2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

『風の又三郎』の装画はなぜランプなのか?

私が『風の又三郎』を初めて読んだのは、小学校4年生の時で、読後感想文を書いたのをはっきりと記憶している。その後やはり4年生の頃に白黒の映画を観た記憶がある。そんな私が、普通に考えて表紙のイメージを思い浮かべると、まずモチーフとしては、タイト…

朝から講演会「私の好きな装丁家8人衆」のレジュメ作り

昨日は、朝6時に起床し、吉祥寺・古書「百年」で8月3日(金)20:00〜22:00に開催される「私の好きな装丁家8人衆」のレジュメ作りをした。最初は13人衆だったが、一人当たり10分も話せなくなってしまうので、「もう少し少ない方がひとりの作品について説明…

創作文字(図案文字)と手書き文字とは違う

筆や絵コンテ、鉛筆等を使って一気に描くのが手書き文字で、創作文字とは、下図を描き輪郭を書き込み、袋文字になった白い部分を塗り込むようにして、作り上げていく文字を創作文字として、これらの二つのタイトルをわけて考えています。

高橋忠弥もこれらの偉大な装丁家たちの仲間入りをさせてもいいのではないか

そんな風に思いまして、今回、ここに高橋忠弥追加を認定し、 「書き文字装丁家六人衆」と改名し襲名いたします。今後は、書き文字装丁といえばこの六人衆ということで売り込んでいきたいと思っています。 こうして並べてみても決して見劣りしないし、文字が…

手書きのタイトルと装画で装丁をするお気に入りの装丁家5人を、私は「書き文字装丁家五人衆」と名付けている。

写真は上から順に ・芹沢ケイ介(*ケイ=金へんに圭) ・棟方志功 ・佐野繁次郎 ・花森安治 ・中川一政 これが、私が勝手に選出した五人衆だが、小村雪岱の文字や恩地孝四郎の文字もいいけどどうなのよ、などと、当然異論はあるものと思います。 これは私が…

何処かで見たような装画

昨日ネットで注文した本がもう届いた。1冊は『世界少年少女文学全集』(創元社、昭和29年)。この本の装丁は初山滋だが、表紙の中央に小さく挿入されている装画は忠弥が描いたものだ。巻頭口絵やグリム童話の章の扉飾りのほかに、本文中には20点に及ぶ挿し絵…

『高橋忠弥詩画集 巴里憂愁』

『高橋忠弥詩画集 巴里憂愁』は、滞欧中に無くなった妻へのレクイエムのつもりで棺にも1冊入れたという限定版の石版画5葉付きの詩画集だ。この画集については忠弥が「雀頭居雑記・版画余談」(「北方文学」昭和46年)にエッセイを書いている。一部抜粋してみ…

高橋忠弥『高橋忠弥詩画集 巴里憂愁』は妻に捧げる鎮魂歌

■高橋忠弥の装丁書誌リスト7 ・滝春一『句集 燭』(大雅洞、1965[昭和40]年) ・宮沢賢治『風の又三郎』少年少女日本の文学21(あかね書房、1967[昭和42年2月15日]) 忠弥は1965[昭和40]年にフランスへ渡り1976[昭和51]年爾帰国する。滞欧中にも装丁…

表紙にも見事な装画が隠れていた高橋忠弥の装丁

■高橋忠弥の装丁書誌リスト6 ◆1961年、「祭典」が政府買上となる。 ◆1963年、「化石となる風景」が国家買上となる。・保高徳蔵『作家と文壇』(講談社、1962[昭和37年]) ・今東光『ひとり寝』(中央公論社、1962[昭和37年]) ・きだみのる『単純生活者の手…

高橋忠弥の手書き文字装丁と私の好きな[手書き文字装丁家6人集]

■高橋忠弥の装丁書誌リスト5◎邱永漢『オトナの憂鬱』(光風社、1959[昭和34]年) ・平野威馬雄『女の匂いのする兵隊』(東京書房、1959[昭和34]年) ・伊東圭一郎『人間啄木』(岩手日報社、1959[昭和34]年) ・富山武志『市會議員』(寺の下通信社、1…

表紙や見返しにもこだわる高橋忠弥の装丁

■高橋忠弥の装丁書誌リスト4 ◎細川隆元『大狸小狸』(信友社、1957[昭和32]年) ・駒田信二『石の夜』(角川書店、1957[昭和32]年) ・深沢七郎『楢山節考』(中央公論社、1958[昭和33]年)第1回中央公論新人賞 ・藤大路春彦『背徳』(知性社、1958[…

高橋忠弥の装丁書誌リスト3

・高橋健二他訳『世界少年少女文学全集』(創元社、1954[昭和29]年) ・藤野英夫『死の筏』(緑地社、1956[昭和31年]年) ・川口松太郎『夜の蝶』(講談社、1957[昭和32年]年) ◎阿部共地他『子どもに聞かせたいとっておきの話』第1集(英宝社、1957[…

山本圭が語る戦時中の高橋忠弥

話が、少し戻りますが、俳優・山本圭氏が、幼い頃に高橋忠弥と交流があったことを「作家登場高橋忠弥」(「みづゑ」美術出版社、昭和44年)に書いているのを見つけた。 戦時中戦後、浜田山に住んでいた頃の話で、建築業をしている山本圭の父親と忠弥は近所の…

高橋忠弥の装丁書誌リスト2

・森荘巳池『生と死と』(玄文社、1946(昭和21)年) ・武田麟太郎『風速五十米』(民友社、1946(昭和21)年) ・都築益世『ふしぎないえ』(河出書房、1948[昭和23]年)……装丁+挿絵 ◎椎名麟三「永遠なる序章」(河出書房、1948[昭和23]年) ●1949年 …

戦後の高橋忠弥の創作活動は、昭和24年〈37歳)独立美術協会会員となり、40年〈53歳)に渡仏するまでの16年間が一つの区切り

装丁を始めて間もない頃に、昭和15年芥川賞候補作になった森荘巳池『店頭(みせさき)』と出会い、装丁を任せてもらうことができたのは、装丁家としての忠弥にとって大いにラッキーな出会いであったといえる。 しかし、その同じ著者・森荘巳池が昭和18年『蛾…

高橋忠弥の装丁書誌リスト1

・高橋忠弥『詩抄蟻』(私家版、1937年) ・中村千代吉「熊」第1巻第1号(森惣一、1938年) ・及川均『権田家の鬼』(平沢節子、1938年) ・葉山嘉樹『海と山と』(河出書房、1939[昭和14]年2月)●1942年 独立展賞受賞・鹿島孝二『理想の結婚』(大都書房、…

戦時中の忠弥の装丁

「高橋は、パリはとうてい無理として、どこか外国に出たいと考える。この国を脱出して絵を描き、しかも食べていけるなら、望外の幸せなのに、と思っていた。自分から申し出たのだが、ふさわしい仕事が見つかる。」(村上善男『松本俊介とその友人たち』より)…

なぜ忠弥は小学校の先生(訓導)をやめたのか?

忠弥の装丁本を集め始めたときに、すぐに疑問になったのは、どうしてどの略年譜も10行程度のものしかなく、年表としては甚だ不完全なものばかりしかないのだろうか? ということだ。忠弥のことについて書かれた文章が少ないこともあるが、展覧会や雑誌の特集…

高橋忠弥の豪華な詩画集

・高橋忠弥『高橋忠弥詩画集 巴里憂愁』(昭森社、1970年8月)、限定60冊開板、石版画4点付き、17詩篇、段ボール函入り。ほぼ新聞一ページとほぼ同じ大きさで、ずっしりと重い大きな本だ。 背革、角革で作りも資材も豪華で、本文に使われている紙は越前特漉…

滞欧生活が忠弥の作品を大きく変えた

忠弥は1965(昭和40年)から渡仏し、その後、約11年間にわたってフランスで創作活動をする。途中、1969年に一時帰国するが、翌1970年には再渡仏する。この長期の滞欧生活が、忠弥の絵を大きく変化させた。装丁にも、パステルカラーのカラフルで明るい色調を多…

まだある高橋忠弥の装丁本

・古田若生『三十六号室』(中央公論社、昭和34年) 有馬頼義『ある恋のために』(集英社、1964[昭和39年])

雑誌の装画もたくさん手がけている

・『文芸首都』第35巻2号(文芸首都社、昭和40年) ・『文芸首都』第32巻12号(文芸首都社、昭和38年) ・『本の手帳』第7巻7号(昭森社、昭和42年) ・『文芸首都』第20巻8号(文芸首都社、昭和27年) ・『女性改造』第2巻第4号(改造社、昭和22年) ・『新…

雑誌の装画も手がけている高橋忠弥

・邱永漢『オトナの憂鬱』(光風社、昭和34年) ・きだみのる『単純生活者の手記』(朝日新聞、昭和38年)

どんどん掲載します

・椎名麟三『永遠なる序章』(河出書房、昭和23年)cover ・椎名麟三『永遠なる序章』(河出書房、昭和23年)扉 忠弥の装丁でヌードは珍しいので、扉の絵も掲載してみた。 ついでに、たまたま見つけた忠弥のヌード装画を使った表紙も掲載してみた。 ・「文芸…

自慢じゃないけど、「本の装い」に記載されていない忠弥装丁本をお見せします!

今回、掲載した2点はともに装画はかなりいい絵だが、造本は並製本の粗末な作りの本だ。 ・鹿島孝二『理想の新婚』(大都書房、昭和18年7月) 和服姿の新妻がご主人のスーツの手入れをしているのか、洋服ブラシを持っているのがおもしろい。 ・岩崎栄『萬歳(…

既存の高橋忠弥略年譜に疑問が?

忠弥の戦前・戦中の装丁作品は今のところ見つかっているものは少ない。おらくは戦前・戦中は日本にいなかったのではないかと思われるからだ。これまで見てきたいくつかの年表資料によっては多少の年月のズレがあり、その真偽の程はまだ確かめていないが、今…

少なすぎません? 忠弥コレクション!!

前記の図録に掲載されている忠弥の作品点数は、87点ある。そのうち写真が掲載されているのは約半数の42点。しかし……。この蒐集は公の機関のコレクションとしては寂しすぎませんか? 個人の蔵書を披瀝しているのではなく、税金使って集めてこの体たらくですか…

忠弥の最初の装丁は?

忠弥の最初の装丁については、岩手県で開催された岩手県ゆかりの8人の装丁家(栗木幸次郎、高橋忠弥、松本俊介、前川直、船越安武、村上善男、五味清吉、萬鉄五郎))の装丁展図録『本の装い』(岩手県立博物館、平成11年)を見ると、1937(昭和12)年『詩抄…

知る人ぞ知る高橋忠弥の装丁

高橋忠弥といってもその名を聞いて装丁や絵を思い浮かべることが出来る人は、身内か友人の類いでしかないのではないかと思われる。忠弥の装丁で一番知られているのは何といっても深沢七郎『楢山節考』(中央公論社、1957[昭和32]年)だろう。というか、一…

三島由紀夫好みの贅を尽くした優れた造本

皮肉にも没後に刊行されたもう一つのシリーズ本、横山明装丁『三島由紀夫短篇全集』(講談社、昭和46年)とが三島本の中では秀逸で三島好みを知り尽くした装丁ではないだろうか。函には銀箔押しの文字が、表紙には空押しの模様が、背には色箔押しがほどこさ…