櫻井書店本、柳瀬正夢装丁、『はたらく一家』

11月中ごろからちょ〜多忙な日が続き、気にはなっていましたが、すっかりブログの更新から遠ざかっておりました。アクセスしてくれていた方には本当に申し訳ありませんでした。


先週の土曜日にやっと古書市に足を運ぶことが出来て、高円寺で何とも今一番ありがたい書物を購入してしまいました。丁度櫻井書店の話を「本の手帳」創刊2号用に書いているところに、柳瀬正夢装丁、徳永直『はたらく一家』(櫻井書店、昭和16年4月初版)を2500円で購入してしまったのだからたまらない。ネットで検索すると10,000円で売っていた。木の芽をデザインして、ネジ釘のマークが付いているのが柳瀬の装丁した『はたらく一家』だ。このねじ釘のサインがプロレタリアアートで知られる柳瀬の署名でもある。

柳瀬正夢の桜井書店本はこの他にも徳永直『風』(櫻井書店、昭和16年8月初版3000部、9月再版1000部)の装丁をやっている。いずれの作品もあのダダイズムの影響を強く反映する[mavo]に加わっていた大正12年頃や、グロッスの影響を受けてプロレタリア美術をやっていた昭和初期の頃の面影はなく、何ともほのぼのとした装丁で、柳瀬ファンとしてはちょっと物足りない気がしないでもない。



マヴォ」も「三科造形美術協会」も解散し、第二次世界大戦の足音が聞こえてくると当局の弾圧が日に日に厳しくなり日本が国際連盟を脱退した翌年の昭和9年には「プロレタリア美術家同盟」も国家権力に追いつめられ解散を余儀なくされた。読売新聞に連載していた柳瀬漫画も昭和10年8月を最後に紙面から消えた。雑誌への寄稿も昭和12年以降は無くなり柳瀬は公には漫画を描ける状況ではなくなってきた。


昭和16年にはプロレタリアアートだけではなくシュールリアリストまでも弾圧を受け、滝口修造や福沢一郎も逮捕された。桜井書店の装丁を手がけるこの頃には、これらの装丁にあるような絵しか描くことが許されなかったのだろう。柳瀬は最も勢いのあった時期を過ぎて、精神的にも精気がなくなっていた時期だったのではなかろうかと推察する。



購入して数日経ってから、『はたらく一家』という書名に何となく見覚えがあり、書棚を調べて見たら、赤松俊子装丁、彫刻・手摺加藤銃吉、徳永直『はたらく一家』(櫻井書店、昭和23年重版*三刷)の異装本ががでてきた。戦後間もなくの出版で、表紙の紙は薄く粗末なものだが、ピンクとスミの2色手摺木版の愛らしい本だ。


この初版と重版が発行される7年間の間に、太平洋戦争が終ったわけだが、戦時中に版が焼けてしまったので異装本になったのだろうとぼんやりと考えていたが、調べて見るとどうやら版は無事だったようだ。ではどうして異装本になったのか?


ここまできてやっときが付いた。柳瀬正夢は確か終戦の年(1945年)に娘に布団を届けようとして新宿に出てきたところを、新宿駅西口の空襲で焼夷弾にあたって亡くなったというように記憶しているが、柳瀬の死が『はたらく一家』の異装本を作らせることになったのであろう。


今、夜の10時、でやっとブログの更新を始めたら、今から原稿を取りに来るバイク便をこちらに回したので、「よろしく!」との電話が入った。おちおちブログに向かってもいられない。今日、櫻井本の話を書く前にはかなり力が入っていたんだが、ちょっと中途半端な話になってしまいました。