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2005-11-11

パオロ・マッツァリーノ『反社会学の不埒な研究報告』 パオロ・マッツァリーノ『反社会学の不埒な研究報告』を含むブックマーク

 今回はおすすめできません。つーかダメだろこれ。特に書き下ろし部分。

 小田中先生のおっしゃることが基本的に正しいと思います!

http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20051111#1131631802

本田透萌える男』(ちくま新書本田透『萌える男』(ちくま新書)を含むブックマーク

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062718/interactivedn-22

http://www.bk1.co.jp/product/2610043?partnerid=p-inaba3302385

 まあ「しろはた」を読んでいれば分かることだが、普通の読者向けの文章も書けるのですね。安心。

 「萌えは正しい(少なくとも邪悪ではない)」というご主旨はごもっともですが、「ちょっとこれは……」というところも多々あり。

 「脳内恋愛」は本当に無害かというと、必ずしもそうとはいえないのではないかと。だって花沢健吾ルサンチマン』もそういう話だったじゃない。2次元彼女が3次元に逆襲してくるわけだから。あるいは『クロノアイズ・グランサー』のメイドロボたんの話を想起しよう。(『オタク遺伝子』参照。)脳内彼女が現実の肉体を欲したらどうするの?

 メイドロボは遠い先のこととしても、すでにメイド喫茶やラブドールなどのかたちで2.5次元は実現し始めているのだ。

小田中直樹小田中直樹 2005/11/13 17:36 御意。

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/14 01:47 ご迷惑だったかもしれません。
金持ち喧嘩せずに喧嘩する貧乏人に喧嘩する貧乏人といったところでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050923
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20051112
http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20051108
http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20051110

muskmusk 2005/11/16 21:46 正直内藤さんの真意がよくわかりませんね。
あちらでの対応に異論があるなら論陣を張られた方がいいのでは?

shinichiroinabashinichiroinaba 2005/11/16 22:10 内藤さんはきちんと杉田さんにも仁義を切ってますよ。

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/17 11:10  すいません。わたしはまだ「子犬」で論陣をはるためには、どういう手段を用いればいいのかわかりません。教えてください。自分のブログに書くぐらいの手だてしかありません。もし雑誌などで警告を発する機会があれば、今の追いつめられた仕事が終わり次第やります。この件では論陣をはる必要を感じています。
 わたしは社会に妬みと憎悪と乱暴な攻撃が蔓延することをとても心配しています。これが「民主主義」と結合すると、とんでもないことが起こりそうな予感がします。かつてドイツで起こったようなことです。ハイエクは、ステーキのナチという言葉をあげていました。赤と黒は容易に反転します。憎悪と妬みと、人生の不遇に対する被害感で毒づいた攻撃的な左翼メンタリティの厚い人口層ができることは、危険です。
 いわゆる「ネオ・リベ」的な政策はこのような憎悪を社会に蔓延させるのではないでしょうか。新自由主義と新保守主義が構造的にカップリングしているという話しがありますが、新自由主義と「憎悪と妬みの左翼−右翼連続体(ラヂカル・ステーキ)」の構造的カップリングが生じるおそれがあります。
 かつての魔女狩りは、当時大学をつくりすぎて職にあぶれた大学出の厚い人口層が中心的な役割を担ったという話しがありますが、今、大学院をつくりすぎて絶望的な呪いの徒を量産しています。この大学院のつくりすぎが、将来に大きな禍根を残すでしょう。
 ひとりひとりは単にみじめなだけですが、これが人口層になるときわめて危険な人間類型の、貴重なサンプルを彼らのわめき声から収集することができます。
サンプル
http://f.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20051019012044
http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050923
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20050808
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20050806
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20051112
東京シューレ関連の貴戸理恵バッシング
今は過去ログになった2ちゃんねるの貴戸理恵スレッド
東京シューレ自体はどうでもいい組織だけど、ここで典型的にあらわれた憎悪の論理は、将来あぶれてみじめな生活を送ることになる大学院出の厚い人口層が担い手になるでしょう。つまり、日本中の大学院が「シューレ大学」(と機能的に等価)になるのです。
就職先もないのに、需要と供給のバランスを無視して大学院を増やすのは危険です。文部省はすぐに政策を変えるべきです。

やまがたやまがた 2005/11/17 21:09 いまのフランスの状況を見ると、ネオリベラリズムよりもむしろ、サヨク色の残った既存労働者の権利保護を厚くすることで労働市場の硬直を招き、失業者を増やすような施策こそが不満の鬱積とその噴出による社会不安を招くように見えます。日本の状況も、既存労働者の権利を守れと旗をふり、パートやフリーターを蔑視する左翼的なスタンス(かれらを十分な保護や福利厚生のないかわいそうな存在だと論じ立てるのは、そういう存在を二流労働者として蔑む見方でもあります)は、たぶん若年労働の就職難を後押ししてるんじゃないかと思えます。それはネオリベなんかよりは、死に損ない労組左翼のせいがあるかに大きい可能性もあります。文科省(すでに文部省ではありません)は、学生の完全就職まで面倒みきれないし、それでかれらを責めるのは筋違いでしょう。大学院は、少なくとも失業するまでのバッファを増やす役割は果たしています。大学院が増えなければ、そこに行った人たちは就職できたんでしょうか。そんなわけないでしょ。ほんと、リフレ策がとれられて景気が回復すればこんなことは「問題」でもなんでもなくなるんですが。

dojindojin 2005/11/17 22:58 >日本の状況も、既存労働者の権利を守れと旗をふり、パートやフリーターを蔑視する左翼的なスタンス(かれらを十分な保護や福利厚生のないかわいそうな存在だと論じ立てるのは、そういう存在を二流労働者として蔑む見方でもあります)は、たぶん若年労働の就職難を後押ししてるんじゃないかと思えます。それはネオリベなんかよりは、死に損ない労組左翼のせいがあるかに大きい可能性もあります。

どうでしょうね。日経連は1995年の『新日本の日本的経営』ですでに「雇用の流動化」と「多様な雇用形態」という戦略を打ち出してるみたいですし、望み薄な感じもしますが一部の労働組合はパートやフリーターの組織化に取り組み始めているみたいですし。労組左翼運動の「意図せざる(?)結果」の影響は多少はあるかもしれませんが、少なくともここ十年でみれば、「ネオリベ」と世間一般で呼ばれるものと比べれば、労働市場の状況には大した影響を与えてないのでは。素人観測ですが。

あと福利厚生や待遇からみれば、軽蔑するかどうかは別にして、パートやフリーターが二流労働者なのは間違いないですよ。私の友人を見ても、夜遊びの後は、かたやタクシーで帰宅ですが、かたや漫喫で始発を待つのです。(どうでもいいか)

takutaku 2005/11/18 06:21 やまがたさんはdojinさんの議論にお答えできるんでしょうか?
あと、フランスの暴動がリフレで解決すると思われるのでしょうか?

偽浅田彰偽浅田彰 2005/11/18 06:58 http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20051114
 グーグル検索でなかなか出てこないのが不思議ですがフランスについて。ネット上の多くの記事の一つとしても。

やまがたやまがた 2005/11/18 08:00 >やまがたさんはdojinさんの議論にお答えできるんでしょうか?

もちろん。「それがどうした」の一言です。左翼がフリーターを組織化したら、かれらの労働力としての存在意義がなくなってかれらも使われなくなるでしょう。不景気で労働需要の絶対数が減っているために、従来の正規雇用を減らそうという動きが起きていて(「いわゆるネオリベ」ですが、別にそうした思想的根拠でやってるわけじゃなくて、企業は不景気の中でリスクを減らそうとしてるだけです)、左翼的な運動は雇用の流動性を減らす方向に努力することでそうした雇用形態に対する需要すらなくす方向に動いているという話です。不景気が最大の問題で、「ネオリベ」なんてのが別にあるわけじゃなく、具体的にある労組左翼は問題を悪化するように機能しているという話で何も「お答え」するものはないんですが。

>フランスの暴動がリフレで解決すると思われるのでしょうか?

ほう、フランスはデフレなの?
でもECBがユーロを下げるゆるい金融政策をとれば、失業は減って暴動の原因は多少は解消するでしょ。

やまがたやまがた 2005/11/18 08:16 さらに現状で企業に「いわゆるネオリベ」的方針をやめろというのは、多くの企業にとってつぶれろというに等しい。つぶれたら失業者ははるかに増えます。ですから「いわゆるネオリベ」的方針をとったからこそ、現状はこの程度ですんでいる、と言う見方も十分なりたつし、そっちのほうが妥当でしょう。フランスは手厚い労働者保護のせいでそれができなかったのです。

いずれにしても、院卒が社会不安を招く、就職先のない大学院はナチズムにつながる、だから文科省が悪いという内藤氏のへんてこな議論はあまりに酷い。基本的には就職難を引き起こしている経済状況が問題であり、院の増設はこの状況下では景気回復までのバッファ増大として役にたつものです。それがなければ、院にも行けなかった人はますますささくれるだけです。

shinichiroinabashinichiroinaba 2005/11/18 12:39 ええっと、燃料投下する暇もなくて申し訳ないんですが、とても面白いんで山形さん、内藤さん、dojinくん、それぞれ切れずに続けて下さい。茶々入れ厨房はもう来ないで下さい。
ぼくとしては内藤さんの議論も山形さんの議論もそれぞれに一理あると思います。まあ内藤さんの議論は針小棒大で漫画的ではあるといえばその通りですが、ことの一側面をデフォルメしていることはたしか。もしも景気回復がどこかのバカのせいで遅れて、またしても「失われた十年」が来れば結構現実味を帯びちゃうかも。
それから「労組左翼」というくくりには問題がある。企業内労組(その多くは左翼じゃないが)は終身雇用を守る側にコミットする限りでは、大学院同様のバッファ機能を支えているわけでしょう。左翼労組は官公労と一部のパート労組。そして官公労の場合も「抵抗勢力」としてやはり雇用不安へのバッファ機能を果たしていないわけでもないのでは? 
またパート組織化に積極的なのは左翼だけじゃなくて、ゼンセンという右翼(?)もいるので、パート組織=労組左翼というわけでもない。
労務屋さんはどう思われます?

dojindojin 2005/11/18 13:37 もう投下する燃料はありませんが。。。たしかにゼンセン同盟は明らかに労組左翼ではないですよね。いまの時代の「労組左翼」ってどんな感じなんでしょう?

あと『いわゆる「ネオリベ」ですが、別にそうした思想的根拠でやってるわけじゃなくて、企業は不景気の中でリスクを減らそうとしてるだけです』というのはそのとおりで、あまり「ネオリベ」を資本家・持てるものの陰謀のようにみなすのは意味がないと思いますし、『新日本の日本的経営』にしてもそうでしょう。ただ不景気下の対応として、結局弱いもの・能力の低いものから痛い目にあうのは勘弁してくださいよ、しかも富めるものはけっこう富めるままじゃん、という感情があり、そこから陰謀史観が生まれるのは当然だと思います。リフレ派が左翼に指示を得られない・関心を持たれない理由としては、左翼が問題視するのが、「景気悪化による労働者の生活悪化そのもの」ではなくて、「痛い目にあうのはいつも弱いもの・能力のないものが先」というあたりだからな気がします。「リフレで景気よくなっても、また10年後とかに何らかの理由で景気悪くなったらどうせまた弱いものから切り捨てだろ?そういう社会構造そのものが気にいらねぇのに、リフレ派はそういうことについては何もいわねぇ。でも革命ともいえねぇ。企業社会批判ももはやできねぇ。どうしよ。でもとりあえずネオリベは批判しなきゃ。」みたいのが今の左翼の状況ではないでしょうか。

バッファ機能の話、もっと聞きたいです。

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/18 17:04 ネオリベという曖昧な言葉はよくなかったですね。もちろん左翼には反対です。わたしは、公務員と企業で高給を取っている中高年を大量に解雇しするか賃下げするべきだと思っています。そのうえで、国や地方自治体が持っている土地や建物を売ったり、リースに出したりします。税金は上げます。そのうえで、いままでの国や地方公共団体の仕事を大幅に民間に委託します。税金を安くて質の高いサービスを行う企業を通じて市場に環流させます。福祉を徹底的に民営化します。旧来の「ネオリベ」のイメージは、福祉を薄くし、かつ民営化する(その分を保守的な「伝統」にまかせる)というものでしたが、わたしは、福祉を厚くし、かつ民営化する、というものです。医療はタダにし、教育はチケット制にします。中高年がなぜ若年層よりも高い賃金を必要としたかというと、医療と教育に金がかかったからです。医療をタダにし、教育をチケット制にすると、中高年が若年者よりもたくさん金を稼がなければならないという縛りが消滅します。こどもの学費は親が払うのではなく、チケットでまかなわれるわけです。中高年の賃金を下げた分、若年層を大量に雇用することができます。また、このような手厚い福祉によって人間の尊厳をコーティングして、はじめて、市場の効率化が達成されます。コストのかかる終身雇用をやめて、労働力のジャスト・イン・タイム化を行うためには、手厚い福祉とうまく機能する労働市場が必要になります。労働市場を機能させるためには、能力の汎用ユニット化(デルコンピュータのユニットのような)とその組み合わせシステムが必要になります。企業特殊な側面をぎりぎりまで削ることで、すべて自前の高価な労働力と比べたら比較的安価な汎用労働力を労働市場から適時調達することができます。
 また、労働人口のほとんどすべてをフリーターにし、正社員を極力なくして、フリーターと正社員のQuality of Lifeをほぼ同じにする必要があります。正社員かフリーターかでなく、希少労働能力(この人しかできない労働)をどのくらい内蔵しているかというスペックによって収入が決まるシステムです。失業中は、バッファーに立ち寄って、この希少労働能力をゲットします。希少労働能力をゲットする能力が低い人でも、福祉によって人間らしい暮らしができます。
 このシステムを達成するための福祉のために、税金が40パーセントになってもかまわないと思います。
 バッファーとしての大学院には大きな副作用があると思います。少なくとも文系の大学院は、何の役にもたたない設備投資に対して不相応なプライドとナルシシズムを蓄積させ、わたしが問題にしているような卑小感と思い上がりと憎悪と妬みと攻撃性の蔓延を引き起こします。少なくとも文系の大学院は、本来そうあるべき自己像と現実の境遇のギャップが厄災をもたらすタイプのバッファーです。憎悪に満ちあふれていない社会に住むことは、大切なQuality of Lifeの項目のひとつです。バッファーならば、大学院ではなくて、チケット制の職業訓練サポート団体でおこなうべきです。バッファーは、職業に直結するバッファーであるべきです。
 わたしは経済の問題と社会に蔓延する憎悪の問題が重ね合わさる地点でものを考えるべきだと思います。

shinichiroinabashinichiroinaba 2005/11/18 17:32 内藤さん、ひさびさにあまりといえばあまりにストレートな、左右を問わずラディカリストにはありがちの、既得権益へのルサンチマンに駆動されたかのごとき清算主義というかシバキ主義の発言に出会ってちょっと笑えます。一応拙著『教養』は差し上げたはずですので、それにプラス竹森俊吉『経済論戦は蘇る』あたりを読まれるとよいかと存じます。
内藤さんの構想は基本的にはフリードマン流のクーポン制福祉国家(立岩風にいえば「分配する最小国家」?)構想でしょう。それがうまくいくためには最低でもマクロ経済の安定(つまりは好況)という条件が満たされていなければだめです。日本の現状はそこからまだちょっと遠いので、少なくとも時論的にはダメです。
また実質賃金の大幅切り下げという荒療治も、不況時には問題外であるのは当然、よほどの好況時であっても、短期的に行えばそのショック自体がマクロ的な不況へのひきがねになりかねません。内藤さんが考えるような大規模なリストラは、基本的には定年引退による自然減を利用してゆっくり行うしかないでしょう。
簡単にいえば、内藤さんが考えるような一挙的な改革は、それ自体がルサンチマンの所産である可能性が高いのみならず、強引に実施されればそれがまた新たなルサンチマンを引き起こすであろう、ということです。

shinichiroinabashinichiroinaba 2005/11/18 17:35 内藤さんには上の2ch山口スレでも十分勉強になると思います。
そうだ一度田中秀臣さんを呼んで、本田由紀さんも交えて一席設けましょうかね。

shinichiroinabashinichiroinaba 2005/11/18 17:44 再三言いましたとおり「金持ち喧嘩せず」の精神がとても大事だということです。そのためには、貧乏人のふところをあったかくしてやって「失うものがある」プチブルにしてやらねばならんのはもちろんですが、かといってその負担を金持ちに負わせすぎてもいかん、ということです。あんまり重税をかけると金持ち連中もいらん被害者意識にとりつかれますから、コワモテで迫るよりも連中の自尊心をくすぐることを考えましょう。
基本的にはストレートかつ強引な再分配はできるだけ避けて、パイそのものの拡大を通じてなんとかしよう、ということです。

shinichiroinabashinichiroinaba 2005/11/18 18:00 この世は悪人とバカと小人で一杯です。ラディカルな人たちは(右も左も)それが我慢できなくて、悪人をみんなぶち殺すかそれとも改心させ、バカと小人もやはりみんなぶち殺すかそれとも再教育して賢い大人にしたい、と考えているのではないでしょうか。
それはもちろんある程度は可能でしょうが、限界はあります。現実問題として、改心させ再教育することには限界があるのです。その限界にぶつかった時、悪人やバカや小人の存在を許せない人には、もはやそいつらを「ぶち殺す」選択肢しか残っていないように見える、ということです。
もちろん本当はそんなことはありません。たとえば小泉義之をパラフレーズするならば「自然死を待つ」という選択があります。しかし自然死までは時間がかかりますので、そのあいだを待つということはつまり「我慢して共存する」ということに他なりません。そしてその我慢を可能とするための条件作りが、宮台真司がいう「バカが伝染らない仕組みを作る」ことです。しかし宮台は「バカが伝染らない仕組み」の内実について詰めることを怠りました。
景気がよいこと、パイが全体として拡大していること、は「バカが伝染らない仕組み」のすべてではないにしても必須の一部をなすといえましょう。

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/18 20:15  ルサンチマンについて暖かくいぢっていただくのはこれで二度目です。わたしの「臨床」社会学は、逆転移観察みたなことをやっていて、バカの臭い息を吸い込み手応えに嘔吐する自分自身の内側からの反応を使って、それを論理形式に変換する(パタンを抜く)という手法をとってきました。論理形式の行間にルサンチマンの電波がゆんゆんになるのはそういう作り方をしているからでしょう。そういう「かませ犬」法を使うと、バカのパタンをじゃかすか抜けますが、肉体的に辛いです。
 さて、バカの典型ともいうべき、いわゆる「お役所の掟」とか「社畜」が猖獗をきわめたのは、景気がよく、パイが全体として拡大しているときでした。
 それから、北欧諸国が一人当たりで稼ぐ金額がアメリカを超えているのはなぜなんでしょう。デンマークは古いお役所型福祉から企業型福祉に転換して、福祉の水準を逆に上げてしまったという記事を読んだことがありますが、ちょっと眉唾ですが、どうなんでしょう。北欧諸国は企業ともうまくやっているようです。いったい何をやったのでしょう。オランダはフリーターと正社員の格差を小さくするのに成功していると聞きました。
 デンマークは、チェンジを景気が絶好調のときにやったのでしょうか。絶好調のときは、あまりものごとを変えたがらず、危機感にプッシュされて改革をするものです。おそらくお役所型高福祉で経済がボロボロになって、なんとかしなければ、でも貧乏人はどうとでもなれというわけにもいかない、というところで、資本主義駆動型高福祉の新バージョンを生み出したのかもしれないと思います。
 わたしはこれから北欧やオランダの勉強をしたいとおもっているのですが、定評のある専門家としては、どんな人たちがいますか。
 あそこでできて日本でできない理由は何でしょうか。
 ところで北欧諸国やオランダでは、だいたい王室が残っているというのもなにか興味深いです。これもひょっとしてバカが移るのを防止するシステムなのかもしれません。
 親が学費を出すというシステムをなくすと、親が貧乏だから大学にいけなかったというルサンチマンを減らすことができます。また有能な人材を適切に社会の各ポジションに配置するのにもよいのではなかと思います。
 馬鹿が移らない仕組みとしては、やはり閉鎖空間に閉じこめて大奥ごっこをさせないとか、人間関係をどーたらこーたらしているヒマがあったら前向きに仕事せいとか、多様な選択肢のチャンスに満ちているけど要求される努力のハードルが高いとか、自由な場でいろいろ工夫しながら努力するエートスの場にあるとか、いやな感じになったら能力のパスポートをもって別の場所にチェンジできるとか、そういうことかなと思います。

やまがたやまがた 2005/11/18 21:25 稼ぎの定義や指標にもよるでしょうが、比較において最も妥当と思われる ppp ベースの一人あたりGDPで見るならアメリカは北欧諸国より2割近く高うございます。北欧諸国は日本並みですねえ。

http://www.undp.org/hdr2003/indicator/indic_4_1_1.html

したがいまして過度な希望を持つべきではないと思います。システムとしておもしろいのは事実ですので、釈迦に真珠かもしれませんが、エスピン=アンデルセンあたりで大枠をおさえるあたりが手始めではないでしょうか。

あと、内藤氏自身が自分の給料を半減させることに同意したり、自分の所得の半分をどっかの若者の雇用にまわしたりすることを実践してるのでない限り(いやそれでも)その遠大な社会革命計画は白昼夢でしかないし、こんなものをまともな提案のつもりで練っているとすれば、ぼくから見れば内藤氏も立派な「馬鹿」の一人でしかありません。左翼はダメといいつつ、内藤氏の提案はまさに古典的な社会主義カクメイの焼き直しにしか見えないんですが。それが見えないとすれば、人の馬鹿がうつるのを心配するのと同時に、ご自分の「馬鹿」が人にうつらないような配慮もご検討いただければ幸いです。いろいろとお感じになっているとおぼしき鬱憤は理解できないわけではないのですが。

それに、院にいくから救いがたくなる、という可能性の他に、もともと救いがたい人間が院にいく可能性も考えたほうがよいのでは(入院と言われる所以でございます)。もしそうなら、院はバッファとともに、隔離施設としての機能も持ち得ますので、馬鹿が拡大しない仕組みの一環にもなり得ますよ。すでに研究者や大学人、教育関係者は、ぼくから見ればどうしようもない世間知らずの比率が異様に高い、社会不適応者のスクツです。そういう連中を敢えて内藤氏のご提案のように世間に野放しにする努力をすべきかどうか、立ち止まって考えるべきではないでしょうか。

さらに内藤氏のおっしゃるように、学校の機能というのが単なる職業訓練施設であるなら、むしろ高卒時にみんないったんコルホーズに送り込んで1年ほど働かせてはいかがでしょう。その意味で、ついでに兵役の義務なんてのも検討の余地があるかもしれませんよ。

やまがたやまがた 2005/11/18 21:41 また伝聞になってしまいますが、「一分間エコノミクス」訳者解説での竹内宏によれば、日本の経済成長をささえた戦前戦後の起業家たちの多くは、家が貧しくて高校や大学にいけず、進学できた同級生に負けまいというコンプレックスを原動力にしていたとか。ですから進学できないのが即いけないわけではないかもしれません。内藤氏の議論では、院にいってもルサンチマン(だから院はだめ)、教育を受けられない人もルサンチマン(だからチケット作って進学させろ)、結局人はどう転んでもルサンチマンで、絶望なんですが。まあブログのコメント欄でのアレにそんな整合性を求めるのも酷ではありますが、でもちょっとあまりに変ですぅ。

やまがたやまがた 2005/11/18 21:59 そして最後に。

>さて、バカの典型ともいうべき、いわゆる「お役所の掟」とか「社畜」が猖獗をきわめ
>たのは、景気がよく、パイが全体として
>拡大しているときでした。

ま、例によってこれらが何を意味しているのかあいまいではありますが、本気でこんなことを思っているとしたら、内藤さんは自分がどんなに恵まれた環境にいるかさっぱりわかっていないのです。その「役所の掟」のおかげで、ほとんどの場合に比較的少ない役人数でそこそこ優れたガバナンスを提供することが可能であり、内藤氏が見下す「社畜」たちは一方でプロジェクトXを実現した人たちでもあります。今仕事をしている途上国では、杓子定規な役所の掟や、会社に心身をささげる社畜が日本の1/10でもあればどんなに事態がよくなるか、何度も天をあおいでおります。繁栄がそうしたものを生み出したのではなく、役所の掟や社畜が多少なりとも繁栄に貢献した可能性を考えられない内藤氏は、ひたすら大企業と官僚にルサンチマンをむきだしにするだけの2ちゃんねらーと(ひいてはご自身が批判してみせる「バカ」たちと)どれだけの差がありましょうか。もちろん、それらの弊害というのもあります。でも、いいところもあるのかもしれないのですよ。

本田由紀本田由紀 2005/11/18 22:51 あのー、横から口出してすみませんが、やりとりの中に自分の名前を見つけたこともあって稲葉さんにおうかがいしたいと思います。dojinさんのコメントの中の、「リフレで景気よくなっても、また10年後とかに何らかの理由で景気悪くなったらどうせまた弱いものから切り捨てだろ?そういう社会構造そのものが気にいらねぇのに、リフレ派はそういうことについては何もいわねぇ。」という部分に対して、稲葉さんは答えていないように思うので、リフレ派に対するこのような至極普通の疑問をどう考えていらっしゃるのか、できれば教えてください。

ぽかーん↑ぽかーん↑ 2005/11/19 00:06 自分で考えられないんでしょうか。「研究者や大学人、教育関係者は、ぼくから見ればどうしようもない世間知らずの比率が異様に高い、社会不適応者のスクツです」というのがうなずけてしまいます。稲葉様、あわせてなぜリフレでアトピーがなおらないかとか、なぜリフレで燃費が向上しないか、なぜリフレでうちの子の成績があがらないか、なぜリフレで水がワインに変わらないのかといった至極普通の疑問にもリフレ派はこたえていないので、できれば教えてください。

一本釣り一本釣り 2005/11/19 00:13 >本田さん
今から言う手順でよく考えてください。
”要なもの
ゴムボール+糸+浴槽(あらかじめ水を入れておく)
⊆蟒
aゴムボールの真ん中に油性マジックで線を描く。
bゴムボールのてっぺんこに糸をつける。
c糸をものすごく長くしてください。
dボールはどっぷり水につかります。まあ、水に浸かっても浮いている部分はあると思いますけど。
eボールをひきあげてください。ボールを引き上げると水に濡れてる部分も水から出ます。
ボール自体の形を横に潰さなくてもボールを引き上げれば水に浸からなくなりますよね? ボールが濡れて困るんだったらまず糸を引っ張ればいいんじゃないですか? ボールが多少いびつな形をしていようと正常な形だろうと、糸をたっぷり伸ばせば水に浸かりますよ。ボールが濡れているのがイヤで、なおかつ、糸を引っ張って水から引き上げることが可能なら、そうすればいいんじゃないですか? ボールの歪みの前に引き上げたほうが賢くないですか?

一本釣り、ついでに一本釣り、ついでに 2005/11/19 00:33 わたしは前々から雇用の流動化等にごちゃごちゃ抜かしとる人に疑問を感じるんですが、冷静に考えて、
\擬勸一人雇ったらキツイ。
∪擬勸雇うほどではないけれども仕事はある
じゃあ、細切れで雇う。
というのは普通じゃないんですかね? 雇うな、とか、会社潰れてもいいから雇えとか言うのかしら。

あと、よく考えると、縦にふれ幅がある限り先に沈む人間と後で沈む人間がいるんだから弱い人間から割を食うというのは当たり前の話だし、スケールの話をしないで「弱いものから切り捨てられる社会構造はイヤです」というのは「世の中から一切の格差を撤廃しましょう」という妄言と同じにしか聞こえん。本田さん、ちゃんとやまがたさんの文章読まないとあきませんよ。

たいむぽかんたいむぽかん 2005/11/19 00:38 その糸はたこ糸にすべきなんでしょうか、それともナイロンを使うべきなんでしょうか。そうしたミクロな検証なしに乱暴な議論を行うからリフレ派は支持を得られないのです。また引き上げたときに糸が切れないという保証はあるんでしょうか。

さらにボールが濡れる根本的な原因は、浴槽の水の存在という構造的な問題です。それを放置したまま、ボールを引き上げるだけですませようとするのは問題の先送りでしかありません。そうした小手先の対応では何の本質的な解決にもなっていないでしょう。構造改革によって水そのものをなくすことが重要なので、それまでボールは水につかっていても我慢すべきなのです。リフレ派はそんなこともわからないのですか。

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/19 00:50 まずもって、勤勉のタイプにはいろいろあって、そのなかの一つが「社畜」や「お役所の掟」であって、そうでもありえたよりベターな勤勉のスタイルを「社畜」や「お役所の掟」が不可能にしたと考えることもできます。また、「社畜」や「お役所の掟」は非効率とぬるま湯経営に陥る側面も有しています。日本のホワイトカラーの時間当たりの労働は非効率であると言われています。
さらに、大学と文系大学院は違います。文系大学院は神学校のような不健全なメンタリティを学部以上に醸成し、大学に専任の職を得られなかった場合のルサンチマンは著しいものがあります。自己意識の問題だけでなく、実際につぶしが効かないのです。もともと普通の人がイスラム神学校に行くと自爆をやるようになるように、大学院でわけのわからぬ呪文をとなえる生活をしたおかげで救いようのないバカになることは、大いに考えられます。心理系の呪文はへたれを量産し、左翼系の呪文は手前勝手な憎しみを膨れ上がらせて危険です。
理工系はまったく別です。
 たとえば仮に貧しいゆえに中卒高卒だった優秀な人間1000人のうち、経済成長を支えた起業家が10人として、あとの9990人は、やはり理工系の大学に進んでいた方が、10人分以上におおきな社会的貢献をしたかもしれません。経済成長は工学部系の能力に支えられていたはずです。つまりエンジニアの力です。かれらは、社畜系よりも職人系だったかもしれません。おなじように朝から晩まで働いていても、社畜系と職人系はエートスがまったく違います。
わたしは大企業や役人にまったくルサンチマンはありませんよ。最近はよくなってきていると思います。
稼ぎについては記憶違いでHDIと混同していたようです。ただ現在の日本と同程度の稼ぎです。このぐらいで十分です。この前提のうえでも、わたしが先程言ったことは成り立つと思います。40パーセントの税金でも、なぜ資本主義と調和し、現在の日本程度には稼いでいるわけです。Quality of Lifeに直結するHDIではアメリカを抜いている地域が多いです。
 それから制度をこうした方がよいということと、制度が変わらないことを前提に自分がどうするかということはまったく別です。この二つの水準を混同して「おまえはどうなんだ」とわめくのが典型的なバカ左翼の論理でした。おそらく遊んでいるのだとおもいます。さすがに山形さんがマジでこの論理を歌い上げる方には思えません(マジだとしたら笑うしかありませんね)。
 ただコンセンサスを得るのがむずかしそうです。このコンセンサスへの道は遠そうです。
 あと移行プロセスが見えてきません。成功した国々は、いったいどうやったんでしょう。

tanakahidetomitanakahidetomi 2005/11/19 01:25 コメント欄長い! 名前がでてきたものですが 笑

フランスの失業についてはブランシャールの以下の最新の展望論文を読んでみるといいかも
http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=825885

実はソフトが思うように動かずに途中までしか読んでいませんが、そこまでの印象だとブランシャールのいままでの諸説と基本は同じでしょう。
ブランシャールは最近またインフレターゲット関連の論文を書いていたり、日本経済の長期停滞打破にはここでいうところの「リフレ」を主張していると思いますので、ここではリフレ派を代表させましょう。本田先生のご指摘の点にもヨーロッパの労働市場(特に意識しているのはフランス、ドイツ、イタリアなど)の問題として取り組んでいます。一例としては若年失業者、そしてこの層とオーバーラップする未熟練労働者。なんでこの人たちがまっさきに切り捨てられるかを分析しているわけです。未熟練労働者がまっさきに解雇されちゃうのは、いろんな理由で彼らの熟練労働者に比較したときの相対賃金が硬直的だからじゃないか、という見方。だから企業はこの相対的に割高なコストを不況のときには嫌ってまっさきにきるという話です。
でこの最新の展望にはドイツとフランスでの未熟練労働者を抱える企業の負担を軽減する政策(減税、社会保障の減免など)の紹介があります。日本でもシニョレッジをつかって社会保険料の減額をやれ、と暗黒卿がいっていたことを思い出します。
ただしブランシャールはふたつの異論をだしてます。ひとつはアカロフ・中谷巌命題とでもいう長期失業を回避するための積極金融政策とでもいうもの、これをやることで自然失業率自体が低下する可能性があるかもしれない、という話(似た話は原田泰さんも書いている構造的失業だったと思ったものが実は循環的なものになっちゃうという話)。もうひとつは、経営者と労働者(労働組合)が賃金交渉の形態をよりお互いが「信頼」のある形にすると自然失業率はやはり下がる。これは日本では元祖リフレ派いまはアンチの小宮隆太郎先生が70年代の石油ショックのときに金融政策の重要性とともに日本の労使協調の成果を指摘したことにもつながるんでしょう(小宮隆太郎『現代日本経済』の第2章、よく読まれるのは第1章ですが)。これって「公平賃金(というか公平待遇=信頼)」というのは不況を深化させる可能性もあるけれども、他方で不況をふせぐバッファーにもなることを意味しているんじゃないかと思います。

いまはとりあえずこのぐらいで

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/19 01:36 あともう一つ。市場の原理では、一定の企業は市場の淘汰圧の中で潰れなければなりません。企業が潰れないということはまさに硬直化です。市場の淘汰圧のなかで企業は健全な姿を保ちます。そしてその市場を、政府や地方自治体は人々の福祉のためにコントロールします。そのコントロールされた市場の淘汰圧に耐えられない企業が潰れるのは当然です。北欧型の市場の淘汰圧のなかでふるいにかけられ、イノベーションと進化を遂げた企業が、日本並みの収益をあげていることに驚くべきではないでしょうか。いったい、どんなうまいやり方を開発したのか。産業スパイのようにワザを盗みたいと思いますが、そういった国々の経済についての定評のある研究業績は、どんなものがありますか。どんな研究者がいますか。

本田由紀本田由紀 2005/11/19 01:36 (…私はあくまで稲葉さんに質問したのです)景気をよくしてパイを拡大するということ(永続的に景気がよいというようなことが可能なのかどうか疑問ですが)と、仮に景気が悪い状態の中でも不利な者ができるだけ不利なままにならないような制度を考えるということは、どちらもそれぞれ必要なのであって、後者に取り組んでいる者を前者の立場から嗤うことは不毛です。制度の漸進的改良をどう構想するかということをも正面から組み込んだ議論をしていただきたいのですが。

一本釣り一本釣り 2005/11/19 02:04 内藤さん>普通に日本の会社だって潰れますよ。
本田さん>誰も制度の「漸進的」改良を笑ったりなんかしていないと思いますよ。上の議論をよ〜く読んでください。脳内で勝手に議論を作ってはダメです。

やまがたやまがた 2005/11/19 02:19 内藤様。

だいたい内藤さんの議論はわかりましたし、いい加減コメント欄には長くなってきたので、そろそろ切り上げます。さてぼくに言わせれば、相変わらずしょせんは無力な空理空論ですな。「ありえたかもしれない勤勉のスタイル」は、ありえたかもしれないけれど実際にはなかったし、かなりの確率でありえなかったか、あるいは長期的な安定性を持たないESSではないものだった可能性が極めて高いものでもあります。そんなものを頼みに、現状の多少なりとも機能しているシステムを否定すべきだと考えるほどの空想家ではありませんもので、内藤氏に一向に同意できません。その現状よりはるかにすばらしい「ありえたかもしれない勤勉のスタイル」って何です? それを出してからあれこれおっしゃいな。また、役人や大企業はオッケーだけれど、役所の掟や社畜はダメ、という議論は、一般には理解されないでしょう。掟や社畜をきちんと定義してから議論を展開されたほうがよいかと存じます。

また文系大学院への内藤さんの私怨はたいへんによくわかりましたし、もう何も申し上げませんが、これまただれにも支持されない議論ではあると存じます。また、イスラム神学校にいくと爆弾を投げるようになる、とかいう偏見に満ちた発言は控えられたほうがよろしいかと。非イスラムの理工系の大学にいったって、サリンを撒くバカはいるのですし。

さて最後に

>制度をこうした方がよいということと、制度が変わらないことを前提に
>自分がどうするかということはまったく別です。(中略)さすがに山形さんが
>マジでこの論理を歌い上げる方には思えません(マジだとしたら笑うしかありませんね)。

のくだりについて。では大いに笑ってください。ぼくはマジでその論理を歌い上げます。というより、この記述、特に「制度が変わらないことを前提に」という部分にこめられた内藤さんの制度というものに対する発想を、ぼくは否定します。

内藤さんの発想は結局はお上頼みです。内藤版の制度は、法律とかなんとかでお上が勝手に作って衆生に押しつけるものです。そしてお上が制度を変えてくださるまで、自分はなにやらあれこれ口だけ不満を述べ、身勝手な妄想をふりまいて、手をこまねいておればよいという低級な考え方です。

ぼくにとって制度とはそういうものではありません。制度とは、結局のところ、その社会の構成員が自主的に(いやいやかもしれなくても)やることの総和です。法律なんて、そのごくごく一部でしかありません。ですから制度を変えるというのは、ぼくにとってはまず自分からその行動を起こすことです。現在の著作権制度やソフトウェアのあり方について疑問だと思えば、ぼくはそれを少しでもよくすると思われる活動をしますし、またそれに関連した団体に寄付をして、現状を変える努力をします。途上国援助についても、足りないと思っているので、そこそこの寄与を自分の評価に基づき私的に行います。その上で、言論活動を通じて制度改変の必要性をも訴えます。それに賛同して自主的にやる人が増えれば、制度というのは変わるんです。既得権益がにらみ合いになったり、手詰まりに陥っているときにのみ、お上頼みの強制的なてこ入れはあり得る。またマクロ経済政策のような、個人では何ともならない部分もある。でも、個人でできる部分もあるのです。むしろそのほうが遙かに大きいのです。Put your money where your mouth is というのはぼくの大きな行動規範の一つです。なにやら法律によって社会の全員に何かをやらせるのがよいことなら、外部性とか合成の誤謬とかはありますが、それをぼく一人がやることだってよいことなのです。

したがいまして「制度が変わらないことを前提に自分がどうするか」という発想自体がぼくにとっては口先だけの人間の逃げ口上でしかありません。制度が<b>変わることを</b>前提として、変えるために自分がどうするか、というのがぼくの論理ではあります。教育機会が平等化されなら税金40%とられていいというなら、所得の40%(のいまの税金との差額)を自主的に教育機会の少ない人にあげてはいかがでしょうか。多くの人が内藤さんの活動および議論に感じ入ってそのひそみに倣えば、そのとき制度はすでに変わってるんです。制度というのは、ぼくたちの内部にあるんです。ぼくが変わることで、内藤さんが変わることで、制度も変わるんです。

(もちろん、すべての行動が制度改変に直結するわけではありませし、自分で何かをするのがすべてよいとは限らないのも当然のことです。バカで無意味ではた迷惑な行動は当然あります。だからその行動自体本当に有用かという検証は要るのですが、それはまた別の話。)

もちろん内藤さんは、「自分がどうするかということはまったく別」と理屈をつけて、何もしないで相変わらず愚痴をたれるだけでしょう。ついでに山形がいかに非現実的なバカかを論じ立てて嘲笑するでしょう。でも、社会が変われることを信じられず、さらにその変化に自ら投資することもできない人が唱える制度改革論って、いったい何の役にたつんです? それは通常、ニヒリズムと呼ばれます。ま、せいぜい頑張ってください。いつかお上が内藤さんの訴えを聞き届けて、内藤さんすら自分ではやる気のない制度をみんなに押しつけてくれるといいですね。では。

dojindojin 2005/11/19 04:32 やまがたさんのかっこいいコメントのあとになんですが。。。私がしどろもどろ聞きたかったのは、本田さんがすっきりまとめてくれたました。そして田中さんの話を聞いて、マクロ経済学者もいろいろ考えていることがわかって勉強になりました。ミクロ的基礎付けを伴ったマクロ経済学ってのは、こういうミクロな労働市場のあり方の議論にも繋がっていくわけで、リフレ派が景気の議論のみに終始するってわけではないはずですよね。ここらへんで出直してきます。

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/19 04:51  嘲笑はしませんが、頭の中が???です。というのは社会科学的にあまりにも基本的なミクロとマクロの水準の問題をこの人が混同するはずがないとすれば、何を言おうとしているのか?などと考えてしまったからです。
 まさか、「税金が10パーセントの1億人規模の社会で生活している一人の人が税金を40パーセントにすべきだという政策を主張するためには、まずその人の30パーセントの収入を寄付すべきだ。それをしないならば、税金を40パーセントにすべきという主張をすることはできない」といった主張をマジでする人が、本を書いて原稿料をもらったりするはずはないですよね。
 一億人規模の社会は内的な存在などではなく、外在的で拘束的なメカニズムなのだから、ぼくとあなたの二人が変わったぐらいで、変わるわけない。むしろ個人にはモノとして硬質にぶちあたるものです。
 だから、せめて活字で一粒の種をばらまいてそれを千倍万倍にして働きかけをしようと努力しているわけです。場合によっては一億人規模の社会に影響させるかもしれないという希望にしがみついて。
 自分の収入の40パーセントを寄付することなどは、まったく無に等しい影響力しか及ぼしません。ただの自己満足ですそんな基本的なことをいわなければならないのか、それとも遊ばれているのか、いまだによくわかりません。税金40パーセントは、特定の個人がやったりやらなかったりするものではなくて、社会全体で行われて福祉に環流して、はじめて一人一人にとって意味を持つ政策です。小学生でもわかる論理です。
 すくなくとも山形さんがいっていることは規模の小さい社会でしか通用しないことです。
 社会変革は、ある機能的な位置をある項が占めているときに、この機能的な位置をほかのそうでもありえた項が占めたかもしれないと想定して、その像を描くことによってヴィジョンを描きます。そうでなければ、今あるものは、これまで機能してきたというだけの理由で正当化されることになります。将来については、これまで機能してきたものが機能するかどうかわからず、このわからなさは他のそうでもあり得た機能的等価物についても同じです。
 たとえば組織の中で利益の交換を続けた人間関係への忠誠というこれまでの項から、完成度の高い職務遂行への忠実という項へと、エートスを変換すると、どういう波及効果や得失が生じるかというふうに考えるわけです。たとえば東海村の臨界事故や三菱自動車のリコール隠しは、人間関係への忠誠と職務への不忠実という組み合わせで起こっています。
 「日本的」というレッテルを貼られたメンタリティのほとんどは、数十年程度の新しいものです。今あるものは、次の時点ではあっけなく変わっています。
 イスラム神学校という表現ははまちがえました。撤回します。正しくは反米武力闘争のネットワークが設立した特殊なイスラム神学校ですね。うっかりしていました。
 わたしは文系大学院にはそれほど怨念を持っていません。それに文系大学院を否定しているわけではありません。わけのわからん呪文をぶつぶつとなえている文化人は、人口のごく一部、必ず存在する必要があります。ただし、それは就職先があるという前提での話しです。就職先がないのに、文系大学院を量産すると、先に警告したような危険が増大します。退院してからの人生を痛めつけないよう、需要と供給を予測しながら定員を設定すべきです。バッファーは、自動車教習所のようなものの方が望ましいです。それはコルフォーズとか徴兵制のようなものとは正反対です。
 社畜はもちろん俗語で、構造的に、企業にありとあらゆる人格と生活と社会性と現実感覚の側面を吸収されて生きる傾向が大きいことを、家畜の比喩で表現した語です。

やまがたやまがた 2005/11/19 09:18 >自分の収入の40パーセントを寄付することなどは、
>まったく無に等しい影響力しか及ぼしません。
(中略)
> すくなくとも山形さんがいっていることは
>規模の小さい社会でしか通用しないことです。


いいえ。マクロはミクロの積み重ねでしかありません。それは100人の村だろうと1億人の社会だろうとまったくかわらないのです。一人の活動の量は確かに小さい。でも、マクロな制度の変化は、その小さい活動の積み重ねでしかない。所得の4割を税金として召し上げようという制度を作るためには、一応民主主義の建前として、その社会の構成員みんな――あるいは過半数か多数――が、所得の4割を社会に拠出することがよいことだと納得しなくてはなりません。そしてそこで納得するのは、「マクロな社会」とかいう抽象的なものではなく、ごく小さな力しかない、ミクロな個人なんです。

その議論を納得させようとしている当人が「オレの貢献なんて小さいから行動しない」と明言するのであれば、その人は納得させるべき数千万人の最初の一人である自分すら説得するのに失敗しているのです。

そして有効に機能する制度においては、人は自分の貢献が小さくても、それが社会にとって確実によい影響を与え、役に立っているのだと感じなくてはなりません。自分の貢献、自分の行動が小さくても、それが多少なりとも社会を支えているのだと実感し、制度だから何かをやるのではなく、自分が自発的にそうしたいから(少なくとも、そうしないと困るから)やる、という状態にならなくてはいけません。人が社会に所属し、社会の一員としての意識を持つというのはそういうことです。みんなが「おれの貢献なんか小さいんだからやっても無駄だ」と思うような制度は、制度としてそもそも成立しないし、それが拡大すればその社会の存立すら危うくなります。これはあんたら学者さんが言うアパシーってやつです。

内藤さんは自分が社会の一員であるという自覚をなくし、なにやら抽象的な「マクロ」なるものでしか社会をとらえていません。そして自分は己のアパシーにあぐらをかいています。でも、自分の行動が何も影響を持ち得ないと考える人が、なぜ自分の言論ばかりは数千万人に影響を与えられるなんて思うんでしょう。自分一人すら行動させることのできない、空っぽの言論しか紡げないくせに? そういう言論をすべきでないとはもうしません。また無理に金を出せとももうしません。家のローンとか宴会代とか、いろいろ物いりでしょうし。でも、税金を増やす、というのが目的ではなく、その税金でしたいことがあるんでしょ? その方向でできる行動はいろいろあるでしょう(見当違いの行動でないことは確認のうえ)。もちろん、それをしない言い訳はいろいろあるでしょう。しないであれこれ制度論を他人事のように述べ立てることも、するなとはもうしません。ただ、なぜその言論が机上の空論にとどまり、説得力を持たないばかりか、卑しくさえあるのかについては少し考えてみるのも一興ではないかと思います。内藤さんは、決してわからないでしょうから、考えるだけ無駄です。でも、これを読んでいる他の人は、是非とも考えていただきたいと思います。

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/19 10:10
「問題解決アプローチにははさまざまな水準がある。たとえば、次の二つの水準を考えることができる。

機制度的枠組が変わらないことを前提にした問題解決アプローチ(今、目の前で苦しんでいる「このひと」をいかに救うかという、個別のケースに対する問題解決アプローチは、この水準に含まれる)。

供Ε泪ロ的に問題が蔓延しエスカレートしないようにするにはどうしたらよいかという問題解決アプローチ

 いじめ問題に対するこれまでの議論では、このに水準を考慮していないと思われるものが多い。
 この二水準はしばしば相反する。たとえば、現存の構造の中で生じる悲惨に一人一人が対処する営為の集積が、当の構造の再産出に強く関与する場合もある。また、望ましい社会像に準拠した行動をとることで個人が悲惨な運命をたどることもある。次の事例は、疑綵爐鉢郷綵爐了箸なけを誤った典型例である。

【事例1・学校なんていかなくていい】
 登校拒否と呼ばれる若い人がある精神科医のもとを訪れた。その精神科医は「反学校囲い込み主義」者であった。精神科医はおもむろに「学校なんていかなくていい」と言った。それを契機に激しい家庭内暴力がはじまり、家族は崩壊の危機に陥った。父親は深い鬱状態になり自殺した。

 学校が若い人のあらゆる生活を囲い込む社会状態では、広範な習慣形成が学校生活の影響下で形成されており、リアリティ全般が学校化されているであろうことは、「反学校囲い込み主義」の精神科医であれば容易に想像がつくはずである。しかし上記の精神科医は、学校への囲い込み政策に反対する立場から、クライアントに対して政策論的に「正しい」主張をした。精神科医は学校に自己存在を根こそぎ収奪された状態で訪れたクライアントに、おもむろに「学校になんていかなくていい」と言ったのである。
 ケアの専門家としての基本的な考え方は次のようなものであろう。たとえば親から虐待される子どもほど、その加害者(親)に対して、普通の子どもなら示さないような強烈なしがみつきを断続的に示す傾向がある。また、カルト教団に「洗脳」された被害者や「わるい男(女)」に驚くべき金額を貢がされる女性(男性)は、自己の存立基盤をその加害者との関係に負うまでになっている。そのとき心理臨床家は、おもむろに心理的切断をはかるのではなく(この乱暴な処方は、被害者を「自殺」に追いこむ危険がある)、安心できる別の関係領域の飛び地をふくらませながら、少しずつそこに自己存立の基盤を移していくように促す。加害者との心理的切断を断行するとすれば、その後である。集団生活でぼろぼろになった生徒の多くは、「学校なんていかなくていい」と言われることで救われた気持ちになる。しかし「重症の学校病患者」の場合、その言葉で救われた気持ちになることができる段階にまでもっていくのがたいへんな仕事であり、このタイミング判断が専門家の特殊技能となる。
 上記の精神科医の判断ミスを次のように考えることができる。すなわち、気凌綵爐紡腓なウェイトづけがなされるべき職能領域の局面に、兇凌綵爐任痢崟気靴ぁ彈匆駟儚彝萋阿龍斌未混入し、専門家としてのタイミング判断を狂わせたのである。
 これとは逆に、当事者の感情表出は加害者へのしがみつきですら共感的に受容すべしという疑綵爐任痢屬燭世靴ぁ弩饗Г髻加害を構造的にもたらす制度を政策的に尊重すべしという郷綵爐亮臘イ悗伐3蠅蠅気擦誅斥もある。
 その一例として、強制的共同体としての学校を自由化から守ろうとする人たちの声をあげてみよう。
(中略:以下「学校応援団」批判)
 疑綵爐鉢郷綵爐竜掴世北瓩蹐Α上記の精神科医が郷綵爐痢崟気靴ぁ彑度・政策論を疑綵爐忘入させ、クライアントに不適切な「説教」をするのに対して、「学校応援団」は疑綵爐任里漾崟気靴ぁ彈容と共感の論理を郷綵爐忘入させ、その混乱に乗じて郷綵爐任寮気靴だ度・政策論を覆そうとする。」
(拙著『いじめの社会理論』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4760120882/qid%3D1102954799/250-9534838-1961055より)


 どうもマジで言っているらしい山形さんに疑綵爐鉢郷綵爐龍菠未量簑蠅鮓譴蹐Δ箸もって引用していましたが、そんなことはどうでもよくなりました。それよりもこの事例1の精神科医の失敗は、ラヂカリストの政策の失敗と同型ですね。社会学者の仕事は青写真(社会構想)を描くところまでで、あとは経済学者のタイミング判断におまかせしておいた方がいいような気がします。

Yasuyuki-IidaYasuyuki-Iida 2005/11/19 10:21 いまさら(そして聞かれても居ないことに返答することになってしまいます)ですが本田氏の言及にたいして……少々コメントを.比喩を使った議論は不毛だとは思いますが,ちょっと上手いこと言うなぁと思ったのは「ぽかーん↑」氏の指摘です.

経済政策の手法選択に関してマンデルの定理というのがありまして,「各政策手段は、それが相対的に最も効果を発揮する政策目標に適用すべきだ」というもので経済政策の比較優位原理とも呼ばれます.

そこから考えますと,ターゲット型の経済政策というのは完全雇用からの乖離を小さくすることに相対的有意を持つのであって,その他のことは他の政策に任せるべき仕事です.その意味で,

>仮に景気が悪い状態の中でも不利な者ができるだけ
>不利なままにならないような制度を考える

これは(私はこれこそが最も重要な政策だと思う)金融政策の仕事ではないので,金融政策の話をするときには積極的に切り離して議論しなければならないと思います.田中さんがこういった影響にも言及されていますが,これはあくまで参考までに雇用にも悪い影響はないよといういみと思います.通常は,金融政策を所得再分配に割り当ててはいけません.

なお,

>永続的に景気がよいというようなことが可能なのかどうか疑問ですが

についてですが,長期的な完全雇用GDP(=非自発的失業がなくなるGDP水準)というのは労働人口・資本ストック・技術水準から決まっており成長政策・競争政策と呼ばれる政策群の範疇です(つまりは金融政策の役割ではない).で実際のGDPと完全雇用GDPの差を小さく保つための政策が安定化政策と呼ばれます.安定化政策の手段が財政や金融.

その意味で経済論壇でのリフレ派という括りには疑問があります.インフレーションターゲットや名目GDPターゲットを主張する人の多くは「ルールに従った経済政策をすべきだ」「今は通常のルールを適用すると徹底緩和継続が必要な時期だ」というふたつの考え方をもっています.だから,景気が過熱して来たら「今は通常のルールを適用すると徹底引締が必要な時期だ」となるでしょう(80年代後半の岩田規久男氏を想起せよ)

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/19 11:30 山形さんとかぶってしまいました。
社会を単数で語ることはまちがいです。
社会には社会A、社会B、社会C……とあり、その水準ごとに何がアノミーであるのかが異なります。
40億規模の人類も一億規模の国も家族も友人のグループも地域も、全部大から小まで社会ですから。
また社会の水準ごとに統合のメディアが異なります。
そして、それらは断固、異なるべき!なのです。
たとえば国を家族のように大切にすべきだという、水準の混同を煽り立てることは、百害あって一利なしです。零戦でアメリカ空母に突っ込んだりする悲惨は、一億規模の社会A(大日本帝国)を、数人規模の濃密な社会B(家族)の統合媒体で統合すべしという要求によって煽られます。国家を家族のように思わない者がふえることはアノミーである、というは右翼の論理です。
国家を家族のように思うことが厳しく当然視される北朝鮮や戦時中の大日本帝国のような社会ほど、不正と残酷が蔓延します。
みわたすことができない不透明な人たちの不透明な連鎖としての一億規模の社会にいきわたるべき統合の媒体は、きちんと物象化された普遍的なものが行き渡っていることへの信頼です。

kondoukondou 2005/11/20 03:13 もちろんそうですよ。だから国が「家族のように」福祉を先導するべきだという議論も、国が「別の志向を持つ社会B」に対して医療をタダにして教育をチケット制にするべきだという議論も、慎重であるべきですよね。いずれにせよ内藤さん、大変失礼な言ながら戯画的な例えの連投を控えられて、少し話を戻しませんか?

ご自分で「コンセンサスが得られにくい」とお認めのように、現状では空理空論に近いその「社会学者が考える青写真(社会構想)」を、長期的に斬新的に目指す立場がありうる(かもしれないかもしれない)、ということは誰も否定は致しませんよ。北欧は、それ自体は興味深いモデルではあるとおっしゃった山形さんのように。

で、それを実現し、その構想を下部的に支えてくれるかもしれない「不況脱出」なり「経済状況の安定・成長」なりに、短・中期的にリフレ派や「いわゆるネオリベ」なりを織り込んでご自分の青写真(社会構想)を修正または留保してゆく必要は、お感じになりませんか?

性急なラディカルは、2ch山口スレや「教養」の、正反対の隘路に絡め取られる危険があるという指摘に適合しちゃうように思えてならないです。

リフレ派や「いわゆるネオリベ」に対するリベラルの立場として、利用されることはマズいけど、利用されることを恐れて拒絶することも生産的ではないから、利用しちゃおうとコミットする方向・・・が、十分可能ではないでしょうか?つまり、「ミイラ取りがミイラにならないように」。

あるいはそれも「構造の再産出に加担すること」だとして、退けられますか。

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/20 13:40 「それを実現し、その構想を下部的に支えてくれるかもしれない「不況脱出」なり「経済状況の安定・成長」なりに、短・中期的にリフレ派や「いわゆるネオリベ」なりを織り込んでご自分の青写真(社会構想)を修正または留保してゆく必要は、お感じになりませんか?」

その通りです。だから、それをやっていそうな国々のやり方について、どうなってるの?と興味しんしんなのです。そのあたりのことに詳しい方がいらっしゃいましたら、よろしくご教示のほど、お願いいたします。
それから、山形さんからの非難に応える作業でたくさん書き込みをしすぎました。
 国の位置づけについては「国は保護する責任がある=国は家族だ」というようなものではなく、抽象的な設定やコミットの質の問題であろうと思われます。
 たまたま今現在コンセンサスが得られがたい提言が、即、空理空論とは限りません。またコンセンサスが得られた?空理空論によって、アメリカと戦争をするといったこともありました。わたしは欧州キャンペーンをきちんと打つと、「ニート」なみの流行は引き起こせると予想します。

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/20 16:11 訂正とお詫び
山形さんからの非難
→山形さんからの批判
失礼いたしました。単なるいいまちがえです。
「そうだ一度田中秀臣さんを呼んで、本田由紀さんも交えて一席設けましょうかね。」
稲葉さん、こんな一流の方々から個人指導を受けることができるなんて、夢のようです。
もしよろしければ、専門家がど素人を説得する練習台にお使いください。きっと一般向けの本を書くときの役に立つと思います。

内藤朝雄内藤朝雄 2005/11/21 09:50 誤解を避けるために。
 大学院の話は、あくまでもマクロ的な人口層分析です。そのための行為者モデルを理念的に描いたのです。理念的にというのは、デフォルメしてということでもあります。就職が絶望的な大学院生の大半は善良な人々でしょう。わたしが描いたような呪文&妬み&憎悪の人は、おそらく十数人に一人ぐらいにとどまるでしょう。でも、仮に十数人に一人としても、その人口層はマクロ的に見れば危険だということです。現実の大学院や大学院生を貶めるつもりはまったくありません。問題は就職先がないということであって、そこから妬みとみじめさを「ただしい」ヤツアタリに変換する左翼と右翼の受け皿が増殖し、世にあふれ出す危険性を予測しているのです。就職先のない大学院はその培養基に「なりかねない」という将来予測です。
 わたしは、大学院生を劣等な存在と言っているわけでもありませんし、大学院を潰せと言っているわけでもありません。就職先もないのに、これ以上大学院を増やすな!、増やすなら職業的技能と直結して就職できるバッファーを増やせ!、と言っているのです。