すぎるとして観客に年齢制限が課せられることとなり、それが現在の映倫発足のきっかけになっているというのだから、大したマッチョぶりだ。和歌における益荒男ぶりに通じるところもあって、小林秀雄以来の書き手と目されることもある文芸評論家の江藤淳が彼の文学性を評価したことにより、更に日本のマッチョ病は悪化することとなった。

しかしそれは彼が政治家として手腕を発揮するまではあくまでフィクションの世界だったからで、近年になって彼が「青少年健全育成条例」の名のもとに漫画表現を規制しようとしているのは、単なる八つ当たりにも思えるほど自己中心的だ。しかし若き彼が世間から叩かれながらも、多くの「太陽族」と呼ばれるフォロワーに恵まれて人気作家となったことから、また自分のようなスタアを見出しすつもりなのだろう。

そもそも石原は若い頃に『スパルタ教育』なる著書も持っていたくらいで、古代ローマのスパルタのように暴力的に接しなければ子供の教育は出来ず、治安も悪くなると考えてきた。それが漫画を敵にまわすことにも繋がり、別に文学より売れているから嫉妬しているだなんてことは、彼のステータスからすれば考えにくい。とにかくマッチョであることによって彼は、作家としても政治家としても盤石の地位を手に入れたのであり、マッチョ教の信者は多いということだ。

今ここでマッチョ病ならぬマッチョ教と言い換えたのは、狂信者と病人の区別は難しいと思うからである。証明できない物語を真実として語る狂信者と妄想狂にどれほどの違いがあるだろうか。とはいえそれが実際に効果を発揮できているなら証明できることになるが、それは宗教活動や布教によって身に付くタフさや営業力などのスキルが企業にも通じるものだからであり、むしろ宗教団体と企業の間に大きな違いがあるとは思えない。法華経を学ぶ仏教徒であることを著書でも明かしている石原は、荒修行を断行したブッダに自らを重ねることによって更にマッチョに磨きをかけてきた。

三島はそれを自己解決できるものと思い込んでいたのに加えて口が上手いものだから、自ら興した政治結社「楯の会」メンバーを説き伏せ、自らの命を捨てることで日本を救えると信じてしまっていた。もちろんその事件の衝撃が多くの日本人に及ぼした影響は絶大であり、良いか悪いかは別として日本を変えることには繋がっただろう。同様に石原が都知事を長きに渡り務めてきたことによって日本の首都機能も激変した。これも良いか悪いは分からないが、とにかく彼らに共通するマッチョさの功罪は数え切れないほどある。

  ※

文芸評論家の福田和也が、有名作家の代表作だけを読むことで作家に点数をつける前代未聞のコンセプトが波紋を呼んだ評論本『作家の値打ち』にて「90点以上の世界文学レベル」として挙げた作品は少なくて、そのうち1冊が石原慎太郎『わが人生の時の時』だったのは、福田の師匠・江藤淳が石原の暴力性を肯定したスタンスを継承したからだろう。

他に村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』や高橋源一郎さようなら、ギャングたち』も90点以上だった。村上が世界に名だたる作家であることはノーベル賞候補になるほどの近年の活躍ぶりからも明らかだが、福田が高評価をするまでは日本の売れっ子作家として認知されてはいたものの、まさかノーベル賞候補にまでいけると信じていた人は今ほど多くなかっただろう。日本でノーベル文学賞を受賞した作家は、川端康成と大江健三郎の二人だけである。三島や安部公房も可能性はあったようだが、それぞれ川端や大江と活動時期が重なっていたせいもあって候補にまでは至らなかった。

高橋もそれと同様に春樹の陰に隠れていしまっているけれど、やはり世界に通用する作家であることは、アメリカで『さようなら、ギャングたち』が売れていることからも間違いない。それに春樹同様、英語が得意で翻訳も手がけてきたから、海外文学の教養が作風に反映されていて、決してローカルでしか売れない書き手ではない。

高橋は灘高時代に大学卒論なみに緻密な論文を書くほど文才に長けていたが、学生運動への入れ込みようが昂じて横浜国立大学を除籍された。その後は建築現場や工場で肉体労働をしながら、読書と小説修行に励んでいたが、20代の頃は妻子もいて思うように書くことができなかった。けれども必死の思いでようやく書いた小説が最終選考にまでいったが落選してしまった。編集者から「次作に期待する」と言われたものの、働きながら書けるのは限界と感じて、とにかく時間を作るため借金をしまくって生活しながら仕事を辞めて執筆に専念した。

借金を返す宛もないから「これでダメなら死ぬしかない」ところまで追いつめられながら、締切日に郵便局の近くにある喫茶店でギリギリ書きあげたデビュー作『さようなら、ギャングたち』に出てくるSB(中島みゆきソングブック)なる主人公のパートナーが作中で漏らしていた「最低って、最低ってことなのね」の境地は、つまり作者自身の「これ以下はない」という心境を投影していたように思われる。

それはマッチョというよりココロの病気に近い精神状態と言うか、マッチョそれ自体の病状かもしれない。今こうしてココロを病んでしまった元・マッチョの僕はSBのセリフを「だから今後は最低を維持し続けるか、もしくは上昇するしかないはずだ」と肯定的に受け止めることによって、僕自身の境遇を力に変えてゆきたい。

  ※

僕の参加する文芸空間社の批評誌『新文学04』のテーマは「現代文化のセクシュアリティ」で、もうひとつ「原発事故のアクション」なるお題もあったけどそっちは声もかかってなくてノータッチ。とにかく「現代文化のセクシュアリティ」の人手が不足していたので、400字レビュー77本と6,500字コラムを2本なんとか書いたものの、大震災はもちろん身内や友人の急死などもあって精神的に不安定で、そんな中エロについて考え続けていたものだからインポになってしまった。

最初のうちは余震が怖くてキンタマ縮むみたいな感じだったから、揺れの目立たない時には役立つ時もあったけど、震災から4か月して大余震の緊張感が解れると同時に、心身ともに莫大な疲労感に襲われて、友人の亡くなった8月12日の1か月前くらい前から僕の様子も変で診療を薦められていた。

そんな状況の中で亡くなった友人の死因は警察見解では事故扱いだったけど、生前に書かかれた小説には自殺願望の強さが見てとれていたこともあり、自殺の可能性も否定できないが遺書もないため、僕は事故と受け止めておきたい。それに自殺だった場合に、彼を追い詰めたのは誰かという犯人捜しみたいな感じで争い合うことになるのにも耐えられない心境で。

友人も震災後の僕の不調に近い感じだったのかもしれない。彼が死ぬ前から容体は悪かったけど、彼の死によって悪化したようなところもあって、でも友人を責めたくはないから8月9月は割と気丈に振る舞っていたけれど、10月に寒くなり始めた辺りから虚無感が半端なくなって、ようやく心療内科を受診してみたら「うつ」との診断を受けて投薬治療を施されることとなった。

「うつ状態」それ自体は嫌なことがあれば誰だって陥るけれど、それが長引くと「うつ病」になる。僕の症状の重さは闘病2ヶ月目の段階では分からないそうだが、変調の自覚からずいぶん時間が経っているので、長くかかる可能性もあるとのこと。とにかく心身ともに負担になることは避けて休養するよう言われている。

だから本当はこうして文章を書いているのも良くないけれど、ストレス発散も兼ねているので調子の良い時は書くように心がけている。気力の出ない時は普段通りの生活すらマトモに送れなくなっているので、文章を書くどころではなく、書ける時に書いておかないと今後ずっと書けなくなりそうで辛いのだ。焦燥感も病状のひとつだから、やっぱり良くなっていないようだが、それでも書く気力が回復してはいるから、アップダウンを繰り返しつつも正常に近付きつつあるようだ。

死んだ友人は肉体労働をしていてマッチョな所があり、だからこそココロを病んで仕事が出来ない位なら死んだ方がマシと考えていた節が、彼の遺した小説の主人公の内面描写にも投影されていた。そういう面は僕も強くて、何かと「死」について語りたがる傾向があり、それは僕が一時期マッチョだった残滓だろう。今は心身ともに疲弊しきって「ナードな草食系男子」という感じだけれど、これまた躁うつ的な病状に近い所があり、もともとココロの弱さを持っていたのだ。

肉体労働者が自暴自棄な不節制に陥るケースは世間に数多くあって、彼らはヘビースモーカーの酒豪だったりするけれど、その影響で身体は蝕まれていてポックリ逝ってしまう例も少なくない。アル中の大工さんが酒を飲まないと仕事できないなんてエピソードが、ネットやケータイ電話の普及していなかった80年代ごろを舞台設定にしていたと思われる韓国ドラマ冬のソナタ』に出てくるけれど、あれは現代の日本でも全く変わらなくて、僕がバイトで派遣された建築現場には酒を飲みながら仕事する職人も珍しくなかった。

とはいえ流石に鳶職など命にかかわる職務の場合は酒なんて飲んでいたら転落死してしまうので、大地の上でカンナをかけるみたいな業種の人に限られてはいたようだ。刃物を使っているから危険には違いないけれど、飲んでないと手元が震えて逆に危ないというのだから仕方ない。これもまた酒に溺れることでココロの弱さから逃れようとするマッチョの一例である。しかし僕の主治医いわく「飲酒はクスリとの飲み合わせ以前の問題として、うつを悪化させるから禁止」とのことで、アル中は良くない。

作家などデスクワーカーにもアル中気味の人は多いけれど、それは筋肉こそ使わないとはいえ頭を使いすぎてオーバーワークだったりしていて、そのストレスから酒に助けを求めているのだろう。福田和也とか毎日あおってるみたいだけど、朝のワイドショウのゲストではスッキリした表情で、もともとタフなのかな。そこは石原慎太郎を好きだったりする彼のマッチョな思想ともリンクしている。彼の右翼的エッセイは「お国のために死ぬべきだ!」とか言っていて、やっぱりどこか病んでいる。

  ※

どちらというと僕は非モテではなくモテ期も何度かあったけれど、非モテ期もあったからリア充と言われても困惑する。だいたい二十歳の学生などにアラフォーの僕がリア充と言われても、生きてきた長さが違うから話が噛み合わない。同年齢で彼女いない歴=年齢だったりするのは可哀想だけど、それも本当にモテないのか理想が細かすぎて女性からのアプローチに鈍感だっただけかもしれない。僕から見るとイケメンに思えるのに非モテな人も多くて、絶対それは誰か彼女になってくれる人がいたと思う。

しかし中学の頃には文部両道の硬派路線を目指していて、学校の休憩時間は読書して放課後はサッカー部の練習で、家に帰るとテレビゲームで遊んで。自習をしていなかったけれど授業は真剣に受けていたから、成績は上位1割くらいには良かった。途中でサボりすごて3割くらいにまで落ち込んで評定平均が足りず、当初かんがえていた進学校への受験資格は得られなかった。そのリアル厨房時代に同級生の女子から「お嫁にして下さいませんか?」という珍妙な願い事をされたことがあり、ふざけているとしか思えなかったので「断る」と返したら、どうやらそれが本気で練り上げた告白の台詞だったのか「女に興味を持たない工藤はホモ野郎だ」なんて噂が学校中に出回ってしまった。

実際に男とばかりつるんでいたし、好きなゲーム『スーパーマリオ』の主人公は見ようによってはロックバンド「クイーン」のヴォーカルだったフレディ・マーキュリーみたいなヒゲを蓄えていて、それを女子と交際するより優先していたんだから、フレディがゲイだったのとオーヴァラップさせられていも仕方ない。なんていうのは考えすぎだし勘違いもあるかもしれないが、体育の時間にロッカーに入れていた僕の学ランが盗まれて10日後くらいに帰ってきた事件もあって、あれはイジメなのか偏愛なのか分からないけれど意図が不明すぎて怖かった。

だけど女を避けていたバンカラ路線それ自体からして、三島由紀夫のようなホモソーシャルに近い所はあって。そしてその発端が『週刊少年ジャンプ』で日本全国の男児をとりこにした漫画『キン肉マン』にあるかもしれないのだ。『キン肉マン』の作者である漫画家コンビ・ゆでたまごの二人は大のプロレスファンで、それが作風にも甚大な影響を及ぼしている。

主人公「キン肉マン」は豚のような鼻をしていて、大好物の牛丼を食べては寝てばかりいて名前の割に体型もメタボだったりしていた。けれども連載前の段階でデビュー作として描かれた原点の短編では、ウルトラマン一族の落ちこぼれという設定で、だからウルトラマンみたいな武器が頭上についている。

特撮ドラマ『ウルトラマン』シリーズのヒーローは地球を護る宇宙人という設定で、それを踏襲した『キン肉マン』の基本設定は著作権などの問題もあって『ウルトラマン』から切り離されたものの、やはり地球防衛の任務を果たす宇宙人としての超人のひとりが「キン肉マン」だった。彼の任されている地区は日本で、親友のテリーマンは米国。主な任務は地球で悪さを働く超人をこらしめたり人間を助けたりすることなんだけど、超人同士が闘うプロレスを見世物にすることで生活費を賄ったりもしていた。

同時期に連載されていた『キャプテン翼』や『聖闘士☆星矢』は、男同士がセックスする漫画を読み描きする「ボーイズ・ラヴ」の好きな「腐女子」の出す同人誌も多かったのに対し、何故か『キン肉マン』だけパラレルワールドオリジナル超人と闘う男性向けのものくらいで、女性読者による二次創作は目立たなかった。

ただしキン肉マンのお目付け役ミート君にはショタコン的な魅力があって、そこに劣情を抱く女性読者はいたそうである。あとはせいぜいプロレス好きの女性くらいなもので、多くの女性は『キン肉マン』に興味を持っていないように思われる。周囲に訊いてみると「マッチョすぎてヤダ」とか言ったりなんかしていて、確かに翼や星矢はガリマッチョな感じで線の細さが受けていたのに対し、キン肉マン超人の殆どはガチムチである。

更に連載時期の重なる『ジョジョの奇妙な冒険』や『北斗の拳』もマッチョだけれど、それらの場合は絵柄が繊細なので少女漫画に近い美意識が感じられることから、女性人気も高い。しかし『キン肉マン』はいかにも男の子が好きそうな荒削りの画風であり、ジョジョやケンシロウの特技が魔法みたいな感じで簡略化されているのに対して、キン肉マンはプロレスが元になっているからマッチョ同士の筋肉が複雑に絡み合う体位みたいな形で描かれており、それはセックスを連想させるにしても「ボーイズ・ラヴ」よりかは「サムソン」に近い。そこが男性に支持されるのは、恋愛対象はノンケだけど精神的にはホモ傾向のある「男の世界」を代表するものである。

かつて『男だけの世界』なる短編集を出したりしていた小説家アーネスト・ヘミングウェイはアメリカの文豪として今でもファンが多いけれど、やっぱりホモっぽくて。「タフガイ」に憧れるってことは自分がそうなりたいという事であると共に、タフガイに抱かれたいという意識ともスレスレで。詩的な書きぶりから稀代の奇書とも目されがちなフランスの思想書、ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』から引用してみると、それは家父長制の社会において愛すべき父を乗り越えなくてはいけない男の宿命としてドイツの精神科医ジグムント・フロイトの編み出した「オイディプス・コンプレックス」を批判する試みだった。それについては後ほど考察していきたい。

  ※

哲学者から小説家に転向した自称「思想家見習い」の東浩紀は、良く宴会を開き酒は好きそうだが煙草は吸わない。周囲も同様である。それはオタクとヤンキーの違いというわけではなく、先だって亡くなったアニメ監督・今敏は「カフェインとニコチンとアルコールで生きている」と公言していたから、所属クラスタの問題ではない。

僕も二十歳の頃から酒と煙草を毎日のように続けてきたが、それは小説や映画などで小道具として出てきていた影響もあるだろう。どちらも体に悪いからマッチョな人でなければ耐えられない。ストレス解消になる一方で体をむしばんでいく。その時点ですでに自殺願望があると考えていいだろう。何よりそれはバタイユが言っていた「小さな死としてのエクスタシー」に近いもので、限られた肉体を離れ世界の全体性と繋がるためのルーティーン自殺未遂である。

芥川や太宰や三島などの文豪も酒やタバコに依存していて、太宰は覚醒剤にも手を出した。ボディビルをやっていた三島は文字通り重度のマッチョ病患者であり、その結果みんな自ら命を絶った。この「命を断つ」という言葉は「絶望」同様に、浮世との絆を断ち切る行動である。しかしそれは、作家にとって自らの言葉を永遠にするためのツールでもあった。

実際に彼らは死ぬ事によって伝説の文豪として今も生きている。だからどうしてもそんな生き方に憧れてしまう傾向が出てくるけれど、周りの仲間が若い身空で次々に死んでいくのを見ていて、それが目指すべき目標であってはならないと、痛切に実感している。最近の若者は酒も煙草もやらない。そのことは「マッチョ病」が間違いだったと証明しているのだ。

マッチョが高じてうつ病患者になってしまった今の僕には、そんな若者たちのナードさがむしろマッチョを凌駕する力に思える。そして僕もまた投薬治療の影響もあって3週間ほど前から酒を立つことが出来ている。煙草はまだ続いているけれど、最後に高い葉巻を試してみたりしていて、この原稿を応募したら煙草も辞める予定だ。

そうなれば本当に子供のように軽やかな肉体を得て、本当の意味で正しいマッチョになれるだろう。そうしなければ近い将来に僕も仲間や文豪たちの後を追うしかないので、何としても健康を取り戻したいのだ。基本的にこれは自分のために書いているけれど、似たような環境にある仲間を救う為に書いている。どうか長生きしてほしい。

早く死んで伝説になるのは天才だけだ。僕らは普通に長く生きて、天才の伝説を語ればいいだけ。それは戦争を語る時のように、同じ誤ちを繰り返さないための寓話である。殺人はマッチョの最たるものだが、殺意が自分に向けばマッチョな自殺に追い込まれる。ただし戦死者は君主や国民のために死んだから、良いマッチョと考えることもできる。

戦争のない日本でも自ら志願して原発事故現場で作業する者も同じだ。それをできない人間に原発問題を語る資格なんてないと思いながら何も出来なかった僕は、既に心身ともに病人だから実際はマッチョではないのに、思想的にマッチョ病に冒されていた。だから何も出来ないのに生きていていいのかと悩んだりする。

そこで自殺するくらいなら原発作業員として死ぬ方が世のために思えるが、それこそまさにマッチョ病の症例なのだ。自分だけで抱えている分にはまだしも、他人にまで死ぬことを強要する段に至っては、殺人者と何も変わらない。前述の福田和也は戦死に憧れていたけれど、それが出来ない代わりに酒に溺れている。それでも書き続けるマッチョさは大したものだが、やはり酒の飲み過ぎは体に悪いので、深酒という自殺未遂を繰り返すことで生きている。

普通の僕らは死ぬためにこそ生きねばならないのである。そしてそれは良いマッチョだ。原発事故はマッドサイエンティストというよりマッチョサイエンティストによる集団無理心中であり、悪いマッド・マッチョと正しいナード・マッチョがいる。

三島由紀夫スパーリング相手だった石原都知事が三島の怨霊につかれているからには日本全体が祟られている。それを祓うには芥川賞の選考委員長も務めてきた都知事を代表とするマッチョな石原軍団の病気を直さねばならぬ。もちろん被災地で炊き出しをした彼らは正しいマッチョだけれど、今や禁煙治療のテレビCMにも出演している。時代は変わったのだ。

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僕らはマッチョ病を克服し、正義超人にならねばならない。『キン肉マン』や『北斗の拳』は同時期に週刊少年ジャンプで連載されていたが、前者は男子のファンが多く、後者は女性ファンも多い。そこには複雑なジェンダー的問題をも孕んだマッチョ病の危険さが関係している。だからこそこの本では「太陽族」と「キン肉マン」を中心として、あらゆる分野に置いてのマッチョの功罪を検証していきたい。

仕事や勉強について考えてみると、金を貰う仕事や勉強そして金を払う仕事や勉強がある。金を稼ぐのが仕事だからといって、倒産した会社の社長が仕事をしていなかったわけではない。お金持ちのニートが金を使いまくるのも仕事みたいなもので、その経験は勉強になる。倒産やニートも含め、金銭を動かすことが仕事である。これは金銭とは何かという問題に繋がる。

金属はマッチョな物質であり、硬貨は金属で作られている。紙幣はやわらかいナードだが硬貨より価値を持つ。書籍もそうだ。デジタル機器は金属。その関係を考えるためにもマッチョ病は重大な課題である。ブルーカラーの肉体労働ばかりがマッチョなわけではなく、ホワイトカラーの事務仕事の方が心を痛めやすい場合だってあり、もちろんこの文章もそういうマッチョ願望に支えられながら書かれている。

「2日寝ていない」とか言うと地獄のミサワの漫画に出てくる、パーツの全てが真ん中によった変な顔のくせにマッチョを気取るウザイ先輩のように嘲笑されてしまうが、そういうウザイ系マッチョを笑い飛ばせるのもクール系マッチョだからに過ぎない。男の美学としてのタフガイ的ダンディズムと、それをバカにする賢者的ニヒリズムの差でしかない。

だからマッチョを捨てることは難しいけれど、悪いマッチョは駆逐しなくてはいけない。ニーチェの超人とキン肉マンの超人は、そういう意味において同じものである。

   1-2:編集者さまへの伝言

最初から話題が広範囲に渡っていて、これは第1章の体を為していないかもしれませんが、出版できることになったら、これらのエッセンスを解体して各章に散りばめながら、いい本を作りたいです。賞に応募したい気持ちはあって早くから構想も練っていたんですが、今年の6月になって同人誌『新文学04』への寄稿依頼が来て、12月上旬までそれにかかりきりだったせいもあり、なかなか着手できず、いやしかし年齢的にラストチャンスかもしれない、こんなにミラクルなタイミングは偶然とは思えなくて、それで何とか応募してみたわけです。

ちなみに「ライトテロル系批評誌」と喧伝される文芸結社「文芸空間社」主催・松平耕一の『新文学04』は「東浩紀のゼロアカ道場文学フリマ決戦に参戦した各チームの中で、最もページ数の多い続刊を作り続けてきた点において、頑張っていると思います。いかんせん売れ行きは厳しいですが、道場破りチームにも関わらずゼロアカ道場で500部を捌いたプライドもあって、それが全て道場主の知名度に依存したものと考えてしまっては、いつまでも敗残者のままになってしまいます。

そういう気持ちもあって主催の松平は、その後も金策の厳しい中、各号500部を作り続けてきました。彼の営業力によって完売させられるところまでは行っていませんが、同じくゼロアカ道場を脱落した文芸評論家の藤田直哉さんや、ゼロアカ組以外にも海老原豊さんなど多くの著名人に寄稿あるいは座談会という形で参加してもらっていて、なかなかどうして高度な同人誌になっています。

そしてその傾向は号を重ねるごとに進化していて、そこに最も多く文章を書いてきたことも考慮してもらえたらと思っておりますので、もしご興味あれば献本いたします。過去にどの程度の文章を書いていたか知っていただきたいのはもちろん、この本の企画もそれらの考察を経て煮詰めてきたようなところがあるからです。

そして忘れちゃいけない今年の文学的事件として『新文学02』に「記憶の困難について」を寄せるなどしてきた渡邊利道が、12月に早川書房「S-Fマガジン」主催「第7回日本SF評論賞」にて優秀賞を受賞したことがあります。渡邊は主催・松平との意見の相違から最新号には参加しておりませんが、そういう経緯もあって前号にて揉めたりした都合から声のかからなかった僕が代わりに書くことになったようです。仕方なく依頼されたのだとすれば、それは僕のプライドも傷付きますから、せめてものカウンターとして最も多く書いて目立ってやろうと考えた次第であります。

これもマッチョすぎますが、こちとら病人なものでどうしても被害妄想に囚われがちで、しかしそれをバネにして想像力を更新していけるならば病を力に変換できるわけで、過去にもそういう先人は沢山いましたから、ある意味これは作家の本が売れるための王道パターンといえるでしょう。

それともうひとつ、2010年の冬から1年かけて書いてきた「終りの会」に寄稿予定の原稿も、主催者の永田希から絶賛してもらっています。「終りの会」は『思想地図β』にも引用されていて、そこから継承された問題点も含まれています。こちらも骨太な雑誌ということではご参照していただけると嬉しいですが、来年5月の文学フリマからの販売になりそうです。

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本文中にも書きました通り、心身ともに病んでいる状態で書けるのか心配かと思います。しかし6月の時点で既に大震災や原発事故の影響もあって疲弊していて、7月には心の変調を感じていました。更に8月には「2ちゃんねる創作文芸板」を通じて一緒に小説家を目指してきた仲間の一人で、藤田直哉も肩入れするほど文才に長けた罧原堤(フシハラ・ツツミ)の自殺も疑われる転落死に追い打ちをかけられ、どうにも様子がおかしいことから周囲に心療内科をすすめられていまして。

10月から投薬治療でダウナーとアッパーを繰り返しながらも、400字レビュー77本とコラム2本13,000字の合計100枚ほどの評論を書く事が出来ましたから、病状が安定しつつある今なら書けるというよりも、むしろ今の僕にしか書けないものを作れる自信があります。そしてそれは他の誰にも書けないものだからこそ、既存の本に救われず死ぬ寸前の読者を救えるニーズもあると確信しています。これもやはりマッチョ的な発想ですが、人助けになるマッチョは良いマッチョなので、文字通り必死で書いて死ぬつもりは一切なく、生きるために書かなくてはならないし読まれるべきものです。

宗教がかってみえるのは僕の生育環境にも関係していて、両親は熱心な仏教徒でしたから、僕も幼少の頃より宗教活動に励んできました。しかし仏教の原点たるブッダの思想には助けられてきたものの、それこそマッチョな一宗派の手法には納得できない面も多く、その都合もあって宗教系サークルに所属していた大学を辞め、親とも距離を置きながら生きてきました。

宗教が心の支えになるのは事実ですが、それもやはり人それぞれ効果が違うわけで、勉強や仕事をしながら時間を割いて活動する中で、本当に救いになっているのか疑問に思う人も少なくないわけです。僕もアルバイトをしながら大学に通っていて、いちおう仕送りもありましたが生活費の多くは自分で稼いでいたりして、それに加えて交通費や電話代を浪費しながら宗教活動をするのは非常に苦痛でした。

思想家・岸田秀のゼミで学んだフロイトの精神分析などを援用しつつ、アルコール中毒など親の身勝手な嗜好から機能不全に陥った家庭で育ったために、いつまでも子供時代の心の闇を抱えながら生き辛さを持ち続ける「アダルト・チルドレン」を題材にした卒論のレジュメを書き、それでゼミの単位は取得したもの卒論は脱稿できぬまま、大学を去りました。

宗教の効果が実感できなかったこともあり、ゼミで宗教批判をしつつ放課後に宗教活動を続けるのは、生活苦以前に不安定な生き方でした。しかし実家で母が父の耳かきをしていたところ、幼かった僕がふざけてソファーの上から父に飛びかかったせいで鼓膜が破れ、父の左耳は聴こえなくなってしまい、そのことがずっと尾を引いていて、そんな僕を育ててくれた両親への懺悔の気持ちもあって自ら宗教を捨てることはできなかったのです。

その結果どうしても幸福感を得られなかったことから今は離れていますが、宗教問題は大震災後に、僕の恩師・岸田秀の影響をかつて受けたという内田樹も「祈り」や「鎮魂」など宗教的発想を用いて乗り越えようと言っており、そういう論旨のことを言う文化人は少なくありません。ところがそれは宗派の教義に囚われない「名無しの宗教」であり、それは一体なんなのか考えてみたいと思っていて、このマッチョ論には宗教の話題も多く含まれることになるでしょう。

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さらに石原都知事や民主党など政治についても言及していきます。ニュースサイトリアルライブ」の外部記者として最初に書いた記事が「菅総理への批判」を交えたものでしたが、それはまだ大震災前年の8月でしたから、地震や事故が起こってから急に騒ぎ出したわけではありません。

そういう点においては先見の明があったと思いますが、しかし4月に書いた最後の記事では「先祖供養の意味を持つ花見を中止させる石原都知事を批判する」内容のものだったにも関わらず再選を果たしましたので難しいところではありますが、そこにも宗教的マッチョの力が働いていて、どうしても何か言いたくなるのです。果たして石原慎太郎の政治活動は正しかったのか、そういうことについても考えていきたいです。彼ほどマッチョさを前面に打ち出している文化人はいないと思うからです。

ちなみに文体を「だである調」と「ですます調」のどちらにすべきかも迷っていますが、僕は普段からこのようにして両方とも使い分けてきましたもので、内容的に相応しいと思われる口調を用いるつもりです。「マッチョ批判」という意味では固い「だである調」よりかは柔らかい「ですます調」がいい気もしますが、しかしこの本は「マッチョを批判しつつ肯定する」態度をとっているものですから、そこは判断に迷うところです。

この世に強者や弱者なんて最初からいなくって、死生観に対する態度の違いから、弱き強者と強き弱者しかいないという意味では全人類をターゲットにできるはずで、誰ひとりとして読まずにいられないベストセラーになることでしょう。何だか文章が「2ちゃんねる哲学板」の「東浩紀スレッド」に常駐するコテハン「ラルク」のようになっていますが、彼の最も敬愛する作家はマッチョな三島由紀夫で、詳しくは訊いていないものの彼も僕と同様に心を病んでいるようです。

彼以外にも文学的野心を持つ病人ばかりに囲まれてきたものですから、これは自分のためでもあり自分を支えてきてくれた全ての人の命を救うためにも出版されなくてはいけない本なのです。御社の柿内芳文新書編集長の「僕は普通の人間」という言葉が、浅く広く専門分野のない僕の心に響きました。もし少しでも気になる奴だと思ってくれるようでしたら、どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます!(つづく)

応募者紹介:工藤伸一さん

中高生の頃に地方紙への投書が5回ほど掲載され、有識者から賛否両論の反響がありました。あと何故か高校の頃にはアイドル雑誌の投稿欄に4コマ漫画が採用され、3千円もらったことがあります。

大学受験に失敗し上京して二浪する中、岩波書店『よむ』など書籍に関する雑誌に投書が何度か掲載され、特に『オーパス』という雑誌に掲載された「文庫は常に読めるものであるべし」と遺した柳田國男の言葉を引用したコラムは目次欄に名前も出ていて、僕の選んだうち20冊を含む文庫復刻の呼びかけに新潮社が応じてくれました。

しかし『オーパス』の版元は今はもうないようで、そこは残念に思っていますが、ちょうど『ダ・ヴィンチ』が発売された頃でしたので、ギリギリの採算ラインでやってきた書籍の新刊情報を中心とする雑誌の多くが駆逐された模様です。『ダ・ヴィンチ』には「百人百評」なる100字程度の感想文が載った事がある程度ですが、創刊準備号からずっと今も愛読しています。

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最近では東浩紀さんや藤田直哉さんも連載をしていて、時流をつかみながら上手くやっている印象で、元リクルート子会社だったのが独立して、それが今年になって角川グループに吸収されることになったのは、僕にとって大きな出版業界の事件のひとつでした。もちろんそういう意味では星海社発足も過去にない偉業と感じており、何らかのアクションをできたらとはずっと思っていました

大学在学中には短歌に目覚め、角川書店『短歌』公募欄にて故・春日井建先生のコメントを貰えたのが唯一の自慢。何度か掲載はされるものの短歌賞の受賞には近付く事が出来ず、応募をリタイアすることになりました。『月刊カドカワ』には詩と短歌が佳作で名前が載っただけでした。

金銭的理由や人間関係のトラブルを解消したくて大学は4年で中退。その理由については本稿にも出てきますので割愛します。その後あらゆる職種を社員候補・アルバイト・派遣社員・フリーランスにて経験。最も長い勤務歴は3年です。

アダルト業界で仕事していた経験を元にライター募集サイトで自己PRしたところ、コンビニに置かれているような大手アダルト誌の数ページを請け負う編集プロダクションにスカウトされ、そこで少しだけライター仕事をしたのがプロとしては最初になります。

しかしながら現場を知っているから書けることと、現場を知っている故に書けないことの狭間で悩み、続けられなくなりました。引退した人気AV女優のインタビューを現在の写真付き1万円でと言われて、それは予算的にも厳しくて周囲から聞いた話として写真は無理と断ってから仕事が来なくなりました。金銭的にもシビアで取材費でギャラはなくなりハードな世界だと思い知らせました。

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出版関連では印刷会社にて編集アシスタントを半年、ファミコン時代からゲームを作っていて、今はIT業務も多いゲーム会社にて電子書籍アプリ制作を1年やってきました。参考書やハウツー本を配信する教育系サイトだったので、サイト更新とアプリ制作が主な業務内容でしたが、企画からデバッグ、アプリ販売ルートの設定およびテストまで、営業以外ほぼ全工程を担ってきました。しかし全体的な売れ行きが芳しくなく僕も後半は体調を崩して休みがちになり1年で契約終了となりました。

au公式サイトだったのでKDDIの協力体制もありその後2年は続いたものの、サービスは終了しています。その立ち上げ期に当たる最初の1年を営業を主とする正社員リーダと2人で作り上げたやりがいは感じていましたし、何よりそこで配信される有料アプリのテキストを自分で書くことが月に1度くらいの頻度でありまして、もともと作家志望だった僕には良い職場でしたが、体を壊してしまったのはストレス耐性のなさもあったでしょう。

喘息を患うようになって、投薬治療の影響から注意力散漫となり、そのまま片道40分の距離を自転車通勤していた折、雨上がりの交差点で急ブレーキをかけた際に濡れたマンホールのふたにタイヤをとられ、バランスを失って宙返りして、高校の時に習った柔道の受け身で頭こそ打たなかったものの、一回転した衝撃でアスファルトに叩きつけられた衝撃から、ひじや手首の肉が抉れて血まみれになって、そもそも喘息で不安定な上に痛み止めまで追加されて完全に動けなくなり、僕ひとりでやっていた業務を社員に引き継ぐためのマニュアル作成と最後のアプリ執筆をして休養をとることになりました。

僕が手がけたのはクイズアプリで、20問のクイズ内容の考案から200字程度の解説も含めて1本当たり4,000字くらい。それを8時間とかで書いてクイズ内容に関連する雑誌の編集者などの監修を得て、それで10本くらい書きました。1本100円で1,000本くらいでしたから売上は10万円。それを1日で書けていたのは悪くない気がしますけれど、もちろんそれは普段なら有名ライターが書いているのと公式サイトの信頼度もあって売れていたわけですから、僕の力は微々たるものですが、少なくとも足をひっぱるような内容のものでなかったことには誇りを持っています。

教育関係ではNTTデータの全国学力テスト中学生向け記述式国語問題の採点者を半年やっています。他は建築現場での肉体労働から通信会社の外回り営業、IT系テクニカルサポート、データ入力などを経験。

  ※

2008年「東浩紀のゼロアカ道場」で書類審査は通りましたが、第1回関門で落選しています。道場破りにも文学フリマの抽選漏れで参戦できませんでしたが、今も門下生との関係は続いておりまして、2009年から道場破りチーム『新文学』メンバー松平耕一編集の続刊4冊にレビューや小論を載せています。他にも文学フリマで販売された『月刊(?)Twitter小説』に寄稿したり、ブックレビューサイト『本が好き』編集者・永田希さんの同人誌『終りの会』にも寄稿予定。

2010年〜2011年:ニュースサイトのライターとしてスカウトされ、ギャラを得て記事を執筆するようになりました。もともとツイッターでふぁぼられ数がそれなり高くて、僕は良く時事ネタをツイート題材にしておりましたから、それでニュース記事もかけそうと最初に声をかけてくれた方は「普段通りコラム的にどんなジャンルでも好きに書いていい」とのことでしたが、実際の担当編集者には「芸能を中心に思想を省いて事実のみを書いてほしい」との意向があり、震災後は完全にその路線になってシフトしてしまって最終的に意向に沿うことができず約9か月で書けなくなりました。

その間60本ほど政治・経済・軍事・外交・芸能・オカルト・アダルトなどあらゆる方面の記事を書いておりまして、サイト上のアクセス・ランキングで月に1度は1位になり、mixiニュースのジャンル別アクセス1位になれたこともあります。mixiで1位になったのは「ALI PROJECT」に関するトリビアを散りばめた、NHKアニソン番組の告知記事で、そういう着眼点の音楽記事は珍しく、コアなアリプロ・ファンからアニソンのファンまで巻き込んで800件ほどコメントがついていました。残念ながら目標にしていた1,000件は超えられませんでしたが、よほどの事がない限り厳しい数字です。

また今年4月には「Twitter小説」のタグ「#twnovel」考案者で小説家の内藤みか先生の編んだ小説アンソロジー書籍『3.11 心に残る140字の物語』(学習研究社)にて100編中2篇は僕の作品が採用され、印税は全て東日本大震災被災地へ募金されました。

その後はライター的な仕事は特にしておりませんが、批評系同人誌の原稿にかかりきりだったもので、それが落ち着いてようやく本稿の執筆を開始する事になりました。それもあってまだ粗削りなものですが、資料のキュレーション技術には自信があります。略歴なのに長くなって申し訳ありません。さておき、駆け足ながらも全霊を傾けて編み出した僕の渾身の原稿をご査収ください!

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