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カレー帝国の逆襲

2014-04-14

移転

はてダ、「下書きが一定の文字数を超えるとそこから先は下書きに保存されなくなる」という欠陥があったので限界まで軽くしたはてなブログのほうに再び移行します。

2014-04-05

僕らはみんな河合荘 第1話 「たとえば」

恋愛と一口に言っても甘酸っぱさを思い浮かべる人やトラウマを植え付けられた人や時間の無駄だと一蹴する人など、人によってイメージが様々に存在するだろうし、結論から言えばそのどれもが正解でもあるし不正解でもある。形のないものに定義を施すのは結局徒労に終わるし、恋愛といういかにも心情と密接に結び付いている営為について紐解いていくと最終的に生殖という本能に辿り着いてしまうので、その手前の部分、すなわち異性のコミュニケーションの在り方までに留めておかなければならない。

この『僕らはみんな河合荘』という作品における恋愛模様はとにかく明治時代かよと突っ込みたくなるほど古風。主人公もヒロインも奥手で自分の気持ちを伝えることに四苦八苦して煩悶している。そんな古風な二人とは対照的な、いかにも現代風なキャラクタが脇を固めることで化学反応が生じる。古風な二人の織り成すベタな恋愛劇にコミカルかつ人情と下ネタに溢れた今風のキャラクタたちが介入することで、物語は大いに捻れながらも最終的にはど真ん中に位置しているミットの中に収まる。奇抜なイベントに頼らず、キャラクタの心情を丁寧に紐解くことで生み出された緩やかな時間と緩やかな物語、我々はそれに身を任せるだけでいい。細部まで計算され尽くしているというよりは、キャラクタに命を吹き込んだことで物語が自然に動いている、といったほうが正しいだろう。

前述した通り、河合荘の住人は主人公とヒロイン以外みんな一癖あり、特におよそ普通に生活しているだけでは中々出会えないであろうシロのフレキシブルな個性は作中でも異彩を放っている。麻弓や彩花といったいかにも現代的でどこかにいそうなキャラクタも、その表層を剥げば個性的な部分が見えてくる。管理人という全ての上に立つ存在である住子はこの物語の清涼剤だ。常識人としての役割を果たしながらも管理人としてではなく年長者として河合荘の住人を見守っている。大人になり損ねた子供たちが多い河合荘を独立した存在として成り立たせるにはこうした親代わりの人物が必要だった。

ヒロインである律子は本が好きで他人との意思疎通が苦手といういかにもレトロな女性だが、それに関して周りの人間は「何だかおかしい」という感情を多かれ少なかれ抱いている。これが仮に明治大正期に執筆された小説だとしたら、彼女はありがちな人間として処理され、「周りの目」という第三者的視点が挿入されることはなかったはずだ。つまり『河合荘』におけるシナリオとは単純な時代のアップデートではなく、古典的な恋愛劇を現代の作法に当てはめて新鮮な状態で古典を見せる、というルネサンスに近いものがある。我々が『河合荘』を読んでいる/見ている時に古臭さを感じないのは作者が意図的に臭いを消してあくまで現代劇として提示しているからだ。

主人公の宇佐はそんなヒロイン律子から本を貸してもらうことで徐々に距離を縮めていく。本の貸し借りによるコミュニケーションなどこの時代にあり得るのかという疑問は確かにあるが、それも話が進むにつれて霧消する。話が進むと「どのくらいのペースで物語が進行していくのか」ということが掴めてくるからだ。なにせメールアドレスの交換が原作4巻になるまで行われないというスローペースなので、これを把握した上で物語を追っていれば二人のもどかしい距離に煩悶する必要もない。

この作品は原作漫画の時点で既に完成されていたため、アニメ化というステップにはあまり、というかほとんど肯定的になれなかった。漫画における数々の美しい表現がアニメーションになると損なわれるのでは、という危惧があって、キャラクターデザインを見た瞬間にその危惧が現実のものになったと落胆した。この作品のキャラデザにしてはあまりに色遣いが濃い。恋と掛けてるとかそういう話ではさすがにないだろうし、ここまで漫画から連想されるグラデーションと離れてくるとやはり身構えてしまう。それに伴ってやや過剰なギャグアニメ的演出も作風にあまり合致していないように感じる。特に文字演出。思いを中々伝えられない奥手の二人が主役なのに何でもかんでも文字にして画面に映し出すのは明らかに悪手。行間を読ませる隙すら与えないのは原作の良さを潰しかねない。

あとはキャラクタの声。散々言ってきたが河合律子の声はもっと慎重に選ぶべきだった。必ずこの世の中のどこかにもっと相応しい声を持った役者がいたはずだ。この三点だけがとにかく心残りでならない。それ以外は良くできていた。

蟲師 続章 第一話 「野末の宴」

相変わらず他のアニメとは一線を画する時間の流れが横たわっており、そこに身を任せるだけで一時の間だけ浮世の有象無象を忘れられる。それでいてアニメーションとしての矜恃もしっかりと貫かれており、地に足ついたシナリオと繊細な作画が蟲師という作品を単純な芸術作品には留めない。派手な演出もほとんど用いられない。シナリオに沿った流麗な演出が蟲師という作品の異質な世界観へと誘ってくれる。蟲師は蟲というものを扱っていながら、あまりファンタジー性を感じさせない。どちらかというと民俗的な、古くから残り続けている言い伝えを老人から聞かされているような感覚。

ほんの少しの不気味さを醸し出しながら、基本的には蟲という存在とそれに纏わる話が中核にある。蟲に関わる人間の様々な物語は多種多様だが、ギンコという蟲師が大なり小なり干渉することで一貫性が生まれる。蟲というものについては夏目友人帳における妖怪たちに似ている。全てが人に害を与えるわけではなく、共存という道も残されている。夏目友人帳と違うのは、主役が話によって変わることと、蟲師であるギンコは我々の視点とは重なり合わないということだ。『蟲師』における第三者的視点はその都度登場するキャラクタに委ねられる。

今回は『蟲師 続章』なので蟲師1期の続きという位置付けだが、基本的な設定さえ頭に入っていれば1期を見ていなくても問題なく視聴できる。1話完結型なので回同士の繋がりというものもほとんどない。起伏に飛んだドラマティックなストーリーも存在しないので、合わない人は合わないかもしれないが、むしろ濃い味付けの作品の鑑賞に慣れてしまった人間にこそこの蟲師という作品は相応しい。必要最低限の味付け以外は何もせず、ただそこにある人や物をそのまま映し出した、近年珍しいくらいの純粋さが脳に染み渡る。

ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース 第1話 「悪霊にとりつかれた男」

我々が予想していた通りのジョジョを見せてくれたので何も言うことはないです。前作が放送されてからまだ1年しか経っていないのに前作と同じレベルの完成度だというのは恐ろしい。もうこれどう考えても前作放送時点で続編制作を企画してたとしか思えない。

前作のことを忘れていても特に問題なく、前作に比肩する重厚なシナリオと映画を意識した作画に魅入られて気付いたら全てが終わっているというスピード感に打ちのめされる。キルラキルとは違った現代にも通用するクールなテンションの高さが全編貫かれていて息つく間も与えられない。

1話目なのにもうラスボスクラスの闘いが繰り広げられていて、このレベルのシナリオを半年に渡って楽しめるというだけで生きる希望が湧いてくる。ただの会話にさえ伏線やシュールギャグの要素が散りばめられていて飽きることがない。やはり荒木飛呂彦は天才だと再認識させられるし、その天才が生み出した漫画をここまで忠実にアニメ化できる津田尚克を筆頭としたアニメスタッフも非常に優秀で、キャラデザ担当変わったくらいではアニメそのものの出来は揺るがなかった。

selector infected WIXOSS Episode01 「この奇跡は兢々」

岡田麿里が絡んでいるという情報だけでもう完全にこちらは臨戦態勢に入っているのだが、結果的に原作カードゲームの販促に支障が出ない程度に人間関係を拗らせていたので救われた。岡田麿里はやはり原作があったほうが実力を発揮できる。カードゲームを主題にアニメ化した作品といえば前期のZ/Xを思い出すが、あれとは違いこちらは戦闘というよりあくまでカードバトルを主軸にしているので直接的で派手なシーンというものがあまり無い。たまに主人公の小湊るう子の心象世界(?)のような場所で景色が崩壊していく絵を見ることができるが、基本的にはるう子の生活に根ざしたストーリーが展開されていく。

カードゲームが中高生の男女問わず流行っている世界は第三者である我々には異質なように見えるが、当事者たちにとってはそれが当たり前の光景で、これは『咲』において麻雀が子供たちの間で一般的な娯楽となっている世界を想起させる。ただこのアニメはカードバトルにそれなりのリスクを課しているので、単純な娯楽としてのカードゲームが嫌でも真剣味を帯びている。

最近はカードゲーム原作アニメでまともにカードバトルしないものが主流になってきたのでこういうまともにカードバトルしてるアニメは貴重だが、その肝心のカードバトルに戦略性どころか基本ルールすら見えてこないのは早急に何とかしなければいけない点だろう。岡田麿里がカード放り投げて、るう子と遊月を中心にした関係性の描写に終始したらそれはそれで面白いかもしれないけど、1話の時点で禁断の愛を匂わせているので香月をめぐる三角関係に発展してもおかしくない。

ブレイドアンドソウル 第一話 「道」

1話段階では評価に困るアニメ。2000年代前半に放送されててもおかしくないような作風でこれといって目新しいところはない。このままだと有象無象の作品群の中に埋れてしまうのでどうにかして突出した部分を見せつける必要がある。取り敢えずGONZOがどこまで力出せるのかに注目します。

悪魔のリドル 第一問 「世界は□□に満ちている」

常に頭上に「?」が浮かんでいるまま視聴してた。こういう薬にはならないけど毒くらいにはなりそう、みたいなタイプのアニメは最近失敗しまくってるのでそろそろ成功例出てきてくれよと思っているんだけど、今のところ先行きが不安でしかないので3話くらいでほぼ全滅とかある程度大々的な展開を早めに拵えてほしい。

クラスの中でターゲット1人を除く全員が暗殺者という構図は間違いなく暗殺教室なんだけど、こちらのターゲットは教師ではなく1人の生徒でいわゆるギャグ的なネタは一切無いまま進む。別に意味不明なところとかそんなに無いのに置いてきぼり感がすごい。そもそも何のために暗殺者をひとつの教室に集めて特別な力のない一般人を殺そうとしてるのか全くわからない。暗殺教室もダンガンロンパも一応目的はハッキリしているわけで、このアニメは意味もわからないところから学園生活がスタートするので何らかのフォローを早めに入れないと完全についていけなくなる。

これといって視聴に著しく影響するような不快な要素は存在しないのに物凄く取っ付きづらい。 ダークな作風のものは本当に好き嫌いはっきり別れるので、今後の展開によっては視聴断念する可能性もある。

マジンボーン 第1話 「闇からの訪問者」

まさかこれが今期の作画アニメ筆頭候補に名乗りを上げることになろうとは思ってもみなかった。細田守系統のキャラデザに特に惹かれる部分のないシナリオのイントロダクションだけ見て完全に舐め腐っていた。最近のデザインに慣れすぎたせいかキャラの顔に陰影ついてないと違和感抱きまくりの不健全マンになってしまったのだけど、やはりこうしたアニメを定期的に摂取することでた治療できる余地はあるのだと希望をも得られた。それとここ数年の小さい子供向けのアニメは深夜アニメを凌駕するものばかりなのでマジンボーンもその波に乗ってくれればいい。

コメディっぽいタッチで描かれることが多い中でふと真剣な顔が出てきて、そうした緩急というかギャップみたいなものが引っ掛かってくる。その引っ掛かりを気にしているといつの間にか本筋に雪崩れ込んでいて、これは構成が上手いのだなとわかる。「何かはわからないが、確実に何かが起こっている」という事実をこちら側にゆっくりと伝達する。アニメの序盤においては、キャラクタ紹介や世界観の提示の他にもアニメ全体の雰囲気を形成するという重要な作業もあるが、このアニメはキャラクタや世界観を極めてシンプルに作り上げているので1話時点から独自の空気を醸成できる。

隕石が自宅の庭に落ちてくる」という衝撃的なイベントが起こったにも関わらず、生命の危機を感じさせないのは前述したキャラデザだったりリアリティを排除してギャグ漫画のような表情を見せることが多いからだろう。不安要素は今のところドラゴンボールとか権利的に大丈夫なのかという心配と、今回の導入がピークにならないかという尻すぼみ現象くらいなのでスタートダッシュには成功してるといえる。取り敢えずこのアニメの方向性を早めに示してくれればいいです。

2014-04-04

凪のあすから

万物は海から生まれている、という説が根強く残っていることからもわかるように、海はあらゆるものを生み出す母体のような存在であると認識されているし、時には己が生み出した生命を飲み込んでいく自然災害の塊と化す。人類が滅ぶ時でさえ海の全てを知ることは出来ないだろうし、人類が海を統制下に置くことも出来ない。人間の体内には多量の水が存在している事実は水の根源と人間の存在を切り離せない証左で、禊という行為は入浴という自浄習慣に姿を変えつつも長らく存在し続ける。水の行き着く先である海は地球上の生命の源といってもいい。何れにせよ、海は人間の生命に最も近い自然で、だからこそ海をテーマに据えた作品は神話的なものから世俗的なものまで、人間の全てを包括するほど幅広い。

さて、この『凪のあすから』という作品は地上で生活している人間と海中で生活している人間、二つの種の存在を描いている。ならばこのアニメのテーマとは海と地上の人間の交流であろう、と考えるのが普通だが、このアニメで扱われるのはほとんど海の人間だ。正確に言えば、作品の根幹に関わるのは海の人間だ。地上の人間は後半に進むにつれて蚊帳の外になる。確かに主役4人が全員海の人間であることを考えればこの展開は予想できるが、それなら地上の人間の視点はもう少し慎重に扱うべきだった。ただ「変な人間→友達・恋人」という過程をなぞるだけでは、都会の人間・田舎の人間というありがちな対比でも成立していた。海と地上という大それた二項対立を用意したのに、劇中で繰り広げられていることは世俗的な事柄に終始している。

これはもちろん脚本の岡田麿里の影響が強い。しかしこのアニメにおいて最も重要かつ斬新な設定「冬眠」によって2クール目開始時に劇的な変化を遂げる。この冬眠という設定により、同世代の人間たちの年齢を強制的にバラバラにして、そこから年齢の違いにより生まれる葛藤や人間関係の破綻などを繊細に描く。この設定に関しては本当に文句無しに素晴らしく、これが出た時点でこのアニメは勝利した...はずたったのだが、なぜか回を重ねるにつれて冬眠によりばらされた年齢や人間関係ではなく、お女子様や海の儀式といった神話的な部分にフォーカスされていき、結果的に冬眠という設定が効力を失ってきた。

そして最終回まで解決不能なことが明らかな海神様やお女子様のことを扱っていた。これは監督である篠原が誘導したのだと思われるが(RDGでも氏は神話的な要素に強く惹かれていた)、この路線はやはり間違いだった。海の中の神話的要素を片付けようとしたため、肝心の人間関係の問題解決が非常に雑なものとなった。前述した通り、この作品は海の人間と地上の人間の二種を描いていて、この時点で丁寧に描かれるべきは「人間」のほうだということに気付く必要があった。海の人間はなぜ海の中で生活しているのかという部分に迫っていっても最終的な答えはフィクションという壁にしか行き着かない。ならば海で生活しているということを常態として最後まで冬眠と人間関係をメインに扱うべきだった。

2クール目開始時は「1クール目の話が全て長大な前フリだった」ということに気付かされたこともあって物凄く感動していたのだが、最終回に近づくにつれて心が再び離れていった。篠原氏が最後まで岡田麿里に脚本と構成の全権を握らせていたら、また違った結果に終わっていたのかもしれない。

2014-03-31

ガンダムビルドファイターズ

恐らく有識者に言ったらタコ殴りにされそうなんだけど、生まれてこのかたガンダムはおろかロボットにほとんど興味もなく当然ガンダムについての知識などごく初歩的な事柄しか有しておらず、以前見たAGEで「ああガンダムに触れる必要はなさそうだ」と思ってから早2年、おれが何故このガンダムビルドファイターズにハマってしまったかというと単純に「ガンダムを全く知らなくても楽しめる」という親切設計だからだ。

ビルドファイターズは普通のガンダムシリーズとは違っていて、ガンダムのプラモデルを扱う作品なので現実に戦争が起きたり死人が出たりするということはもちろんない。子供から大人まで様々な人達がガンプラを組み立てて戦うというただそれだけのことなんだが、見せ方が非常に上手くて、レイジのミステリアスなキャラ設定から大会の盛り上げ方、細部に至るまでとにかく丁寧に作られている。シナリオも至って単純な友情・努力・勝利の黄金ジャンプ要素に恋愛やコメディを詰め込んで物語を多層に膨らませるというシンプルなもの。シンプルなシナリオに芸術的と言えるほど凝った作画や演出で味付けすると万人に受け入れられる作品になる、という成功例だろう。

とりわけ印象深い回は第21話・24話。主人公のセイとメインヒロインのチナが思いのほか序盤でくっ付いたことに違和感を持っていた視聴者も多かったと思うが、それもそのはず、このアニメの本当の主人公とヒロインはレイジとアイラで、ストーリーが3分の1を過ぎた頃から少しずつ積み重ねられてきた二人のやり取りが結実するのが21話「きらめく粒子の中で」。システムと権力で抑え付けられ非人道的な実験により思考さえも操られたアイラが、生まれつき持っていた粒子を見る力を生かすことで(セイとチナの働きにより)レイジと邂逅し心を通わせるシーンはレイアウトの美しさ含めてアニメーションの素晴らしさを確認できる。

ドラマ性が高いという点ではこのアニメにおけるガンプラバトルはいずれも熱く、頭脳戦による駆け引きや肉弾戦による直接対決まで様々な展開を様々な角度から見せてくれる。最後には共通の目的が生まれ皆が一致団結するという眩しいくらいの王道。ピンチになると師匠クラスの最強の味方も現れて大混戦。子供とか大人とか関係なく盛り上がれるこのクオリティがAGEで実現できていれば...という悲しさをも飲み込んで最後には圧倒的爽快感を与えてくれる。近年ここまで真摯かつ丁寧に、それでいて制作者たちの好きなように作られたアニメはそうそうお目にかかれない。子供をターゲットにしている作品ほど細かいところでの誤魔化しが効かない、ということをよく理解していた上でバトルではスピード感を重視しているところも好感がもてる。

ストーリーの緩急がしっかりしていたこと、大張氏などの豪華なアニメーターを招集したことで異常なまでに研ぎ澄まされた作画、この二つが最後まで揺るがずに根幹に在ったことで途轍もない完成度の高いアニメーションが生まれた。ラスボス級だった真下会長も何だかんだ憎めない性格だったし最後の最後で消化不良だった名人との決勝戦を再び行ったことで改めて決着をつけた。レイジが消えた時にはシリーズ終わらせるのかと思ったけどアイラもレイジに着いていった時点でああ続編作る気なんだなとわかったので安心しました。今後ガンダムについて自ら深く掘り下げることがあるか自分でもわからないが、少なくともこのガンダムビルドファイターズというシリーズにはどこまでも着いていこうと思う。

2014-03-29

Wake Up Girls!

世はまさにアイドル戦国時代。メジャーなフィールドで活躍する華々しいアイドルから、アンダーグラウンドで活動を続ける個性的なアイドルまで、一口にアイドルといってもそれをジャンル分けしていくのが不可能と言っていいほど今や日本は多種多様なアイドルグループで溢れている。大衆から人気と同じだけヘイトも集めている事実上現段階におけるアイドルの頂点AKB48、ゲテモノ枠から飛び出して一躍トップクラスのアイドルへと変貌を遂げたももいろクローバーZなど、アイドルというものにあまり興味のないおれのような人間でさえグループ名を覚えてしまうほど、最近は至るテレビ番組やラジオアイドルが出演している。

そしてついにアニメにもそのアイドルブームの波が去年頭から押し寄せてきていて、女児から爆発的な人気を得たアイカツを筆頭に、ラブライブやAKB0048といった深夜アニメまで様々な部分にアイドルという存在が浸透してきている。で、この『Wake Up Girls!』というアニメもそうしたアイドルブームの中で生まれた作品のひとつだ。ヤマカンこと山本寛という人間性に問題ありまくるが腕は超一流という男が陣頭指揮をとって制作されたこのアニメ、最後まで見た人ならわかると思うがとにかく作画が酷いことになっている。今までのアイドルアニメの特徴のひとつとして「作画が素晴らしい」という点が挙げられるのだが、このアニメに関してはとにかく作画がいつ見ても酷い。せっかくのライブも作画が気になって集中して見られない。

アイドルアニメで最も重要なのはもちろん個々のキャラクタだ。煙草吸って乱交するアイドルや他人の靴に画鋲を入れるアイドルなどが人気を博すわけもなく、可愛らしい容姿・可愛らしい声・可愛らしい性格を備えたキャラクタがアニメで動き出すことで人々は魅了される。WUGにおける弱点のひとつにその「個々のキャラクタの弱さ」がある。キャラデザや作画のせいで見分けがつかないという、映画を見てない人間には序盤からいきなりハードル高い状態で、そのうえストーリーも盛り上がりを迎える前にキャラ同士があだ名で呼び合うので「こいつらの本名なんだっけ...?」と途中で頭を抱えることになる。終盤になるとテレビアニメだけ見てる人間でも何とか全員の区別が付くようになるが、それでも島田真夢と七瀬佳乃のキャラデザはもう少し離した方が良かったと思っている。似たような髪型・髪色に似たような表情なので未だに一瞬迷う時がある。

ではシナリオの方はどうか。アイドルアニメにおけるシナリオといえば友情・努力・勝利を地でいく王道のものが多く、そうした複雑さのないシンプルな物語がアイドルたちの魅力によって増幅されていくというタイプのものが多かった。「アイドルとはエンターテイメントだ」とはWUG作中で白木という男が述べた言葉だがまさにその通りだろう。アイドルは存在そのものがエンターテイメントであるからして、必然的に濃い味付けのシナリオは必要ない。アイドル自体が備えている推進力をフルに発揮すれば、シナリオは自ずとついてくる。

が、しかし、WUGにおけるシナリオは普通ではない。我々はアイドルを見る時にその表層しか窺い知れない。歌って踊って演じる、それがアイドルの基本形だろう。アイドルではなくひとりの人間としての彼/彼女らを見る機会はほとんどない。WUGはそうしたアイドルの裏側を詳らかに見せてくるのだ。結成から大舞台に立つまで、その道のりをフィクション的オブラートで包み隠すことはせず直球で見せてくる。常に付き纏う何かしらの困難を乗り越え、夢だったアイドルの祭典に突き進む。

このシナリオの「立ちはだかる困難」と「困難の乗り越え方」については正直なところ粗があり過ぎて、そんなんでいいのかよと突っ込みたくなる箇所が山ほどあった。「フィクションなんだから細かい部分のリアリティは気にすんな」ということを平気で言うやつに対してヤマカンがカウンター仕掛けたかったかは定かではないが、テレビシリーズの脚本は残念ながら最後まで劇場版を超えることはなかった。

最終回のアイドルの祭典において、本番前に怪我をしたのがWUGの広告塔というか一番人気の島田真夢ではなくリーダーの七瀬佳乃だったというところに、キャラクタ一人一人にしっかりと個性が表れていたのだという事実を確認できる。WUGの核は序盤こそ島田真夢だったが、練習を重ね結束が強まっていった結果リーダーとしての役割を名実共に七瀬佳乃が果たせていたことは一年間という時間の経過がハッタリではない証左だろう。

だが最終回のライブにおいてWUGが歌うのはやはり「タチアガレ!」であってほしかった。アイドルとして未完成だった頃のWUGが初めて人前で披露した「タチアガレ!」と、アイドルとしてようやく完成したWUGが今ここで歌う「タチアガレ!」との対比こそ一年間という時間の経過をはっきりと示せる機会だったのではないか。作画的な意味合いでも、今まで散々酷いものを見せておいて貯めておいた力を最後のライブの「タチアガレ!」で発揮する、という筋書きなら今までの酷さとか多少は許せる気になってくるのでは。たぶん。

最後まで通して見て強く思ったのは「山本寛はやっぱりコンテ切る能力が抜群に高い」ということなのは良いことなのかどうか良くわからない。この三ヶ月間とにかく「山本寛にめちゃくちゃ人望が集まって最終回だけでもいいから最高の作画で見せてくれ...」と願っていたがその願いも虚しく届かなかった。他人に対して「溢れんばかりの人望が集まるくらい良い人間になってくれ」とこんなにも願ったのは生まれて初めてだ。なので今後は「『Wake Up Girls!』を見ると人に優しくなれる」という風説を流していきたいと思います。

2014-03-27

2014年春期アニメ期待度

4月から完全なる社会人もとい社畜になるので恐らく視聴数がぐっと減ると思います。本を読む時間も減るし音楽を聴く時間も減るので社会人クソがという感じですが収入が塾講師バイト時代より増える(たぶん)なのが救いです。が、いくら金が増えてもその金で買ったものを見るなり聴くなりする時間がなければどうしようもないんだ...週休3日制度早く導入しろ...

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2014-03-26

近況

無事引っ越しに成功し新居の片付けも一段落ついたので近所を歩き回ったりしてます。昼も夜も歩き回ってるのでそのうち職質される気がします。

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