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2012-12-31

[][][]さやわか『僕たちのゲーム史』書評会&To The Moon座談会 さやわか『僕たちのゲーム史』書評会&To The Moon座談会 - 死に舞 を含むブックマーク

年の瀬大掃除も満足にできず、1年振り返るのもめんどくさい死に舞です。来年不安定収入のため、どうなるかわかりませんが、新年イベントのお知らせです。

こちらで(http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20121114/p1感想も書きましましたが、さやわかさんの本を松永くん(@zmzizm http://9bit.99ing.net/)の勉強会書評会を開きます

僕たちのゲーム史 (星海社新書)
さやわか
4061385240

まあきっかけはこの本がすごく良く出来ていたので、アカデミック勉強会やっている人たちとも議論したいと考えたからです。さやわかさんにも来ていただけるので当日は面白い話が聞けそうです。基本的には勉強会のメンバーでやりますが、有志の方は参加していただいてもかまいませんので、私のTwitterメールaka.shinimaiじーめる)にでも言ってください。

さやわか『僕たちのゲーム史』書評

場所:都内某所(連絡してくれた方に教えます。)

日時:1/5(土)13:00〜

当日、Ustreamでの音声配信を予定していますが、機材の関係でそれほどクオリティの高いものにはならないと思います。なので、あまり期待せず、ぜひとも聞きたい人は連絡して直接くるのオススメ

また同日の夕方(18:00くらい)から特別企画として、海外のインディーゲームTo The Moonについて(ネタバレ座談会をやります。To The MoonRPGツクールで作られた海外アドベンチャー(?)ゲーム国内版はPlayismからリリースhttp://www.playism.jp/games/tothemoon/)され、そのキャンペーンもあって日本でもブロガーさんたちのレビューが行われました(詳細:http://playism.blogspot.jp/2012/11/to-moon.html)。自分プレイしてレビュー書こうと思いましたが、なんというか無駄考察を重ねるばかりでなかなかレビューかけなかったのでいっそ座談会でもしようかと思いました。あと、このゲームはただ一人でやるより、人と話あったりするネタにすごく良い。プレイした後、レビューを読むのもすごく楽しかったです。この楽しみを続けるためにも座談会するのはありかなと思いまして、さやわかさんの書評会の後に開こうと思います

To The Moon座談会ネタバレしまくり)

場所:都内某所(連絡してくれた方に教えます。)

日時:1/5(土)18:00〜

こちらもUstreamする予定ですが、参加したい人、To The Moonについて話したい人など歓迎などで連絡いただけるとうれしいです。

===追記===

こちらのURLで放送予定です。

http://www.ustream.tv/channel/shinimai

2011-07-21

[]サイバーバロックの系譜2:弐瓶勉サイバーバロックサイバーバロックの系譜2:弐瓶勉とサイバーバロック? - 死に舞 を含むブックマーク

前回のエントリhttp://d.hatena.ne.jp/shinimai/20110609/p1)が好評だったら続き書くとか行ってたけど、実際には自分の好き勝手やってるだけで、サイバーバロックという空想概念を駆使して自分の好きなものを他人に勧める俺ワールドを展開したいだけです。ともあれ、期待してお読みいただいた方々にも納得行けるようなお話をデッチあげられればと思い、今回は弐瓶勉について。

正直、私は弐瓶ファンとしてはかなりのニワカでして、そもそもあんまりマンガを読まないせいもあるんですが、ふとしたきっかけ(実はそのきっかけこそ、このエントリシリーズの要だったりするんですが、それはまだ隠しときます(笑)弐瓶作品を読み、すぐに虜になりました。

そうこう読む内に弐瓶勉作品がどういう系譜にあるのかも当然考えて、まあ作品から明白に取れる意匠はたくさんあれど(例えばBLAME!のセーフガードがクリス・カニンガムのロボットデザインだとか。でもそもそもああいアンドロイド的デザインの元ってなんでしょうね。フリッツ・ラングメトロポリスあたりだと思うんですが。あとこの手のデザインはアニメだとErgo Proxyがモロやってますよね。あれはむしろ弐瓶勉デザインだわって。)自分的には何に位置づけるかを考えてきました。

まあそもそも今はシドニアの騎士で、何故か王道萌え)ロボット漫画をやっているわけで、弐瓶作品を一つの軸でくくるのが暴挙であるBLAME!学園もあるし…)のを承知しつつ考えていっても、実のところBLAME!にしてもあれをサイバーパンクっていうのは無理があるのではないだろうかって思います

BLAME!(2) (アフタヌーンKC)
弐瓶
4063141942

デビュー作(?)のBLAME! 拳銃いや違った重力子放射線射出装置(笑)がフィーチャー

シドニアの騎士(3) (アフタヌーンKC)
弐瓶
4063106802

シドニアの騎士!ついに大々的に萌えに走った(笑)

もちろん、「日本的な文脈」におけるサイバーパンクの要素はBLAME!にはあると思います。なによりも主人公が無口で孤独で、一人で拳銃をぶっ放すあたりが、まさにブレードランナーというか、ブレードランナー以外のなにものでもない。でもサイバーパンクにとっての拳銃ってたまたまブレードランナーがそうであっただけなような気がして本質的な要素だとは思えない。もちろんハードボイルドの要素はもともとのサイバーパンクにもあるとは思いますが、なんでデッカードはそんな貧素な武器で大層な任務を遂行せなならんのか(笑)とつっこみいれたくなります

BLAME!なんですが、この話、サイバーパンク的にというかそもそも電脳世界を描いた物語のなかでもかなり異質です。ってのはBLAME!におけるサイバースペースにあたるネットスフィアは、そもそも誰もアクセスできない状態で、実際に物語の描写においても、描かれるのは荒廃した遠未来現実世界、あのメガストラクチャーばかりだから。つまりBLAME!とはどちらかといえば反転したサイバーパンクというか、サイバースペースに入れないけどよくわからん現実世界におるっていう話なのであり、その現実世界がすべて機械で作られているという逆説的設定なのだ。そしてこの設定でこそ「大地って何だ。」という霧亥のセリフが生きて、シボが垣間見ネットスフィア映像がすごく感動的なんだけど、あれってつまりウィンドウOSの背景だよねっていうドライな笑いをさそっている。

なんか脇道それたけど、つまり言いたいことは一番サイバーパンクに近そう(っていうかそう言われるときもある)BLAME!にあってもサイバーパンクとは違うなにか成分の方が大きいってことが言いたかったわけです。そうしてサイバーパンクにこだわらず弐瓶作品を考えると実際には、なんだかわからんけどカッコイイ豪華なガジェット、ヒロイックな主人公と絶対王政的権力、個人の内面を描く以上に全体のシステムを描く、そういった意味ではサイバーバロックとして読めてこないか?っとなるのです。

シドニアの騎士にしても、あれは確かに弐瓶勉にとってはかなり大胆な作風の転換なんだと思うけど、サイバーバロックとして見た場合(まあどこがサイバーなんだよwwっていうツッコミは置いといて)、ワイドスクリーン・バロック的なヒロイックストーリーってことに収まる。だいたいのところ弐瓶勉キャラクターはもともとのサイバーパンク的な一人称的語りや個人の内面の探求というよりも、もっと様式化された見た目のカッコ良さ成分が強めであったわけだから、それがちょっとコミカルな要素に触れてシドニアの騎士の主人公の谷風長道になってもおかしくもない。そもそもがBLAME!の主人公の霧亥だってどこか可笑しさを誘うキャラであったわけであるから

と、そういう表層的な意味での類似性を置いといても、やはり弐瓶勉作品の一貫したモチーフは巨大建築であることはまちがいない。そしてその意味においてもやはりこれは個人というミクロの内部の広大な領域を描く傾向にあるサイバーパンクというよりも、絶対的な巨大な建築権力)の中で翻弄させられるミクロヒーローというサイバーバロック的要素(というのをまあ俺が言ってるだけなんだけど)に溢れていないだろうか?

ちなみに以前、このサイバーバロックの話をしたときid:inumashさんに「こういう話をするなら『CASSHERN』(というか紀里谷和明)を外すことはできないと思うんだ」という指摘を受けて、映画版CASSHERNのカッコイイシーンだけネットでみたんだけど(全部見なくてすみませぬ…)、あったしかにこれは自分が思っている意味でのサイバーバロックだと感じた。確かに紀里谷のPVとかSF的要素が異常にど派手なビジュアルと混合していて、まああくまでも表面的な意味サイバーバロック的要素に満ちていると思うし、前回触れたアニメ『岩窟王』にも近いと感じた。

それでまたこれが運命のヘンテコな出会いみたいんだけど、弐瓶勉バイオメガをちょっと読んで、あれこれキャシャーンじゃないって思ったら、非常に腑に落ちたわけです。まあそもそもオリジナルのアニメのキャシャーンを見てないからちょっとよくわからないんだけど、たぶんオリジナルのキャシャーンの設定にもサイバーバロックの要素ってのがあって、それが弐瓶勉バイオメガに影響を与え、オリジナルのキャシャーンを映画化するに当たって紀里谷が弐瓶勉バイオメガモチーフとした当たりの流れがかなりありそう(宇多田ヒカルバイオメガの帯を書いているんだけど、どうも当時の夫に勧められて読んだ可能性があるらしいから)。

まあ本当にザレゴトなんで別に落ちとかないんだけど、俺のなかではこれからは「弐瓶勉サイバーバロック!」ということになりました(笑)

BIOMEGA 6 (ヤングジャンプコミックス)
弐瓶
4088776224

圧倒的な巨大さがまさにバロック

CASSHERN [DVD]
紀里谷和明
B0001A7D0O

今見ると思った以上にデザインが弐瓶的だった件ww

2011-06-09

[]サイバーバロックの系譜 サイバーバロックの系譜 - 死に舞 を含むブックマーク

比較的、仕事・研究活動に余裕がある時期なので、久しぶりに駄文を書いてみる。

個人的に私は、何事かの余暇や趣味において物事を鑑賞したり楽しんだりするとき、その趣味(tasteという意味での)の中枢や系譜が何であるのかを意識する。音楽において自分のUSインディーの系譜はアメリカのビート文学的メンタリティとイギリスのパンクのインパクトから産まれた一つの潮流として自分では把握しているし、ある程度、説明もできる気がする。今回は最近、私が欲しているような世界観や物語のあるテイストについて書いてみようと思う。

タイトルに「サイバーバロック」なる言葉を題したが、これは私の造語であって、特にそういうものや様式(スタイル)が既にあるわけではない。ただここ数年の私がとりつかれている物語ゲーム、そうったものが持つある種の雰囲気をサイバーバロックという言葉で表現したいだけである

サイバー」という言葉はわかるとおもうが、SFにおける「サイバーパンクからとった用語である。私はSFについてそれほど詳しくないのであるが、サイバーパンクモチーフとはごく大雑把にいって、高度情報技術、世界や宇宙よりも個人の内面、組織から外れたアウトサイダー(パンク)、私的な独白によるハードボイルドタッチといったモチーフが挙げられる。ところが日本で「サイバーパンク」という言葉の使われ方は、以上のような元々のサイバーパンクSFが持っていたモチーフというよりも、映画『ブレードランナー』の持っている雰囲気に影響されているように思われる。

ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray]
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ブレードランナーサイバーパンクか否かとかそういった問題はまあ難しいし、SF好きの中でも議論されているだろうが、少なくとももともとの80年代サイバーパンクムーヴメントが持っていたモチーフとは異なるものとして日本人の想像力に影響を与えたように思える。(参照:サイバーパンク - Wikipedia

そのブレードランナー的なモチーフとは、退廃的な近未来社会、テクノロジーの発達の先にあるゴシック的廃墟美とか、実際のところ情報技術とか関係ないある種の映像的イメージ、世界観にあると思う。つまり物語形式や思想、メッセージよりももっと漠然とした雰囲気や様式(スタイル)にその主眼があるのだ。

そういった「ブレードランナー的雰囲気」をサイバーパンクとして表現するのは、やっぱり角が立つというか、ミスリードであると思うので、個人的には「サイバーパンク」というより「サイバーゴシック」とか「サイバーバロック」とか呼びたい。まあサイバーってなんねんって思う人もいるだろうが、そこは言葉のあやとしてお許し頂きたい。

例えば、押井守版攻殻機動隊はサイバーパンクとしてのモチーフの極めて優秀な実例だと思うけど、第二作「イノセンス」はサイバーパンク的要素と同じくらい「サイバーゴシック」的要素が豊富である*1

イノセンス アブソリュート・エディション [Blu-ray]
B0018BL6SU

イノセンスの映像描写の美しさは、どちらかといえばサイバースペースの表現というより、あの未来の日本の退廃的美しさや択捉特区の巨大なビル群、汎東アジア的な混交文化にあるように思われる*2

実際にその世界観の描写において押井守自身が建築様式に意識的であったと言われる。押井自身の言葉によると、たしかチャイニーズ・ゴシックという仮想建築様式があの世界観の基礎ということだ。

周知の通り、「ゴシック」というスタイルを表す用語は、美術史の様式の中でも極めて人気が高く、何度も何度もリバイバルされ、現代では端的に「ゴス」と呼ばれるファションやスタイルに完全に定着している。もちろん、オリジナルのゴシック建築とゴスのスタイルがどれほど共通点を持っているかは、かなり謎ではあるが、現代においてもゴシックの系譜は根強くポピュラー文化に残っているのは間違いない。

一方、美術史の様式においてゴシックと並ぶほど重要な「バロック」に関してはそれほどの人気はない。バロック様式が他の地域に影響を及ぼし、「ウルトラバロック」と呼ばれる特異な建築様式を生み出したこともあるが、現代の文化においてバロックは少なくともゴシックほどのポピュラリティはないのである。この人気の差異自体、理由が気になるところだが、おそらくゴシックよりもバロックというものの雰囲気やイメージが掴み難いのであるように思える。バロックの持つ特徴は、建築や音楽、絵画などでかなり異なるし、廃墟美のような典型的な美的範疇を持ちにくいようだ。せいぜい「バロック的」と表現することによって意味されることは、その派手さやケバケバしさ、巨大さ、荘厳さなどといったものであろう。ただ多くの美術史家たちが共通しているのは、これらの美的要素が絶対王政という権力システムやメメント・モリといった時代精神を反映しているということであって、端的な見た目に現れるものではないのかもしれない。

以上のように現代のポピュラー文化においてバロック的なものはそれほど人気がないわけであるが、以下では例外的にバロックモチーフ、しかも近未来的なSFバロック的なモチーフが融合している事例、つまり私が「サイバーバロック」と呼ぶ事例を紹介していってみよう。

まずかなり意図的にバロック的なモチーフを利用しているように思えるのは、ゴンゾ制作のアニメ『巌窟王』(2004)だろう。

巌窟王 Blu-ray BOX
B005014DB6

巌窟王はアニメーションの出来としてかなり素晴らしいし、この時期のゴンゾのアニメには注目すべきものが多いのではあるが、ここでは巌窟王のサイバー要素とバロック要素について簡単に紹介したい。周知の通り、巌窟王とはデュマのモンテ・クリスト伯であり、このアニメはその翻案なのであるが、複雑なことにもともとこの企画はアルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ』のアニメ化を目指していたのだ。ベスターをアニメにしようとするゴンゾの気概には目を見張るものがあるが、著作権上の理由から結果として、実際にはベスターの『虎よ、虎よ』がモチーフにしていた『モンテ・クリスト伯』を原作としたアニメ化になった。

しかしながら、もちろんモンテ・クリスト伯を忠実に再現するというより巌窟王は大胆な翻案がなされており、舞台は月への植民や惑星間移動が可能になった未来であり、ロボットによる戦闘シーンがあったり(一回だけだけどw)、ベスターの作品にあった要素も取り入れようとしている。モンテ・クリスト伯が屈辱から復讐を目指す主人公の視点から描かれるのにたいして、アニメの巌窟王は復讐される側の貴族の息子アルベールの視点で描かれるなど、物語自体の翻案の巧みさなど素晴らしい部分はいろいろがあるが、ここではその映像的イメージと世界観に言及する。

巌窟王は非常に興味深い世界観を、ベスターの翻案にももともとあった近未来的要素と原作の第二帝政期のブルジョワジーと貴族の社会を融合(そもそもベスターの作品自体「ワイドスクリーン・バロック」と呼ばれる)を映像によって表現している。クラシックな車とサイバーガジェットの同居、オートクチュールの衣装に投射されるテキスタイルのイメージなど、SF的要素とフランスの第二帝政期の雰囲気の融合の果てにある意匠は「サイバーバロック」と呼ぶにふさわしいように思える。もちろん、第二帝政期はオリジナルバロック時代の絶対王政とは時代がかなり異なるが、その権力の集中と奢侈の文化はバロックと呼ぶにふさわしい。何よりもアニメ巌窟王の公式のキャッチコピーはそのジャンルを「幻想の未来都市パリを舞台に復讐のパンクオペラが幕を開く」(参考HP404 Not Found)と呼んでいる通り、やはりこの作品にはバロック的要素が根強いのである(オペラと絶対王政のつながりについては適当に調べてください。)。

絶対的な権力の元にある近未来世界、奢侈の文化、視覚的な未来的派手さ、こういった雰囲気全体がサイバーバロックの特徴だと勝手に妄想している。ただし巌窟王のサイバーな部分は端的に未来であるという以上にはなく、その点はちょっとうすいけど、まあ長くなったので今回はこのへんで。

この話、反響があればまた書きます

*1:ちなみに同じ攻殻機動隊でもSACはサイバーパンクだとは思わない。なぜなら、SACの素子は単なる組織の犬であって、原作のマンガや押井守版にあるような個人的な知的好奇心による探求やアウトサイダー的振る舞いをしないからだしかしながら、このことは作品としてのSACの出来を貶めるものではにない。

*2:もちろん、イノセンスの面白いところは、そのような現実と思われた映像描写が実はサイバースペースの中であったことを示す場面にあるが。コンビニでの襲撃シーンやキムの館のシーンなどのループ構造である