紀田順一郎氏が「おのれの能力と実績についてのみ世に発言を行った人物」(「蔵書一代 齊藤昌三」、「大衆文学研究」昭和40年)と評するように、齊藤昌三は自己評価の高いナルシストで、自画自讃する文章が多い。が、ここでは賞讃された文章を紹介する。岩本柯青(和三郎)は、庄司浅水、柳田泉らと同人制で『書物展望』創刊した一人なので、いわば身内の話であるが、昌三の仕事について


「処で、この『書痴の散歩』であるが、御覧の通り内容は多岐多様に互つて斎藤氏の博識を発揮して居り、決してロクなものぢやあないなどと、一口に片附けられる代物でないことは、これでお判りであらう。装幀も叉例によって斎藤氏一流の奇抜な考案と、製本屋中村重義君の営利を度外視しての努力によつて、予期以上の効果を挙げ、面白いものとなったことを読者と共に喜びたい。既刊の酒袋を応用した『紙魚繁昌記』は、何等の加工もせずに布その儘(侭)を用ひて成功したに対し、今度の古番傘はさまざまに工夫して手を加へ、死物を斯様に美事に生かしたことは、大いに喝采していゝと思ふ。上部の印は斎藤氏の定紋であつて、叉、背に傘につきものゝ頭紙(づがみ)を用ひたのが、約五十冊ばかりあるが、この和紙なども近頃の傘は殆どこれを用ひず、ゴム製のものを多く使つてゐて、従つて地方は知らぬが東京では用意に手に入らず、方々探し回つてこの装幀の面白味が一層高まつて居る。


いつたい今の装幀研究家と称する者は、兎角外国の書物や雑誌の受け売り物真似が多く一にも二にも外国崇拝の理屈ばかりこねて、見聞の狭さから日本の書物の良さもろくろく知らず、我々の手近に好材料のあることなぞはてんで気付かぬ無知、独創的の頭のないものが多いが、幸ひにも斎藤君はそれ等とは異り、いつも趣味家らしい独特の好装幀を発表してくれることは、明日の日本の書物の装幀に充分示唆あるものとして、大変に欣ばしいことである。


といつて何もこれが完全無欠のものといふわけでは決してないが、兎に角あまりにお粗末な装幀の多い中に、斯の如く創意に富んだ装幀の書物を出して行く斎藤氏の努力は大いに賞讃の価値があらう。日本の書物である限り日本独特のものを使ってそうていするといふことは当然なことで、材料の珍奇なのが故に単なる物好き呼ばわりするが如き不量見はやめて、今後ますますこういふ方面にも注意が払はれ、よき材料の発見によつていゝ装幀の書物が一つでも多く増えてゆくことこそ望ましい限りだ。


装幀は一つの創作だ。内容を生かす良き装幀の出来上るまでの努力はなみたいていのものではない。──何にしても次ぎつぎに好材料を発見し、これを自由に駆使して成功して居る装幀家としての斎藤氏の功績は日本装幀史上特筆すべきであらう。」(岩本柯青「好々爺齊藤昌三氏」、『書痴の散歩』昭和7年
と、ほぼ完全に齊藤昌三の装丁に関する功績を讃えている。

◎斎藤昌三『第八随筆集 新富町多與里』(芋小屋山房、昭和25年1月1日)。背皮に当たるものが無く、どことなく弱々しい製本で、おせじにも、製本としては褒め言葉がない。


新富町多與里』表紙



新富町多與里』函


斎藤昌三の装丁本は手に入れたときに、いつも感動させられる。斎藤昌三『第八随筆集 新富町多與里』(芋小屋山房、昭和25年1月1日)も、そんな刺激的な装丁の本だ。 函には、手書きの生原稿が貼ってある。斎藤昌三の原稿だろうか。これは1冊しかないという事を強調しているのだろう。「限定300部之内第81号本也 少雨荘(サイン)」とあるので、これ1冊だけしかないというような細工を施してあるのだろう。


◎紙型を使った装丁
表紙は、紙型(しけい)という、活字を組んで、印刷用の鉛版を作るときに使用する厚紙でできた、凹版である。一度校正刷りを印刷しているので、紙型にはインクが写っており、文字が読める。『秋水詩稿』に付いての話を印刷したときのものらしい。題簽は鉛でできていて、これは、鉛凸版と呼ばれるもので、印刷の活字のようなもの。つまり文字は鏡文字になっている。角背だが、背革(あるいは背布)がなく、折丁をまとめた背の部分に薄紙を貼ったままになっている。製本としては壊れやすいのであまりお勧めではないが、不断見る事のできない資材を使用したのは奇をてらった面白さがある。斎藤昌三の不用品の再生というコンセプトも見事に貫徹されている。


◎本文は片面刷り二つ折り
さらに、この本文はなんと洋装本であるにもかかわらず、和本のように本文紙は片面刷り二つ折りなのだ。更に和本と違って山折の部分が背になっており、小口側は、ぺらぺらと開くようになっている。そのため、見開き毎に真っ白な頁が交互に登場するのである。つまり、開いたときの蝶々が飛び立つように見える胡蝶本のようなものである。


城市郎『発禁本曼荼羅』には「斎藤昌三第八随筆集で、昭和二十五年一月一日、芋小屋山房から限定三〇〇部として刊行されたものである。表紙は古紙型装胡蝶綴、題簽の鉛板を表紙左上に嵌入、原稿貼付外函入、菊変型判」とあり、初心者には、なかなかわかりにくい言葉の羅列だが、的確に言い表している。こんな装丁、冗談もいい加減にして欲しい、と書物は読むものとだけ考える一般人なら怒り出すところだろう。しかし、私には嬉しい仕掛けなのだ。これだからこそ斎藤昌三の限定本といえるのである。正に戦前から続く前衛的装丁の代表作といえる作品である。