さよなら文化、そしてこんにちはウ○コ

ずいぶんと更新していなかったけど、それはいい回文が思いつかなかったまでなのだが、前書いたエントリが以外にも注目されていて、いい加減な文章で正直すんませんという気持ちだけど、そこまではっきりと提起したい問題があるわけでもなく、今回もずっと気になっていた点についてちょっと書いておく。
なお世間のはてなを賑わしている、件の騒動については詳しくはしらないので、それに関係する内容であっても、その議論になにか言いたいわけではないのでそこらへんよろしく。あ、ただチャーチルさんには俺も会って見たかったYO!
前のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20060501/p3)で基本的に言いたかったことは、オタクvsサブカルにしろ、腐女子vs文化系女子にしろ、古くは中二病にしろ、これらの議論は「文化」ってもんを非常に矮小化しているように感じるってことだ。つまり前者が後者を批判するときに使う戦術はいずれも、敵対する「文化」の利害=関心を暴いて、自らの趣味の純粋性を主張することがほとんどだということ。
オタクはサブカルに対して「オマエラ、カッコつけたいからってそんな小難しい音楽(とかマンガ)を好みやがって。俺らは純粋に好きなだけなのに忌み嫌われる」
腐女子文化系女子に対して「アイツラは、モテたいがためにオサレな映画(とか雑誌)をスキとかいいやがって、(以下だいたいいっしょ)」
なんというかここ最近の議論に関わる「文化」や「趣味」が他者との関係において構築されるという点を捨象しているというか、健全な「趣味」や「文化」ってのは純粋な欲望ののみによって成り立っているかのように語られる。そして他人の視線や、自らの社会的な利害(つまりはモテたりカッコイイと思われたり)によって駆動されるものは病とされる(中二、高ニなど)。
それが動物化なのかなんなのか知らんが、そこにはちょっと昔の「文化」という言葉にあった含みのようなものはなくなっている。その昔、石田純一「不倫は文化だ!」とかいってわけのわからん自己正当化を図ったが、あれは「文化」というものがただの好き嫌いを越えたナニモノかを指すからこそ、一瞬納得しそうになるんであって、「不倫はウ○コ(をするようにでるときゃでるん)だ!」って言っても何ら説得感はなかったであろう。
とにかくこういった議論に欠けてるのは、根本的に人間の好みというのは社会的に構築されているのだから、他人の目を気にして当然といったことなんだが、どうも話が相手の利害=関心を暴くような、俗流マルクス主義イデオロギー分析みたいになりがちでアレである。
自分の好みは自分の欲望だけによって決定されていると思うやつは「文化系」に対抗して、「ウ○コ系」を名乗ればいいのである。ためしに口を指で広げて「ブンカケイジョシ」って言ってみな。