2005-04-18
■ネタ 
http://d.hatena.ne.jp/pakina/20050416
漢字で「国語」「算数」「生活」のシールもあると思います。なぜひらがなですか。
つうか今の小学校で社会科が始まる頃には漢字で「社会」くらいならっとるはずだが。
■伊勢田哲治Daily Lifeより 
http://www.yonosuke.net/~iseda/diary/
「April 16 (Sat.), 2005
世界ミーム博覧会プレイベント なるものを見物に行く。日本におけるミーム学の健全な発展のためには佐倉統をなんとかしなくてはならないという認識を新たに。ミームという言葉を使わなくてもできる話をするためにミームを持ち出すのは結局この概念の有用性を損ねていると思う。」
なんだよ「世界ミーム博覧会」って。
昔は「( )の健全な発展のためには佐倉統を何とかしなくてはならない」の中にもっと「社会生物学」とか「人間行動進化学」とか「ポピュラーサイエンス」とかいろいろなものが入るような気もしていたが今となっては別にどうでもいい人畜無害なだけの奴だと思うようになった。
なおこうした文脈における「佐倉統」の類語としては、他に「川本隆史」がある――とか今ごろ言ってどうする。
追記:俺はダン・スペルベルの「表象の疫学」でいいと思います。比喩としてならともかく科学には「ミーム」概念イラネ。
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「疫学」と「ミーム」で比喩のレベルにそんなに
差があるとは思えないのですが…
文化的な伝達の対象を、できればなくしてしまいたい
(病気のような)ものとしてとらえるか、次の世代に確実に
残したい(自分の遺伝子のような)ものとしてとらえるか、
という態度の差のレベルじゃないでしょうか。
「疫学」というのはあくまで応用科学であって、そこには全体を統一するコンセプトがないとゆーこと。個体から個体へと伝播するのは、遺伝子だけではなく、寄生動物や細菌、ウィルスもあるし、非生物の汚染物質もあり、更にブリオンのようなわけのわからんものもある、とゆーことです。
ですからスペルベルが「表象の疫学」というときには、「表象」にはいろいろあってその電波の仕方も一様ではないしその「乗り物」も一様ではなく、統一的な法則のようなものを求めてもしゃあない、ということです。
ブラックモアとかデネットを見る限り、ミーム論memeticsにはgeneticsなみの統一的な体系性、人文社会科学の基礎理論への欲望がありますからね。
ミーム学が人文社会科学の基礎理論にはならないだろうというのもごもっともです。ただ、ある種のローカルな規則性を発見したり記述したり予測したりする上で遺伝とのアナロジーをベースにモデルをくみたてる(つまり「ミーム」の概念を使う)のはけっこう役にたつのではないかと私は思っています。