謹賀新年

shinka2006-01-01


皆様、あけましておめでとうございます。
昨年は多々お世話になりました。
本年も一つ宜しくお願いします。


さて、今は実家に帰ってきております。
30日に家を出て、深夜バスで帰省いたしました。
今までは大阪から東京へ向かい、そこから高速バスで地元へと向かっていたんですけど、
今回は大阪から地元へ直通している深夜バスがあることを知ってそれを利用しました。
驚きです。
何故、こんな片田舎への道を開いているのか。利用者はいるのだろうか。
現に終点まで行ったのはたった三人しかいなかったし。

それにしても深夜バスというのは辛いね。
寝てしまえば楽なもんなんだろうけど、
寝れなかったら本当に地獄だよ。
なんか暗黙の了解みたいのが発生していて
ライトは点けられないから本も読めない、
携帯は光を出すからメールもゲームもできない、
パーキングエリアは誰も降りないから降りづらい
ウォークマンは家に置いて来た、
だから何も出来ない。
その暗闇の中で僕はなにをしていたのかと言うと
只管、緑に発光するデジタル時計を眺めていた。
だけど決して時間を早く進め!と思っていた訳じゃない。
そんなことをしたら時間の奴は捻くれてるから絶対遅く進みやがる。
僕がしていたのは時計を眺めながら色々と思いつくままに何を考えていた。

例えば、
『世界で一番見られる時計』というのはどういう状況の時計だろかとか。
高速バスの時計もかなりの集中度で見られると思う。
逆に言えばサッカーのスタジアムの時計なんかは駄目だ。
ロスタイムに入ればチラチラ見られるのかもしれないけれども、
キックオフすれば誰も見ないだろうし、
何よりも時計を見るというのが主の目的になってないからだ。

っていう下らない事をずっと考えていたら11時間程で着くんだもんな。
ほんと偉いよ、深夜バス。

『いま、会いに行きます』

近年の映画、と言うよりは近年の恋愛文学というのは
どれもパターンが一緒のように思える。
何か幼さという純粋さを大人まで持ち運び、
失くしてしまったものにいつまでも思いをはせる。
こういった傾向を批評文では「消失系」と呼ばれているのを何かの本で読んだことがある。
しかし、ながらこの手の話は何も今になってポッと出てきたわけではなく、
随分前から言わば黄金パターンとして存在していると思う。
では、何故今になって又しても世を席巻しているのか。
消費者が求めている・・・つまりの純愛ブームだからか・・・。
いやいや、僕が思うにそこには典型的でありながらも、
何か今までは違う新しいエッセンスのようなものが加わっていると思う。

『いま、会いに行きます』という映画、
少し離れてみれば驚くほどに甘えた男の願望丸出しの話ではないだろうか。
対する女性が感動する場面もわかるが、それでも少しは男どもに対して、
「馬鹿にすんじゃないわよ!」と腹を立ててもいいのではないかと思ってしまう。


ある種の恋愛の話においてこの話は完璧である。
あまり接点もない片思いの子が、実はこれまた片思いで自分の事を好きであり、
それを後になって両思いだったと気づかされ、
そして彼女はこれ以上ない思いだけを残して今はもういない。
完璧じゃないか。
要するにこの映画の役割として、全ての人間が経験してきた過去を綺麗に浄化したのだ。
簡単に言えば、全ての人間の恋愛を成就させた。
それがこの映画なんじゃないかと思う。

しかもこのヒロインがまた良く出来た、駄目な男にしてみれば完璧な女性で
自分や二人の関係性に対して不安を抱く主人公の男に
「大丈夫よ」とまるで初めから知っているかのような絶対的安心感で守り愛す。
まぁ、本当に「最初から知っている」んだけれども、ここら辺の設定は上手いと言っていいものなんだか良くわからない。

一言で言えばこの映画は男にしろ恋愛をした事がある人にしろ
“望まれた作品”なのだろう。


余談だけれども音楽いいね。
オレンジレンジじゃないよ。サントラだよ。
僕はこういうベタベタの奴は大好き。
どこかで聞いたことある曲だなと思ったら、
これ『大改造!!劇的ビフォーアフター』で使われていた曲だ。
そこでピンときたのだが、多分作曲者は松谷卓じゃないかな。
そうすれば大改造〜でも使われていたのも合点が付く。
僕、あの人のこれまたベタベタで大好きだ。





いま、会いにゆきます スタンダード・エディション [DVD]

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「いま、会いにゆきます」オリジナル・サウンドトラック

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ビフォー・アフター

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