消えた深大寺道を探す

西東京市都市伝説▶消えた深大寺道を探す…その❶】 西東京市の真ん中、武蔵野大学脇からひばりケ丘駅北へと南北に縦断する古道・深大寺道がある。現在この深大寺道の一部、旧上保谷村の中心集落であった榎ノ木、上宿(いまの泉町、住吉町あたり)から古道の「横山道」とぶつかる地点、具体的には青梅街道から西武新宿線西武柳沢駅西側2つ目の踏み切りをとおり、新青梅街道ケンタッキーフライドチキンのある交差点を通過し、保谷新道・平松バス停横を通る榎ノ木通り約1.5kmが、深大寺道としてガイドブックなどに紹介されている(地図の黄線)が、ここは深大寺道ではない。では、古道・深大寺道はどこにあるのか?
 南町1丁目の石神井川深大寺道が交差する境橋を渡り北上すると、青梅街道の交差点にでる。


直進すると榎木通りで現在はこの道を深大寺街道として紹介しているが、今回は左折して青梅街道を60mほど西へ進むと「ガード下」バス停があり、その横の金剛寺脇に小さな赤い鳥居がある。


その右側に細い路地がある。奥の方にはトンネルが見える。この路地こそが消えてしまった深大寺道の起点だ。



 この細い路地を60mほど北進すると、戦時中に軍用軽便鉄道のトンネルとして作られ、現在は西武新宿線が上を走る小さなトンネルがある。



これをくぐるとすぐ、角に米店がある富士街道との交差点にでる。


この交差点(地図❹)から、住吉町・ひばりケ丘中学校までの約1.5km間には古道の痕跡どころかそれらしき路地さえもない。
 だが、平成13年に田無市保谷市が合併する前の旧保谷市と旧田無市の境界がほぼ深大寺道に添っていたといわれているので、両市の古い境界線(今は町の境)をたどってみた。地図❹と❺をつなぐ線は、富士街道との交差点から左45度に進み完全に写真左奥の屋敷内を通っている。



 行政区画は通常、山の稜線や河川、道路であることが多いが、この青梅街道からひばりヶ丘駅南の区間はその例外だ。山も川もないがゆえに、はっきりと道が残らなかったのではないだろうか。(つづく)